もしも、あのとき
(キトリー様の狙いは、なに?)
彼女はジゼルに『仲良くしてほしい』と言っていた。
少なくとも本当にジゼルは彼女と仲良くした覚えなどないし、面識だって各所でのパーティーや夜会、茶会くらいなものだ。
バクバクと音を鳴らす心臓の辺りを押さえて、ジゼルは「ふぅ」と息を吐く。
落ち着け、落ち着け。まだ、焦るようなときじゃない。
(そうよ、私はエヴァリスト様の婚約者。バティスト殿下とは、何の関係も――)
そこまで思って、つい先ほどのバティストの言葉が脳内に蘇る。
(っつ)
その瞬間、ジゼルの身体から血の気が引いたような感覚だった。
未だに鮮明に思い出せる。殺されたときの痛み、苦しさ、辛さ。
指先ががくがくと震え、その場にうずくまってしまいそうになる。
(……こ、わい)
今まで必死に抑え込んでいた感情が、今になって溢れ出てしまいそうだった。
それは、バティストやキトリーに会ってしまったからなのだろう。今まで気丈に振る舞い続けていた部分に、亀裂が入り始めていた。
口元を手で覆い、必死に呼吸を整える。エヴァリストが戻ってくるまでに平常に戻っておかないと、彼に無駄な心配をかけてしまう。
「……ジゼル?」
が、それに気が付いたのは少々遅かったらしい。
不意に声をかけられてそちらに視線を向ければ、そこにはグラスを持ったエヴァリストがいた。
彼の手にあるグラスは二つであり、どうやら自分の分も取ってきたらしい。
「……大丈夫……じゃ、なさそうか」
エヴァリストはジゼルの様子を見て、冷静さを取り乱すことはなかった。
ただ、ゆっくりとジゼルに近づき、近くにいた従者にグラスを預ける。従者は、なんてことない風にエヴァリストの指示に従っていた。
「ちょっと、休憩しようか」
「……で、すが」
「いいから。今のジゼルの顔、真っ青だから」
彼はジゼルの肩を抱き寄せ、そう言ってくれた。その言葉に心がほっと安心したのか、ぽつりと一粒の涙が頬を伝った。
「あっちに、体調が悪くなった来賓を介抱するための部屋があるんだ。……普段はあんまり使わないけれど、そこに行こうか」
「……は、ぃ」
わなわなと震える唇から、必死に言葉を紡ぎ出す。
周囲の人間たちはバティストに興味を奪われているらしく、エヴァリストやジゼルを気に留める者はほとんどない。
それに安心すると同時に、ジゼルはエヴァリストの衣装をぎゅっとつかんでしまった。……それは、完全に無意識の行為だった。
「……ジゼル?」
彼が怪訝そうにジゼルの顔を覗き込んでくる。
ほぼ唯一だった。彼だけが、苦しくて辛い、闇の中にいたジゼルに手を差し伸べようとしてくれた。
……自分にとって、それがどれほどの光だったか。それは、ジゼルにしかわかりようがないだろう。
「……た、す」
口が自然と助けを求めようとする。
「助けて」
そう言おうとして、ジゼルはハッとして口をつぐんだ。彼にこんなことを言っても、迷惑なだけだ。
「……辛いね」
そんなジゼルを見つめ、エヴァリストはそう声を発した。……もしかしたら、彼は今の言葉を気分が悪いから零した言葉と、受け取ったのかもしれない。
「大丈夫。……とりあえず、ゆっくりと休もう。いろいろな意味で、疲れただろうから」
ぎゅっと握った彼の衣装。手は相変わらず震えているし、恐怖からか喉はカラカラだ。……どうにか、なってしまいそうだった。
「……あぁ、ギオ。ちょうどいいところに。介抱用の部屋を準備してきてくれ」
「……はい」
近くを通りかかったのであろう人物にエヴァリストがそう声をかけていた。
その人物はエヴァリストの言葉に文句ひとつ言うことなく、従う。少し間があったのは、気のせいだろう。
「大丈夫。……俺が、ついているから」
エヴァリストがジゼルの背中を優しく撫でて、そう言ってくれた。
『……辛かったら、頼ってくれてもいいよ。俺は、ジゼル嬢の力になりたい』
いつだっただろうか。彼がかけてくれたその言葉が――脳内で反復する。
(……あのとき、もしも――)
――彼の差し伸べられていた手を取っていたら。
自分はどうなっていたのだろうか。
もしかしたら――死なずに、済んだのかもしれない。あんな苦しい思いを、しなくて済んだのかもしれない。
なんて、考えたところで――何も解決しないのだから。
本来だったら昨日更新予定だったんですよ……寝落ちしました。はい。
また、一昨日、昨日と連続で新連載を始めております。
活動報告に詳しいことは書いてありますので、よろしければ覗いていただければ……と思います。
片方はこちらのシリーズものですので、シリーズに行けば飛べます。
もう片方は完全新作ですので、作者ページから飛べます。
どうぞ、こちらも合わせて引き続きよろしくお願いいたします……!




