病室と女媧とこれから 前編
目が覚めると病室のような場所に寝ていた。
「縁ちゃん、目が覚めたのっ、よかった」
母さんの声がして、横を向くと疲れた顔をした母さんがいた。
「母さん、僕はどのくらい寝てたの、あとここは?」
「丸1日、寝てたのよ、起きなかったらどうしようって、目が覚めて本当によかった。ここは安房地域医療センター、倒れてた縁ちゃんとタカシくんを水守さんが見つけてくれて、岩井市の隣の館山市のこの病院に運ばれたの」
それを聞いて僕は思い出した。
「そうだ、タカシは大怪我してるはずなんだっ」
「おお…けが? 確かにタカシくんも気を失って運ばれたらしいけど、幸い無傷ですぐに目を覚ましたみたいよ。縁ちゃんもこれと言って外傷は無かったけれど目を覚まさないから心配したわ」
「え、怪我してなかったの、…まあ、無事ならよかった」
「お父さん、呼んで来るわね」
「父さんが来てるの?」
「さっき、こっちについて、今はロビーで先生と話してるわ、まだ動いちゃ駄目よ」
そう言って母さんは病室を出て行く。
「個室とか高そうだな~」
変な独り言を呟いていると、違和感に襲われる。黄泉津大神の神域に引き摺り込まれた時の感覚に近いけれど、病室に特段の変化はない、しいて言うとこの病室だけを他から切り取られたような感じがする。
「うんうん、立派に成長してるでありんすねー。わっちの術式にも即応するなんて」
そう言いながら玉藻前様が突然現れる。肩には淡雪が乗っていて、やっぱりこの空間は今、外界と切り離されているみたいだ。
「淡雪っ、無事だったんだね」
「縁こそ、無事で何よりです。私は玉藻前様の妹君たちに助けられました」
「にっしっし、わっちの妹は優秀でありんすからねー」
ニヤニヤと笑いながらこちらに来た玉藻前様に僕は上体を起こして頭を下げる。
「ありがとうございました。タカシの怪我も治してもらって」
どうってことないでありんすよーと笑う玉藻前様だったけど、淡雪が噛みついた。
「確かに私や縁を助けて頂きましたが、随分と縁に無理をさせたようで、玉藻前様ならご自分で倒せたのではありませんか」
そのやり取り、またするでありんすかと玉藻前様はげんなりしている。確かに淡雪の言うことはわかる。僕もタカシが怪我をした原因について言えば、そもそも玉藻前様が悪いとは思う。でも、それでも玉藻前様に僕は感謝している。
「タカシを無駄に怪我させたことは僕も怒ってはいるけど、多分、タカシ自身が気にしてないだろうから」
そう前置いてから僕は少し間をとって淡雪に語りかける。
「僕は今回のことで自分が調子に乗って天狗になってたって気付いたんだ」
玉藻前様が烏天狗だけにでありんすか、と師匠に絡めてギャグを飛ばすもスルーする。玉藻前様が拗ねていて、空気が変になるので止めて欲しい。
「縁、今回の相手は強すぎます。別に縁が弱い訳ではなくて、まだまだ縁は成長するんですから」
淡雪はそう言って慰めてくれる。でも、それじゃ駄目なんだ。
「僕は確かに頑張って訓練して修行して、勉強して、同年代の友達には追い付けないくらいになって、だから僕は特別何だって、いつの間にか思い違いをしてたんだ。僕は淡雪がいてくれたから、守られながら成長出来た。そして、今も皆に守って貰ってる」
「そんなのは当たり前です。縁はまだ子供なんですから」
「うん、そうなんだ。だけど、僕は黄泉津大神に勝たなきゃいけない。それには無理をしてでも強くなる必要もあると思う。それにね」
僕は淡雪を見ながら、僕の中で出逢ったもう一人の僕を思い出す。
「師匠が言ってたんだ、僕は人であり妖怪であり神である。これが渾然一体となることで僕にしか出来ない事が出来るかも知れないって、でも僕はいつの間にか、立派な神様になることばかり考えてた。それに淡雪や須佐乃男様も僕が妖しにならないように封印してくれてた。でも、その事で僕の中で隔離された妖怪としての僕が分離していたんだ」
「いいのです。縁は縁なんですから」
淡雪は本当に僕に甘い。それが嬉しいけれど、でも甘えていては駄目なんだ。
「ううん、僕は彼と向き合って、受け入れると決めたんだ。そして、師匠が言っていた、神と妖しと人としての僕の在り方を見つける。きっと僕は黄泉津大神には足元にも及ばないけど、僕にしか出来ない戦いがあると思う」
そう言うと玉藻前様は嬉しそうに笑いながら、
「自立心が高いのは良いことでありんすよ。淡雪ちゃん、甘やかすばかりでは駄目でありんす」
そう言って淡雪の頭を撫でていた。
「さて、縁ちゃん。この空間は今、わっちの術式の中で固定されているでありんす。とりあえず、縁ちゃんに寝ていた間の事と、これからについて説明するでありんすよ」
玉藻前様が真面目な顔をして話し始める。
「先ず、縁ちゃんとタカシちゃんは何者かに襲われているところをたまたま見かけた水守嬢に発見され、通報、何者かは逃げ去って縁ちゃんとタカシちゃんはここに運ばれたという体になっているでありんす」
「随分と都合のいい展開ですね」
「わっちの妹が気を失っている縁ちゃんたちに襲いかかるところをタカシちゃんがいなくなったと探していた水守嬢に見つけさせたでありんすよ。あとはブザーを鳴らした水守嬢に気付いた体で、妹たちを逃げさせてって流れでありんす」
「藤崎さんは」
「残念でありんすが、行方不明でありんすよ。淡雪ちゃんが追いかけて、反対に捕らわれそうになった所をわっちの妹が助けたんでありんすが、完全に姿を眩ましたでありんす」
「そんな…」
僕は下を向いて落胆する。
「驚かないで聞いて欲しいでありんすが、藤崎嬢に関する記憶が、小学校卒業時点から消えてるでありんす」
「…どういうこと?」
本当に意味がわからなくて問い返すと、玉藻前様は言葉を選んでいる風にあちこちを向いてから話し出す。
「結論から言えば、小学校卒業後、彼のお嬢さんは死んだことになってるでありんすよ。だから、中学にも勿論、進学なんてしていないってことになるでありんす」
「なんでそんな事にっ」
「黄泉津大神が依り代としての支配を強めた結果、因果がネジ曲がったのかも知れないでありんすが…」
玉藻前様は推論を自信無さげに語ったあと、言葉を濁した。
「ありんすが?」
僕はその後に続く言葉を問い質す。きっと良くない想像なのは間違いないけれど、聞いておかなければいけない気がしたんだ。
「もしかすると、藤崎嬢は小学校卒業後に本当に死んでいたのかもしれないでありんす」
その言葉はまったく想像も出来ないような衝撃的なものだった。




