政教分離
魔族の国。
のちに仮王都、または北の王都と呼ばれることになる北の要衝クアムート。
現在急ピッチで造成中の、近い将来その中心となる地域。
その地域の区割りをおこなう段階になったところで、言葉巧みにこの一帯を領地として手に入れ、「新市街地」と呼ばれるその地域の造営を始めた魔族軍の将グワラニーにはある問題が提示されていた。
各宗派からやってきた施設建造の要望。
その問題が持ち込まれた当初、近々出撃命令があるはずのあらたな作戦のことで頭が一杯になっていたグワラニーは「好きなところに建てれば……」と言いかけたのだが、差し出されたそのリストを見てすぐに考え直す。
……さすがにそうはいかん。これは。
……だが、それをやる時間は私にはない。
……まあ、そのために責任者を置いたのだ。
心の中でそう呟いた彼はその選定を部下に丸投げしようと考えた。
「それについては……」
だが、再び考え直す。
「少しだけ待つように。新市街地の区割りは町の防御など全体を眺めながらでないとできないから……」
もっともそうであるが、実をいえば、とってつけただけの言い訳だったその言葉で、とりあえずその話を門前払いにすると、グワラニーは大急ぎで関係各所を所管する部下たちを呼び寄せた。
そう。
彼にとってそれはそれほどの重大な問題だったのである。
色々な意味で。
そこから始まる当事者たち以外にとっての喜劇。
それはこうして始まったのだった。
翌日のグワラニーが例のリストを見てから数日後のクアムート城の一室。
「さて……」
そう言ったところで、グワラニーは目の前に並ぶ部下たちを眺めて呟く。
……会議自体は頻繁におこなわれているが、このメンツでおこなうのは久しぶりだな。
……懐かしい気もするし、新鮮だな。
豪華とは言えない木製テーブルを囲むように座る彼らは、グワラニーが軍官と呼ぶ彼の命によって動く官僚組織に属する者たちである。
もともとはグワラニーが拡大する自らの部隊、その後方支援組織強化を意図して編成したものだったのだが、その直後から魔族の国の官僚である文官という組織が担うべき仕事もおこなうことになる。
やや過剰な負担に思えたその仕事だったが、彼らが持つ才は十分にそれをおこなうに足りるものであった。
もちろん彼らにはその才にふさわしい報酬は支払われるわけだが、その大部分はグワラニーより支払われている。
国家の仕事をおこなう者に対して個人が対価を支払う。
普通に考えれば、その者に得はない。
それにもかかわらずグワラニーはその仕事を引き受けたのはなぜなのか?
いうまでもない。
目に見えない部分に、それをやるだけの価値があるから。
そういうことなのである。
だが、当然のことではあるが、将来的なことはともかく、目先のことをいえば、その初期投資は莫大なものになるため、それを引き受けるにはその負担に耐えられるくらいの経済的背景というか手持ちを持っていることが前提となる。
では、正式には将軍の地位に就いて間もないグワラニーがそれをおこなえる元手とはいったい何か?
それはもちろん文官時代からこれまで挙げた数々の功績への報酬。
それから、ノルディア王国から巻き上げた、かの国の財政が一気に傾くほどの例の大金となる。
それらを彼は惜しみなく放出する。
大いなるリターンを信じて。
そして、彼が信じるそのリターンであるが、その最初のものは意外に早くやってくる。
そう。
そのグワラニーが支払う、それまでの文官たちが得られていたものからは考えられない莫大な報酬は自薦他薦その他諸々軍官に志願する者は後を絶たない状況をつくりだしたのだ。
そして、その究極の買い手市場から厳選され、新規に雇用された有能な文官のひとりが、今回の問題を持ち込んだ彼、ベンジャミン・セリンゲイアス。
現在新市街地建設の責任者を任されている者となる。
彼が持ち込んだ各宗派からやってきた要望。
いったいそのどこにグワラニーが抱える主だった軍官が緊急招集されるくらいの問題が含まれていたのかといえば、それはずばりその数。
実際にセリンゲイアスのもとにやってきた関係団体だけでも三十二に及び、さらに書類によるものをあわせればその数は三桁を軽々と超えるものとなる。
さすがにこれだけの組織に「好きな場所に好きな大きさにどうぞ」などといえば、新市街地がさながら宗教施設の見本市になりかねない。
その懸念から、グワラニーはストップをかけていたのだ。
「……この数の宗派から申請となれば、建設場所やその広さについては、やはりこちらで制限を加えざるを得ないと思うのだが、これについて諸君の意見を聞こうか」
グワラニーのその言葉で始まった会議は、まず最側近であるバイアの提案から動き出すのはいつものことである。
「我が国の信仰の中心となっているラームとイアーフの神を祭る神殿は必要でしょうね」
そう。
彼の言うとおり、魔族の国の宗教はこの世界ではそれぞれラーム、イアーフと呼ばれる太陽と月が信仰の中心となっている。
そして、そのことからこの国、というかこの世界では昼が長い期間をラーム季、夜が長い期間をイアーフ季と呼ぶ四季ならぬ二季制を採っている。
……まあ、これを反対する者はいないだろう。
……問題はこれからだ。
グワラニーは心の中でそう呟く。
そして、外れようもなくそれはやってくる。
「まず地方神は外せないだろうな。やはり……」
「となると、クアムート周辺の地方神ということか」
「……北峰山信仰」
「つまりバハリーア神を祀る祠。クアムート城内にも立派なものはあるが、新市街地にも置かねばならないだろうな」
「そうなると、王都からの移住者が多いのだから、グアチェラテ神も祀らねばなるまい」
「そうだな。しかも、グアチェラテ神は豊穣を司る神であるし……」
「だが、そうなると、同じ湖に関わる神としてこの地の水を供給地であるクアムート湖の神であるカスアリーダ神も祀らねばならなくなる」
「ああ」
……まあ、予想はしていたのだが……。
……止まらないな。これは。
グワラニーは心の中で呟き、自嘲気味に薄い笑みを浮かべた。
そして、それからしばらくと言うには長い時間が経った頃。
「さて、全部出そろったところで……」
口を開けたグワラニーはそう言った。
いや。
そう言わざるを得ない。
なんと言っても、魔族の国であるこの国は信仰の自由が認められている。
結局のところ、神殿や祠の建築申請があったものはすべて認めざるを得ない。
一部の宗派だけを除くわけにはいかないのだ。
そして、信じられないことではあるが、魔族の国にはこの世界とは別の場所にある某国と同じ八百万の神々が存在する。
太陽の神、月の神から始まり、それぞれの地方の神はもちろん、火の神、水の神、山の神、川の神、出産の神、死の神……、最後には髪の神まで登場する。
「神様の特別な日に悪いことをすれば罰があたる。そして、毎日がどこかの神様にとっての特別な日だ。だから、悪いことはやってはいけないのだ」
このような形で親が小さな子供の躾に使う常套句にも登場するくらいに。
ちなみに、実際にはこの国では一日あたり最低でも二柱の神の行事がおこなわれ、大人気となる年始や月初めなどの特別な日にでもなれば、競い合うように盛大な祭りがおこなわれる。
たとえそれが戦いのさなかである現在であっても。
……宗教に関しては薄く広く信じる日本人の代表のような私にとってこの国が居心地のいい理由のひとつは、その環境が日本と同じ状況だからということか。
……これが一神教の国家であれば、本当に生きづらかったことだろうな。元日本人である私には。
……まあ、それはそれとして、この盛大に広げた風呂敷をどうしたらよいものか。
目の前の状況に苦笑する。
彼は元エリート官僚。
大抵のことなら、この世界の誰よりも的確な提案ができる自信があった。
しかも、そこにこれまでの文官としての経験が加わる。
そして、ダメ押しのように言うのなら、都市建設は彼の専門分野に属するもの。
その自信のレベルは各段に上がる。
はずだった。
……だが、どうやらその自信はうぬぼれ以外のなにものでもなかったようだな。
そう言わざるを得ない。
……宗教施設をどのように配置すればこの都市にとってもっともよいのかなど考えたこともなかった。
……まあ、そのための会議だ。
……よいアイデアが出ることを期待しようではないか。
すべてを見通しているような顔をしているものの、実は困り果てている主の前で、部下たちは盛んにアイデアを出す。
そこで焦点となったのが、新しくつくる新市街地の一画に宗教施設を一か所に集めるか、それとも分散させるかということだった。
……さすがに方位で吉兆を占うこともなさそうだし、鬼門や裏鬼門などという概念もないようだが、宗教団体の管理のし易さを考えれば、バイアのいうとおり一か所に集めたほうがいいだろう。
……だが、アウメイダの言うとおり、宗教団体の結びつきが過剰に強くなり後々統制がとれなくなるかもしれないという危険性はある。
……つまり、一長一短というわけか。
……せっかくだ。担当者はどう考えているのかも聞いておこうか。
「セリンゲイアス。おまえの意見を聞こうか」
「はい」
グワラニーの指名により、それまで沈黙を守っていたセリンゲイアスが口を開く。
「私はいくつかの集団に分けたうえで集中配置すべきではないかと考えています」
……いいとこ取りの見本だな。それは。
表情には出さないものの、グラワニーは心の中で呟く。
「具体的には?」
「ラームとイアーフを中心とした二か所。もしくはバハリーア神を加えた三か所に宗教施設を集めるというのはいかがでしょうか?」
「なるほど……」
「だが、それではバイアやアウメイダが提案した案の問題点を中途半端に残しているように思えるのだが?」
「そうでね。ですが……」
「どれもこれも、金貨の表裏のように避けようのないものであり、さらに言えば良い点も悪い点もあるのですから、そこは過度に気にする必要はないのではないかと。それよりも……」
「三か所に分けることによってそれぞれの集団に対抗意識が芽生えることはいいことに思えますし、なによりそれぞれの特色が出れば訪れる者には楽しみが生まれます」
「なるほど。悪くないな。それは」
……この町のどこかで毎日祭りをやっているのは悪くないな。たしかに。
……それに町の至る所に「仲見世通り」があるのもいい。
……歴史も売りもないこの新市街地には。
……まあ、例の問題に関しては……。
……そもそもこの国の者は、日本人と同様宗教に関しては薄く広く信仰しており、宗教の教えにすべてを支配されているわけではない。
……しかも、為政者は宗教と関りを持たないことを徹底している。
……もちろん私も。
……まあ、大丈夫だろう。
「わかった。では、セリンゲイアスの案を採用する」
……それにしても、セリンゲイアスも案外曲者だな。
決定を伝える言葉を口にしてから、彼はその案を提案した人間種の男をもう一度眺める。
……おそらくこの案は私に宗教団体から多数の申請が持ち込まれたと言ってきたときにはすでに考えていたもの。
……練りに練ったものだ。自信はある。
……だが、バイアたちが提案したものが持つ問題点と同様なものが自分の案にあることに気づいた。
……会議で最初に提案すれば、必ずそこを突かれて叩かれることも。
……そこで、他者にまず提案させて、問題となる部分を他人の案で洗い出させ、さらにそれが解消されないことをハッキリさせてから、最後に自らの案を持ちだして一番良いものに見せた。
……どこかの世界でよく使われる提案方法だが……。
……まさかここでそれが披露されるとは思わなかった。
……またひとり、なかなかできる奴が見つかったな。
……まあ、それはそれとして……。
……誰かは知らないが、このきわめて日本的宗教環境をつくった者に感謝しなければならないな。
この環境をつくった者に感謝しなければならないな。
グワラニーが心の中で呟いたこの感謝の言葉。
その言葉を受け取る相手となるのは、再びこの国の第十一代の王だったあの男となる。
もちろん、もともとこの国にはその土壌となるものはあった。
例の八百万の神々である。
特定の神を信仰しない代わりにどの神も平等に敬うというこの国の民の習慣と、祭事以上のことには興味を持たず、他の宗教を攻撃することのないこの国の宗教組織は、自らの都合に合わせてその宗教行事に乗るという典型的日本人である彼にとっては居心地がよかった。
それとともに、この習慣と宗教組織の姿勢は維持されるべきだという思いも持った。
そう。
のちにブリターニャ王国で起こる国教問題がこのような多神教国家にとって害になることをこの時点ですでに彼は感じていたのだ。
……まあ、ありがたいことに私はこの国の絶対権力を持つ者。
……この政策を推し進めることができる権限がある。
……しかも、これは現状を維持するもの。
……反対する者も少ないだろう。
……それに、そうやっておけば、将来への枷になる。
……なにしろ、魔族は非常に保守的。
……その一方、決められたことは驚くくらいに義理堅く守る。
……彼ら魔族が住むのは白か黒の世界。灰色もなければ解釈によって事実上の路線変更などという手も使わない。
……つまり、人間などより法令順守の精神がある生き物である。
……当然その世界の頂点に立つ王は誰よりもそれが求められる。
……先祖が決めた規則を破る根性のある者はそうはいまい。
……まして、民の習慣を大幅に変えるようなものとなればなおさらだ。
そこまで言ったところで、彼は大きく息を吐く。
……自らが信じるもの。こと、心の拠り所になるようなものは……。
……強制されるものではないのだ。
……絶対に。
元日本人である第五代の魔族の王は、自らが統治する国では、ひとつの宗教が特別な力を持つことがないように簡単だが非常に有効な仕掛けを施した。
その一方で、人間世界に関してはその枷を敢えて外した。
もっとも、外したという表現は正しくなく、半ば自治権を与えたその組織に対して信仰の自由を守るように強く求めなかっただけであったのだが。
「愚かで邪悪で狡賢い人間は、定められた規則は正しく守る規律性を重んじる我々とは根本的に違う。いずれ自らを神、または神の代理人と称する者に率いられた強い宗教組織があらわれ、その頂点に立つ者は権力を欲するようになる。それによって結束が強まることもあるだろうが、その過程で他の宗教への弾圧が起こる。しかも、信仰の自由というお題目は各勢力に渡してあるのだ。内輪もめは簡単には収まらない。それは我々にとっては悪いことではない」
彼は側近の者にそう語ったとされている。
彼がここまで言い切れる理由。
もちろんそれは、こことは違う世界で起こった歴史を知っていたからである。
そして、実際に彼が言ったとおりのことが起こったのはブリターニャ王国の事例からもわかる。
ただし、その発芽とともに一気に成長し、そのまま混乱へと進むかに見えたひとつの宗派を国教にする企みを、絶対権力を持つ者が徹底的に潰す、まして、その人物が実は自らが書き残した本でこの世界にやってきた同胞であることなど、予想もしなかったのだろうが。
彼の呟きは続く。
……もちろんこれだって、魔族の国の崩壊と魔族そのものの滅亡を防ぐことはできない。
……結局のところ、現在のように魔族が我が世の春を謳歌する時代が再びやってくることはない。
……せめて、この世界の一部分として魔族には残ってもらいたいものだな。
それが絶対権力者としては実にささやかな望みである。
……そして、将来起こる人間との戦いでそのキーポイントになるのは、案外戦闘に参加するのは純魔族のみというあの政策かもしれないな。
彼は別の目的で始めたその政策に別の一面があることに気づき、そう呟く。
……なぜなら、魔族の国では、農業や商業、それに工業を支えているのはすべて人間種。
……戦いが始まっても、人的被害は受けずに生産活動はおこなえる。
……まったくとは言わないが、経済活動には影響が出ない。
……一方の人間側は違う。
……ほぼ確実に敷いてくる徴兵制であれば、生産活動の主力となる年代の男たちが軒並み戦場に送られる。
……もちろん数年でケリがつけば影響は少ない。
……だが、それが十年、二十年となれば、ボディーブローのように絶対に利いてくる。
……まして、百年単位となれば破綻は避けられない。
……どこかの時点でこの世界の経済の中心である農業がまず崩壊し、経済の解体がそれに続き、戦争どころではなくなる。
……大動員をかけて攻勢に出て失敗でもすれば、その終末はより早くやってくる。
……結局のところ、生産活動が成り立たない状態では戦争などできないのだ。
……だが、そんなこともわからず戦争ごっこに現を抜かす者、いわゆる戦争屋がその戦争を指揮しているのは疑う余地もない。
……間違いなく、最後まで気がつかない。
……まあ、それはこの世界に限ったことではないのだが。
……だが……。
……持久戦に持ち込み人間側の疲弊を待てば、完全勝利とはいかなくても滅亡しなくても済むかもしれないのではないか。
……そこで停戦し国境を確定できるかどうかは、その時の王の交渉力がどの程度あるかということになるだろうが。
人間側の疲弊によって起こる停戦の実現。
もちろんそれは、酒を嗜みながら妄想した、たいした根拠もない希望的観測に基づいた彼の思いつきである。
だが、彼がこの世から消えてから長い時間が過ぎたあるとき。
この言葉が現実味を帯びたものとなる。




