大海賊の述懐 Ⅱ
大海賊ワイバーン。
本拠地マンドリツァーラへと戻る自らの船の甲板に立ち、心地よい海風に当たりながら、彼は大昔のことを思い出していた。
……そういえば、こちらで最初に魔法を使ったのもこのような海の上だったな。
そう。
金儲けと敵を罠に嵌めることに最高の喜びを感じ、さらに特大の戦斧や大錘を振り回すこともできる怪力の持ち主でもあるこの男は、実は魔法も使える、いわゆる魔術師でもある。
さらに言うのなら、その魔力は並みよりも遥か上くらいのものはある。
それにもかかわらず、彼は魔法を使うことはない。
いや。
極力魔法を使うことをしない。
それはなぜか?
異世界転移に支障を来たすため。
武力と財力があり、さらに有能な部下を多数抱える今の彼は自らが魔法を使う必要はないのは確かだ。
だが、それもこれも、元の世界から紙をはじめとした商品を持ち込むことができるからという裏事情もある。
それに必要なのはもちろん異世界への転移魔法。
だが、それをおこなうには膨大な魔力が必要なうえ、さらに消費された魔力は復活できないという二重の枷が掛けられている。
つまり、魔法を使わないように見えるが、実を言えば使えないのである。
少なくても、簡単には。
さて、その彼であるが、自らの魔法が成功したことを認識したのは、御多分に漏れず赤子の時であったわけなのだが、それとともに、自らの現在の姿と、転移したときのためにと脇に置いたはずの数々のアイテムが失われていることにも気づく。
……本には具体的なことは書いていなかったが、これが異世界転移をしたときに枷というものなのだな。
……知識は残る。だが、物は何も残らない。
……なぞかけのようなあの注意書きはこういうことだったか。
……だが、こちらと向こうの物品を移動の際に支障を来たすのでなるべく大きな魔法陣を構築しろと書いてあるのだ。当然二回目以降の転移のときはこの枷は大幅に緩和されると考えるべきだ。
彼のこの推測は結果的に当たるわけだが、彼にとってある問題があった。
魔法陣の構築場所。
ありがたいことに彼は海賊の長の跡取りとしてこの世界に生を受けたわけなのだが、仕事柄その生活の大部分は船の上となる。
……たしかあったな。
……魔法陣の描く場所は動く場所ではならないというものが。
……そして、具体例として真っ先に挙げられていたのは、船の上だ。
……つまり、事実上俺は魔法を使えないわけだ。
……まあ、とりあえずせっかく異世界に来たのだ。
……まずは楽しむことにしようではないか。
……それに成長するまでは時間もある。
……というか、赤子の姿であるこれではやりたくても何もできない。
……どうするかはゆっくり考えられることにしよう。
……そのうち魔法陣に最適な場所も見つかるだろうし。
その時はそう考えた彼であったが、その考えを一転させる出来事は意外に早くやってくることになる。
どこかの探偵もののアニメの台詞のような「見た目は子供。中身は大人」的人物である幼少時代のバレデラス・ワイバーン。
ようやく立ち上がることができる頃には船に乗っていたのは、彼の一族の仕事柄仕方がないことである。
もちろん彼もそれは承知していた。
そんなある日、商売に関わる小さな戦いが起こる。
戦いといっても、一方は海賊であるから、当然商船を襲撃した略奪行為なのだが。
まあ、それ自体たいしたものではなかったのだが、そこで海賊のひとりが繰り出した技に彼は驚愕する。
「……マホウ」
初めて見るものではあるが、それでもそれは疑いようもない魔法だった。
「あれはマホウではなく魔法だ」
言葉にするとおかしなものになるのだが、実際にはそれを「イブ」と発音した父親であるアンドレス・ワイバーンは彼が呟いた聞いたことのない言葉をいわゆる「赤ちゃん言葉」の類による驚きの表現と理解してこの世界での魔法にあたるものへと訂正した。
……おっと。
父親の言葉に反省したそれは、実は少々焦っていた彼が口にしたのは思わず使ってしまった日本語についてである。
……まあ、訂正されるだけだろうが、どこにどんな奴がいるのかわからない状況だ。とりあえず使うのは差し控えた方がいいな。
……用心のために。
心の中でそう言ったものの、どうしてもしなければならない質問では再びそれが障害になる。
……こちらの言葉であれをなんと呼んでいるかがはわからない。とりあえず説明をして乗り切るか。
……そう。絶対にこのチャンスを逃してはならないのだから。
そう決心した彼は口を開く。
「彼は魔法を使うための円はどこに描いているのですか?」
そう。
彼が尋ねたかったこと。
それは魔法陣についてだった。
彼の知識では魔法陣がなければ魔法は使えない。
それだけではなく、魔法は魔法陣の中でしか発動しないだけではなく、効果もその領域限定のものとなる。
だが、目の前に起こったことはその知識から逸脱している。
まるで、映画の中で魔法使いがやっているように、その男は好きなときに好きな場所で魔法を使っている。
少なくても、そう見える。
そして、そうことであれば、忌々しいだけの魔法陣は不要ということになる。
つまり、それを確かめるのは、彼にとってとても大事なことであった。
もちろん、やってきた答えは彼の予想通りだった。
「円?なんだ?それは」
「魔法を使うには見たことない文字が書かれた円が必要だと誰かが言っていたような……」
これが非常に苦しい言い訳であるのはもちろん彼だってわかっている。
だが、今言えるのはこれが精一杯であるのもこれまた事実。
そして、彼の願いが通じたのか、それは功を奏す。
「そんなものを書いている暇に敵が来てしまうだろうが」
誰かが言った、からかい半分の冗談を子供が真に受けたと思った父親はそう言い放つ。
……決まりだな。
彼は内心で喜びを爆発させる。
……せっかくだ。
……もうひとつも聞いておくか。
「では、魔法を発動させるための言葉は?」
「なんだ?それは」
……よし。
「神官が祭りの際に口にするような魔法を呼び出す言葉だとか」
「見たことがないな。奴らがそんなものをブツブツ言っているところは」
……それはいい。
……だが、驚いたな。魔法陣どころか呪文も唱えることなく魔法が発動できるのか。この世界は。
彼の喜びは最高潮に達する。
もちろん表情にもそれは現れる。
父親はそれも子供の好奇心と受け取った。
「そんなに魔法に興味があるのなら、あとで奴を呼んでやるから、話を聞くがいい。ただし……」
「魔法を使えるのはほんの僅かな者だけだ。俺を含めて大部分は使えない。だから、たとえ魔法を使えなくてもがっかりはするなよ」
「……はい」
……それは困った。
……だが、とりあえず、魔法を使えるほうに一票入れておくか。
……そうでなければ、あまりにも理不尽だし、なによりも例の話とも辻褄が合わなくなるからな。
彼は父親の話を聞きながら薄く笑った。
そして、当然ながら、彼は魔術師適合者であった。
こっそりとそれを確かめ、彼は喜ぶものの、それからの彼はその表情をあまり見せなくなる。
修行が厳しいから?
いや、違う。
能力の壁に当たったから?
まあ、それははずれではないが、それが表情を曇らせている原因ではなかった。
そう。
彼は忘れていなかったのだ。
異世界転移で利用したあの本に書かれていた言葉を。
異世界転移には膨大な魔力を消費し、さらに消費された魔力は回復しない。
……つまり、充電式バッテリーの上限が下がっていくようなものか。
バレデラスは、この世界にはないものをたとえに、その様子を推測した。
……他の魔法で使用された魔力は教えられたような方法で休養を取れば、カラの状態からでもほぼ一日で回復できるようだから、使っていても大丈夫なのかもしれない。
……だが、油断は禁物。
……万が一、急に異世界転移が必要になるときもあるかもしれない。
……それに異世界転移後に大幅に下がるという上限は、マックスの状態の基準にするのか、転移時点を基準にするのかがわからない。
……というか、魔法の師であるトリスタン・プエルタによれば、上限が回復しない魔法はおそらくないというのだから、やはり異世界転移の魔法は特別なのだろう。
……まあ、これに関していえば、この世界で使用されている通常の転移魔法でさえ、攻撃魔法や防御魔法より格段に魔力を消費するものらしいから、転移場所が異世界ともなればそれも当然だろうな。
……ということで、その基準がわからない以上、やはり常にマックスにしておく必要があるだろうな。
……つまり、基本は教わるが、余程のことがないかぎり魔法は使わない。
……それと、俺にとって最も重要な転移魔法であるが……。
……やはり、船の上では教わることができないようだ。
……まあ、魔術師として大成したいわけではない。
……ゆっくりやろう。
……もっとも……。
……あまりのんびりしていると浦島太郎になりかねん。
異世界転移した者の多くがたとえ話として使う人物の名を口にした彼にはもうひとつ同じような不安材料があった。
……そもそも、店がどうなっているかが不安だ。
……万が一破壊でもされていたら、戻ることができなくなるのだから。
……それと、異世界転移で消費する魔力量はともかく、自分自身の魔力量という調べる方法があるのなら、早めに知る必要はありそうだ。




