矛盾極まる依頼に悩む凄腕交渉官
「……いやいや、これは困ったな」
アリターナ王国の都パラティーノ。
その一角にある屋敷で、苦笑いの見本のような表情を浮かべるその男はそう呟いた。
その男が座る椅子の前にある机に置かれた二通の書類。
それが彼を困らせている原因だった。
まあ、実際のところその男が本当に困っているのかは怪しいところではあるのだが。
それはさておき……。
アントニオ・チェルトーザ。
それがその困っている風を装っているその男の名であり、そこにつけ加えるならば、この国の公爵家の事実上に家長となっている彼はこの国はおろかこの世界の為政者たちの間で名を轟かす著名かつ有能な交渉人である。
それくらいの名が通った交渉人である。
当然ながら、彼のもとには様々な交渉依頼がやってくる。
そして、現在彼を楽しませ、もとい、悩ませているものも、それに属するものである。
ただし、今回のものはやや問題があった。
実を言えば、この二件の依頼は直接的なものではないものの、ほぼ同一案件に関わるものといえるものだったのだ。
そう。
つまり、対立する両者が彼に交渉人の役を依頼してきたのである。
もちろんこのようなことは初めてではない。
金の貸し借り、土地の境界争い、男女問題その他諸々ある。
そういうものでも彼は両者からの依頼を受け、解決してきたのだが、今回の依頼はその彼でも簡単には解決できそうもないような特別なものであった。
ひとつの案件に関わるふたつの依頼。
そのひとつは、太陽信仰をこの国の唯一の宗教として国王が認めるように交渉してもらいたいという太陽信仰教団からのもの。
そして、もうひとつは当然の逆。
つまり、他の宗教の排除を進めようとしている太陽信仰教団の横暴からこの国の宗教を守るように国王に掛け合ってもらいたいという多くの宗教組織が共同で持ってきたもの。
「そもそもこんなものは我々がおこなうべきものではないでしょう」
「……そうだな」
側近でもある次席交渉官のアルバーノ・アルタムラの言葉を待つまでもなくそのとおりである。
小さく頷きながらそれを肯定したチェルトーザだったが、言葉はそこでは終わらない。
「だが、依頼は依頼だ。しかも、国にそれを認めさせれば、その報酬は莫大だ。それにこの程度のことをできないと断っては、我々『赤い悪魔』の名に傷がつく」
「では、どちらかを受けるということなのですか?」
もうひとりの次席交渉官コンスタンツォ・ジェンツァーノの問いにチェルトーザが答える。
「そういうことであれば、たしかに楽だな。そして、そういうことなら、圧倒的に報酬の高い太陽信仰教団の依頼を受けるということになるのだが……」
「国民の多くが太陽信仰教団の信者と言っても、その割合は半分を少し超えた程度。そのような状況でアリターナ王国唯一の信仰になりたいなど不遜きわまりないことです」
「そのとおり」
「ですが、多数は多数。それを蹴り飛ばしては反感を買います」
「それも言える」
……つまり、来るものは拒まず。いつもどおり両者の依頼を受けるということですか。
……ですが、困りました。これは。
ふたりの次席交渉官が渋い顔で口を噤む様子をおもしろそうに眺めながらチェルトーザが再び口を開く。
「ちなみに、アルバーノ。おまえが担当ならこれをどう捌く?」
「そうですね……これは国民の個々に信仰に関わることですから国民自体に決めてもらうということにしてはどうでしょうか?」
「つまり、選挙……国民投票をおこなうように国に掛け合うということか。コンスタンツォはアルバーノの意見をどう思う?」
「私には悪くない案に見えますが」
「いかがでしょうか?公爵」
「ダメだな。まったく」
「……理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「言うまでもない。我が国は戦争中だ。そんなときにつまらんことで悠長に投票などしていては前線の兵士たちに申しわけがない。さらに言えば、その案ではどちらに転がっても我々の功とは言い難くなり報酬の大幅な減額は避けられない。つまり、やり損だ」
「では、どちらにも加担せず依頼を断りますか?それとも、どちらかを選びますか?そういうことであれば、私としては報酬の多さや信者の数を考えて不本意ながら太陽信仰教団を取るべきだと思います」
「私も……」
ふたりの部下からやってきた提案はきわめて常識的なものだった。
だが、そのふたりを視線ひとつで制したチェルトーザはニヤリと笑う。
「いや。両方受ける。そして、提示された成功報酬はすべて頂く」
……さすがの公爵でもこれは無理だ。
矛盾の見本のようなふたつの要請を共に解決して成功報酬を満額頂くというチェルトーザの言葉を聞きながら、ふたりの側近は心の中で呟く。
……たしかに妥協に妥協を重ねれば、双方の言い分を国王陛下に届けることはできる。
……だが、それでは報酬を満額手に入れることはできない。
……もしかして、その報酬交渉こそが我々の出番ということなのか。
多くの妄想を自らの想定に練り込んでからふたりの部下が上司に対して問いの言葉を口にする。
「その驚くべき秘策をお伺いしてもよろしいでしょうか。公爵」
「もちろんだ」
ふたりを代表してアルバーノからやってきたその問いに鷹揚にそう答えたチェルトーザは黒い笑みを浮かべる。
「それは……」
そこから語られるものは、「赤い悪魔」の無敵伝説の一翼を担う敏腕交渉官であるアルバーノやコンスタンツォにとっても驚くべきものだった。
「まず、前提を言っておけば、このふたつの依頼は相反するものであるのはふたりの言うとおりである」
……本来であれば矛盾という言葉を使いたいところだが……。
……この世界に矛盾という言葉は存在しないのはこのような時に困る。
……いずれ、使い勝手のよい「矛盾」という言葉はこの世界に普及するように努めることにしよう。
……何でも貫く矛と、絶対に抜かれない盾を売る商人の話だったな。
心の中で、別の世界にある故事の布教を誓ったあとに、チェルトーザはさらに言葉を続ける。
「それを踏まえて、両者の依頼内容を確認しておこうか」
「まず、太陽信仰教団。彼らの望みは、『太陽信仰を国が定める宗教とすること』を陛下に認めさせること」
「では、陛下が公の席が言葉にするようにと他宗派の幹部たちが我々に頼み込んできたものとは?」
「太陽信仰教団の依頼とは反対のものです」
「具体的には?」
「書面の内容でいえば、太陽信仰教団が画策する『太陽を信仰するもの以外の宗教活動を認めず、他の宗教信者は強制的に改宗させる』などという愚策は絶対におこなわないことを陛下が公約する」
「……そうだ」
「さて、この両者の、一見するとともに成立するのは難しいと思われる要求だが……」
「成立は可能である」
「それも非常に簡単なトリックで」
「と、言いますと?」
「奴らの要求をそのまま書き込んだものを陛下に了承してもらえばよいのだ。後者については少々捻りを加える必要はあるかもしれないが」
「……要求内容をよく読めばわかる」
理解不能と顔に書かれたふたりに助け船を出すようにチェルトーザはその言葉を口にする。
そして、ふたりは両者に要求内容を吟味し、もう一度口にする。
「……太陽信仰を国が定める宗教とすること」
「……他の宗教の活動を認め他の宗教信者に対して強制的に太陽信仰へ改宗させないこと」
「どうだ?一見すると成り立たないように思えるが、そうでもないだろう」
「なるほど……つまり、陛下が声明を出す、この件に骨子は……」
「……アリターナ王国は太陽信仰を国が定める宗教とするが、それとともに民が他の宗教を信仰することも認め、国が他の宗教信者に対して太陽信仰への強制的な改宗をおこなわせることはしない」
「そういうことだ」
「やや強引な気もしますが……」
「そんなことはない」
ふたりの部下からやってきた皮肉を込めて感想を彼は軽く蹴り飛ばす。
「どんなに不利な依頼であっても相手の主張に小さな穴がないかを探し出し、見つけ出したその穴を大きくして結果的に勝利へ導く。我々の仕事とはそういうものだといつも言っているだろう。今回だって同じだ」
「……両者。特に太陽信仰教団があと一歩踏み込んだ要求をしてきたらこの手は使えなかったようにも思えますが……」
「まあ、そのときにはまた別の穴を見つけるだけだ。さて……」
「陛下への上申。これは私の、というか私の家が持つ肩書だけができる仕事だ。その間に、君たちは君たちの仕事をやっておいてもらおうか」
「……交渉の成功報告」
「……そして、成功報酬の受け取り」
「そういうことだ」




