根の方の国と黄泉津大神
流星窟に移動した僕たちは師匠に招かれて、師匠の家にいた。タカシは来て早々に犬神の親子と戯れている。
「取り敢えずは縁殿もタカシも問題なさそうですな。タカシが我等と同じく半妖に転じたのは驚きましたがな」
師匠が笑いながらお茶を飲みつつ話してくれる。
僕とタカシは流星窟に来てから、師匠の目によって魂を検分された。長い歳月を経た半妖である師匠は大妖と呼べる存在故にその目で相手の格や魂の濁りを写すことが出来るそうだ。
僕と淡雪、そしてタカシは伊佐那美様が遂に完成した結界の中で護られている間、この流星窟で身体を休めて待機することになった。須佐乃男様や伊佐那岐様は玉藻前様と、黄泉比良坂を越えて決着をつけに行ってしまった。
「暗い顔してるねん。大丈夫だよ。おねーちゃんは強いねん」
「胡喜媚様」
「はーい、こきびちゃんだねん。おねーちゃんって呼ぶねん」
結局、須佐乃男様たちに任せることになってしまった事やタカシを半妖にしてしまった事に落ち込んでいると、玉藻前様が万が一のためと護衛につけてくれた胡喜媚様が話しかけてくる。
淡雪には王貴人様がついてくれていて、どちらも玉藻前様の最初の義妹だ。そして、何故かタカシには律様という元人間で玉藻前様が面白がって妹に加えたという方が護衛についている。
「江戸に聞こえし妲己のお百たぁ、あたしのことだよ」
そう言われて、僕もタカシもポカンとしてしまったが、何でも貧乏な産まれながら才覚と美貌で数々の男の人を落としては成り上がった人物で、色々あって脚色されて、悪女として有名な玉藻前様になぞらえて、「妲己のお百」という呼ばれ方をされたらしい。
律さんというのが本名で百は娼婦時代から名乗った名前らしい。
「姉さんがね、わっちには遠く及ばないまでも『妲己』の名をつけられただけはありんすね。なんて拾いあげてくれたのさ」
とのことだった。玉藻前様曰く、盛られまくった話に出てくるような悪女ではなく、単純に出生から考えられないほどの才女だっただけだそうだ。ただ、色好みで恋多き奔放さと、持ち前の利発さで局面を乗り切る巧みさは悪女としては合格だとも言っていた。
悪女として合格って何だろう。そして、それは護衛としては不合格な気がする。
ただ、王貴人様が言うには大変な努力家で、才能の塊でもあり、人間時代からの並外れた頭脳と『妲己』と呼ばれ続けたことで妖怪としての格は高く、自分たちと比べても引けを取らないそうだ。
女禍の三妖から、女禍を取り込んで妖神となった玉藻前様には及ばないとして、女禍の三妖として活躍した胡喜媚様や王貴人様に、本人自ら並ぶ実力があると言われるのは凄いことだ。
「今頃、大権現様はお歴々と共に黄泉比良坂を越えておる所でしょう。さしもの黄泉津大神と言え、力を封じられ、囚われた子も元に戻りましょう。縁殿は暫し休んでおられよ」
師匠は温くなった僕のお茶を淹れ直しながら、何か言い含めるようにそう言った。
「結局、役に立てなかったなー」
僕はつくづく力不足を感じた。もう一度、修行のやり直しだな。
ほどよい熱さのお茶を飲みながら、これからの事を考えていると、タカシと淡雪が入って来る。
「いやー縁殿、時間を気にせず、ここに居られると言うのは良いでござるな」
一緒について来た犬神の仔、雨吼を膝に乗せて僕の横に座ったタカシが嬉しそうに言う。
「でも、タカシは半分妖怪になっちゃったんだよ」
「何か問題あるでござるか、ここには時間無制限で居られるでござるし、縁殿の従者として寿命を気にする必要もなくなったでござる。何より拙者は縁殿と魂の繋がりが出来て本当に嬉しいでござる」
敵わないなって思う。役に立てなかったなんて思ってる場合じゃ無かったんだと気付かされる。
「よし、タカシっ! 一緒に修練するかっ!」
「おっ! いいでござるな」
僕とタカシはこうして、師匠や淡雪、玉藻前様の義妹たちと修練に励んでいる中、須佐乃男様たちは黄泉の世界、根の方の国へと赴いていた。
「それにしてもでかい大岩じゃな」
日本のどこかにある黄泉比良坂の入口、黄泉の世界、根の方の国へと通じるそこには、かつて夫婦神が仲違いの末に世界を隔てた大岩が鎮座していた。
「すまんが手力男一度これをどかして、儂らが入ったら戻してくれ。出る時は中から声をかけるゆえ、頼んだぞ」
「おう、気を付けてな。間違っても中のもんは喰うんじゃねーぞ」
「冗談でも笑えんわい。わかっとるよ」
手力男が身の丈を遥かに上回る大岩を両の腕に血管を浮かして持ち上げる。
「押し転がしゃ良いもんをわざわざ持ち上げんでもよろしござんしょう。暑苦しい御仁でありんすな」
「そんなことは良いから、さっさと入るぞ、手力男、ありがとな」
「良いってことよ」
玉藻前が呆れ気味に呟き、伊佐那岐がそれを窘めつつ手力男に感謝を述べて先導する須佐乃男を追う。
「俺の間違いが全ての元凶なんだ、ここで決着をつける」
そう溢した伊佐那岐はやおら走り出すとおどろおどろしい根の方の国の洞穴を駆けて、やや開けた場所へと躍り出る。遅れをとった二柱の神が追いすがろうかと戸惑いを見せた間に彼の柱は声を荒げた。
「出てこい黄泉津大神、いや伊佐那美よ。何が目的か知らんが恨みがあるなら、俺を十重廿重と引き千切り、欠片に楔を打って晒すがいい。関係の無い者を巻き込んでまで、お前の魂まで汚してどうするか」
伊佐那岐は怒りに声を震わせていた。あらんかぎりの声を振り絞るゆえに枯れかかった声は怒鳴れどもしゃがれ、やがて嗚咽が混じった。
同行した二柱も突然のことに呆気にとられ、ただ傍観してしまったが、やがて気を取り戻すと徐に歩み出してわざとゆっくりとその両脇へと侍った。
「かかか、敢えて言わして貰うぞ、親父殿。良い啖呵じゃったな」
「おんしまで暑苦しくなっては息苦しい。いつものようなちゃらんぽらんがお似合いでありんすよ」
両肩に片方は勢いよく力強い手が、片方には優しく触れるように手が置かれる。伊佐那岐は先走ったことに思い至り、やや気まずい思いと汲んでくれる二柱の思い遣りに痛み入る。
「流石は母上ですね。まさか本当に来られるとは」
突然に声がかかる。そこにいたのは黄泉津大神ではなく。縁に襲いかかった淡島であった。
「私では力不足なのは十分に承知していますが、母上の頼みですからね。足止めくらいはさせて頂きますよ」
洞穴のような目の奥、灯った炎が青白く、しかし盛んに燃えていた。




