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見上げる空に願いを込めるのは何故だろうか(仮)  作者: 晴海 真叶(はれうみ まかな)
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準備

挿絵(By みてみん)










 「え、友喜ちゃん、本にはこういうの、出て無かったと思うんだけど…。」


これが通り道なら、魔法陣が通り道って事か?


でもあの図書館に返しそびれた大きな本には魔法陣らしきものは見当たらなかったしと思って功は友喜に尋ねてみた所だ。


「こういうのって?」

「え、あ、何かこの、ぐるぐる回ってるやつを友喜ちゃんも見てるんだろ?これ、魔法陣じゃねえかな。」


友喜の反応が若干停滞する。


「んは?」

冷たい反応に友喜が逆戻りしてしまった様に見えてしまい、功は若干の焦りで変な声を漏らしてしまった。

友喜の反応をどきどきしながら見守っていると、友喜はゆっくりと口を開く。


「ぐるぐる?」

「…そう。ぐるぐる、回ってるだろ?…それを見てたんじゃないのか?」

友喜の視線を辿ると同じ場所を見ている様に見えるが違うのだろうか。


「えっ、じゃあ何?友喜ちゃん何処見てるの…?」

友喜の反応を待たずに功がもう一度友喜の目線を追う。


やっぱり自分の胸の辺りだと思うんだが。


「他に…何か見えてるのか?」


友喜がおずおずと頷いて答える。


「細い、ちいちゃな穴。」

「…魔法陣よりも?」

頷いてから、でも、と友喜は言う。


「でも…?」

「でも、魔法陣って何?」

「…え~っと。」

ぽりぽりと頬を軽く掻いてから功がもう一度説明すると、魔法陣は自分には見えていないと友喜は答えた。


じゃあ何で今の質問に頷いたんだ。

…てっきり同じものを見ていたと思ったがどうやら違っていたらしい。

功は息をついた。


友喜の指摘する現象が功には見えてはいないので、彼女に質問をしてみるしか理解の当てが無かった。


何処にあるのだろう。まあ、言われても見えないのだけれど。

功はまじまじと自分の胸辺りを見て、どの辺にあるのかを指で指し示してくれないかと友喜にお願いしてみた。


「指で?」

「そう。指で。」

こうやって…、と、功は人差し指を立てて、自分の胸に当てて見せる。


友喜が功を見て、真似て片方の手の人差し指を空に差してみる。

真顔で行うその仕草は可愛い以外の何物でも無くて、功は僅かに赤面して友喜の動向を見守る。

友喜が功の胸に改めて注目して、功の見えている魔法陣から微妙にずれた所を差して指が止まった。


「あっ、そう…。ここ?ふうん…ありがと。」

功から見ると何の変哲も無い箇所だった。


「どれくらいの大きさなんだ?その穴。」


功の質問に、差していた指を引っ込ませて人差し指と親指を近づけて大きさを表そうとする。


「そんなにちっさいのか、その穴。」

1ミリあるか無いかくらいじゃねえか。


自分自身の体だか体近くだかに、今の彼女にとっての通り道がある。

これは一体どういう事だろうか。

一方直ぐ近くに自分の視認する事の可能な魔法陣も出現したのは何故だろうか。


友喜の変調が起きた時に胸辺りに魔法陣の様な空気の渦が見えたと有津世は言っていた。

実際には功は友喜にそれを見はしなかったし、今の目の前の彼女からもそれは伺えない。

魔法陣については、胸の奥の変調が起きている時にのみ出現するものなのだろうか。


「え~っと、待って。一回整理する。」

特に何も急かされたりして無いのに功は友喜に手のひらを軽く掲げてタイムを要求した。








 何だったっけ…。


ダイヤモンドダストの様な派手な光が舞う空間がぼんやりと視界に入り、私は何をしていたのだろうと思う。


見ると四角い白い箱の中みたいな空間に居て、辺りには光の名残りが散っている。



ほんの一瞬、爽やかな声音ときらきらした笑顔が記憶の端に通って行って。抱えていた焦燥感が和らいでいた。


浮かんできた笑顔は、誰だっただろうか。








 子供の頃に見た夢が、夢の中に居る時にだけ強烈に思い出される。


一緒にここに来れて良かったねと笑い合っていた自分の分身が、手違いでなのか何故か自分と居られなくなって泣き叫ぶ夢だ。


酷く傷ついたのか、それからというもの、あまり感情を表立っては出さない様になった。


でもそれはあくまでも夢の中での自分の設定で、起きた時の自分は覚えていない。


起きた時にたまに感じる頬に伝った涙の跡に、またかと思う程度だ。


寝ている間に目が不要なものを洗い流したのだろう。


起きた自分はこの現象を軽く捉えていて。


だってどうして、この世界は起きたら日が差していてその光を目にする事が出来たし、欲しい物があれば望んで手を伸ばして何とか手に入れる事が出来てこれたし、これからもそう在れると思ったから。


不可思議な夢を見た感触だけは何処か残ってはいても、それ以上に気にする必要が無かった。


夢の中で、彼女と出会うまでは…。








 山奥の神社。


隅の小さな座卓にノリコが居る空間で、ノリコの祖父、杉は一人、術の鍛錬を続けていた。


解放されて外へとそのまま通じている縁側に近づくと外に茂っている木のひとつを見て目を瞑る。

次の瞬間、両手のひらを木に向けてかざすと、木がさわさわと揺れた。

揺れたのは風に因るものらしかったけれど、杉は幹部分に注目していた。


幹から樹上にかけて視線を巡らせると、杉は表情を和らげて視線を戻す。


ひと息つくと、縁側に寄せて置いてある履物を履いて外に出て、神社の建物の裏へと歩いて行った。








 胸の奥がどくんとなると、途端に功の胸から空間にかけて小さな魔法陣の暗号の塊がぐるぐると回り始める。


小さなバーガー店の入り口近くの席で功と友喜が座って居た。


「…。」

先程の会話で分かったけれど、友喜には魔法陣は見えていないらしくて、友喜の言う、通り道は魔法陣の事では無いらしい。

人によって見え方が違うとの認識を踏まえた上で持ってしても、それはどうやら別物の様だと功は踏んだ。


「他にもこういうケースってあるのかな。人にさ、こういうのが現れるケース。」

「通り道?」

「そう、通り道が現れるケース。」


友喜は顎に手を当て考えると功に向き直って首を振る。


「無い。」

「無いのか。」

「今あるのはそこ。」

もう一度、功の胸の辺りに人差し指を当てる。


通常では人の体には出現しないって事か。


通り道があっても今の友喜は利用する事は無いから出現している事自体が意味を成していないのではとも思う。

目の前の彼女以外にもこの通り道を使う存在が居るのならまた別だろうけど。


自身の胸の辺りに目をやると、ぐるぐる回っていた魔法陣の透明度が急に上がってきて、しまいには見えなくなってしまった。

胸の奥のおかしな挙動も同時にぱったり収まったのにも功は気付く。


あ…やっぱり…。

変調の起きている間だけ、魔法陣は発現するんだな。

消えた魔法陣を前に功が思った。


友喜に向き直って、功の見えて無い現象についてはどうなっているのか質問した。


「通り道、見えなくなったか?」

「見える、よ。」

「…見える?まだ?」

友喜は頷きながら功の胸に視線を飛ばした。



「そっか。見えるのか。じゃあさ、…君はいずれこの通り道を使って別の場所へと移動するかも知れないって事かな。」

「お留守番…。」

「そう、今のお留守番の状態が終わってからの話。」


時が来たら使える様にと、目の前の彼女の為に整えられた通り道だとしたら…と考えてみる。


「?」

見間違えで無いのだとしたら、今、友喜は功の発言で表情を曇らせた。

自分の発した言葉を反芻しながらも、今の彼女の気持ちの機微を探る。


「…今の状態が終わったら君は嬉しいんじゃ無いのか?」

「嬉しい?」

「嬉しいってゆうか、…だってさ、ここに縛られなければ、普段は、色んな場所に行ってるんだろ?」

あちらの星の世界とか…、功が考えて言う。


友喜は功の言葉をじっと聞いてから、ゆっくり口を開いた。


「そう。だけど、こちらの世界も面白い。」

言って頬を緩ます友喜は、本当に楽しそうで。功は友喜の表情に惹き込まれた。


「…面白いか。なら良かった。退屈よりかはずっと良いもんな。」

友喜に微笑み返して、功は静かに息をつく。


まだ、留守番から自由の身にはなりたくないって事かな。

それでひとつ前の自分の発言で、友喜は直後に押し黙ったんだ。


一瞬、胸を過ぎった、喜んで良いのか分からない感情と対峙して、今はそれを考えない様にした。



「…友喜ちゃん、この後さ、いつもは大抵解散して俺は仕事しに行くんだ。友喜ちゃん、帰るのだったら家まで送るよ。」








 繁華街に埋もれて存在するワンルームマンションの建物。


辰成の部屋ではベッドに眠る辰成の隣で同じく横になりながらも彼の髪を優しく撫でつける穂乃香の姿があった。


辰成は寝息も静かに閉じている瞼は尚も切れ長の曲線が美しい。

おでこにそっと手を当てて熱を確認する。


下がってきたみたい。


口の端を一瞬上げ、穂乃香は辰成のおでこにそっと唇を寄せる。


彼の頬に手をやり優しく触れた後で穂乃香は起き上がった。



温め直しておこうかな。


服をさっと整え直すとベッドから足を出してすっと立ち上がり小さなキッチンへと向かった。








 山奥にひっそりと佇む神社。


社内の一番広い空間の端っこでは小さな座卓を前にノリコが俯いている。


縁側近くの外の地面を踏みならす音がして、ノリコの祖父の杉が、ざるに大小様々な種類の野菜を抱えて戻って来た。


履物を脱いで縁側に上がる足音にノリコがようやく反応して顔を上げる。


「おじいちゃん。」

「ノリコや。どうです?写本は落ち着きましたか?」

「あ…。写本って言うか…別の場所に飛んでた。」

思い出しながらノリコが杉に言う。


「おじいちゃんは?瞑想とっくに終わってるなんて珍しいね。」

「はい。私はひと足先に瞑想を済ませて、術の練習に精を出していました。」

「術?」

「はい。ついこの間、ある方から教えていただいたものです。」


杉の言葉にノリコが目を輝かせる。


「なあに?おじいちゃん、私それ見たい!」

「…ではノリコ、見てて下さい。」


座卓から振り返ってちょこんと正座をするノリコの前で、野菜のざるを隅に置いた杉は空間の中央に立ち、一瞬目を閉じた。

胸の奥からと頭上からの光を両手のひらに集約して空間に解き放つ。


ノリコは目を丸くしてぱちぱちと手を叩いた。


「すごい、すごい!おじいちゃん、白い光が出てきたよ!」

「ノリコには見えましたか。流石です。」

杉は息を整えると落ち着いて言った。


「これをして来たるべき時に備えよと言うのです。先程練習を始めましたが、一度だけ実践を…。」

「実践…?」


「あそこの木に放ちました。」


縁側の外に見える木はぼんやり淡く光っていて術の名残りが伺えた。


ノリコはますます感心して声を上げる。


「おじいちゃん、何であの木に術を放ったの?」


「それは…木の辺りに、黒いもやを感じたからです。実際に見えた訳ではありませんが…。」

「黒い、もや?」


「はい。術の練習を始める前に、空から黒いもやが出現したのを感じたのです。練習を始めた理由がそれだったのですが、練習を終えた頃にはあの木に黒いもやが到達していました。咄嗟に術で手を打ったのですが…。」


今回は間に合った様で良かったです、と杉は胸を撫で下ろして言った。


「これが、言っていた変化なの?」

「そうかも知れませんね。これからは今回起きた様な現象に対しても注視していく必要があります。」


杉の放ったひと言は、その場の空気を引き締めた。


「おじいちゃん。私は何が出来るかな。」

ノリコが真顔で聞いてきた。


「そのままで大丈夫ですよ。写本に従事して下さい。それが一番必要な事です。」

「うん、分かった。」


「…ノリコや、お茶にしましょうか。」

杉の呼び掛けに、ノリコは、はーいと元気良く返事をして、写本とノートは広げたままに、杉と二人で奥の4畳間に移動した。








 「ん?友喜ちゃん、帰るだろ?」

バーガー店の席で友喜のはっきりしない反応に功が聞き直す。


「…。」

説明の仕方が悪かったかな。


「えっとさ、俺、これから仕事の場所に行くんだ。だから今日は解散って事で。この時間まで付き合ってくれてありがとうな。友喜ちゃん、家に帰るだろ?家まで送るよ。」


再度言って、その後の友喜の反応を今一度待つ。


「仕事、お仕事、何処?」

「え、ここから電車に乗って何個目かの街…。」

「仕事場、行く。」

「…へ?」

聞き間違えかと功が腑抜けた声で聞き返す。


「仕事場、一緒に行く。」

「…。あ、でも、一緒には入れないし、そこ。行っても別の場所で待ってて貰う事になるぞ。」

予期しなかった友喜の申し出に、功は一緒には行けない旨を何とか伝えようとする。


対する友喜は、別の場所で待ってて貰うとの功の言葉に勢い良く頷いて得意気で、功は呆気に取られた顔をした。


「え…っと…何で一緒に行きたいの?」


功の今の言葉は聞こえたであろう友喜からの答えは返ってこない。

目の前でにこにこと笑っているだけだ。


彼女には目にする事の出来る通り道が功の体に出現したからなのか。

友喜の注目に値するのは結構な事だが、正直この時の彼女の真意は掴めなかった。


「近くに喫茶店があるからそこで待ってて貰う様になるけど…待てるのか?」

一人で座ってて貰う事になるぞ、と、少々くどく説明をする。


友喜はまたこくこくと頷いてにっこりと笑った。




「ああ、じゃあ……待ってて貰う事になるならそんなに長々とは作業しないけど…。じゃ…ほら、ぼちぼち行くとするか。」

「うん。」

友喜の分のトレイもまとめて持って、返却口に返す。

ご馳走様、と声を掛けて、ありがとうございました、と奥から声が返ってきた。


功が近くに戻って来たのを見て、二人はバーガー店を後にする。



「…友喜ちゃん?」

「?」


「…あ、いや…。……何でも無い。」


思わず名前をぽろっと呼んでしまった。

自分でも何が聞きたかったか分からない。


「…。」


懐いている。

今の友喜の自分への状態を表すならば、そうとでも言うだろうか。


目の前の彼女の言葉は、反応は、どちらも途切れ途切れで拙くて、でもきっと、濁りが無くて、純粋で…。


一緒に来たいと言ってくれたのだから、こちらも言葉に甘えてもう少し彼女の時間を貰おう。






 電車に乗る時、友喜に改札口の通り方などを教えるのにひと手間掛かった。

何故なら何の気無しに改札口を通ろうとした功の後ろに何をするで無く同じく通ろうとした友喜が改札口のエラーに引っかかって一緒に窓口まで回ってやり直しを余儀無くされたからだ。


その後無事に電車に乗り込むと空いている席に隣り合って座り、これからの時間の注意事項を功は友喜とおさらいする。


「これからさ、喫茶店に…あ、お茶出来る所。に連れて行くけれど、そこで大人しく待ってるんだぞ。知らない奴に声を掛けられても相手にするなよ。なるべく…早く戻るから。」

「うん。」

軽い受け答えに、こちらの言葉がきちんと彼女に理解されているのか訝しむ。


オフィスまで連れて行けたら良いんだけどな。

…まあ、何なら…今日は作業時間30分とかで区切りをつけても良いか。

何も進めないよりはましだと思い、作業時間の長さについては、ばっさり削ぐ事にする。



考えている内に副業のオフィス最寄りの駅に電車が到着した。




 駅の改札口を出て居酒屋の立ち並ぶ路地を二人で歩いて行く。

きょろきょろと忙しなく周辺を見渡している友喜を傍目に功は口角を上げた。


オフィスの入る建物前を通り過ぎ、程無く喫茶店の目の前まで辿り着くと小さなドアを押し開いて、開閉毎に鳴る涼やかな鈴の音を耳にしながら二人は店内へと入っていく。


店内はふんわりとコーヒーの香りが漂っていて落ち着いた茶色の色味の内装が雰囲気を引き立てていた。


奥のソファ席に友喜を誘導して座らせると対面のソファに自分も座る。

テーブルの隅に立て掛けてあったメニュー表を引っ張り出して友喜の前に広げて一緒に眺めてみる。



「待ってる間、何か飲んだり食べたりしてて。何にする?」

まあ、食べたばっかだし無理に頼まなくても、…この辺の飲み物なんか良いんじゃねえか?と功が助言をする側で友喜はさして迷いもせずにひとつの写真を指差した。


「う~ん。これ。」

「…。メロンクリームソーダ、だな。」

功が写真を確認して言うと手を挙げてカウンター奥の店員を呼んだ。


「ご注文お決まりですか?」

注文票を手にして席に来た店員が話し掛ける。


「メロンクリームソーダをひとつ。以上で。」

「はい、かしこまりました。」

さっとメモをして店員が軽い会釈をして席を後にする。



「じゃあちょっと…行ってくるからさ。ここで大人しく、待ってるんだぞ。」

「うん。」

「ホントに…待ってられるか?」

「うん。」

「…。」

功が眉尻を下げて友喜の様子を伺う。


「…。」


 さらに念を入れて再三の確認をしてから副業のオフィスへと足を運んだ。


まあ、ちょっと。ほんのちょっとだけ。


そんなに気になるのにこの場に来る自分を可笑しく思う。


でもここまで来てやっぱり止めたと言うのも余計に変だし、そうすると友喜をここまで連れて来た意味からして無くなるから、と、ごちゃごちゃと考えて副業のオフィスの建物前に着いて階段を下った。


受付をしながら奥の作業スペースを覗く。


見た所二人くらいしか居なくて席はがら空きだ。


知ってる顔は居なくて、自分と同じくらいの時間かそれより前くらいには大抵席に着いている則陽の姿が今日はまだ見当たらないのは珍しかった。


マニュアル本を受け取って作業スペースに進む。


則陽と違って自分は好みの席を決めている訳では無いが、全部で40ほどある席の内のひとつが目に留まった。



…誰かの置き忘れだろうか。


薄暗い中でも色の鮮やかさが伺える赤色の本。


何と無くその席に座った。


ちらと赤い本を横目に見ながら正面にマニュアル本を置いて広げる。


目の前のコンピュータのモニター画面を見つつ、マニュアル本の上に浮かぶものすごい勢いで改編されていく本の内容には動じずに、キーボードに打ち込む手を速めた。



開始後しばらく経ってから則陽が来たが、ほぼ入れ替わりの様に席を立つ功を見て、え、もう?と表情で示した。


功は軽く頷いて今日はちょっとな…、とすれ違いざまに則陽の肩を叩いて小さな声で言う。


則陽が呆気に取られているのに構わず功は受付に行った。


「これ、忘れ物みたいなんですが…。」

席に置いてあった赤い本を受付の人に渡す。


受付を済ませてロッカーから自分の持ち物を取り出して重厚なガラス戸の外に出た。階段を上がって行く途中で下から声が掛かる。


「功!功、待って下さい!」


則陽の声だ。


階段途中で止まって後ろを振り返ると則陽が自分を追ってきた。


「何だ、これから作業だろ?」

「功に、伝えたい事があって…。」


則陽の言葉に、とりあえず二人は階段上まで上がって路地に出た。


「短く済むか?」

「はい、多分。あの…友喜ちゃんの事なんですが…。」


「喫茶店に行ったのか?」

「はい…?何の話ですか?」

「…いや、いい。それで?」

功は話の先を促す。


「今朝の午前中に、ゲーム機のクリスタルの中に入ったんです。そこで、友喜ちゃんと偶然会ったんですけど…。」


則陽の言葉にぴくりと体が揺れて功は無言のまま耳を傾ける。

則陽は功を見ながら、クリスタルの中でのひっ迫した友喜の姿をこの目にしたと話して伝えた。


「…それは、…。」

「とにかく、耐えられないとでもいった感じの叫び方でした。功に会っても、会い足りないんでしょうか。それくらいに功を求めていて…。」


伝えたら功は赤面するだろうし自分も赤面して変な空気になるだろうなと思っていたから、功の表情が真剣なままである事に、則陽はほんの少し拍子抜けした。


「…他には…他には友喜ちゃん何か言っていたか?」

息を呑んだ功が則陽の腕を掴んで食い掛るかの如く差し迫ってくる。


「功?…大丈夫ですか?」

功の挙動に則陽は気遣い声を掛けた。


「あ、悪い…。それで、友喜ちゃんは他に何か…。」

掴んでいた腕を離して問い直す。


腕をさすりながら功の様子を訝しむ様に見て、則陽は残りの言葉を伝えた。


「それを、功に伝えて欲しいって言っていました。功、でも友喜ちゃんには会えているんですよね?」

「一応な。…詳しくは週明けに話す。ありがとう。」


聞き漏らしは無いかと則陽の顔を一瞬覗いてから功はその場を後にした。



一応…?

その言葉にどういう意味が込められているのか分からずに、則陽は功の後ろ姿を見送り静かに息をつくと振り返って階段を下って行った。




 喫茶店の建物に辿り着いて、小さなドアを開いて重なり合う鈴の音を浴びながら店内へと入る。


奥にはメロンクリームソーダのグラスを前にストローを摘まんでいる友喜がちょこんと居て、功の姿を見つけると頬を緩ませるのが伺えた。



功は一拍置いて友喜に微笑むと速足で席へと進んで友喜の前に座る。


「お待たせ。どう?何事も無かった?」

功の問いに友喜はうんうんと頷いて見せた。


功が手を挙げて店員を呼んだ。


「コーヒーひとつ。ホットで。」

店員が注文を受けて奥に下がると功は友喜に向き直る。



「…ひと息ついたらさ、行こう。」

「…。」

「暇だったろ。コーヒー飲むのだけ待ってくれる?」

功の言葉の一拍後に、友喜はふるふると首を振った。


「…?」

功は首を傾げて友喜から言葉が出るのを待つ。


「戻ってくるって聞いてたから、平気。もっと長くても、良いよ。」

「作業時間がか?」

友喜が頷く。


「コーヒーも、ゆっくり飲んで。」

「…うん、ありがとう。」

功が友喜に頷きながら礼を言った。








 青空を仰ぎながら窓辺で草原からの風を感じる。


青く澄んだ落ち着いた色味の部屋は涼やかで居ながら肌に心地良い温度を保ってくれている。


私は頬を緩ませて心地良い空間を全身で感じる。

微かに聞こえる鈴の音は耳をくすぐり、肌も目も鼻も感じ取った感覚に喜びを覚えている。


心地良かった。


何もかもが心地良かった。


ただ感じていれば良い。


私はこの場に居れる幸運を、窓辺に寝そべりながら味わい続けた。








 副業のオフィスに戻った則陽は受付の人に軽く礼を言ってから奥の作業スペースへと入った。


自分以外では他に一人だけが作業を行っており、キーボードを打つ音が席から淡々と聞こえてくる。


則陽は気に入っている席に掛けてマニュアル本とノートを開くと早速作業に取り掛かった。


今回もマニュアル本から気になる部分をノートに抜き出して書き取りをしながらコンピュータに指定された値を組み入れていく。


マニュアル本とノートの内容を見返して一瞬動きが止まる。


モニター画面に目を移して、再度マニュアル本との間で視線を行き来しながらキーボードを打つ手を速めていった。








 茶色が基調の、古めかしい印象が漂う喫茶店。


コーヒーカップを口につけて傾けながら対面に座る友喜を眺める。



身体はあくまでも入れ物で、中身が本体だから、こうして細かく分かれた彼女はどれもが彼女の本体で、どれもが蔑ろにされるべきでは無いから。


だからやっぱりどれもが大切で、どれもがかけがえの無い存在だというのが本当の所だと思う。


きっと今の彼女も友喜とは違う流れを汲んでいても大切な事には変わりなくて、多分自分は相当に貴重な時を過ごさせて貰っている。


そう考えられたのは、目の前の彼女の態度の柔和化が大きいと思う。


情けない話だけれど、彼女が今朝家に来た時の反応のままだったら、とてもじゃないけれど発想として出て来やしなかった考察だと思う。

自分の感情は、こんな風にせせこましいけれど。


そう感じてしまう自分も、受け入れるしか無い。


とどのつまりは自分はラッキーで、幸せを享受していて。


「…。」


何の事は無い、ただ考えているだけなのに、涙が頬を伝ってきた。



お互い、感情表現は激しい方なのかも知れないな。


友喜を想い、功は手で自身の顔を隠しながら微かに肩を震わせた。








 明かりが差したのは、誰のおかげ?


黒ずんでいたと思っていた物が、光を取り戻したのは、誰のおかげ?


沈んでいたのに浮上し始めたのは、誰のおかげ?



周りがしてくれたかも知れない。


自分じゃなかったかも知れない。


それでも自分がその欠片を持ち合わせていなければ、その事象にも居合わせなかった。


だって私達は、お互いがお互いの鏡だから。



もっと誇らしげに感じて良いんだから、自分の事を。








 目の前に居る友喜が、真顔で功を見守って居た。


手で顔を覆って表情を隠している功を見守って居た。



…ああ。


友喜は功に出来た通り道の使い方を知る。


その手でさらさらと光の砂を紡ぎ出したかと思うと、手のひらにふっと優しく息を吹きかける。


光の砂は功に出来た、通り道の穴にさらさらと吸い込まれていった。



カウンター奥に居る店員が一人、びっくりした顔をしていたけれど、友喜は片方の手の人差し指を自身の口元に持って行き、しぃっ、と示して微かに微笑む。


通り道の穴に吸い込まれていった光の砂は、徐々に功の体を内側から照らしていった。


 

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