会えたら
とても…不思議な感覚だった。
もう寝ているのが分かっていたし夢の中だと分かっている。
確かに自分…雨見の感覚で、これは友喜が何度か見たという、彼女が自身の別の側面と対峙した時の状況ともしかしたら似ているのかも知れない。
…何を話し合っているんだろう。
話を聞いているのも自分で、話を聞かせているのも自分だと何故だか感じたけれど、たまに風に吹かれて運ばれてくる声以外は聞こえてこなかった。
笑い声が柔らかい風と共に運ばれてきた。
…楽しい話だろうか。
それは温かみのある、穏やかな笑い声だった。
その日、目にした色は、鮮やかで、艶やかで。
共に感じる互いの吐息が愛おしくて、温かくて。
彼は確かに彼だったし自分に温かな魔法をくれた。
ただひたすらに心地良くて。
彼に、彼のオーラに包まれているのが、こんなにも心地良いなんて。
ずっと前から…始めからそう望んでいたから。
あなたのくれた魔法は…ほんの小さな明かりを私に宿した。
林の奥の二棟の家。
早朝の空気の静けさが家の中まで入ってくる様だ。
手前側の家で、寝そべっている友喜が天窓から注ぐ光を薄目を開いてちらりと見た。
石を探す手が動く。
…?…違うでしょ…ハンカチでしょ…。
枕に敷いたハンカチに顔を埋めた体勢になると、友喜は近くに置いていたネックレスに手を伸ばし、留め金の場所を探し当てて外す。
寝っ転がりながらも器用に首元にネックレスを渡して留め金を留めた。
部屋のドアを開けて友喜が廊下に出ると、隣の部屋から有津世がひょっこり顔を出してきた。
「おはよ、友喜早いね。ちょっとこっちに来てくれる?」
「お兄ちゃんも早いね、おはよう。…なあに?」
誘われるままに部屋に入ると有津世は部屋のドアを閉めた。
友喜は有津世の動きを目で追う。
有津世は机の前まで来ると机の上に片手を着いて、友喜の方に向き直った。
天井の高い部屋。
奥側には一見大きな窓に見える窓枠型の照明が部屋を照らしている。
ソウイチは自身のデスクの席に掛けながらコンピュータのモニター画面を見つめていた。
「…はい、分かりました。」
静かな声音で言うと、ソウイチはキーボードを手早く打ち始める。
しばらくの間、打ち進めて部屋にキーボードのキーがカチカチ押される音が鳴り響く。
音はぴたりと止まって、ソウイチの手はキーボードから離れていた。
「…ありがとうございます。」
ソウイチは何処かへ礼を言って視線はモニター画面からデスク脇の透明な石に移る。
手に取りソウイチは石をじっと見つめる。
瞬間、圧倒的な熱量をソウイチは感じた。
綺麗な花畑だ。
何処が端になるだろうか、随分と、ただっぴろい。
梨乃は辺りを見回す。
…ああ、ここね。
不思議と見覚えがあって前にも来たと梨乃は感じた。
梨乃は軽い足取りで花畑の中を進んだ。
ぼんやりとした人影が目に入って来た。目を凝らして見てみると、この前会った彼女が居て、誰かと対峙している。
梨乃は目の前に広がる光景に目を疑う。
首を傾げながらも遠目から彼女達の動向を見守った。
梨乃の目の前をふわり風に吹かれ何かが横切った。
見るとそれは淡い色の光の小さな粒で、粉雪みたいに空から次々と舞ってくる。
わあ…。
梨乃は振り返り、辺りに降り注ぐ光を眺めた。
風に舞って、散り散りの光の粒がたまに寄り集まり視界が遮られる。
降った光は、辺りに広がる花々に吸い込まれていく様に見えた。
彼女達に視線を戻すと彼女達も空を見上げている。
つられて梨乃も再び空を見上げた。
その情景は、とても綺麗だった。
都内アパート。
ぽうっとした表情で梨乃が目を覚ます。
作業部屋の隅のベッドで小さなあくびをすると、隣にいるはずの則陽が居ない。
「…則ちゃん?」
思わず呟くと、ダイニングの椅子の動く音がして則陽がベッドの梨乃の所にやって来た。
「梨乃おはよう。良く眠れた?」
「うん。則ちゃん、今朝早いね…。」
目を擦りながら梨乃は言う。
いつもは自分が目覚めるまで大抵は隣に居てくれるから…。
「…。」
「梨乃。寂しかったの?」
「…ちょっとだけ。」
則陽は梨乃の表情を伺ってベッドの端に座ると梨乃を優しく抱き寄せておでこに軽く唇を触れさせてからくちづけを交わす。
唇を離すと則陽は理由を話した。
「たまにはのんびり過ごすのも良いかと思ってさ。」
「だったら…。」
「ちょっと待ってて。」
則陽が梨乃を抱いていた腕を優しく離すとベッドから離れる。
皿がカチャカチャと合わさり小さく鳴る音が聞こえて則陽が戻って来た。
則陽はトレイを持ち運んでおり、トレイの上には2つのマグカップと朝食を盛った皿が2つ載っている。
「ここで食べてさ。それでまた、このままゆっくりするのとか、どうかな、って。」
梨乃の頬が上気した。
則陽へと、ほんわりした視線が注がれる。
「則ちゃん。それを用意してくれてたの?」
遠慮がちに聞いてくる梨乃に則陽が柔和な表情で頷く。
「梨乃、ここの所ちょっとお疲れ気味だったからさ、たまにはこういうのも良いかなと思って。」
トレイを直ぐ傍のコンピュータデスクの脇に丁寧に置いて、則陽ももう一度ベッドに入る。
則陽はトレイからマグカップを手に取り梨乃に渡した。
「ありがとう…、則ちゃん。」
梨乃は上目遣いで口を付けているカップから則陽を見つめる。
「美味しい?」
則陽も自分のマグカップを手にしながら梨乃に聞いた。
「うん。美味しい。」
ひと口飲んでほっと息をつく。
飲まなくなったタイミングを見計らって梨乃からマグカップを受け取ると、今度はワンプレートに収まっている朝食の皿を梨乃に手渡す。
皿の上に載っているのは丸パンにスクランブルエッグにソーセージとサラダだ。
「なかなか上手に出来たと思わない?」
「思う。美味しそう。」
「良かった。」
二人は、くすりと笑い合った。
「なんかね、夢、見てた。」
「夢?」
「うん。夢…。その中にね、雨見ちゃんが出てきたの。」
「雨見ちゃんが?」
「そう。二人。」
「雨見ちゃんと、もう一人の誰か?」
梨乃が首を振る。
「ううん、両方とも多分…雨見ちゃんだったの。」
「へえ…?」
「不思議な夢だったな…。」
気持ちの良い風が時折そよぐ石碑の傍の草原。
見回してみたけれど今回も人影は見当たらなかった。
草原のただ中に立っているソウイチが片腕を高らかに掲げる。
次の瞬間、ソウイチの直ぐ上の空間が歪んで、そこから白色と淡い虹色の光に輝く龍が出現した。
「乗せて貰ってこの地の探索をまた行いたいんだ。お願いしても良いかい?」
龍はソウイチの言葉を耳にするや否やソウイチを背に乗せて上空へと浮かんでいた。
「この前と同じくらいの高度と速度で頼むよ。」
龍は心得たとでも言いたげに颯爽と草原の上空を泳ぎ始める。
ソウイチは僅かに口角を上げ、続けて龍に話し掛けた。
林の奥の二棟の家。
早朝の爽やかな空気が流れている。
奥側のログハウスでは2階に上がって直ぐの雨見の部屋で雨見が目を覚ました所だった。
雨見はベッドの背もたれの棚から夢日記を手にする。その動きは半自動的で、いつも朝起きぬけにその行動を執っているのが見て取れた。
しかし今朝は、じっと表紙を見てから隣に立て掛けてあったピンク色の豪奢な装飾のノートと取り替える。
ページを開いてペンを手にすると、雨見は真剣な表情で目が覚める直前まで見ていた夢の内容を書き込んだ。
書き終わった所でノートを閉じると棚にしまってベッドから出た。
卓上の本棚に飾ってある石に何と無く手を伸ばして触れた途端に眩い光が石の中から溢れ出し、雨見を丸ごと包み込んだ。
気が付くとそこは雨見の部屋では無く何処かの狭い空間だった。
身体感覚が、いつもの感覚とは異なる事に雨見は目を見張る。
白色に淡い虹色で輝く光を纏っていて、今の雨見は人間の姿では無かった。
雨見は自分の姿形に驚きを覚えながらも視界に突如映り込んできたものに注目した。
自分の目の前に、ぽつんと少女が立っている。
「…。」
彼女は雨見を見るとゆるりと微笑み見つめてきた。
雨見は彼女を見つめ返しながらも、この姿では一体何をどのようにしたら良いのか皆目見当つかなかった。
少女の口から雨見に訥々(とつとつ)と言葉が紡がれる。
時々確認したげに雨見の目を見つめてきた。
雨見は今の姿で出来る限りの反応を少女に返しながら続けて耳を澄ます。
少女の言う言葉に大きな頭を頷く様に傾けると最後にひと声、嘶いた。
繁華街の中に埋もれて存在するワンルームマンションの建物にも朝の明るい日差しが周りの建物の隙間を縫って照り付けていた。
辰成の部屋のベッドで穂乃香と辰成が所狭しと眠っている。
穂乃香が寝返りを打ったその動きで辰成が目を覚ました。
直ぐ近くの温もりに、穂乃香が今度こそは自分と共に居てくれている事をその目で確認する。
辰成がおもむろに穂乃香を抱き寄せた。
「う…ん。…あ?」
穂乃香が目を開けて辰成の挙動に目を丸くしている。
「あ?じゃねえよ。起き抜けから色気が無さ過ぎ。」
「…。」
穂乃香が辰成を睨んで腕を押しのけ反対側を向く。
「冗談だよ。こっち向けよ。」
むくれて背を向けた穂乃香に辰成が訂正して、後ろから抱き寄せて首筋に唇を当てる。
次の瞬間、穂乃香の肘鉄が辰成の脇腹に飛んで来て、
「いってえ~!」
辰成の叫びが炸裂した。
林の奥の二棟の家。
朝日がきらきらと当たり、黒色の外壁が屋根の深緑色を一層映えさせる手前側の家では、有津世の部屋で有津世と友喜が向き合っていた。
有津世が話を始めようと口を開くのとほぼ同時に友喜は突然、胸の奥からとくんとなる刺激を受け取り感じた。
「あ…。」
波は突如として激しくなり、ぐらつく足に有津世は驚いて友喜を支える。
「友喜、友喜。大丈夫?」
友喜は有津世の声に反応せずに目を瞑った状態だ。
「んっ、………。」
友喜の体の震えに、有津世はしっかりと両腕で友喜を抱き押さえてやり過ごそうとする。
その間、一分くらいはあっただろうか。
静まり返った有津世の部屋で、友喜は一瞬ぐったりと有津世にもたれかかった。
「友喜?」
有津世は頭だけを友喜から離して彼女の顔を覗き見る。
友喜は有津世の胸に抱かれながら、そっと目を開いた。
その目に灯る光はどこかまだぼんやりとしていて夢うつつだ。
有津世は様子を見ながら無言でゆっくり友喜の髪を撫でた。
友喜を落ち着かせるためでもあったが自分を落ち着かせるためと言った方がこの時の有津世の本心だったかも知れない。
突如として起こった異変を目の前に、大事な妹のまたもや起きた異変に、本当にこれは自分達だけで留めておいても良い事柄なのかを迷い考え戸惑いを感じながら。
有津世は友喜の髪を撫でつけながらもう一度友喜の体をきつく抱きしめる。
正直、この状態が怖かった。
次の瞬間、友喜はもたれかかっていた姿勢を正して有津世の腕からやんわり自分の体を解放すると、片腕をゆらゆらと波打たせる様に動かしてから手のひらを合わせる仕草をする。
手のひらを広げて見せるとそこには三つの淡い光の玉が浮かんでいた。
「………?」
有津世は友喜と光の玉とを交互に見て、喉奥からやっとの事、声を出す。
「友喜…それは、…何?」
ぼうっとした表情のままの友喜は有津世の問い掛けに答えようとはしてくれない。いや、それどころか聞こえていないんじゃないかと思う程の無反応ぶりだ。
有津世は再び友喜に近づきおでこを触って体温を確かめると肩に手を添えて友喜の顔を見つめた。
一瞬友喜の体勢が崩れ、息を吐いて瞼を何度か瞬かせた。
友喜の手のひらに浮かんでいた光がいつの間にか消えていて、友喜は至近距離の有津世の存在に気が付き驚く。
「あれ…?お兄ちゃん…?えっと、…?」
「友喜。」
有津世は静かにため息をついて触れていた手を友喜から離す。
「友喜、大丈夫?」
有津世の問いに友喜はぽかんとした表情を見せている。
「お兄ちゃん、…私、何してたっけ?」
いつもの反応に戻ったのを見て、有津世は安堵の息を漏らした。
別次元に飛んだんじゃ無いけれど、有津世にとって今のほんの一瞬の出来事が長く思えて。
冷や汗は出るわ、変に力が入って武者震いはするわで、どっと気疲れを起こした。
それでもこの現象に見舞われたのは友喜本人だ。
有津世は友喜に自分の焦りを悟られない様に静かに深呼吸をして大勢を立て直した。
「えっとさ、これから説明するね。その前に…。友喜はさ、また何か、そう、胸の奥がとくんとなったりとかは、した?」
「あ…うん、そう、また胸の奥がとくんとなったの。その後から…覚えて無い…。」
友喜は顎に手を当て考え、思い出しながら有津世に話した。
「その後だけど…友喜は目を閉じて、酷く震えたかと思ったらまた目を開いてさ、そしたら表情が友喜っぽく無い表情しててさ…。その友喜が、手のひらからビー玉くらいの大きさの光を出して見せたんだ。」
「は?」
友喜が大きな声を出す。
「え?それって私がやったの?え?」
困惑した表情で友喜が有津世に聞き返す。
「うん。友喜じゃ無いみたいな表情だったけど、でも友喜がそれをしてたよ。」
友喜は俯き考えた。
…前に功から聞いた、もう一人の友喜が見せたという術を、今回は有津世の前でやってのけた。
その時の記憶は前回も今回も無い。
だから今回のも考えられるのは、もう一人の友喜が表出したという事では、と友喜は思った。
「ねえ、お兄ちゃん、私何か言ってた?」
「それが何も。ひと言も声を発さなかったんだ。」
発したとしても有津世は友喜自身との違いになかなか気付けなくて功から教えて貰ってやっと気付いた口だ。
だから今回も、友喜が友喜自身かもう一人の友喜かキャルユか有津世には分からなかった。
「光の玉、前に功お兄ちゃんから聞いたの。入れ替わった私が出したって。」
「…じゃあ今のはもう一人の友喜だったのかな。」
「…多分。」
でもそれを知った所で何が出来る訳でも無い。
どういう結論に達すれば良いかも分からなくて、友喜はしゅんとなった。
「…ごめんね、お兄ちゃん。」
「うん、でもさ、友喜のせいじゃ無いし。むしろ…俺の部屋でだったから良かった。これがリビングで起きていたら流石に取り繕うのに無理があったし…。」
とは言っても今後同じ様な事が友喜に起こらない保証は何処にも無いし、タイミングだって何も掴めていない。
「友喜、もう一度聞くけれど、他にはさ、対策のアイデア…何か思いつかないかな。」
「対策のアイデア…。」
「うん。友喜の昨日の夜に言ったのは、今回の事を考えると当てはまらないかな…って。当てはまるのならって自分のを用意してさ、友喜に渡そうと思ってその話を今朝しようとしてたんだけど実際は…。」
有津世が友喜に説明をして、友喜は、そうなの?と首を傾げて自分の考えが役に立たなかった事に肩を落とした。
繁華街の中に埋もれて存在するワンルームマンション。
朝食の準備で手早く調理を始める穂乃香を目の端に、辰成がぶつぶつと文句を言う。
「お前さ、さっきの乱暴過ぎ。脇腹、まだいてえよ。」
「だったらああいう発言をしないで下さ~い。こっちだって、冗談じゃないんだから。」
横目で睨んで辰成に異を唱える。
「…悪かったよ。お前になら通じると思ってさ。」
まだ機嫌の直らない穂乃香に辰成が歩み寄りを見せる。
「そういう冗談、お断り!」
「分かったよ。分かったから。」
穂乃香が辰成をじっと見る。
その眼光は鋭い。
けれども次の瞬間、穂乃香は一転して、微かに寂しそうな表情に変わった。
まだほんのちょっと、彼女の胸の内には迷いがある気がして。
辰成は穂乃香の近くに寄ると、後ろから抱きしめる。
「何?柄じゃないでしょ?」
辰成の、らしく無い行動に穂乃香が頬を赤く染めて反応した。
「柄じゃなくてもさ、お前がそうしろって顔してるんだから、しょうが無いだろ?」
「…自分の意思じゃないって事?」
「いや、俺の意思だよ。」
辰成は穂乃香に返事をすると、穂乃香に顔を向けさせて互いの唇を重ねる。
「火、付いてる…。」
「消せよ。」
「…。」
辰成は穂乃香の後ろから手を伸ばして小さな調理台のコンロの火を消してから穂乃香の手を掴んでベッドに誘った。
何処かの仄暗い空間。
いつもの姿じゃ無い雨見が居る。
目の前の少女が消えた。
いや、もしかしたら消えたのは自分の方だったかも知れない。
一瞬前にやり取りをしていた存在を視界から失くして雨見は戸惑った。
何故ここに居るのか、何故この姿なのか、何故彼女に会って彼女が居なくなったのか、何ひとつとして雨見に分かる事が無かったからだ。
箱の様な空間の中で雨見はその場に佇んだ。
綺麗な尾をゆるく左右に振りつつ、何処にも行けないもどかしさを前足で空を掻き表す。
それも虚しく雨見は一人思い悩む。
…不意に眩しさをその目に感じた。
見ると空間の壁にぽっかりと穴が開きそこから光が漏れている。
その形から見るにどうやらトンネルみたいだ。
先は見えないけれど何処か他の場所に通じているだろう…。
雨見は一瞬の躊躇の後にトンネルの中へと一歩足を踏み入れた。
すると次の瞬間、雨見は吸い込まれる様にして空間からその姿を消した。
林の奥の二棟の家。
手前側の有津世達の家では、部屋で有津世と友喜の二人が話し合っていた。
「…てっきり、そうだと思ったんだけどな。」
友喜が頬に手を当て恥ずかしそうに言った。
「残念ながらそういう効果は無いみたいだよ。今回ので分かった。」
友喜が首を垂れる。
もう考えたくも無いと言った様相だ。
「…もうそろそろ下に行かないと。朝ご飯の時間だね。」
有津世が肩をすくめて友喜に話す。
「ああ、そうか…。道理でお腹が空いてると思った。」
友喜が気の抜けた笑顔で有津世に返す。
「下に下りようか。」
「うん。」
言葉を交わしながら、二人は有津世の部屋のドアの外に出て行った。
真っ白いトンネルに足を踏み入れた途端に、ひゅるんと吸い込まれて、気が付くと草原に立って居た。
心地良い風が吹いている。
雨見はきょろきょろといつもの自分で無い姿で辺りを見回した。
…石碑がある。
ここは以前に小学生の姿の友喜と幼いキャルユの二人に出会った場所だと感じた。
空を見上げると自分の色味と良く似た別の種類の神獣が悠々と泳いでいる。
雨見は鬣をなびかせて流れてくる風を浴びた。
随分と爽やかで気持ちが良い。
雨見は導かれる様に、空に泳ぐ神獣の下に向かい始めた。
直ぐに森の入り口へと辿り着いた。
今のこの姿であれば、森を突っ切るのも容易い事だ。
雨見は目標をその目に刻み、勢い良く森の中へと駆け出した。
颯爽と風を切り圧倒的な熱量を振り撒きながら森の中を駆け巡る。
程無く目標近くまで辿り着くと雨見は徐々に速度を落として空に泳いでいる神獣のほぼ真下で足を止める。
樹々に覆われる隙間から覗く空を見上げた。
緑の向こうに見える空は青々としてとても綺麗で、その中で泳ぐ美しい白色に淡い虹色の光を纏った神獣がたまにちらりと姿を覗かせる風景はとても幻想的だった。
雨見は自分の姿など忘れて上空に居る神獣にただ見惚れていると、ひらひらと美しい欠片が上空から舞い落ちて来るのが目に入る。
たまにくるくると回転しては風に吹かれてまたひらひらと優雅に動きが変わる。
ふんわりふわりと最終的には雨見の背が落ちてきた欠片を受け止めた。
ありがとう…。
雨見は何故だか心から思った。
都内アパート。
則陽が用意してくれた朝食をベッドの上で食べ終わった梨乃はマグカップのコーヒーをゆっくりと飲んでいた。
則陽は自分も食べ終わった皿を梨乃のものと一緒に下げ、洗い物を済ましてから戻って来る。
「梨乃、コーヒー、お替わり要る?」
「大丈夫。ありがとう。」
梨乃が微笑み礼を言って、自分の居る隣に再び腰を落ち着ける則陽を眺める。
「…。」
梨乃の視線に微笑み返して、則陽は梨乃の手に持つマグカップを見て質問を重ねた。
「コーヒー、もうひと口飲むの?」
梨乃が首を振ると、則陽は梨乃からマグカップを丁寧に受け取って隣のデスク上にあるトレイに静かに置いた。
「あ、則ちゃん、石…。」
梨乃が話をしようと開いた口を則陽が急に唇でふさぎ込む。
濃厚なくちづけを交わしてからようやく唇を梨乃から離して、
「石がどうかしたの?」
則陽が落ち着き払って口角を上げ穏やかな声で聞き返した。
「また何か…出てる。」
ほんのり色づいた頬になりながら梨乃は窓際に置いてある二つの石を指差した。
梨乃の言葉に則陽は振り返って石を見てみると、昨夜と同様、こんもりとした光の残影が石から浮き出て部屋の空間を静かに漂っていた。
森の樹々が生み出す濃い空気の中で、草原に吹くのとは違う風をたてがみと尾に受ける。
背に落ちたと思われる虹色の欠片はいつの間にか消えていたし、見ると今まで上空に飛んでいた、雨見のとはまた違う種類の神獣の姿も見当たらなくなっていた。
何と無く地面から生えている草の香りを嗅ぐのを向きを変えながらしていると、今まで居なかったはずの別の存在が目の前に現れ出た事に気付いた。
顔を上げてその存在を確かめると、先程箱の様な空間で出会った少女とはまた別の可憐な少女だった。
薄いクリーム色でストレートの綺麗な長髪と、くりくりとしたその瞳は綺麗な紫色で左右で僅かに色が異なっておりとても印象的だ。
髪の色に良く似た色の緩やかな曲線を描く長いドレスを少女は身に纏っていた。
少女は雨見を見つけると、頬を緩めて近寄って来る。
「あなたが呼んでくれたのね。」
目の前まで来ると嬉しそうに話し掛けた。
「道に迷うかと思ったけれどおかげで大丈夫だった。」
ぴょんこぴょんこ飛びながら少女は体を大きく使って表現する。
「あなたの掛けてくれた虹の架け橋に梯子…とても綺麗だったよ。きらきら煌めいていてね、」
言いながら自分の目もきらきらと輝かせて少女は夢見がちに語った。
少女は雨見の身に覚えが無い事を続けてずらずらと喋るので雨見には反応のしようが無い。
例え答えられる話をされたとしても今の姿では頭を動かしたり前足を動かしたりするくらいしか答える方法が無いけれど。
とにかく雨見には分からない内容だったので、雨見は少女の前で呆然と立ち尽くして居た。
少女は雨見の長くしなやかな首を撫でながら時に腕を回して抱きしめながら話を続ける。
話の内容は分からぬままだったが、ここで出会った少女と触れ合う事によって、今の姿になってから初めて微かな安らぎを胸の奥で感じ始めていた。




