恩返し
「……なに、それ」
ジゼルの言葉を聞いて、エヴァリストが少し面白そうな口調でそう言葉を発する。
彼の目が、ジゼルのことをまっすぐに射貫いた。
「俺、ジゼルにそんな感謝されるようなこと、してないけれど?」
確かにそうだ。この世界では、エヴァリストとジゼルは偽装の婚約者という関係でしかない。でも、違う。
「……私は、エヴァリスト様に感謝しております」
一度目のジゼルを救ってくれたのは、ほかでもないエヴァリストなのだから。彼への感謝の気持ちは、きっといつまで経っても消えない。それだけは、ジゼルにもわかった。
「それだけが、今はすべてです」
「……そっか」
その後、二人そろって口を閉ざす。場を支配する沈黙。でも、不思議と居心地は悪くなかった。
ただじっと、二人で見つめ合う。先に口を開いたのは、エヴァリストだった。
「……俺はね、期待なんてされない立場だったんだ」
「……そんなの」
「兄よりも劣っていないと、俺はダメだった。母親が、そういう思考の持ち主でさ」
彼がそう言う。その声音は、何となく懐かしむような雰囲気だった。
「弟なのだから、兄を立てなさい。そう言われ続けてきた。だからかな。……俺は、いつしか兄を疎ましく思うようになった」
目を瞑って、彼が懐かしむような口調でそう続けた。
「どうして俺が、あの兄を立てなくちゃならないのか。それがずっと不満で、不服で。……俺の胸の中には、ずっとモヤモヤが募っていたんだ。バカみたいでしょ?」
そう問いかけられたので、ジゼルはゆるゆると首を横に振る。
ジゼルのその態度を見て、エヴァリストはふっと口元を緩めていた。
「実はね、俺はジゼルのことをずっと前から知っていたんだよ」
「……え」
「バティストの婚約者候補の筆頭。そんな肩書きでしか、見ていなかったけれど」
ソファーから起き上がりつつ、エヴァリストがジゼルに向き直った。
「でも、まさか。……こんな、深入りしてくるような子だったなんてね」
「……それは」
「ずっと人形みたいだって思ってた。……あのジゼルには、生きたような感覚がなかった……って、言えばいいのかな?」
彼の言っていることは間違いない。ジゼルはずっと、両親の言いなりの人形だった。さらに言えば、バティストの機嫌を取ることだけを考えていた。
「……申し訳、ございません」
「どうして謝るの?」
ジゼルの言葉を聞いて、エヴァリストがきょとんとしながらそう言ってくる。そして、彼はその手をジゼルの頬に伸ばした。
「今のジゼルの方が、ずっと輝いているよ」
「っつ」
「俺は面白いことが好きだし、退屈が嫌い。だから、ジゼルと一緒にいると退屈しないなぁって、思ってる」
多分、それはエヴァリストにとっての一番の褒め言葉だ。それを理解する。だけど、何となく照れくさくて。ジゼルは彼と視線を合わせることが出来なかった。
「……恩返ししなくちゃなのは、俺の方だよ」
「どう、いうことですか?」
思わずジゼルが口を開く。すると、ヱヴァリストはくすっと声を上げて笑っていた。その目は、優しそうに細められている。
「俺の退屈を壊してくれてありがとう。……俺とギオの関係が、壊れる前に修復してくれてありがとう」
「っつ」
まさか、お礼を言われるなんて。
想像もしていなかったこと。その所為で、ジゼルの頬にカーっと熱が溜まった。
「なに、照れてるの?」
「そ、れはっ……!」
確かに照れていることに間違いはない。でも、素直になれるわけがない。
彼から顔を背ければ、彼はくつくつと喉を鳴らして笑っていた。
「ジゼルにとって俺が救いになっているんだったら、いいな」
「……エヴァリスト様」
「俺も、ジゼルに救われたから」
エヴァリストの手がぎゅっとジゼルの手を握る。温かくて、大きくて。
ふと、ジゼルの脳裏によぎるのは一度目の人生のこと。
倒れかけたジゼルをその場に居合わせたエヴァリストが支えてくれた。そのときの手と、何の変わりもない手だと思った。
「ジゼル、俺を利用して。……ジゼルが何を思って行動しているのかは、俺は知らない」
「……」
「けど、俺はジゼルの力になりたいよ。……それだけは、間違いないんだ」
彼が笑う。何処となく儚げな笑みで。
「たったこれだけの言葉を、伝えたかったのに、随分と遠回りした気がするな」
「……エヴァリスト、様」
「何だろう。不思議な感覚だ。まるで、俺はずっと――」
――ジゼルの、支えになりたかったのかもしれないな。
目を細めて、はっきりと。彼の唇がそんな言葉を紡いだ。
その所為なのだろう。ジゼルの頬には、自然と温かな涙が伝っていた。
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