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見上げる空に願いを込めるのは何故だろうか(仮)  作者: 晴海 真叶(はれうみ まかな)
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興味

挿絵(By みてみん)









 何処だか分からなかった。

体調のせいで見た夢だからか夢の中では声は出せなくて、代わりに想念での会話が何故だか通じたから少しだけ会話をしたんだ。

どんな会話をしていたっけ…多分、他愛も無い会話だったのだろうと思う。


夢で出てきた相手は現実世界では知らない相手だったし、ただ雰囲気は何処と無く穂乃香と重なるものがあった。


既視感…そう、既視感だ。

きっと穂乃香に重なる雰囲気を感じたから既視感もあったんだ。



夢の一片だから、体調に因るものだろうから…。


この日見た夢の事を、俺はさして気には留めなかった。





 包丁で何かをリズム良く切る音が聞こえる。


繁華街の中に埋もれて存在するワンルームマンションの建物。

リズミカルな音を感じて薄っすらと目を開ける辰成の視界に、手際良く調理を進める穂乃香の姿が足元の先に映る。


「穂乃香…。」

呟いた程の辰成の声音だったが、それでも穂乃香は気付いて辰成に振り返る。


「あ、起きた。」

穂乃香は掴み取ったタオルで手を拭いながらパタパタと近くに駆け寄ってベッドの脇にしゃがむと辰成の顔を覗いてきた。


「おはよ。辰成。家に来ないし電話もメールも…反応無いから来ちゃったよ。」

勝手に入って作業をしていた言い訳をした。

言葉の裏には、ほんの少しの照れ隠しも混じっていたけれど。


「あ~。悪かったな…。」

辰成が言う傍から手のひらを彼のおでこに当てて穂乃香が熱を確かめる。


「…今日は一日寝てる様だね。お粥、作ったけど食べる?」

手狭なキッチンでコンロがひとつしか無いのに色々と用意してくれたのがベッドに横になっているこの位置からでも分かる。


「まだいい。食欲無い…。」

「そう?じゃあ食べたくなったら言ってね。」

優しく接してくれる穂乃香を見て、辰成はおもむろに穂乃香の手首を掴んで自分に覆い被さる様、穂乃香を引き寄せた。


「わっ、ちょっと…。」

「いいから。」

こんな体調なのに、何処にそんな力があるのかと思う程の強い力で穂乃香は引き寄せられて辰成からくちづけを迫られる。


「もう…具合悪いんでしょ~。無理しちゃダメだよ。ふ………んっ…。」

かわし切れずに辰成のくちづけを受けてしまって穂乃香は言葉にならない言の葉を漏らす。


「もう~~~!」

穂乃香が頬を赤くして辰成の胸をぺしぺしと叩き、文句を放つ。


「穂乃香…、痛えよ…。」

「あっ、ごめん。」

「病人に向かってさあ…。」

辰成の腕から解放されてそそくさとベッド脇に戻る穂乃香に力の無い声でぶつぶつと文句を言い始めるので穂乃香はすかさず反論を挟み込んだ。


「病人なら強引にキスしようとなんてしないよ、もう!…案外、元気で良かったけれど…。」

後半には辰成を案じていた想いが入り混じる。


辰成は熱を帯びた視線で穂乃香の名前を再び呟いた。

穂乃香はふうっと息をつくと、微笑んで呼び掛けに答える。


「たっぷり寝て、体調戻してね…。」

自ら辰成の顔に自分の顔を近づけて、辰成が今仕掛けてきたのよりもずっと優しく穏やかなくちづけをして彼の髪を優しく撫でた。








 林の奥の二棟の家。

手前側の家の屋根の深緑色は林の木々の緑色に調和して外壁の黒色は家全体の印象を引き締め存在感をより際立たせている。


家の中では有津世が合気道教室から戻って来ていて部屋でラップトップコンピュータを広げる姿があった。


メールボックスを開いて新着メールのチェックをすると、有津世はキーボードを慣れた手つきで打ち込んで、素早く送信ボタンを押した。


メールボックスを一旦閉じた後で別のプログラムを開いて文章を打ち込んでいる所に、てくてくと画面の中を小人が歩いているのを発見する。


「ツピエル。」

「あら、またアンタなのね。最近よく会うじゃない。」

すまし顔で有津世に言う。

ツピエルの意思で有津世の所に来ていそうなものを、あくまでも白々しい返しをしてくるツピエルに有津世はふっと笑いを漏らした。


「うん、そうだね。…そうだ。ねえ、ツピエル。ちょっと前にさあ…。」

有津世は出現したツピエルに、疑問に思っていた事を話題で出してみた。



 「システムの不調?」

「そうなんだ。ツピエルの所にはそういった話は伝わってきて無いの?」

「何にも。アタシには関係無い事だもの。伝わって来なくても何の不都合も無いわ。フンッ!」

「…。」


雨見がクリスタルの中の世界に飛んでトネルゴ達の居る場所でのシステム不調を目にした話をツピエルに伝えた所、自分には関係無いと言いながらも明らかに気分を害した様子をていしている。


ツピエルの機嫌はさておき、有津世は続けて彼に尋ねた。


「世界を編む場所が不調って事はさ、その内、現実世界にもしわ寄せが来るって事?それとももう来てる?それって例えば…。」

有津世は言いながら考えてみる。


「さあ、詳しくは知らないわ。今は管轄外だもの。」

「そう…。」

腕組みをしながら知らないという返事を偉そうに言ってのけるツピエルを有津世は眉根を寄せて眺めてため息をついた。


いつの間にかお茶するためのテーブルセットが画面の端に用意されており、ツピエルは手元のごく小さなキーボードをカチャカチャと打ち込んでいる。


「アンタはお茶しないの?」

「え?今?今は…ううん、しないけど。」

「なんだ。つまらないわね。」

吐き捨てる様に言うと、ツピエルは有津世との会話を終えて、鼻歌を歌い出した。


「今日の~お茶は~…何の種類にしようかしら!」


有津世は息をついて、ツピエルの事は気にせずに新たなブラウザ画面を開く。


「ちょっと!視界が悪くなるじゃない!」

歌っていた鼻歌を途中で止めたツピエルが四角い画面を腕で押しのけて、有津世が作業をしようとするのに文句を言った。


「別に良いでしょ?だってさ、そっちは奥もあるんでしょ?」

ツピエルにとっては画面の中は平坦では無くて奥行きもあるはずだと思い、有津世は言い返す。


「あっても…せっかく遊びに来てるんだから…そんなに邪険にする事も無いじゃない!」

「………。」


両方の目から涙をぶしゃーっと出して叫んだツピエルに有津世は目が点になった。


要するにツピエルは有津世に会いたくて来てくれているのだと分かって。

なんだ、この小人、可愛い所もあるんだと知って、有津世は口元が緩んだ。


あまり笑ってもツピエルが怒り出しそうだからと有津世は人差し指で頬を軽く掻いて自分の表情を誤魔化しつつ、


「悪かったよ。じゃあもう少し小さくすれば良い?」

ツピエルに謝って、ブラウザの画面を半分の大きさに縮小した。


「ふっ。それで良いのよ。」

偉そうに言うとツピエルは鼻歌を再び歌い出した。

今出てた涙は何処に行ったの…。

拭かずとも消し飛んでいるツピエルの涙に心の中で突っ込みを入れながら小さく息をついて有津世は口角を上げ、コンピュータ上での作業を再開した。








 白いペンキで荒く塗り固められた2階建ての可愛らしい建物。

1階部分の入り口近くの席で、功と友喜は昼食を摂っていた。


友喜が嬉しそうに食べるのを見て功は口の端を上げながら話題を振る。


「友喜ちゃん、学校はさ、楽しい?」

「学校?う~ん…うん、楽しい。」

功に聞かれると視線を空に向けて考えてから功に向き直って答える。


「鞄からね、持ち物を取り出すの。筆箱に、ノートに、ノート…。」


友喜の説明に功が唖然とする。

ひと息後に気が抜けた様に笑って、その行動が楽しいのか?と聞いて、うん、と頷く友喜に更に笑った。


「持ち物沢山!鞄、重いよ。」

「へえ。」

「後、学校には、なっちんが居るの。」

「そうだな。同じクラスなんだろ?」

「うん。」

友喜は学校の事柄を楽しそうに話した。


皆がノートや教科書を広げて机や教壇ばかり見てるとか、授業中に皆が静かだとかが、今の友喜にとっては不思議に感じられるみたいで、彼女の話を聞いていると授業の間中ずっと一人きょろきょろして教室を眺めている姿が想像に難くない。


友喜の様子を見守りながらも、なつが思わず笑いをこぼしている事だろう。



なつが言っていた。


「今の友喜ね、可愛いよ。」


その意味が、ようやく功にも呑み込める。


今の友喜は、何というか、反応が小動物っぽい。

何かをきっかけにして途端に互いの緊張が解けると、仕草ひとつひとつの意図がその後格段に汲み取りやすくなるのだ。


グラスを持ちストローを咥えてアイスコーヒーをすすりながら功は友喜を見る。

何口目かを飲み込んだ後、功はグラスを置いた。



「話は変わるんだけど、図書館でさ…、…前に友喜ちゃんと、図書館に行ったんだ。」

図書館って分かる?本がいっぱい置いてある所で本を自由に読める場所、と功が言葉を添える。

友喜はあまり反応せずに功をじっと見つめてきたので功はそのまま話を続けた。


「妖精の本を見つけて、それを友喜ちゃんと読む事にしたんだけど、本を広げたら友喜ちゃんが眠り込んでしまってさ…。その後、一旦目を覚ましたんだけど、なんだか様子がいつもと違った。あれ?って思ってるとさ、透明がかった白い光の玉が友喜ちゃんの体からぽっと抜け出て、広げていた本の中に飛び込んで行ったんだ。俺となつが目の前で目撃してたんだけど…。」


友喜は功の目を見ながらじっと話を聞いている。


「その後、元に戻った友喜ちゃんに話したら、それはぽわぽわじゃないかって言ったんだ。今の君は、キャルユであって、ぽわぽわなんだろ…?もしあの時なつと俺が見たのがぽわぽわだったのなら…君はその時の事、知ってるんじゃないかと思って。」




 移動をする時はいつも光のトンネルを使うの。

それがどの様にどの道に通じているかは感覚で分かる。


道が通じていたから私はそこを通っただけ。

だから、どうしてそこに居たのか、どうしてそのタイミングだったかは分からない。

通り道だったの。

ただ、それだけ…。





 「通り道?」

「うん。」

友喜は簡潔に功に答えて見せた。


「今もその通り道ってのは見えるのか?」

「うん。見えるし分かるよ。」

「へえ…。」


彼女の話によると、本に目的の場所があるのではなく、ただ通り道として使ったらしい。

友喜に言われた答えを念頭に入れながら功は質問を続ける。


「じゃあさ、今ここに本があったら、君は友喜ちゃんの体から抜け出してまた行ってしまうって事か?」


友喜はゆっくりと首を振りながら、ううん、と答えた。

功は首を傾げて、続けて友喜の言葉を待つ。


「今、私が行ってしまったら、この体に誰も居なくなってしまうの。だからそれはしないし、出来ない。」

「もし居なくなっちゃったら、どうなるのか?まさか…。」


浮かんでしまった怖い考えに功は僅かに首を振ってその考えを自らの中から振り払おうとして、友喜はそんな功の挙動を不思議そうに眺めた。


「…有津世くんがさ、ネックレスが直ったとしても、今の友喜ちゃんには着けないで欲しいって…メールにあったんだ。それってつまりはそういう事なのか…。」

「お留守番、出来なくなっちゃうから。」

「…分かった。」


功はついていた頬杖を外して視線を空に巡らせる。


今の話で考えてみたら先に渡していたハンカチや飴も同じ事だと思った。

2つのアイテムは、安全な場所に置いてあるだろうか。

それとも今の彼女は意味をきちんと承知していてその2つを避けて過ごせているのだろうか。


功は改めて目の前の友喜を見つめる。

でも友喜は…中身は別人格であってもこうして今この瞬間にも目の前に居て…。

功は冷や汗が伝うのを感じながら改めて静かに安堵の息をついた。








 林の奥の二棟の家。

ツピエルが有津世の目の前でティータイムをのんびりと過ごすのを傍目にしながら作業をしていたら、ティータイムが終わったのかツピエルはコンピュータのモニター画面からいつの間にか姿を消していて、気付いた有津世はキーボードを打っていた手をふと止めて考えを巡らせた。


友喜は今頃きっと、功と一緒に昼を過ごしている。


土曜日の予定も有津世が知り得る限りを予めレクチャーはしておいたが、出掛ける前の彼女の反応はいまいちだった。


今の彼女の中に居るのが友喜自身じゃないからだろうけれど、土曜日を喜んでいたこれまでの友喜の反応との落差があり過ぎて、今の彼女を功が見たら果たして彼はどうするだろうか。

 

今の友喜は中身が友喜では無いと始めの段階で伝えていたし、カフェで数回、功も彼女とやり取りをしているから彼女の反応は目にしているはずだ。


だったら尚更…この数日間で功はショックを受けているかも知れない。



今の友喜は…キャルユだ。


キャルユがどういう想いを抱えているかは、有津世は友喜や雨見から聞いて…そして実際の体験からも知っているつもりだ。だからキャルユに対しての心構えは有津世は出来ていた。雨見も同じ心づもりである事をこの前二人で話した時に確認した。


でも功は…キャルユがどういう人物なのかは知らないだろうし、友喜自身も知られる事を恐れていたからこれまでは知る由も無かったというのが実の所だろう。


だけれど功も今は中身がキャルユの友喜に接している。

だからつまりは場合によっては、友喜自身が知られたくないと思っていた一端を功が知ってしまう事もある。

その点については運に任せるしか無かった。


もし知ってしまったとしても答えを出すのは功だ。


自分に出来るのは状況を見守る事くらいだと改めて思って有津世は静かに嘆息した。








 青空にきらりと光が光った。

それは次元の歪みで。


一見、光に見えたとしても、それは禍々しく黒いもやが渦巻いていた。




山奥に人知れず存在している古い神社の建物。

社内の一番広い空間で瞑想を執り行っていた杉が目を開いた。

立ち上がって振り返り、隅の小さな座卓で写本に集中しているノリコを見てから、開放されたままの縁側へ静かに歩いて外の様子を伺った。


遥か上空に起きた異変を、杉は感じ取っていた。




 …ひとつ覚えておくと良い術があります。是非とも…あなたに授けましょう…。


以前、瞑想時に出会った人物の言葉を思い出す。



杉は授かった術の手順を思い出し両手のひらをそれぞれ上に向けた。

目を閉じて気を静め、胸の奥からと頭頂の上の空間から湧き出でる光を意識して両方の手のひらに集める。


確か彼の話では手のひらにひんやりとした感じか、もしくはほのかに温かくなった感じを得たらそれを解き放てと言っていた。


杉は手のひらにひんやりとした感触を感じ得たのと同時に閉じている瞼の裏の視界が光で白く染まったのを感じる。

次の瞬間、杉は目を見開き両手のひらを前へと力強く突き出した。すると今度は手のひらが熱を帯びてくる。


杉は再び目を閉じて、何回か同じ手順を繰り返し行いコツを掴んでいく。



祖父が珍しく派手な挙動をしている傍で、ノリコは隅の小さな座卓に顔を向けたまま微動だにしなかった。








 朝早くから小さなテレビ画面にゲーム機のクリスタルのクルクル回る映像が映り込んだ。この画面を目にするのは見慣れても、中に飛べるかどうかはまた別の話で。


都内アパート。

今日は土曜日で本業のゲーム会社は休みの日だ。


朝食を食べ終わり洗い物を済ませた則陽はクリスタル画面が表示されたと知らせてきた梨乃と目を見合わせる。

則陽はゲーム機のコントローラーを手にしてクリスタルにカーソルを合わせるとAボタンを押してみた。




梨乃も何処かに飛んだだろうか。

黄緑色の明るい彩色の四角い空間に目を慣らしながらも隣に居ない梨乃を想い、則陽は息をついた。


この場所に着いてから友喜を見つけるのに時間はかからなかった。


なんせ四角い箱の様な空間に視界を遮るものは何ひとつ無いのだから。

背を向けているけれどその立ち姿から友喜と見分けが付いた則陽は口角を上げて近くに寄って行く。



「友喜ちゃん。」

十分に近づいてから則陽は後ろの肩越しから声を掛けた。


ウェーブがかった豊かな長髪をふんわり揺らして、友喜は則陽に振り返る。


「奈巣野さん!」

振り返りざまに則陽である事が分かった友喜は則陽を見上げて途端に頬を綻ばせる。

まるで眩しいものを見るかの様に友喜は目を細めた。


「そんなに喜んでくれるんだね、尚良かったよ、会えて。」

則陽も友喜の笑顔に微笑み返しながら答えた。


「どう?友喜ちゃん元気?」

「はい、元気です。奈巣野さんも、元気そう。」

「じゃああの後は落ち着いたって事なのかな。…功に聞いたんだ。功の家に行った帰り、危なくなった事。…無事で良かったね。」

「…ああ、はい。」


友喜の声音が心なしかトーンダウンした気がした。

則陽は友喜の顔を覗いてみる。


「どうしたの、友喜ちゃん。何か気掛かりでも?」

「…いいえ、何でも。その時の事、ちょっと思い出しちゃって。」

「結構大変だったって聞いたよ。」

今は大丈夫?と則陽が聞き、友喜は頬を緩めて首を縦に動かす。


「なら良かった。功がさ、有津世くんからのメールを受けて、顔面蒼白で喫茶店を出て行ったからさ…。」


二人は地べたに座り、友喜は則陽の言葉を俯き気味の姿勢で聞き入っていた。


「功は友喜ちゃんの事を案じてるんだろうな。ちょっと元気無くてさ。こっちはこっちで作業の大詰めで功と話をする時間もままならなかったから、気になりながらもここ何日かは碌に話せてないんだ。」


今日、副業のオフィスに彼が来たら帰りにまた喫茶店にでも寄って聞いてみようと思ったけれど。

考えた後にふと気が付く。


「あれ、友喜ちゃん、今日ってこの時間帯は功の家に遊びに行っているはずじゃ…。もしかして来た日にちや時間が俺の時間軸と違うのかな。」

ちなみにここに飛ぶ直前、自分の方の時間は土曜日の朝でさ、と則陽は続ける。


「…友喜ちゃん?」

友喜が固まっているのを見て、則陽は上げていた口の端が戻って真顔になる。

友喜は片方の手を頭に当てて困惑した表情を見せた。


「思い出せなくて…。ここに来る前の、日にちとか、時間とか…。」

「そうか…思い出せないんだ。…場所は?ここに来る前には何処に居たかは覚えてる?」

「…それもはっきりとは…。」


記憶の端に途切れ途切れの情景が思い浮かぶ。

何だろう…今見えたのは………長い夢の欠片達?


友喜が考え込み、則陽もまた考える。



友喜の異変が起きたと、功から聞いた。

起こる毎に症状が重めになっていってると言うのは、こうして記憶までかっさらわれる状況も含めてなんだろうか。

だとすると本人も周りも対処が一筋縄ではいかなそうだ。



「前にさ、功に聞いた事があるんだ。友喜ちゃんの記憶が時々飛ぶって。…今起きているのもそうなのかな。」

「………功お兄ちゃん…。」

「?」


「功お兄ちゃん!」








 小さなバーガー店の入り口近くの席で、功と友喜がのんびりと昼時を過ごして居た。


功がグラスを手に取りストローを口に咥えてアイスコーヒーをすすったのとほぼ同時に、功は怪訝な表情をした。


「ん?今何か友喜ちゃん言ったか?」

「ううん。言ってない。」

「そうか。…気のせいかな…。」

今一度ストローを咥えてもうひと口飲もうとする。


すると今度はもっとはっきりと友喜からの声が響いて聞こえた気がしてそれと同時に功の胸がどくんとなったのも感じた。


訝しんで目の前の友喜を見てみれば、彼女はポテトをむしゃむしゃとのんびり食んでいてどう見ても大声を発する状況には見えないし、周りの様子からしても今の声は目の前の友喜が発したものでは無いらしい事は確認した。


功は俯き、首から下げている友喜とのお揃いで買ったネックレスのペンダントトップを思わず握り締めて、胸の奥の不可思議な挙動をやり過ごそうと試みた。








 ものすごい大きな声で叫んだ友喜を、則陽は驚いた顔で見守っていた。


友喜が叫び終わるのを見て、則陽は友喜の肩を支えて顔を覗く。


「友喜ちゃん?どうしたの、功に会いたくなった?」

余裕の無い表情の友喜を則陽がそっと腕で包む。


発作みたいなものだろうか。

友喜は僅かに震えていて、一筋の涙もこぼれていた。


「功に会ったら言っておくよ。功の名前を叫んでたって。ものすごく会いたそうだったって。後、他にはある?」

どう見ても平常心では無い友喜に、則陽はそっと声を掛ける。


「…。」

「…?それを言えば良いの?」

呟く様に言った友喜の言葉を聞き入れ、則陽が聞き返す。

友喜が首を縦に動かして無言で肯定した。

則陽は友喜の仕草を見ると、自分の体がいつの間にか白い光の粒子に包み込まれているのを知る。


友喜は、光の粒子には包み込まれていなくて。


「友喜ちゃん。」

則陽は光の粒子に飲み込まれる直前まで話し掛ける。


「功には伝えるよ。今日この後、会うかも知れないから。会わなくても月曜日には伝えるよ。その前にもう友喜ちゃんが功に会ってるかも知れないけど。」


それでも伝えると則陽は友喜に約束をする。


友喜は則陽が消えてしまうのを頬に伝った涙の乾かぬまま呆然とした表情で見つめている。


「友喜ちゃん。また会おうね。」

微笑みと共に告げた直後に則陽の姿は友喜の目の前から霧散した。








 前にも夢で訪れた場所。その時にも、この場所の事は知っていると感じた。


ついこの間見た夢だ。

その地に梨乃は降り立っていた。



ゆっくりと花畑の中を歩き行く。


花畑の中央には木が一本ぽつんと生えていて、根元近くの幹には誰かが寄り掛かっているのを見つけた。

梨乃はそちらの方へと足を向けた。


歩み寄る気配に気付いた男が顔を上げて梨乃を見る。


男の挙動に梨乃が驚き、たじろぐと、言葉は男が先に発した。


「こんにちは。」

「…こんにちは。」

挨拶を返しながらも梨乃は真顔で男の次の挙動を見守った。


「私は、ソウイチと言います。」

聞き覚えのある名前に、梨乃の認識が改められる。


「………ソウイチさん…。あ…はじめまして。私は梨乃です。野崎梨乃。…。」


梨乃はソウイチを凝視した。


細身で肩より長い髪の毛を緩く一つにまとめている目の前の彼は、座ってはいるが投げ出した長い足を見るに結構背が高そうだ。

今の季節にはそぐわなそうな、ざっくりとした冬向けのセーターを着ており下はジーンズというラフな装いをしていた。



「…ソウイチさんは、奈巣野さんの事をご存じですか?」

頷きながら、はい、と静かに答えたソウイチの綺麗な切れ長の目に梨乃が注目する。


「じゃあやっぱりあなたが…。あ、奈巣野さんから何度かあなたの話を聞いた事があるんです。…私は今、ゲームのクリスタルの中に飛んでここに来て…。ソウイチさんもゲームのクリスタル画面でここに?」

梨乃の質問にソウイチはゆるりと首を振る。


「いいえ、私の所にはゲーム機はありません。私がここに飛んだのは、必要な時に…この場所に来れる様に、…して貰っているからです。」

「して貰ってる?」

「はい…良かったら、隣に座りませんか?」


ソウイチは立ち上がろうとはせずに梨乃に一緒に座る様にと促した。

直ぐ隣を指し示すソウイチに気後れしながらも梨乃は応じる。



則ちゃんの副業のオフィスを管理している人で、不思議なコンピュータを作った人。


則陽が副業でしているプログラミングがどういった意味を持つものかの理解を助けるヒントをくれた人でもあり言ってしまえば彼は則陽を管理…監視している、という事でもあると梨乃は思っていた。


もし会ったのなら聞いてみたかった事を梨乃は質問してみた。


「奈巣野さんが言っていました、普段は副業のオフィスではソウイチさんに会える事は無いって…。2度もアパートの部屋に来て貰えて話せてラッキーだったって…。いつもは、別の場所に居るんですか?」


「はい。いつもは別の場所に居ます。…私も、奈巣野さんとお話しする機会が持ててラッキーでした。彼は多才な人ですから。」

多才な人…本当にそう…。梨乃は頬が緩むのを感じた。


「作業に来る人皆を、ソウイチさんは把握されているんですか?それはどういう方法で?奈巣野さんのケースの様に、他の人の所にも会いに行ったりする事はあるんですか?」

「会いに行くケースは今の所は…無いです。普段は、オフィスの作業スペースにあります監視カメラにてそれぞれの方の活動は把握させていただいています。プログラミングのマニュアル本の進みと合わせてそれは見ています。」


答えを渋るどころか丁寧に包み隠さず教えてくれるソウイチに梨乃は感心し始めていた。


自宅アパートに最初来た時に彼に対して構えた緊張は程無く解けたと言っていた則陽の言葉を今ここで実感する。


おそらくだけれど虚栄心みたいなものがソウイチには全く無いのだ。

管理している側だからと言って偉ぶる態度も見当たらないし、重箱の隅を突く様な事をしそうな感じも全く無かった。


「何で…、」

「はい。」

「何で…ソウイチさんは、修正プログラミングの管理をされているんですか?」

本質的な部分を問う。

義務なのか任務なのか、はたまた別の者から強要されているのか、興味があった。


「私が…それを望んだからです。」

「ソウイチさんが…望んだ…。」


「はい。自分が何をするかを決めるのに、私は自分でそれを言い出し決められる環境にありました。アイデアを出し、実際にそれを組み立てました。そしてそれは今、オフィスという形で機能しています。それは私の、望みだったのです。」


叶えられる環境で、自身で決めてきた…。

そういう場所がソウイチの周りに整えられているという事がまずひとつ驚きだったけれど。


よほど裕福な家庭なのだろうか。


でも不思議とそういったイメージはソウイチからは感じられない。


淡々として梨乃の発する質問に次々と答えてくれるソウイチに、梨乃はますます関心を覚えた。

 

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