余計なことなんて、考えなくていいよ
そんな風に他愛もない会話をしていると、馬車が止まる。窓の外に視線を向ければ、そこには王城があった。
御者に扉を開けてもらい、エヴァリストが地面に足をつける。その後、ジゼルに対して手を差し出してくれた。
その手に、ジゼルは恐る恐る自身の手を重ねる。
「そんな、恐れなくても」
エヴァリストが笑う。その笑みは人が好きそうなものであり、ジゼルの心の中に何とも言えないもやもやとしたものが湧き上がってきてしまう。
(エヴァリスト様は、なんていうか歪、なのよね……)
彼に偽装婚約を依頼して以来、ジゼルは今まで彼を真剣に見つめていなかったことに気が付いた。そして、ジゼルが見ていたエヴァリスト・ラ・フォルジュという人物が、ただの一面に過ぎないことに。
人間とはいくつもの面を持つ。それを理解していたはずなのに、エヴァリストはただの優しい人だと思ってしまっていた。
その理由は何故なのか。……わかっている。そこまで考えられないほど、ジゼルは焦り弱っていたのだ。
エヴァリストに手を引かれ、ジゼルは王城の中に入っていく。王城の使用人たちがエヴァリストを見て深々と頭を下げる。下世話なうわさ話に花を咲かせる使用人たちはいない。……やはり、王族とはそれほどの権力を持つ生き物なのだ。
(私がバティスト殿下に蔑ろにされていたときは、私の目の前で下世話な話をする使用人も多かったものね)
それはきっと、ジゼルには何を言ってもいいと思われていたのだ。実際、人によって態度を変える使用人は多いのだ。
「ジゼル……って、どうかした?」
「い、いえ、何でもありませんわ」
不意にエヴァリストに声をかけられ、ジゼルはハッとしてゆるゆると首を横に振る。
ジゼルの心のうちなど、話せるわけがない。
そう思っていれば、エヴァリストのもう片方の手がジゼルの方に伸びてくる。彼の手が、ジゼルの頬に添えられた。
「余計なことなんて考えないで。……俺と一緒にいるんだから、俺のことだけ考えていたら、いいんだよ」
ふんわりと笑って、エヴァリストがそう告げてくる。……が、ジゼルには彼の言葉の思惑がこれっぽっちも分からない。
(俺のことだけ考えていろって……そんなの、常識的に考えて無理よ)
そもそも、その発言はなんという俺様発言だろうか。
心の中でそう考え、ジゼルが胸の中にもやもやとしたものを抱え込んでしまう。
そんなジゼルの気持ちなど知りもしないエヴァリストは、ジゼルの手を引いて王城の中を歩く。
王城の中は、一度目の時間軸のときとこれっぽっちも変わっていない。多少部屋の位置が違うというところはあるが、造りなどは変わっていないのだ。……あまり、いい思いではなかった。
(バティスト殿下に呼び出されて、来たこともあったっけ)
夕方に呼び出され、ここに来た。それから、何時間も待たされた挙句会うこともかなわずに王城を追い出されたこともあった。
その結果、彼にはひどく叱られてしまったのだ。……来なかったのは、彼の方だというのに。
(あんまりいい思い出はないわね)
出来れば、もう二度と来たくなかったというのが正しいのかもしれない。
だけれど、エヴァリストには罪はない。彼にこのことを言うのは、筋違いというものだ。
「こっちだよ……って、ジゼル?」
エヴァリストがふとジゼルの方を見て、怪訝そうな表情を浮かべる。驚いてジゼルが彼の目を見つめると……彼の目に映っている自分の顔は、ひどい顔だった。
まるで、悪夢を見た後のような。そういった言葉でさえ表せないようなほどに、疲れ果てていた。
「どうかした? 何か、嫌なことでも思い出した?」
「い、いえ、なんでも、ありません……」
もしかしたら、エヴァリストは過去にジゼルが王城で嫌な思いをしたのかも……と考えたようだ。
実際、それは間違いない。というか、半分正解である。この時間軸か、否か。そこ以外はほとんど一緒なのだ。
「……少し、外の空気を吸おうか」
「で、ですが……」
「いいから。今日は俺に公務はないしな。……中庭に行って、少し落ち着こう」
エヴァリストの足が、別の方向に向く。ジゼルは否応なしに彼について行くことしか出来ない。
(……どうして)
どうして、エヴァリストはジゼルのことを労わってくれるのだろうか。どうして、エヴァリストは――ジゼルのことを、大切に扱うように、扱ってくれるのだろうか。
(……こんな風に労われたこと、ないのよ)
その所為で、ジゼルはどういう顔をすればいいかが、これっぽっちもわからなかった。
ぎゅっと下唇を噛んで、いろいろなことを考える。
たくさん勉強をしたのに。したはずなのに。こういうときにする表情については……一つも、分からない。
それはきっと、勉強不足ということではないのだろう。ただ、コミュニケーション能力が不足している。それだけ。
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