エヴァリスト・ラ・フォルジュ
その男性は鮮やかな紫色の髪の毛を持っていた。乱雑に切られたように見えて、とても計算された髪型にも思える。その漆黒色の目は、鋭い形をしている。
彼は何も映していないような目で、ジゼルのことを見つめていた。
(……エヴァリスト、殿下)
にっこりとも、ふんわりとも笑わない。ただ無の表情でジゼルを見つめる彼は、一体何を考えているのだろうか。
そう思いつつジゼルが深々と頭を下げれば、彼――エヴァリストはかつかつと足音を立ててジゼルの方に歩み寄ってくる。
「俺を呼んだのは、キミだよね?」
エヴァリストはジゼルにそう声をかけてきた。これはただの確認である。エヴァリストは優秀な王族なので、貴族の名前と顔は完全に一致させているはず。そんな彼が、ジゼルを知らないわけがない。
「えぇ、お会いしていただけて光栄でございます。ジゼル・エルヴェシウスと申します」
スカートの裾をちょんと持ちジゼルが淑女の一礼をすれば、エヴァリストはジゼルのことをただ見下ろした。
……一度目の時間軸の頃。彼はジゼルを労わってくれた。労ってくれた。しかし、今の彼とジゼルはほぼ初対面なのだ。刺々しい視線を向けられても、おかしなことではない。
それを知っているはずなのに、何故か胸がちくんと痛んだ……ような気が、した。
「そう。……けれど、ジゼル嬢は俺に何の用事なのかな? 甥の婚約者候補の筆頭が、わざわざ俺に会いに来るなんておかしな話だと思わないかい?」
エヴァリストの言葉は正しい。普通ならば口添えをしてもらおうと考えるだろう。ジゼルだって、逆の立場ならば間違いなくそう思う。
けれど、ジゼルにそんなつもりは一切ない。むしろ、バティストの婚約者候補から外れたいくらいなのだ。
「悪いけれど、口添えはしない。……王太子の婚約者の座は、自分の手で射止めろ」
冷たい視線だった。その後、エヴァリストが踵を返そうとする。
引き止めなくては。頭の中が一瞬でその感情に支配された。
「ま、待ってくださいませ……!」
慌てて彼の方に足を踏み出した。が、スカートの端を踏んでしまいその場で転んでしまいそうになる。人間、慌てるとろくなことにならないのだ。
「お嬢様っ!」
マリーズの声が、ゆっくりと遠くから聞こえてくる。
――転ぶ。
そう判断し、ジゼルが瞑る。だが、いつまで経っても痛みは襲ってこない。代わりに感じたのは、手首を引っ張られるような感覚。
「……何? そこまでして、俺の気を引きたかった?」
頭の上から降ってくる、冷淡な声。しっかりと視線を上げれば、エヴァリストはジゼルのことを見下ろしていた。その目は絶対零度のオーラを宿しており、ジゼルの背筋にぞくぞくとしたものが這いあがってくる。
(……私の知るエヴァリスト殿下では、ないのよね)
そう再認識したものの、ここで引いたら女が廃る。
ジゼルが自分自身にそう言い聞かせれば、エヴァリストがジゼルの手首を何のためらいもなく放した。
「助けていただき、誠にありがとうございました」
助けてくれたことに関しては、お礼を言わなくちゃならない。
だからこそジゼルはそう言って頭を下げた後、エヴァリストを見つめる。
「ですが、私は神に誓ってエヴァリスト殿下の思うようなことをしたいと、思っているわけではありません」
しっかりと彼の目を見て、はっきりと自分の言葉を口にする。
すると、エヴァリストの目がほんの少し見開かれた。
(きっと、エヴァリスト殿下も私のことをお人形だと思われていたのね)
社交界でのジゼル・エルヴェシウスといえば、両親の言いなりのお人形だから。彼の反応もある意味正しいのだ。
「……そう」
「本日は、別のことをエヴァリスト殿下にお願いしに来たのです」
そのジゼルの言葉を聞いて、エヴァリストが足を止めた。そして、ジゼルの方に顔を向ける。……その漆黒色の目が、ジゼルを急かす。まるで、早く話せと言われているみたいだ。
「私は、バティスト殿下の婚約者になりとうございません。……そのために、協力していただきたいのでございます」
「……はぁ?」
エヴァリストは、まるで何を言いたいのだとばかりの声を上げた。
そりゃそうだ。バティストの婚約者になりたいならばまだしも、なりたくないと言っている。頓珍漢すぎて、素っ頓狂だ。
「……そりゃまたなんで」
彼の興味が、どうやら引けたらしい。
それを悟り、ジゼルは彼の目をまっすぐに見つめた。ジゼルよりもずっと身長が高くて、年齢も上。そんな彼のほんの少しの間抜け面が……ジゼルは、何とも言えないほど好きだったのかもしれない。
(エヴァリスト殿下ならば、私の話をバカな話だと蹴り飛ばさないはずだわ)
彼の本当の姿は、とても優しい人だから。ジゼルは、それを確かに知っているのだ。
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