困らせてしまいたい
お、お待たせいたしました……!
「……えぇ、きっと、そうなの」
胸の前でぎゅっと手を握りしめ、ジゼルは消え入りそうなほど小さな声でそう言う。
この感情が恋愛感情なのか、恩人に対する感情なのかはまだまだはっきりとはしない。でも、好きだ。それだけは、わかる。
「でしたら、こんな風にモダモダしている場合ではありません」
「……え?」
「エヴァリスト殿下に、早急にお会いしに行きましょう」
マリーズのその言葉に、ジゼルは大きく目を見開いた。対するマリーズはさも当然とばかりに部屋に備え付けられているクローゼットの方に向かっていく。確かに、今のジゼルはラフな格好なので王族である彼の前に姿を現すことは出来ない。でも……。
「ま、待って。突然行けば、迷惑になってしまうわ……!」
せめて、先に手紙を送ってからの方がいいのでは?
そう思いジゼルがマリーズの後に続いて彼女の腕を掴めば、彼女はジゼルに視線を向けてくる。その目は、とても温かい慈愛に満ちたような目だった。
「もしかしたら、留守かもしれないじゃない」
それっぽい理由を述べる。すると、マリーズはにっこりと笑っていた。
「それはそれで構いませんわ。お嬢様がエヴァリスト殿下に会いに行ったということが重要なのですから」
「……えぇっ」
「お嬢様が寂しい思いをしている。殿下にはそれだけ伝われば十分です」
彼女はそう言うとジゼルの手をどけてクローゼットに入っていった。……残されたジゼルは、ぼんやりとすることしか出来ない。
(確かに、それは間違いないのかもだけれど……)
でも、やっぱり……。
そう思う気持ちが消えてくれなくて、ジゼルはマリーズの背中をぼうっと見つめる。彼女は真剣にドレスを選んでいる。
その姿を邪魔することはできなかった。
(そういえば、バティスト殿下と婚約していたときは、こんな風に寂しいなんて思わなかったわね)
ふと、そんなことを思った。バティストと婚約していたとき。ジゼルは彼と会わない日々に確かな安心を抱いていた。
特に彼が公務で出掛けているときは、心がほっとしていたのは記憶にしっかりとこびりついている。無茶ぶりもされない。急な呼び出しもない。それは、ジゼルの心を落ち着けていた。
しかし、エヴァリストだと違う。逆に……寂しい。そう、思ってしまう。
「こちらにしましょうか」
「……えぇ」
だからこそ、もうこうなったらとことんエヴァリストに迫ってやろうと思った。
(たまには、わがままに。困らせてしまうくらいが、いいのかもしれない)
彼の性格上、ジゼルがわがままを言っても笑うだけなのだろう。それは、容易に想像がつく。
なんといっても、エヴァリストは寛容な性格なのだ。なんでも大体、笑って受け流す懐の広い人物。それが、ジゼルの認識。
「……お父様とお母様に、エヴァリスト様の元に行くことをお伝えしなくちゃならないわね」
鏡台の前の椅子に腰かけ、ジゼルはマリーズのことを見てそう言う。そうすれば、彼女は少しためらったのちに頷いた。
大方、あの二人の性格を熟知しているからこその、躊躇いだったのだろう。あの二人は、見栄っ張りで立場が上の者には基本的には逆らわない。それに、ナデージュに関してはエヴァリストをよく思っていない……というか、恐れているのだ。
出来れば、彼の怒りを買うようなことをしたくないだろう。
「……きっと、お父様もお母様もエヴァリスト様を困らせるなんて言語道断だとおっしゃるわ」
「そうでしょうね」
「でも、私、思うの。……エヴァリスト様だったら、私のわがままを何でも受け入れてくれるのではないかって」
そっと目を伏せて、ジゼルはそう言葉を発した。
彼ならば、彼ならば――ずっとジゼルが抑えつけていたものを受け入れてくれるような気がした。
「それに、もうすでにたくさんわがままを言っているわ。だけど、あのお方は何一つとして嫌な顔をされなかった。……ただ、私のわがままを叶えようとしてくださった」
「……お嬢様」
「だから、私はあのお方のことを信じるわ。……今距離を置いているのだって、何かわけがある。そう、思うわ」
ぎゅっと握った手のひらが、微かに震えている。
それは、一体どうして? そんなもの、わかっているのだ。
(エヴァリスト様の真意を知るのが、怖いからよね)
この距離を置いている理由を知るのが、恐ろしいのだ。ただ忙しいだけならばいい。しかし、もしも嫌われていたのならば――。
(なんて、好いて嫌っての関係じゃないのにね)
初めの頃は、偽装の婚約関係だった。でも――今、ジゼルは彼のことを放っておけない。
そして、それ以上にきっと。エヴァリストも、ジゼルのことを放っておけないのだ。それだけは、ジゼルにもよく分かった。
次回更新は多分火曜日です。
なんとか、なんとか第1部を7月中に終わらせるように頑張ります……!
引き続きどうぞよろしくお願いいたします……!




