根の方の国と激闘の終わり
玉藻前は何とか引き返して手力男の力を借りて根の方の国を脱した。背中に尾を巻き付けて固定した伊佐那岐が気を失っている。
単独で須佐乃男のもとに戻ろうとするので少しばかり痛めつけて失神させたが不可抗力だ。決して、役に立たんばかりか、騒動を大きくした腹いせではない。
「何があった」
そう声をかけてきた手力男に答えようとしたとき、大岩にて塞いだ黄泉比良坂から轟音が響き渡る。世界を隔て繋がりを絶っているはずの大岩を越えて音が轟くのだ。尋常なことではない。
「須佐乃男」
玉藻前の口から、思わず溢れる。
須佐乃男の魂は輪廻の狭間で漂っていた。
かりにも創世の神であるからして、滅びることはないとしても、暫くはこうして回復のために狭間で漂うことになるのかと覚悟する。
「親父殿、あとは任せましたぞ。兄上なら、ぶん殴った時に晴れやかな顔をしておったゆえ、いずれは神として再生するじゃろう」
大爆発の直前、須佐乃男は淡島の顔面に一発くらわしていた。眼窩が窪み頭骨が剥き出しになったような姿だったが、殴ったあと、爆発の直前に一瞬みせた顔は随分と男前な爽やかな笑顔だったと須佐乃男は豪快に笑っていた。
「流石ですね。それでこそ大権現様」
このような場所で声をかけられて、さしもの須佐乃男も驚きに声のした場所を探すと、一組の男女がこちらを見て立っていた。
立っていたといっても地面もないのだが、虚空にあって、立っているとしか思えない佇まいの二人には見覚えがあった。
「そなたらは、淡雪に誓願したあの若人たちか」
遠い江戸の時代に熊野の烏を縛って大権現に誓いをたてた二人に相違ないように思えるが、その魂は淡雪の導きで縁の両親に転生した筈だと須佐乃男は混乱する。
「確かに、大権現様の温情により転生し、見事に結ばれました者にございます」
精悍な顔をした若い男が答える。
「ならば何故ここにおるのだ」
須佐乃男の問い掛けに二人は顔を見合わせると、ゆっくりと答え始める。
「私たちの魂には哀れに想い、自らの魂を睹してまで救おうとした、熊野の烏、今は烏産姫様の魂が大権現様のお力で紐付けられておりました」
男は感謝の念にたえないという風情で顔をおとして語ると引き継いで女も語り出す。
「そうして、私達の魂は無事に来世で結ばれたのですが、今世で添い遂げられなかった未練と、己の消滅まで覚悟して私達をお救いくだすった烏産姫様への恩義から意識の一部だけがここを漂っておるのです」
それを聞いて須佐乃男は仰天する。いくら愛した者がそばにいようと、肉体のない精神のみの残滓のようなものだとしても、それがここまで残って居るものなのかと。
「私達は特殊なんです。神となった烏産姫様の魂と一時的にも同化していたこと、そこで産姫様のお心に感謝し、いつか恩を返したいと願い続けたことで、どうやら姫様の眷属になっていたようで」
そんなことがあり得るのかと、またしても須佐乃男は驚くが、あの淡雪が心を砕いた若人たちが心根から気持ちの良い好人物だったのは間違いない。
ならば、恩を返したい一心で契約の逆転が起きてもおかしくは無いのかもしれない。
二人の誓願のために縛られていた淡雪が、二人の幸せを願い。その献身に感謝した二人が淡雪への恩義を返したいと願ったことで反対に二人の「想い」が淡雪に縛られて固定されたんだろうと納得する。
「名を聞いておらなんだな」
ここに縛られておるのは、すでに転生した魂とは別の存在だとして、須佐乃男は名を聞くことにした。
「木ノ下仁左衛門といいます」
「菊乃と申します」
簡素に答えた二人はやや焦りがちに話しはじめる。
「ある方の支援で私達は少しばかりですが神通力のようなものを使えるようになりました。いずれは姫様や私達の子、縁の助けになればと思っていましたが、これも縁でございます。大権現様、お戻り下さい。向こうで待っている方もおれば、大権現様の力なくては縁が危のうございます。どうかお願いいたします」
仁左衛門と名乗った精悍な若人は表情を曇らせてそう言うと須佐乃男の胸元へと手を伸ばす、菊乃と名乗った女性も同様に伸ばすと其処から神力が溢れる。
「我が子の培った権能はとても強大で危険なものです。大権現様にお慈悲いただき、この身に残りし大権現様のお力をお返しいたします」
淡雪をこの者たちの魂に紐付けたさいのものか、だとしたら、随分と多いと思ったが詮索はよした。どのように知ったかは不明だが、好意でもってこの者たちに協力して導いているものがいるのだろうし、何と無くあてもある。おそらくは外れてはいないだろうと、須佐乃男はその神力を受けとると豪快に笑う。
「そうじゃな、急いで戻ろう。任せておけ」
須佐乃男が目を覚ますと満身創痍だった体は幾分かは回復しており、爆心地の真ん中で何もなくだだっ広くなった空間で拳を突き出したまま立っていた。
目の前には淡島はいないが、どうやら自分は戻ったらしい。
雄叫びを張り上げて足を打ち鳴らす。まだ手力男は外にいるだろうか。そんなことを思いながら、相変わらず豪快過ぎる生存証明をする須佐乃男だった。




