イアンと悪魔 2
城下町の住宅街の真ん中には、領民のための集会場がある。煉瓦で覆われた二階建ての建物は、一階が大広間の集会場になっていて、二階は緊急時のために泊まり込みが出来るように簡素な寝室がいくつか設けられている。
シドは、そこに骨狐に取り憑いた悪魔をおびき寄せることに決めた。城下町の要所に騎士と神官を配置し、週末に悪魔をおびき寄せる算段で、近辺の領民達を城へ避難させて、準備を進めた。
――そして、週末の夜がやって来た。
イアンは悪魔をおびき寄せる作戦を聞くなり、集会場の真ん中で、大声で叫んだ。
「私は反対だ!!」
シドがうるさそうに顔をしかめた。
「反対も何もない。もう決定したことだ」
「でも!キーラが囮だなんて!!」
イアンが怒っているのは、悪魔をおびき寄せる囮にキーラが選ばれたからだった。
先程聞かされた作戦はこうだ。ハリエットが用意した悪魔寄せは、悪魔が好む魔力と念が込められたいわくのあるドレスに、黒真珠の首飾りで、悪魔をおびき寄せるには誰かがこれを身に着けなければいけないと言う。
「不思議なことに、悪魔は綺麗なものや思い入れのあるもの、また魔力の強いものに惹かれます。綺麗なものを穢し、人の念の入ったものから邪気を吸い、魔力あるものから力を得る。そういった理由から悪魔は取り憑くのです。ですから、魔力ある者がこれを身に付けて、薔薇の香に血を垂らして焚けば、魔力を嗅ぎ付けて悪魔の方から姿を現すでしょう」
「それでは、ウィンスレット神官長がそれを身に付けるのですか?」
「残念ながら私が囮になっては悪魔祓いに専念出来ませんし、私は神に使える身。悪魔が嫌う神力を宿していますので、寄り付かないでしょう」
「悪魔は魔力の多い者、中でも女を好む傾向にある」
シドが言って、イアンは首をひねった。
「それじゃあ誰が……?」
「キーラに頼んだ」
それを聞いて、イアンは憤怒したのだった。
「どうしてキーラが囮になるんだ?!」
「どうしてもこうしてもないだろ……。魔力があるし、それにだな……」
「キーラが生娘だからですわ」
あっけらかんと答えたのは、キーラの姉のケイトだ。イアンは生娘と聞いて、頬を赤らめた。
「き、きき……!な、何だと?!」
「魔物や人間に取り憑く悪魔は、乙女の生き血が好きなんですよ。神力を宿してなくて、強欲で、悪魔好みの魔力を持っていて、かつ生娘の魔女の血からは、それはそれは美味しい魔力を吸えるでしょうね。これ程囮に適した娘はキーラ以外にはおりませんわ。ね?ばっちりですわね」
「ばっちりって……!姉として心配じゃないのか?!相手は強力な悪魔なんだぞ?!」
「キーラも強い魔女ですよ」
「そういうことじゃなくてだな……!万が一のことがあったら!」
「国一番の悪魔祓いのウィンスレット神官長がいらっしゃるんですよ?」
「しかし!」
「シュトックマー騎士団や神官達もいます。皆様屈強な方々です」
「にしてもだな!」
イアンがヒートアップしてくると、領主のドミニクが割って入った。
「まあまあ。殿下、落ち着いて。キーラが好きで好きで心配なのは分かりますが、そこは私が必ず護ると言って抱きしめればいい」
「そうよ。いざとなったら殿下が護ればいいだけのことですわ」
妻のガルシアも続くと、次いでキャスリンも茶化した。
「怪我をしたら私が責任を取る。王妃になってくれ!プロポーズはこれでいいではないか。のう?」
「み、皆心配ではないのか……?!」
きゃっきゃとふざけるシュトックマー家の一同をぐるりと見渡して、イアンはぶるぶると全身を震わせた。不安と怒りと呆れと緊張で、どっと汗が流れた。
「殿下、ご心配にはお呼びませんわ」
集会場にキーラの声が響いた。イアンが振り返ると、朱色のドレスを身にまとったキーラが、こちらに歩いてくるところだった。
悪魔寄せに使われるドレスは、アンティークのようだった。
ハイネックの襟は鮮やかな朱色のレースで出来ていて、ふんわりとした袖は手首のところで細いリボンで絞ってあり、先の方は昔流行った桔梗柄の入った複雑なレースがあしらわれている。
胸元から腰までは身体にピタリと沿った作りになっていて、ウエストから足首に向かって広がりのあるスカートは、サイドがプリーツになっており、歩くとしゃらしゃらと軽やかに揺れた。
そして、首から下がった艶々の黒真珠のネックレスが、異様な存在感を放っていた。また、キーラはいつもはしない化粧をしており、真っ赤な口紅を引いていた。
ドレスがキーラの美しさを引き立て、キーラの美しさがドレスの存在感を強くさせているように思えた。
イアンは思わず見惚れて、言葉を失った。
キーラはイアンの前まで来ると、安心させるように微笑んだ。
「私が強いのはご存知でしょう?ですから、私に任せてください」
イアンはキーラに魅入っていて、キーラの言葉は全然頭に入ってこなかった。キーラがあまりに綺麗で、色気まで醸し出しているものだから、ドキドキして悪魔と囮のことを一時忘れてしまった。
そんなイアンに気付いたキーラが、殿下!と大声で叫んで耳を引っ張った。
「いだだだだ!」
「もう!聞いてるんですか!?脳は動いてますか?!」
「悪かった!だから、離してくれ!」
ようやく耳を離したキーラは、ぷんと頬を膨らませている。
か、可愛い……ではなくて、とイアンは首を振って頭を切り替えた。
「危険だぞ!それでも囮になるのか?」
「シュトックマーお抱えの魔法使いの私が、黙って見ているわけにはいかないでしょう?」
「そうだが、私は心配で……!」
「それじゃあ殿下が私を護ってください」
キーラはイアンの手を取って、両手で握りしめた。
「キーラ……」
「私、殿下のことを信じてますから」
イアンはキーラの手を握り返すと、もう一方の手でキーラの手を包み込んだ。
「……分かった。必ず私が護る!」
「殿下……!」
「キーラ!」
キーラとイアンはまじまじと見つめ合った。キーラがそっと目を閉じたので、身体を引き寄せ抱きしめた。
そして、頬に口付けを……と思ったところで、視線を痛い程に感じて、ようやく周囲に目を向けると、じーっと穴が空く程に、シュトックマー家と騎士団、神官達が二人を見ていた。イアンはここが集会場であることを、ようやく思い出した。
イアンが渋々キーラを引き離すと、不満気なキーラが目で問いかけてきた。どうやらキーラは周囲の目は気にならないらしい。
「おい、盛り上がってるところ悪いんだが、これだけ猛者が揃ってるんだ。イアンの出番はそうそうないと思うぞ」
呆れ顔でシドが言うと、若い騎士が声を張り上げた。
「そうです!キーラのために、我々騎士団が憎き悪魔とイアンを必ず倒しますから、キーラは安心してください!」
「おい、今私の名前が聞こえたのは気のせいか?」
騎士達から人気のあるキーラと恋仲のイアンは、未だに騎士達から嫉妬され敵視されていた。
「さて、そろそろ悪魔をおびき寄せる準備を始めましょうか」
ハリエットの呼びかけで、一同はそそくさと持ち場へと移動を始めた。ドミニクとガルシア、ケイトは、邪魔になるからと城へ戻ることになり、キャスリンは手伝おうといってその場に残った。
キーラは集会場の壇上に設置された椅子に腰掛けた。用意された机の上には、薔薇の香と細いピックが置かれていた。
ハリエットは蝋燭に火を灯した。集会場のあちこちに置かれた蝋燭にも、騎士達が手分けして火を灯していく。大きな明かりは落とされて、蝋燭の火だけになると、キーラの着た朱色のドレスが大きな存在感を放った。
暗闇の中で浮かび上がるキーラは、美しかった。だからこそ、イアンの不安は大きく膨れ上がった。悪魔は綺麗なものを好むという、ハリエットの言葉が頭から離れない。
「それではキーラ様、指を」
キーラが手を差し出すと、ハリエットはキーラの左薬指にピックをちくんと刺して、キーラの指先から流れてきた血を香の上にぽとりと落とした。
キーラが、ハリエットからもらったハンカチを指に巻き付けている間に、ハリエットは蝋燭の火を使って香を焚くと、何やら呪文のようなものを唱えた。
すると、香から薔薇の香りのする煙が立ち上がり、キーラの頭上に楕円を描くと、やがて空中に分散した。
「さて、私や神官の方々がここにいると悪魔が寄り付かないので、気配を消して二階へ移動します。キャスリン様も魔力が強いので、勘付かれるかもしれません。ご一緒しましょう」
はいよ、とキャスリンが言うと、シドが騎士達を見渡して言った。
「では、私達は作戦通りにここで身を隠す。骨狐が現れたらキーラに取り憑くタイミングで捕らえるぞ」
騎士が一斉にはっ!と敬礼をして答えると、ハリエットが背筋を伸ばして言った。
「では、よろしくお願いします」
ハリエットとキャスリンが扉を開けて出て行くと、イアンは緊張した面持ちで、大丈夫だと言い聞かせるようにキーラに頷いてみせた。キーラもまた、しっかりと頷き返した。
イアンは、シドと共に集会場の机の下へと潜り込むと、気配を殺した。
「感情的になって勝手な行動はするなよ。相手は強力な骨狐なんだ」
「分かっています。皆で協力して骨狐を捕まえます」
シドはふっと微笑むと、それでいいと呟いた。