大切さの度合い
「鍵…持っていてくれよ。」
真剣な表情を微かに覗かせて辰成が言う。
「…受け取れないよ。」
辰成が穂乃香の受け答えに一瞬ショックを受けた顔になる。
「何でだよ、ここに来てくれたんだし……お前さ、付き合って無くてもそういう行動、他でもしてるんじゃ無いだろうな。」
今度は穂乃香が辰成の発言にショックを受けた顔になった。
「…一体私の事何だと思ってるの?いつもさ、全部そうやって上から言うよね…。まるでさ、私がなってないって言いたげにさ。もうそんな風に見られたく無いし言われたく無いし扱われたく無いんだよ。だから嫌だ、って言ってるの!」
「…そんなつもり…ねえよ。」
唖然として辰成が答える。
「だったら何で全部ダメ出しで返ってくるの?全部否定の言葉で…私その度に嫌だって言ってる。…別れてからだけど…。それが伝わらないのなら、一緒に居る意味、無いよ。」
穂乃香はすっと立ち上がると脱衣所に行って、まだ湿ったままの自分の服に着替え直す。
「…。」
辰成は呆然として穂乃香の動きを見守っていた。
「帰るね。」
「そうか…。…あ、ちょっと。」
声を喉の奥から絞り出して穂乃香を引き留める。
小さなダイニングテーブルの上にある穂乃香の分の食べかけのおにぎりのパックとジュースにお茶をビニール袋に入れ直して穂乃香に持たせる。
「帰ってからでも、食えよ。」
「…ありがとう。」
お互い、欲しいのはそんな言葉なんかじゃ無かった。
穂乃香はドアに振り返る時に涙がこぼれそうになり、慌ててドアの向こうへ急ぐ。
ドアが閉まって穂乃香が行ってしまうと辰成はその場に佇んだ。
外に出るとこんな繁華街でも今朝は空気が澄み渡っていて深呼吸をすると気持ちが良かった。
気を取り直して歩き始める。
…帰ったら着替えよう。
空気の気持ち良さとは裏腹に肌に僅かに張り付く湿ったままの衣服の感覚に穂乃香は思った。
住宅街の一角。
吉葉家では、なつと功が朝食を口にしていた。
功の胸の奥は煌びやかに光っていて、今朝もなつはその光に注目する。
「…。」
「…自分で調節出来ると良いんだけどな。」
なつが何を見ているのかを悟って、功が照れながら言った。
「綺麗だから問題無いんじゃない?」
「綺麗か。」
「うん。」
石とお揃いの色味に光っている功を見て、なつは想いを巡らせる。
「石ってさ、その人の分身みたいなものなのかな。」
「…分身?」
「うん。今思いついた。」
「…その考え、面白いな。」
功の反応に、なつが微笑む。
「いや、案外…。」
「ん?」
「なつ、それ、ひょっとしたら真をついているかも知れないな。」
よくよく考えて功が口にする。
…きっと、そうだ、そういう事もあるかも知れない。
なつは勘が鋭いんだな…。
功はなつをまじまじと眺めながら思った。
林の奥の二棟の家。
手前側の家の友喜の部屋では友喜がロフトの上でごろごろとしながら起き抜けの時間を過ごしていた。
この所、気持ちが停滞していて、今日は土曜日だというのに起きたがらない自分が居て。
会いたいのに。
会ったら離れたくないのに。
ごろごろとしながらもハンカチは顔に当てていて、しばらくしてからようやくネックレスに腕を伸ばした。
留め金を外して、首元に渡して留め金を留める。
ハンカチは枕元に置いて香りが嗅げる姿勢でそれを済ませるとやっと起き上がる。
…早く会いたい。
起き上がってみると会いたい気持ちはやっぱり募って、友喜はハンカチと飴を掴んでロフトから梯子で下りるとクローゼットにいそいそと近づいて行った。
都内アパート。
則陽がコーヒーメーカーで淹れたコーヒーをマグカップに注ぎ、梨乃に渡す。
「ありがとう、則ちゃん。」
「うん。梨乃、今日さ、一緒に行く?」
「良いの?」
「梨乃が良ければ。待っててもらっちゃうけど。」
梨乃が表情を明るくして、
「うん、行きたい!」
則陽に答えた。
則陽は梨乃の反応に、じゃあ、そうしよう、と言いながら梨乃と対面のダイニングテーブルの席に座って梨乃に微笑んだ。
自宅のマンションに帰って来た穂乃香が自分の部屋の鍵を開けようと鞄から鍵を探る。
すると代わりに辰成の鍵とメモが入った透明の袋が出てきてしまって、穂乃香は、あちゃ~…と呟いた。
やってしまった。
今度、返さないと。
自分の部屋の鍵を探し当てて鍵を開けて中に入る。
部屋のキッチンと居室を隔てる小さなカウンターに手荷物を置いて、穂乃香はカウンターを背にして大きく息を吐いた。
クローゼットの棚から着替えを取り出し、乾ききっていない今着ている服を脱ぎ始める。
代わりの服に着替え終え、脱いだ服はハンガーにかけてベランダに干した。
窓を閉めて部屋の内側に振り返ると先ほど鞄と一緒に置いたビニール袋に目が行った。
躊躇しつつもビニール袋を手に取り中身を取り出すと、上のカウンターと壁続きで設置されているカウンター式テーブルの小さな丸椅子に座り、いただきますと言って残りを食べ始めた。
確か、付き合っているのが破綻する時にも穂乃香は似た様な事を呟いていた。
今の今まで浅はかに受け取っていた当時の言葉を思い返す。
普段の態度が明るくて割とあっけらかんとしているので、深刻に告げるそれは単なる気の迷いか何かだと思ったし、最近の彼女の文句が多かったのはお互い気の知れた仲になってきたからだと思い違いをしていた。
彼女の口から出てくる言葉は単なる彼女のわがままで自由奔放で、今までそんな風に自分は思っていて。彼女の反応をただ楽しんでいた自分が、彼女がそれを望んでいない事に改めて気が付き方向性を違えていた事にも気付く。
辰成は自分の分だけ残ったテーブルの上の朝食を眺めながら想いを巡らせていた。
あいつは、もう飯食い終わったかな…。
林の奥の二棟の家。
自宅の玄関ドアから出かけるために外に出ると、
「友喜ちゃん、おはよう。」
柔らかな声音が聞こえた。
見ると雨見が丁度時を同じくしてログハウスの玄関ドアから出てきた所だった。
「雨見ちゃん、おはよう!」
「今日、これから吉葉さんの所?」
「うん、そうなの。」
友喜は雨見の問いに嬉しそうにはにかんで答える。
友喜の返事に雨見は微笑んで、
「雨見ちゃんは?お兄ちゃんに?」
何も手にしていない雨見を見て友喜が聞き返した。
「そうなの。ちょっとだけ話、したくって。」
「あ、じゃあ呼ぶよ。」
友喜はそう言い、玄関ドアを開けて大きな声で有津世を呼ぶ。
「お兄ちゃ~ん。」
友喜の声が家の中で響いて、有津世が2階から階段を下りてきて途中で止まって顔を覗かせる。
「友喜、どうしたの?何か忘れ物?」
出かけたのに戻って来た友喜に有津世が聞いた。
「ううん、雨見ちゃん。玄関の外に来てるよ。」
「雨見が?」
友喜に呼ばれた初めの挙動とは打って変わって素早く玄関まで下りてくる。
その様子に、ふっと笑って、じゃあ私行くね、と友喜は二人に告げた。
「うん。友喜ちゃんありがとう。行ってらっしゃい。」
「友喜、気を付けてね。」
二人に見送られて友喜は玄関ドアから離れた。
前に向き直って歩き始め、友喜の後ろに見えている雨見と有津世の姿が次第に小さくなっていく。
友喜は振り返らずに林の木々の中の道を進んで行った。
住宅街の一角。
友喜は吉葉家に着いて家のインターホンを押す。
鍵を開ける音がして、功がドアを開けながら明るい表情で友喜を迎えた。後ろにはなつが立っている。
「友喜おはよ~!」
「友喜ちゃん、おはよっ。」
「おはよう。」
友喜は二人の顔を見ながら笑顔で挨拶を返した。
「友喜、中、入りなよ。」
「うん、お邪魔します。」
靴を脱いで揃え直そうと体を傾けた拍子に友喜の首元から垂れ下がったネックレスが見えた。
「…。」
玄関の足元に向けて屈んでいた姿勢から立ち上がると振り返り、目の前の功と視線があって微笑み合う。友喜の微笑みが濃厚な花の香りと共に空間に華やかさを振り撒いて功は友喜に見惚れる。
なつは頬を緩めて友喜をリビングへと誘った。
なつは午前中の前半までは友喜とお喋りをして過ごした。
そのスタイルを貫き通す必要も無いとなつは思うのだけれど、兄は今回もダイニングテーブルの席に座ってなつ達を遠目からたまに眺めて見守っていた。
兄の不器用さが時々可笑しくてくすくす笑えてしまうのだけれど、それでも本人は至って大真面目だから、からかうのも叶わない。
下手したら傷付けてしまうかも知れないし。
とにかく、兄は今日も朝から友喜に見惚れてた。
途中から様子の変わった黄緑色の光のもやの彼女に関して今はそこまでショックを受けてはいないみたいだ。
友喜の状態はと言うと、捻じれて捻じれて捻じれていたのが、ちょっと解消して最初の捻じれに戻った感じがした。
友喜の友喜らしからぬ部分がたまに露呈していて、本人はそれでも気付かない。
何だか傍から見ていても、変に不器用さのある所は当人同士よく似ているらしい。
なつは友喜の話を聞きつつ兄、功と友喜とを想い口角を上げる。
「なっちん、どうしたの?」
話の筋とは関係無い所で笑顔を見せたなつに友喜が不思議がった。
「ちょっとね。思い出し笑い。」
「ふ~ん?」
小首を傾げて頷く友喜に改めてなつが笑ってみせる。
「あ、ほら、時間じゃない?行くんでしょ?授業。」
「あ。」
なつの言葉に友喜と功が反応する。
「じゃ、そろそろ、行くか。」
「うん。」
この二人は、いつまでもこんな調子かと思いきや、意外や意外、進展もしている。
前の友喜は功に話しかける時は敬語だったはずが、いつの間にか砕けた調子で話せている。
二人の仲がもっと温かくなる様に、なつは願うだけだ。
「行ってらっしゃい。」
「昼は、またあのバーガー店ので良いか?」
功が二人に聞く。
友喜は頷いて、なつは二人に言う。
「あたしは何でも良いよ。友喜と二人で行ってきたら?」
「いや、今日は持ち帰りで一緒に食べるよ。この前は…ありがとうな。」
功がなつに礼を言った。
「うん、分かった。気を付けてね。」
なつは玄関前で二人を笑顔で見送った。
思えば土曜日に何も予定が無いのは久し振りだ。
この所は毎週、辰成が家まで来て副業のオフィスに誘われていたから。
…買い物にでも行こうかな。
オフィスに行って辰成と顔を合わせてしまうのも癪だし、それならばウィンドウショッピングをして、またクレープでも食べようかな。
そしたらちょっとは発散出来るかな。
穂乃香は出かける準備をして部屋を出ると最寄りの駅に向かった。
小学校脇の公園に着いて、功と友喜は公園内を見渡す。
ここ数日過ごしやすい日が続いているからか公園にはまばらに人が居て中央奥のベンチにも先客が居た。
「んじゃ、あっちにするか。」
功が隅の植え込みのレンガブロックの場所を指し、一緒に歩いて行く。
幸い誰も居なくて、木の枝がしだれて目隠しにもなって丁度良い。
腰の高さのレンガブロックで出来た植え込みの仕切りに二人はぴったりと隣り合って座るとどちらからともなく目を合わせた。
「あ…。」
「…一瞬だけ。」
功が友喜の顔に近づき、覆い被さる様に唇を重ねる。
功が唇を離すと友喜の頬が綺麗に染まっていた。
「…ネックレス、調子はどう?」
赤面になりながらも普通の調子で話し始める功に友喜は笑顔を見せて答える。
「うん。何かね、ちょっと魔法みたい。」
「魔法?」
「そう。何でか分からないんだけど胸の奥からね、光が、うわぁって入って来て、その度にね、胸がとくんとなるの。」
功が友喜の話を興味深そうに聞く。
「功お兄ちゃんはそういう風にならない?」
功のしているお揃いのネックレスを見てから功を見て友喜が聞いてくる。
「俺は今の所そういう感覚は無いな…。友喜ちゃん、それは大丈夫なのか?」
「うん、大丈夫だと思う。一度ね、取り外してネックレスの影響でそれがなっているのかを確かめようとしたんだけれど…、」
「どうだった?」
「…うん、…分からなかった。」
急に歯切れが悪くなって、友喜の声は尻すぼみになった。
意識が混濁して…か。
有津世からのメールでは友喜の意識の混濁は続いていて状況が危ぶまれるので、功からのハンカチや飴も大いに役立っているとの事だ。
何かのアイテムを取り外す際には代わりのアイテムがもう装着されている事が最近では必須になっているらしい。
「あ、今日また後で飴とハンカチを渡そうと思ってるんだ。そうだ、言うの忘れたけれど、使った分、持ってきてる?」
「うん。ちゃんと持ってきてる。…今回もまた洗わずに返して良いの?」
「良いよ。それは大丈夫だから。あ、それとネックレスも交換しとくか。」
「うん。」
功の言葉に早速友喜が首の後ろに手を伸ばしてネックレスを取り外そうとする。
「あ、待って。」
功が声をかけると、友喜が動きを止めた。それを確認してから功は自分のネックレスを取り外し、
「先に、…こっちを着けてからそれを外そう。」
功が今まで着けていた分のネックレスを見せながら友喜に言う。友喜の意識が混濁せずに済む様に動いた方が良いだろうと思ったからだ。
「良いか?」
「うん。お願い…。」
友喜は自分で髪を束ねて左肩の前にどける。
頬を染めて功を待つ友喜は美しくて、功は赤面しつつも息を静かに吐いてから友喜の首にネックレスを渡す。
留め金は何度か自分でも着け外しをしたのでスムーズに留める事が出来た。
「良し、着けれた。後は、こっち。外すな…。」
「うん…。」
首の後ろで動く功の指先は、たまに肌に触れて友喜はくすぐったく感じた。
「取れた。じゃあこれは…今度は俺が着けるよ。」
功の言葉に微笑み頷く友喜の頬はやたら上気していて、それに気が付いた功が友喜からまた目が離せなくなる。
次の瞬間、功は再び友喜に唇を重ねていた。
お気に入りの街に着いた穂乃香は、お洒落な路面店が立ち並ぶ通りをゆっくりとした足取りで歩く。
最初にクレープを食べようかな。
それから…。
自分をいっぱい楽しませて上げるんだ。
目一杯、心地良く過ごして、元気を取り戻して上げるの。
だってね、私はいつも元気ではつらつとして居たいの。
だからそれが難しくなった時には、自分への元気の補給が一番。
私は、私を好きで居たいから。
小学校脇の公園の片隅で、植え込みのレンガブロックに腰掛けている友喜と功がくちづけを交わしている。
植え込みの木の枝がしだれて上手く二人の姿を周りから隠してくれているから良いものの、触れ合いはなかなか終わらない。
友喜の頬を手のひらで優しく包んで、ようやく功が唇を離す。
「…ごめん…止まらなくなって…。」
友喜が上気させた頬で微笑み、問題無いという風に首を振る。
「…。」
功は友喜のその仕草を見て真顔になった。
「友喜ちゃん、そのさ、…胸の奥からの光とかで、何か他に変化とかあった?」
「へ?」
考え込んで言葉を発してみる功に、友喜は腑抜けた声を出す。
一拍遅れて友喜は顔面蒼白になる。
「え、あ、…ううん。…特には何にも…無い、と思う、よ?」
「…そうか。」
功は視線を落として考え込む。
「あ、ねえ…。」
友喜が慌てて別の話題を持ちかける。
「魔法陣て、まだあるの?」
「ああ、あるよ。…ここからだと見えにくいけどな。」
功は今居る場所から離れた地面を目にして友喜に答えた。
「何にも見えないなあ。」
「そうか。でも友喜ちゃんは、光の筋と、黄緑色の光の霞は見えるんだもんな。」
「あ、うん。それは…、…見える。」
「…。」
妙な反応で答える友喜に功が緩く首を傾げる。
「……友喜ちゃん、どうかしたか?」
まだ午前中で今日は割りかし涼しく過ごしやすい日だけれど、そしてここは木陰で日も避けられているけれど…。何か消耗でもしたんだろうか。思いながら功は友喜に尋ねた。
「ううん、大丈夫、なの。ホントに、うん。」
「…。」
「…大丈夫なら良いんだ。…しかしまあ…。」
「?」
「妖精の話何もして無いな。」
おどけた感じで功が言うと、友喜がきょとんとして次にくすくすと笑ってから自分の意思を伝えてきた。
「功お兄ちゃん、私、本当に見える様になりたいんだから。」
…だから、名ばかりであったとしてもこの時間が在り続けて欲しい。
友喜は胸の内で願った。
「エネルギーの交換をし合ったら能力も伝授されると思ったんだけどな…。」
「え…?」
「何でも無い。こっちの話。」
「ふうん?」
呟き気味に言った功の言葉を、友喜はあまり聞き取れなかった。
「まあ、友喜ちゃんはさ、無理しない事だな。体調第一にさ。」
「…大丈夫だよ?」
「だってさ…、」
「大丈夫。…功お兄ちゃんからのネックレスと、ハンカチと、飴があれば。」
「…。」
友喜の返事に、功は呆気に取られる。
功が居ないと大丈夫じゃない現状に、功に頼り切って大丈夫と告げる彼女を、堪らなく愛おしく感じてしまって。
…全くさ、
「…友喜ちゃんらしいよ。」
「?」
友喜を見ながら嬉しそうに笑った。
繁華街のワンルームマンションの一室。
穂乃香が出て行ってしまってから、辰成は一人で残りの朝食を食べ終えた。
歯磨きをするために洗面所に行くと勝手に借りて勝手に脱ぎ捨てていった大ぶりのTシャツが雑に置かれているのに目が行った。
「…。」
辰成は居室に戻って小さなダイニングテーブルの上にあるスマートフォンを手に取る。
画面を見つめてしばし立ち止まるとテーブルの上に置き直し、もう一度洗面所に赴き歯磨きをし始めた。
歯磨きをしながら脱ぎ捨ててあるTシャツに再度目が行く。
「…。」
水道の蛇口を捻って大きな手のひらで掬った水で口の中をゆすいだ後、タオルで口の周りを拭いて洗面所から居室に移動する。
テーブルの上のスマートフォンを手に取り通勤用鞄からは財布やらを取り出して小さなショルダーバッグに詰め直すと、辰成は玄関ドアの外に出て行った。
しつこいだろうか。
でも、あのままにしておけないと思って穂乃香の住むマンションに足を運んでみた。
部屋のインターホンを押してみるが、何の反応も無い。
…居留守か。
いや、居留守を使う様な奴じゃ無い。
本当に出かけてしまったのか。
もう一度インターホンを押してみるもやはり反応は無かった。
辰成は諦めて穂乃香の部屋のドアから背を向けてその場から立ち去った。
飲み屋街の外れにひっそりと存在する小さな喫茶店。
梨乃と則陽は店内に入ると、奥側の空いているソファ席に着いた。
対面で座るとメニューを広げて楽しそうに眺める。
「どれにしようっかな。ん~。今日は…これかな?則ちゃんは?」
「俺は、そうだな…。」
それぞれ頼むものが決まって注文を済ませた。
「則ちゃん、今日はどれくらいしてくるの?」
「出来れば4時間くらい…。梨乃、待てそう?」
「良いよ。待ってる。」
「うん。なるべく手際良く進めるね。」
梨乃はこの喫茶店に来るのが楽しみなのか、にこにこと上機嫌だ。
「先週、楽しかったね。」
「うん。…友喜ちゃん、どうしているかな…。」
「功が言ってたよ。状況は芳しくないって。」
「そうなの?」
梨乃が驚く。
「うん。何かあると逐一、功に有津世くんからメールが来るんだって。最近来たメールでそう教えてもらったんだって言ってたよ。」
話を聞いて梨乃は表情を曇らせる。
「…その状況を聞かされるだけで私達は何も出来ないのかな…石に想いは伝えてみたけれど…。」
「現状、お兄さんである有津世くんと功が対処してくれているし、大丈夫じゃないかな。」
「…うん。そうだよね。」
則陽に同意すると梨乃は微かに頬を緩ませた。
副業のオフィスに着いて、辰成は受付を済ませてマニュアル本を片手に奥の作業スペースへと移動する。
辰成の他には二人が作業をしていたが、どちらも知らない顔だ。
穂乃香のマンションを訪ねても本人が居なかったので他にする事も思いつかず、いつもの行動になった。故に今このオフィスに辰成は居る。
適当な席に着くと辰成は本を開いて目の前のモニター画面を覗いた。
バーガー店への道を友喜と功がゆっくりと歩いていた。
友喜は隣の功の視線に気付く毎に微かに頬を緩めて答えてくれる。
功はその度に真顔に戻って、友喜の様子を見守った。
「…ネックレスをしてるから、大丈夫だよ?」
友喜は度々感じる視線に功が友喜の変調に気を配っていると解釈した様だ。
実際注意は払っていたし、友喜の指摘もあながち間違いでは無い。
「うん。そうだよな。…ネックレスさ、ハンカチより効果が強いんだな。」
功は有津世から得ていた情報を言った。
「そうみたい。石がね、ハンカチに勝っちゃって…。」
「石?」
「…。」
「?」
友喜が分かりやすく動揺した。
「あ、えっと…石…はね、ほら、河原で拾った石。功お兄ちゃんと対の…。触るとね、何故かぽわぽわ寄りの意識が強くなっちゃうの。それで、だから…でも触りたくてハンカチを顔に当てたまま触ったら…石の方が強くって…、それで…。」
「…そうなのか。」
慌てて言葉を羅列する友喜に、功は親身になって頷く。
「…せっかくの対の石なのにな。…なんだ、そうか…。」
「…。」
功は本当に残念そうだ。
友喜の焦りから出る言葉とは別に、功の心からの温かい反応に友喜は胸を掴まれる。
騙して無いんだけれど、騙してしまっている気がして。
言えていない、言えない事を隠す自分の功への罪悪感が募り、目が潤んできてしまった。
「…友喜ちゃん?」
功が友喜の変化に気付いて声をかける。
「え、あ…。目にっ、埃がっ…。」
慌てて言い訳を口にする。
「……いや、それは違うだろ。」
両目にこんもり涙が満ち満ちているのを見て功が言い当てる。
「…ちが、違わない…。」
立ち止まった功が友喜に向き直して顔を覗き込む。
「…ちょっと疲れたか。」
「疲れて、ない…。」
「何だよ、友喜ちゃん。随分頑固だな。」
功がふっと笑って友喜の片方の手を功の両手のひらで挟んで包み込む。
「人の通る所だからこれくらいしか出来ないけれど…。こうしてさ、両方の手のひらで包み込むと、要らないものはこっちが貰って、必要な元気は友喜ちゃん側が受け取れるっていう、ちょっとした、そうだな…魔法みたいなもんかな。」
知ってる?と功が聞いて、友喜はふるふると首を振る。
「でもこれ意外と役に立つんだよ。なつにもさ、何度かやったなあ。」
功はあくまでも気楽な感じで話す。
「意識が自分のだけじゃないのって大変なのな。…あ、全部自分なのか…、まあ、それは置いといて…。有津世くんからのメールでもあったよ。こうして、ネックレスで制御は出来ているんだろうけれど、胸の奥からのその、光の入って来るのだってどっかしら気を働かせてるんだろ?」
友喜はぽたぽたと涙をこぼしながら功に手を包み込まれた状態で彼の言葉を聞く。
「だからさ、無理するなよ。」
功の優しさが身に沁みて、涙が次々と出てきてしまう。
有津世の前では何とか耐えたのに、功の前では無理で。
功は友喜の涙を勘違いしていて、優しい言葉を温もりをくれていて。
それが嬉しくて、余計に泣けてきて。
こんな場所で泣くなんて迷惑なのに、涙が止まらない自分が居て恥ずかしかった。
なのに、功はこれっぽっちも迷惑そうに振舞わずに、真摯に友喜と向き合ってくれている。
私は…なんて幸せ者なんだろう。
路面店の立ち並ぶ通り沿いの、ちょっと寄り掛かれる建物と建物の間のコンクリート塀の空間を見つけて友喜と功は塀を背にして留まっていた。
「…功お兄ちゃん。」
「ん?落ち着いたか?」
友喜は様子を伺ってくる功をじっと見る。
一週間近く前に、功の涙を見た。
その時は逆の立場で、友喜は余裕すらあったのに、今回は功が落ち着き払って、手のひらだけでは無くて友喜の全部を包み込んでくれている感覚すら覚える。
それくらいに功は温かくて、優しかった。
「ごめんなさい、こんな所で、あの…。」
「良いよ。泣きたい時だってあるだろ。」
直ぐ脇を穂乃香が通り過ぎる。
流石、土曜日。
昼前から人出もあるな。
カップルらしき人達も居るし、この街はデートにも人気だな。
良いなと思ってアタックしかけた功に彼女が居ると分かって、撃沈したなあ。
似た人影にふと功の事を思い出し、遅れて振り返り見る。
…あ。
道路脇のコンクリートの塀に寄りかかって話をしている姿が穂乃香の目に映る。
似ていると思った人影は功本人だった。隣には先週喫茶店で見かけた女の子の内の一人が居て。
あの子が功くんの彼女なんだ。
仲良さげだからきっとそうだな。
穂乃香は微かに口角を上げて、前に向き直ってまた歩き出す。
…お昼は、何処で食べようかな。
「じゃあ、行ってくるね。」
「うん、分かった。行ってらっしゃい。」
梨乃に見送られて、則陽は喫茶店の席から立ち上がり、鈴の音の鳴る小さなドアを開けて外に出て行った。
ドアが閉じたのを見ると、梨乃は自分の鞄から本を取り出す。
そして表紙をめくると、続けてぱらぱらとページをめくり、しおりを挟んである所で見開くと印字してある文章に目を落とした。
緑色に囲まれた、一部分だけぽっかりと緑色が抜け落ち、その箇所には虹色と白色の光が渦巻いている星。
キャルユへの想いをツァームが口にしたのを耳にしてからアミュラは気にかけていた。
ツァームがキャルユの想いを知らずして彼女との別れに対峙した事を、そしてキャルユの居なくなった今、ツァームとの関係が変わり、彼女がきっと望んだであろう仲にアミュラがなっている事を。
ツァームがキャルユを恋しがってぽつんと発した言葉が、その想いが、出来る事ならばキャルユの下まで届いて欲しいとアミュラは願った。
『アミュラ、どうしたの?』
妖精達がアミュラを気遣い周りに纏わりつく。
今居るのは小さな切り株のあるアミュラの秘密の場所で、もうツァームに場所は知れていたけれど、この場所に来る時は今も特殊な磁界をかけていたからその時間だけは妖精達の他には誰もアミュラを見つける事は出来なかった。
悶々として花冠を作成する手が止まり、そんなアミュラに妖精達が興味を持つ。
「…ねえ、本当にキャルユはこの地にもう戻れないのかな。」
『行っちゃったら戻れないんじゃないかしら。』
『ねえ。』
『そうね。』
『どうかしらね。』
『でもきっとそうよ。』
…妖精達もその辺については良く知らないらしい。
思えば石碑の外に出た時だってアミュラに自分で考えなさいとか言っていたが、本当の所、妖精達はアミュラと同じで知らない事も多いのかも知れない。
『でも戻ったとして、ツァームとの事はどう説明するの?』
妖精達の一人がアミュラも薄々感じていた事を鋭く突く。
「…どうって、…それは、その通りに説明するしか無いけれど…。でもそれよりも、あたしとツァームはキャルユに会いたくなってきて…会えるなら、会いたいの。あたし達二人共。」
『戻ったらそれを知って余計に彼女が悲しむんじゃない?』
「…。」
アミュラは真を突いた事を再び言われてまたもや考え込んだ。
「…それは…させたく無い、けど。」
『キャルユがこっちに居なくなった事でツァームとあなたとの関係が動いたのに、アミュラは元通りにしたいの?』
「…そういう訳では…無いけれど…。」
アミュラは歯切れが悪かった。
ツァームとの仲はこのままで、キャルユとも会いたいだなんて虫が良すぎるのだろうか。
それでもキャルユの気持ちは今じゃ痛いほどに理解出来たし、そのキャルユにもツァームと会わせて上げたい…。そう思って。
妖精達と喋っていて自分の気持ちにも埒が明かないアミュラは、急に両袖にもぞもぞとした感覚を覚える。
見ると両袖がもぞもぞと動きながらほんわり発光している。
ぽわぽわとミジェルだ。
片方は淡い白色に発光していて、もう片方は薄っすらピンク色の発光だ。
アミュラはぽわぽわをはじめに出して、その後もう片方の袖からミジェルを出した。
「あら、ミジェル、あなた今日はこの姿のままなのね。」
アミュラはぽわぽわと同じ姿のままのミジェルに話しかける。
もこもこの毛玉の状態のミジェルは触れる感触も気持ちが良い。
一方ぽわぽわは今日も透明で感触もすかすかと半分空振りだ。
「あなた達はどう思う?」
アミュラはぽわぽわとミジェルにも意見を募った。
妖精達はミジェルが出てきた事で慌ててアミュラから離れて遠巻きで浮かび、アミュラとの交流の様子を見守っている。
ミジェルは淡く発光するだけで物を言わず、ぽわぽわはアミュラにだけ通じる言葉で返事をくれた。
大丈夫。大好きだから。
アミュラもツァームも大好きだよ。
安心してね。
だからね、笑顔でね。笑顔だよ。
そう、笑って。
それはまるで、キャルユ本人からメッセージを貰っている様で、不思議な感覚だった。
アミュラはぽわぽわを見つめる。
「ぽわぽわ…ぽわぽわはどうして一緒に居てくれるの?ぽわぽわは…一緒に居ない時には何処に行っているの?」
袖の中に居ると思ったら姿を消している事がある。
それはね。
向こうの星だよ。
私は、向こうの星に居るから。
向こうにもあなた達は居るし、こっちにも居るでしょう?
だから大忙しなの。
あ、ううん、忙しくなんか無かった。
だってね、会えるのが楽しいから。
会えるのが嬉しいから。
向こうの星…。
アミュラはキャルユを想起する。
向こうの星の情報を教えてくれたのはキャルユだ。
キャルユで無かったら、そんな言葉は出てこないんじゃないか、アミュラは勘繰る。
そんなはずは無い、有り得ない。
だって、キャルユが居る時にも既にぽわぽわは居て…。
なのにキャルユを感じる。
今、ここに居るぽわぽわから。
妖精達はそんなアミュラとぽわぽわとのやり取りを遠巻きに見つめているだけだ。
ミジェルはもこもこの毛玉のまま黙りこくっている。
アミュラ、ツァーム、愛してるよ。
明るく伝えてくるぽわぽわに、アミュラはショックを感じ得ない。
「あなたが、キャルユなら、そうだ、って言って。」
アミュラがぽわぽわに訴えかける。
目には薄っすら涙が溜まっていた。
良く分かったね。
そう、私はキャルユだよ。
ぽわぽわはアミュラに笑いかける様に答えた。
少なくともアミュラには、そう聞こえた。
文の言い回しの修正を複数箇所で行いました。(2026年1月24日)




