後悔はしたくない
そんなジゼルを見て、エヴァリストは微笑んでいた。
その表情が多少なりとも憎たらしく、ジゼルは凛とした令嬢を演じようとする。
「ジゼル」
しかし、エヴァリストに名前を呼ばれるとその演技は崩れてしまいそうになる。そっと彼から視線を逸らせば、エヴァリストはジゼルの耳元に唇を寄せた。
「しっかりと前を見て。今のジゼルは、誰にも負けないから」
はっきりとそう言われ、ジゼルはハッとする。……そうだ。今の自分は普段の自分とは違うのだ。
(それに、今の私はエヴァリスト様の婚約者。……彼の恥にならないように、しっかりと前を向かなくては)
自分自身にそう言い聞かせ、ジゼルはしっかりと前を見る。すると、エヴァリストが満足そうにうなずいた。
「じゃあ、少し散歩しに行こうか。……時間は大丈夫?」
「え、えぇ」
正直なところ、ナデージュを振り切ってこちらに来たので、帰りたくないくらいだ。
心の中でそう思いつつ、ジゼルはエヴァリストを見つめてぎこちなく笑う。彼の目に映った自分自身は、やはりとても歪な笑みを浮かべていた。
(心の底からの笑み一つ、上手に浮かべられないのね……)
そう思い、ほんの少し項垂れてしまいそうになる。けれど、今はエヴァリストの婚約者として側に居る。彼の恥にならないような行動を心がけよう。そう、思った。
エヴァリストにエスコートされ歩いていると、周囲の視線のすべてが自分に注がれているように錯覚してしまいそうだった。
使用人も、王城で働いている文官や騎士たちも。皆が皆、ジゼルを品定めしているようだ。
こういう視線は、一度目のときでも散々浴びせられたもの。が、一つだけ決定的に違う点がある。
それは――彼らの視線の中に、蔑みが入っていないということ。
(一度目は、形だけの婚約者だと思われていたものね……)
バティストの形だけの婚約者。それが、ジゼルの立場だった。だからこそ、周囲がジゼルを見る視線には蔑みが含まれていたものだ。
でも、今は違う。まるでお姫様を見るかのような。そんな視線に、晒されている。自分はそんなにいいものではないというのに。
「ジゼル」
ふと、エヴァリストが声をかけてくる。そのため、ジゼルは彼に向き合う。彼は笑っていた。
「こういう風に歩いていたら、まるで本当の婚約者みたいだ」
彼の声のボリュームは、とても小さかった。確かに、人に聞かれてはいけない内容だとわかっている。
だから、ジゼルは彼を咎めない。
「そう、ですね」
何となく、彼を利用しているということが後ろめたい。自分のことも存分に利用してほしいと言ったので、後ろめたさを抱く必要はないだろう。なのに、どうして胸の奥がこんなにももやもやとするのか。それは、分からない。
「まぁ、そうだなぁ。……どうせだし、このまま本物の婚約者にでもなる?」
「……え?」
一体、彼は何を言っているのだろうか。
そもそも、彼は大層な女性嫌い。ジゼルと結婚することに何のメリットが――と、そこまで考えて思った。
(確かに、私と結婚すれば言い寄ってくる女性は確実に減るわね)
婚約者という関係だけならば、まだ言い寄ってくる女性はいる。けれど、妻帯者ともなればそうはいかない。さらに言い寄ってくる女性は減り、エヴァリストは疲弊せずに済むというものだ。
(だけど、私は……)
そっと視線を下げて、ジゼルはぎゅっと唇を噛んだ。
その様子を見たためなのだろうか。エヴァリストは「冗談、かな」と小さく言葉を紡いでいた。
「ジゼルには、もっと若い男の方が良いよ。俺みたいな輩よりも、ずっと、ね」
彼がそう言って、ジゼルの手を離す。何となく、今、この手を掴まないと――彼が何処かに行ってしまいそうだ。
「――エヴァリスト様っ!」
慌てて、彼の手を掴む。咄嗟のことだったので、彼の驚いたような目を見ても何も言葉が出てこない。……どうしよう。
「そ、その、私、は……その」
「……うん」
エヴァリストが言葉を待ってくれている。それに気が付いて、余計にジゼルはなんと言えばいいかがわからなくなった。
彼には感謝している。それは、間違いない。しかし、それは所詮別の時間軸の彼に対してだ。今の彼に対して、自分は感謝しているのだろうか?
(いいえ、間違いなく感謝している。私の偽装婚約のお話を受け入れてくれて、こんな素敵なドレスもプレゼントしてくださって……)
そんな彼に感謝するなという方が無理だ。
そう思い一度だけ息を呑む。まっすぐに彼の目を見つめれば、彼はジゼルをぼうっと見つめていた。
「わ、私は、私はっ!」
これより先の言葉が、出てこない。感謝しています。そう言えればいいのに、そのたった一言が言えない。
(私は……どうしたいの?)
ぎゅっと彼の手を握った。はしたないと言われるかもしれない。だけど、握らないと。彼が何処かに行ってしまいそうで――そうなったら、喪失感が飛んでもなさそうで。
(もう、後悔はしたくないの)
人に流されるだけの自分は、やめる。言いなりの自分も、やめる。
その気持ちを強め、ジゼルはエヴァリストの顔を見上げた。そして、口を開こうとしたときだった。
「……叔父上?」
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