誰のためでもない、私のために
ナデージュの顔を見て、ジゼルはそう言い切った。
この言葉を聞いて、彼女はどういう反応をするだろうか?
怒るだろうか? 癇癪を起こすだろうか? それとも否定し、ジゼルに罪悪感を植え付けるような言葉を吐き捨てるのだろうか?
膝の上に置いた手を、自然と握りしめた。
「……ジゼル」
ナデージュが、静かに名前を呼んだ。
ごくりと息を呑めば、彼女も手を握りしめたのがわかる。
「あなたは、本当に反抗的になったわね。……このままだと、出来損ないだわ」
「……そう、でしょうね」
ナデージュや父の言う『出来損ない』とは、自分たちの思い通りにならない娘に対しての言葉だ。
自分たちの意見を聞いて、口答え一つせずに従う娘が、彼女たちにとっての『いい子』なのだから。
「本当、出来損ない。……ずっと、あのままでよかったのに!」
バンっとテーブルをたたいたナデージュを見ても、罪悪感なんて芽生えなかった。
昔は、ナデージュがこうすることが怖かった。こうなれば機嫌を取って、落ち着いてもらおうとしていた。
けれど、今はもう怖くない。死ぬよりも怖いことなど、この世にはないのだろうから。
「そうすれば、わたくしたちが輝かしい未来を――」
「いい加減に、してください」
言葉を遮って、冷静に言葉を吐き捨てる。
「私は私です。エルヴェシウス侯爵家の娘である以前に、ジゼルという人間です。……お人形じゃない」
ゆるゆると首を横に振ってそう伝える。ナデージュは、なにも言わなかった。
「お父様とお二人でお人形遊びがしたいのならば、もっと別の方法を考えてください」
ある意味の皮肉の言葉だった。
その言葉で締めくくって、ジゼルはぱんぱんと手をたたく。そうすれば、部屋の扉が開いてマリーズが顔を見せる。
「マリーズ、お母様がお戻りよ」
「……かしこまりました」
マリーズが深々と頭を下げて、扉を大きく開く。
ナデージュはまだなにかを言いたそうだった。だが、なにを言っても無駄だと悟ったのだろう。彼女はジゼルに促されるがままに、部屋を出て行く。
その後、ぱたんと音を立てて閉まる扉。
自然と一息ついてしまった。
「お嬢様。無事でございますか?」
「……別に私、戦ったわけではないのだけれど」
ある意味戦いだったかもしれない。が、身の危険があるわけではなかった。
そういう意味を込めて苦笑を浮かべれば、マリーズはジゼルの顔を覗き込んでくる。
「いいえ、お嬢様にとっては、大変な戦いだったでしょう。……親に反抗するなど、子供にとっては勇気のいることでございます」
「……そう」
「ましてや、奥様はああいうお方なので……」
マリーズの言いたいことは、よくわかる。
ナデージュはいつ爆発するかわからない、不発弾のような女性だ。今回はなんとか爆発せずに済んだが、次もそうとはいかないだろう。でも、今回は乗り切れた。
そう思ったら、なんだか胸の中を安心の感情が支配する。
ソファーに置いてあるクッションを手に取って、抱きしめた。ぽふんと顔をうずめれば、なんとも落ち着く香りが鼻腔をくすぐる。
「まぁ、お嬢様ったら」
「……いいじゃない。今くらい」
少し拗ねたようにマリーズにそう返せば、彼女はくすくすと笑ってくれた。
……こういう子供っぽいことも、思い返せば今までしたことがない。拗ねることも、いじけることも。
ジゼルには、許されないことだったから。
「あぁ、そうですわ。お茶をお持ちいたしますね」
「えぇ、お願い」
マリーズの言葉を聞いて、頷く。
彼女がジゼルの側から離れたのを見て、今度はソファーに横たわった。
天井から吊るされたシャンデリアは、相変わらずきらきらとしていて、煌びやかだ。
手をかざして、ジゼルは自分の指を見つめた。
一度目の頃とは違って、とてもきれいな指だ。
「……私、頑張る」
小さくそう呟いた。
「絶対、今度こそ幸せになってみせるわ。……一度目の私が、報われるように」
無残な死に方をして、後悔ばかりを残してしまった。
そんな死に方、もう二度とごめんだから。
「私自身の身も、マリーズのことも。……エヴァリスト様との関係も。全部、全部守ってみせる」
贅沢かもしれない。この手には重すぎて、抱えきれないかもしれない。
そうだったとしてもいい。だったら、引きずってでも持っていくだけなのだから。
「どうか、神様。……私に、勇気をくださいませ」
神様なんてあまり信じていない。ただ、自分の身に起きたことが不可思議で、不可解で。
だから、もしかしたら神様がいるのかもしれない。そう思っただけ。
目を瞑って呼吸を整えていれば、すぐ近くから「お嬢様~」というのんきな声が聞こえてきた。
その声に反応するように、瞼を上げる。自身の顔を覗き込むマリーズの顔が、そこにはある。
「お茶をお持ちいたしました。少し、気を休めましょう」
「……そうね」
彼女の提案に頷いて、ジゼルは起き上がる。
……まだ、心配事は山のようにあるのだ。油断なんて、出来やしない。




