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烏と僕と霊障と  作者: 愛猫家 奴隷乙
中学生編 第1部
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伊佐那岐と噛み合わない想い



 淡島の姿を見たとき、伊佐那岐の心は大きく揺らいでいた。

 多くの信仰を集めたことで少彦名(すくなびこな)婆利塞女(ばりさいじょ)へと魂が別たれて転身したことで神となった元息子たちに会ったこともある。

 だが、目の前にいるのは自身が葦舟に乗せて流し、神に名を連ねることを許され無かった伊佐那美との間にできた次男そのものだ。

 眼窩の奥に揺らぐ焔が己への憎しみを燃やしているように見えたあたりで、伊佐那岐は行くべき道を見失ってしまった。

 あの時もそうだ、救いに来たはずが、連れ戻しに来たはずが、妻のあまりの変容に驚き、罵られたことに腹を立てて置いて来てしまったばかりか、ひどい言葉を置き土産に去ってしまった。

 赦して貰える訳もないが、ならばせめて気の済むまで切り刻み、叩きつけて我が身を犠牲に事を納めて貰おう、そんな甘いことを考えていたのだ。

 それが甘いことを、億年の時を越えて放置した息子を前に思い知ってしまった。それでも愚かなこの神は自らの責の取り方を見誤った。いや、贖罪の方法などわかっていて、それが通じないと気付いてしまったことで、無意識に己の抱く望みを贖罪へとすり替えてしまったのだろう。


 このままでは淡島が、息子が滅ぼされてしまう。

 咄嗟だった。自分が身勝手にも棄てた子だ。余計なお世話と、今更と謂われるのはわかっているだろう伊佐那岐は、然りとてそんなことを考える余裕もなく、そして、足元に転がった亡者の腕をとって、馬鹿なことを自ら棄却した考えに取り憑かれてしまった。


 形勢が明らかに不利になった今、淡島が逃げの一択だろうことを玉藻前は先の一戦から予測していた。だからこそ、逃げられる前に捕らえて、姿を見せない黄泉津大神の行方を質さねばならない。

 そう考えて、捕らえようと動いた矢先に先刻から何やら思い巡らして録に何もしなかった伊佐那岐が何やら亡者の腕なんぞ持って飛び出して来るものだから、いよいよ彼女は怒鳴り付けた。

 「何を考えてるか知らんでありんすが、邪魔するなでありんすよ。来た時の啖呵はなんだったんでありんすかっ!」

 玉藻前の叫びに反応しない伊佐那岐に替わり須佐乃男は某かに気付いて伊佐那岐へと飛び掛かろうと走り出す。戦闘によってやや離れた位置になっていたことを悔やみつつも声をあげる。悪い予感で済めばいい、だが、手力男と交わした冗句(ジョーク)が本当になっては堪らない。

 「玉藻前、その馬鹿親父を止めるんじゃっ!!」


 須佐乃男の怒号に、淡島は確信すると同時に呆れ果てる。それでも愚かな父親の浅はかな行為が時間をより稼いでくれる事に歓喜して感謝することにしたのだ。


 伊佐那岐は手に持った亡者の腕に喰らい付いた。

 

 「俺も黄泉路の先の亡者となろう。親子で共に暮らそう、これまでのことは、これからずっと謝って償っていくから」

 躊躇いなく喰らい付き、肉を咀嚼し骨すら噛み砕いた伊佐那岐の口からは腐りきった体液が滴っている。

 玉藻前も須佐乃男もおぞましい光景など今更に怖じ気るような事はないが、その行動の結末が見えるだけに激昂する。

 「何を馬鹿なことをっ! 受け入れられる訳が無いでありんしょうっ!」

 「吐き出すんじゃ、身の変容が進めば間に合わんくなるぞっ!」

 須佐乃男は殴ってでも喰らった物を吐かせようとするが、伊佐那岐はそれをかわすと淡島へと走り寄った。淡島はすでに怒りが湧くこともなく、諦念が勝っていたが、母上は喜ぶかも知れないし、何よりも戦力がやって来てくれるのだと割り切った。

 「父上、嬉しいですよ。きっと母上も喜ぶでしょうし、兄上も歓迎するでしょう」

 そう言われて伊佐那岐は一気に障気に呑まれた。拒絶されることも織り込んでいた伊佐那岐にとって、あっさりと受け入れられたことで心の均衡が崩れてしまったのだ。彼にはまだ護らねばならないものも、真に決別しなければならないものもあったはずだが、自らが下した解決案として自己犠牲に浸った彼は、そこに甘えてしまった。

 有り得ない速度で変容が起こる。本来ならその身が魂が変容を拒み、排斥しようとするものが、自らそれを望んで取り込んだ上に、その自分の在り様を赦しては貰えないと思っていた息子に受け入れられたことで、彼の魂はそれを是としてしまった。


 「クソバカタレがっ! しょうがない。玉藻前、あのバカタレが正気に戻るまで殴るぞっ!」

 「ひとつも役に立たんかった上にこれって、置いてくのが正解じゃありんせんかっ!」

 「そんな訳にいくかっ! もし、完全に黄泉の神に成られてみろっ! 儂も勝てんっ!」


 情報収集のために滅ぼす訳にもいかないと、加減をしていた須佐乃男も、今度ばかりはそうもいかない。

 顕現させたままの天之麻迦古弓に今度は追加で呼び出した天羽々矢(あめのははや)を番える。

 「死んでくれるなよっ親父殿っ!!」

 放たれた矢が無数に爆ぜ、四方八方から伊佐那岐と淡島を襲う。

 「全く手が焼ける。尾ヶ狐焔っ!!」

 炎弾を雨の如く降らせる玉藻前。

 二柱の神は余裕もなくひたすらに攻撃を加え続ける。伊佐那岐は纏いはじめた障気と神力を融合させて結界を張ると攻撃に耐えつつも声を上げる。

 自分の愚かさも、間違いもわかっていて、それで尚も堕ちようとする男の独白にも似た叫びを。

 「わかってくれ。俺はここで伊佐那美と過ごすのだ。何を企んだか知らないが、俺が全て諦めさせて、替わりにここで俺が全て受け入れて、あいつらのために犠牲になる。それでいいではないか」

 別たれ始めた伊佐那岐の魂すら変容をはじめて、その姿が禍々しく変わっていく。

 このあとのことも考えて消耗を控えたい玉藻前は焦っていた。今のところは一方的に攻撃しているだけだが、反撃されれば、かなりきつい。相手に自分たちと同格の存在が行くのもまずいが、と突然の展開に頭が回らない中で、須佐乃男が全身に神威を纏わせて障気で作られた結界へと突撃するのが見える。

 「アホでありんすか、あんなもんに無策で突っ込んでは取り込まれるでありんすよっ!」


 須佐乃男はその呼び掛けにあらんかぎりの怒号をあげて叫びあげた。

 

 「儂だって親父殿の息子じゃっ! あそこにいる兄が親父を利用する気なんはわかりきっとる! 親父殿の脆弱極まる決意と儂の子らを想い、親を想う気持ち、どちらが強いか根比べじゃ!」


 そう捲し立てた須佐乃男は結界を両の手で掴み砕き割らんと力を籠める。伊佐那岐もまた、その両の手に自らの手を合わせて力比べに応じた。

 「須佐乃男、負ける訳にはいかんぞっ! 確かに俺は間違っているかも知れんが、その道を正しながら、これから億年かけてやり直したい」

 「アホを抜かすなっ! ここに黄泉津大神がおらんということはっ 天界に残した者たちに危険が及んでおるやもしれんのじゃ、その上で親父殿まで失えば、やり直す前に犠牲が出るとわからんかっ!」



 その言葉に伊佐那岐がまた揺らぐ、淡島はそんな伊佐那岐を援護しようと思うも、ここに来て怒りが湧いて来る。結局は前にいる親子はわかりあえているのだ。道に違えが生じてもお互いの心を汲めているからこそ、本気でぶつかり合い、こうして親子として繋がりをもって対話している。

 対して自分はただ憐れみを向けられて、贖罪なんぞと自己満足の糧にされるだけでは無いか。


 「あー、結局はなにが欲しかったんでしょうね、私は」

 そんな言葉を吐いたあと、淡島は伊佐那岐の背中へと気弾を放った。揺らぎに揺らぐ伊佐那岐の想いがさらに混迷し、チャンスとみた須佐乃男は一気に結界を両の腕でかき抱くように圧し砕くとそのまま伊佐那岐を鯖折りの要領で締め上げる。

 口からこぼれだす腐敗した肉や骨の欠片を片端から浄化しては伊佐那岐を元に戻していくが、如何せん何の用意も無しだ。変容した伊佐那岐から洩れだした汚染された魂の一部の回収に気が回らない。

 それでも、粗方の浄化を終えて、伊佐那岐が消耗のままに倒れ込んだ頃にはすっかりと元に戻ってはいた。


 「あー本当に気に食わないですが、父上と出来の良い弟から贈り物も戴けるとは」

  

 自身も消耗し、伊佐那岐の横にへたり込んだ須佐乃男に淡島は語りかける。


  手には変容後に漏れだした伊佐那岐の堕ちきった魂の欠片が握られていた。



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