魔法に魅せられた剣士
その魔族の剣士。
実をいえば、彼は別の世界からやってきた人間だった。
といっても、元の世界での記憶はあるものの、耳は長く姿は筋肉の塊のような見紛うことなき魔族。
まあ、元の世界の表現では妖精種エルフという呼び名で分類されるのだろうが。
とにかく、彼は純魔族としてこの世に生を受けてすでに百二十一年となる。
それなりの武勲とそれに見合う地位を手に入れている。
そして、家族も。
そう。
彼はこの世界を満喫していた。
一片の後悔もなく。
もちろん元の世界に帰りたいなどという気持ちは一ミリグラムもない。
ただし、多少ではあるが残念な気持ちはある。
それは……。
魔法が使えないこと。
この世界では魔族、人間問わずその者が魔法を使えるかどうかは遺伝とは無関係な事象であり、またその資質は生まれた瞬間に決まり、後天的に身につくものではない。
ついでに言っておけば、高位の魔法を長時間にわたって使うための重要な要素である魔力量もこの時点で決定する。
では、努力は必要ないのかといえば、そうではない。
能力のすべてを開放するためには相応の知識や経験、そして鍛錬が必要となる。
例えるなら才ある職人が専門の技術を習得するのと同じ。
努力しない者は持っている能力の百分の一も発揮できないまま終わる。
そのため、現在魔族の世界では誕生した子供に対して魔術師適正検査をおこない、魔術師としての能力がある者は導師クラスの魔術師のもとに送られて修行が始まる。
もちろんこれは慢性的に不足している軍に帯同する魔術師を確保するためである。
当然ながら、代償はある。
本人はもちろんその親に対しても驚くくらいの優遇処置が与えられるのだが、そこには徴兵の免除というものが含まれる。
本来の趣旨からいえばやや矛盾しているように思えるが、これは様々な勢力の綱引きの結果であり、魔術師に限っては軍への帯同という志願制をとるということになり、その際に規定された報酬は「下限」のみが決められるという奇妙な基準によって、その部隊の指揮官と同額以上になることも珍しくないという破格のものとなっている。
幼年期の楽しいひとときを犠牲にして得られる優遇された魔術師としての生活。
そして、その素養がないため、ごくありふれた生活を送るその他の者。
そのどちらがいいのかは本人の考えと言わざるをえないのだが、その男の場合は前者こそその望みだった。
なにしろ、その男は異世界にやってきたことに気づいたときに、魔法が使えると喜びを爆発させていたのだから。
だから、自分が魔法を使う才がないことや、それは努力によっては手に入れられないことを知ったときのショックは言葉に表せないものだった。
だが、意外にも男の立ち直りは早かった。
……残念であるのは事実。
……だが、それをおこなうのが他人であっても実際に魔法を使う場面を見ることができるのだ。
……これを喜びではないというのなら、なんと表現できる。
……それに……。
……自らが魔法を使えなくても、魔法の研究をすることによって魔法に触れることはできる。
……たとえ魔法の使えない魔族であっても、あの物欲に塗れ腐り切った世界で魔法に触れることなく一生を終えるより百万倍よい。
こうして、魔族として生を受けた彼の魔法探求の生活は始まるのである。
その手始めは徴兵だった。
純魔族の家に生まれた彼のもとには当然徴兵令、いわゆる赤紙がやってくる。
五十歳。
これが魔族の成人年齢であり、人間換算すれば十五歳くらいだと思われる。
ちなみに、一部の腐った組織を除けば実力がすべての世界である魔族の国だが、それがもっとも顕著なのが軍組織である。
貴族制度もなければ、士官学校などというものもなく、全員が五級戦士という最下級の一兵卒からその軍歴が始まる。
もっとも、五級戦士というのは剣技や規律を教え込まれる学校のようなものなので、実質的には四級戦士からが本番なのだが。
もちろん彼も五級戦士から始まる。
元の世界では武道とは無縁どころか、運動と呼ばれることもほとんどしてこなかった彼は当然実戦形式の厳しい軍事訓練で苦労するはずだったのだが、実はそうはならなかった。
父親も剣士として戦場に出ていることもあり、様々な武器が自宅にあって手に触れる機会が多かったことも理由のひとつだろう。
だが、武芸の達人のごとくその驚くべき技を次々と披露して、同期のヒーローとなり、あっという間に四級戦士へと進級するにはそれ以上の理由が必要だった。
当初自分自身のことながら驚いていた彼だったが、あることを気づき、ニヤリと笑う。
「……なるほど」
武芸未経験者だった彼が教えられぬうちからこれだけの剣技を披露できたのはなぜなのか?
その答えは元の世界での彼の趣味にある。
異世界を舞台としたゲーム。
そこで彼は剣の腕も最高という魔術師として活躍していた。
残念ながら魔法は使えなかったのだが、卓越した剣技の数々はまさにゲームの世界で披露していたものと同じ。
つまり、ゲーム上で得た知識がこの世界の彼に影響を与えていたのである。
……そういえば、家にある剣や槍も初めて握ったときから手に馴染んでいると思ったが、そういうことだったのか。
……これはいい。
……魔法は使えるようにはならなかったが、その代わり剣士として活躍しよう。
……ゲームのように。
そう誓った彼。
だが、戦場に出た彼を待っていたのは、常に死と対峙する現実の戦いだった。
ゲームの世界では、「殺す」ということにたいした感慨もなく、それどころか楽しさや快感を覚えながら敵を斬り倒していたわけだが、実際に相手を殺す行為はそれとはまったく別物であることはわかっていた。
いや。
わかっていたつもりだったが、戦場でそれを思い知る。
身をもって。
しかも、その斬る相手というのは邪悪な魔物ではなく人間なのだからなおさらである。
そう。
剣から伝わる肉や骨の感触、そして飛び散る血と耳に入る悲鳴、そのすべてがこのような行為を厳しく禁じていた世界からやってきた彼に快感とは真逆の感情をもたらした。
それとともに、理解した。
戦いとはどういうものであるかということを。
……目の前にいる敵を殺す行為などで快感は味わえない。
……それどころか悪寒すら覚える。
……それなりの環境に身を置き、訓練を受けていてもこうなのだ。
……そのような訓練を一切うけていない二十一世紀の日本の道徳教育を受けた者が異世界にやってきた直後顔色ひとつ変えず、敵を斬り殺し、それに対して負の感情を一切持たないようなら、そいつは普通の神経の持ち主ではない。
……元から殺人願望があった精神異常者。それに類する者以外には考えられない。
……まして、普通の中学生や高校生だったガキが突然異世界に行ってすぐにそれをやった後に、こともなげに状況を冷静に分析してみせるなどありえないことだ。
……万が一、元の世界に戻ったら、その辺を軽く扱った設定をしている奴らには断固抗議してやる。
……だが、それとともに、それをやらなければ自分が殺されるという事実もここにはある。
……つまり、それくらいの神経の持ち主でなければ、あっという間に消える。
死に対する恐怖。
それはゲームの世界では絶対に感じないものである。
……死なないために殺す。
……それが戦場。
……そして、そこは力と技。それに多くの運がなければ生き残れない場所なのだ。
……生き残るためにさらに剣技を磨かなければならない。
……それが今の自分に唯一できること。
その思いを心に刻んだ別の世界からやってきた元人間である魔族の剣士。
生き残るために彼はその後も必死に剣を振るい続け二十年が過ぎた。
その間に彼の同時期に召集された者の大部分が消えた。
この頃の戦況は現在とは違い両者拮抗、というよりも、少々だが魔族軍の優勢だった。
そうであっても兵の消耗はやはり尋常ではなかったのだ。
そのなかで前線に張り付いていた彼がこうして生き残っていたのは幸運を除けば元の世界での経験が生きた特別な剣技のおかげといえるだろう。
そして、その剣技は彼を新たな道へ導く。
教官。
つまり、後方勤務である。
しかも、騎士という階級も手に入れて。
そうして手に入れた時間的余裕を使って彼が始めたのが、念願の魔法研究。
具体的には魔術師宅に訪問することだった。
一応表向きは、「魔法攻撃を防ぐための研究」ということになっていたが、もちろんこれは大嘘。
目的のほぼすべてが彼の個人的欲求を満たすためのものだった。
「それで……」
この日彼が訪れていたのは魔術師の中でも高位に属する者の屋敷だった。
テーブルを挟んで座るふたり。
老人の域に達しているその魔術師は彼を眺め、ゆっくりと問う。
「剣士として高名なライムンド殿はここに来て何が知りたいのかな?」
老人の声には警戒の成分が大量に含まれていた。
いつの時代もそうだが、自らの剣技に自信がある者は皆、その戦い方こそ至高であり、魔法で相手を倒すことは、よくて邪道、悪く言えば卑怯と考え、多くの場所で声高にそれを主張していた。
もちろん一方の側に魔術師がいない戦いがどのようなものかを身をもって知っている彼らは、次の戦いでサボタージュを食らわぬよう、十分な配慮はしていたものの、当然その声は魔術師たちの耳にも入る。
……愚か者たちが。
この世界には「脳筋」という言葉は存在しない。
もし、その言葉が存在したら間違いなく使ったと思われる心の中での呟き。
彼らとは違い、知的な生き物という自負がある魔術師たちはそうやってそれを聞き流してはいたものの、剣士たちに対するわだかまりも一緒に水に流したのかといえばもちろんそうはいかない。
そういうこともあり、突然やってきた、剣士として名が知られたアルベルト・ライムンドという名を持つ彼を魔術師ベルハミン・タンガラーがプラスの感情を持って出迎えなかったのも無理からぬことだった。
……まあ、そうなるな。
彼自身は魔術師に敬意を表しているが、もちろんその辺の事情を知っている。
……だが、そんなことはどうでもいい。
心の中でそう言うと、相手が纏う雰囲気には気づかぬように装い口を開く。
「一応、お尋ねしたいことをまとめてきたので、まずはご覧あれ」
そう言って、彼がテーブルに置いた質の良いとはいえない羊皮紙をタンガラーは手に取り眺める。
そして、唸る。
そこに書かれていたのは魔術師である自分でも知らぬ、というか、試したこともない魔法の数々だった。
「……ライムンド殿。一応確認するが、貴殿は本当に魔法が使えないのだな?」
「はい」
「それにもかかわらずこのように魔法について尋ねるというのはどのような了見か?」
「了見?」
タンガラーの問いに少しだけ時間を使った彼が口を開く。
「言ってしまえば、個人的な興味でしょうか」
「個人的興味?」
「正直にいえば、私は魔術師になりたかったのです。ですが、それは叶わぬ夢。そこで、魔術師の方々と同じくらいに魔法の知識を得ることでその代わりにしたい。そういうことです」
「……なるほど」
この男の言葉に嘘はないとタンガラーは思った。
だが、なぜそれほど魔法に執着するのかは謎のままだ。
謎ではあるが、それが答えるための支障にならないのも事実。
……それに……。
タンガラーは薄く笑う。
「とりあえず、ライムンド殿の問いに答えるのは簡単だ。なにしろ、ここに書かれている魔法はどれも存在しないのだからな」
「存在しない?」
「もう少し詳しくいえば、この魔法を成功させた者はいない。今は」
そう言ってから、タンガラーは一度ライムンドを眺め、それから言葉を続ける。
「それにしても、魔法を使えぬ身で、これだけのものをよく思いついたものだ」
「空中浮遊魔法、海上及び地中歩行魔法、記憶操作魔法、時間停止魔法。透明化魔法。変身魔法。分身魔法。遠見魔法。能力強化魔法。魔獣召喚魔法。どれもなかなか興味深いものではあるが……」
それから、もう一度目の前に座る男に目をやる。
「一応言っておけば、死者蘇生については、治癒魔法の最終到達点と考えることもできるので可能かもしれない。まあ、そのためには医術自体を天界に登るくらいに極めなければならないが。それにしても……」
「……貴殿が魔術師でないのが、本当に惜しまれる。貴殿ほど新しい魔法に興味を持つ者は私の弟子にもそうはいないからな」
「その言葉。私にとっては最高の賛辞です。タンガラー師」
そう言って、彼は笑った。
……本当に。本当に私がずっと追い求めていた言葉ですよ。それは。
心の中で彼はもう一度笑った。
そして、いよいよ剣士らしい話題となるものを口にするときがやってくる。
「ところで、タンガラー師」
彼はそう前置きしてから問うたのは元の世界に存在したある界隈で有名な物質についてだった。
「ミスリル、オリハルコン、アダマンタイトというものをご存じですか?」
いうまでもなく、ある界隈とは大昔彼がどっぷりと浸かっていた異空間のことであり、ミスリルをはじめとしたそれらからつくられた武具はそこでは最強のものとして重宝されていたものである。
ちなみに、現在この世界で普及している武具のなかで最高の強さを誇るものはすべて鉄製のものである。
強さよりも身軽さが重要視される船上の戦闘を主な戦いとする海賊を筆頭に防具に関しては必ずしもすべてが鉄製というわけではなかったが、武器に関しては敵味方、そして所属を問わずほぼすべてが鉄製のものを使用していた。
だが、例外的に鉄をはるかに上回るスペックを持つ武具を持つ者は存在した。
勇者一行で唯一の女性である銀髪を靡かせ刺突剣を操る魔術師。
彼女は、この世界で自身だけが使用できる、材料さえ揃えば望むものを自由に完成できる「完全再現」魔法によってこの世界では光石と呼ばれているあの貴石を加工した剣、さらに華やかさではそれに劣るものの硬度と実用性は上である素材を生み出したうえにそれを材料とした剣に持ち、同じ魔法でつくられたこの世界には存在しない合成素材でつくられた軽さと硬さを兼ね備えた純白の鎧を使用している。
ちなみに、彼女が生み出したふたつ目の剣の素材は、彼女が元いた世界でも確認されているものである。
ダイヤモンドと同等以上の硬さを持つ物質として。
だが、彼女はその物質にそれとは別の「アダマンタイト」という名を与えた。
そして、仲間である三人の剣士たちのためにもその素材を使用した武器をつくり、高額のレンタル料を取って貸し与えている。
そういうことで、この世界でアダマンタイトといえば、その女性フィーネ・デ・フィラリオがある場所でおこなった完全再現の応用魔法で取り出した物質、別の世界ではウルツァイト窒化ホウ素と呼ばれるものを示す。
だが、実際のところ、これを取り出すことも、これを武具に加工できるのもフィーネひとりだけしかできないことなので、その名が世間に広まることは今後もないと思われる。
さて、そこを踏まえてとなるわけだが、当然ながら彼の期待は完璧な形で裏切られる。
「ライムンド殿。その三種は何を示すものなのかな?」
つまり、知らない。
高名な魔術師であるタンガラーが知らない。
イコール、これは存在しないということである。
……やはり。
もちろん失望はしている。
だが、だからと言って問われていることに答えないわけにはいかない。
彼は渋々口を開く。
「……前線で戦う剣士たちの噂になっていた金属で、それらを素材にした武具は最強であり、死なないというものでした」
「……なるほど」
「だが、残念ながら、そのような名の物質は知らないな。しかし、違う名を持つその噂のもとになったものはあるかもしれない。とりあえず、その特徴を教えてもらえるかな……」
「はい」
そこから語ったことは、もちろんこの世界とは無縁な知識である。
ついでに言っておけば、前線の兵士たちの噂という部分も当然ながら彼の作り話である。
そして……。
「なるほど」
「さすが死に直面した者たちの妄想話。随分と都合の良いものがあるのだな」
老人は苦笑する。
「しなやかで硬く、そして軽い。さらに魔法にも耐性があり、加工がしやすく見た目も美しい。そのようなものがあればたしかに理想的な武具が出来上がる。だが、ハッキリ言おう。そのようなものは存在しない」
「それに、いくら素晴らしい武具を手に入れても、その持ち主が弱ければ、あっという間に斬り殺され、下手をすればその素晴らしい武具すべてを相手に奪われることになりかねないのではないか。そして、その新たな持ち主が最強の戦士だったりしたら、それこそ彼と戦う者にとって目も当てられない悲惨な状況になるのではないのかな」
……まったくそのとおり。
心の中でそう呟いた彼は、苦笑いの見本のような表情を浮かべながら口を開く。
「やはり、戦いは道具に頼るのではなく戦士の技術と経験、そして戦術を駆使してやるものですね」