拾ってきた小石
朝日が差して、木漏れ日がキラキラと光る。
机の前の四角い窓から、揺れる光を感じながら、有津世は友喜から貰った煌びやかな装飾のノートに自分が体験した事柄について、思い出した詳細を追加で書き記していた。
今日は土曜日だ。
学校は休みで、朝食は先ほど済ませた。
リビングで家族と一緒にゆったりと過ごす事の多いこの時間だが、今朝は何と無く机に向かってこの数日間で体験した不思議な出来事を自分なりにもう少し整理したいと思った。
「ちょっと、部屋で作業をしてくるね。」
母と友喜に告げた所、
「はいはーい。」
両者から適当な返事を受け取った。
二人は変わらずお茶の時間を続けるみたいだ。
ちなみに本日父はというと、近くの川へ釣りに出掛けている。
時たま家族の誰かしらがついて行ったりもするが今日は父一人だ。なんでも今日はナントカ釣りの解禁日で場所取りに苦慮するので毎回真剣勝負なんだそうだ。そういう訳で、父は朝早くから張り切っていた。
有津世や友喜が父と一緒について行った時は二人とも釣りよりも小石や川べりの生き物を観察する方に毎回夢中になった。
何年か前の河原で、その日も父について行き現地でそれぞれに別行動をしていた時の事だ。
友喜が砂遊びをしている傍らで、有津世は川べりの魚の動きを夢中になって目で追っていた。
すると、水の中にキラリと光る何かに気付いた。
有津世は目を凝らして光を反射する川面の奥を覗くと、見えてきたのは少し飴色がかった透明の、ひとつの小石だった。
有津世は思わず手を伸ばして石を拾う。川べりでごく浅い水深の為、難無く取れた。
川の水が手から石から滴るまま、有津世はそれを日の光に透かした。微かな飴色を伴い光が石から手元に通る。
思わず、綺麗だな…、と言葉がこぼれた。
有津世はその時の石を自分へのお土産として持ち帰り今も机上に飾っている。
うずらの卵より少し大きいくらいのサイズであるその石は、中を観察すると他の鉱物が混じっていて単一の色味では無い所が有津世は気に入っている。
ノートに書き記すのが一通り落ち着くと、有津世は石を手に取って、窓の外からの光に透かしてその内部を眺めた。
香しい花の香りがする。
くすぐったさを感じて、僕はふと目を覚ました。
見ると、自分の鼻先に一輪の花がゆらゆらと揺れている。
「あれ?」
いつの間にか眠り込んでいた様だ。
テーブルとして使用している大きな岩に、しなだり掛けてうつ伏せになっていた上体を彼はゆっくりと起こし、辺りを見回した。
何の事は無い、いつもと同じ風景だ。
鼻先に当たっていたと思われる花を、目の前の彼女が手にしていたのに気付く。
「おはよう、ツァーム。あんまり気持ち良さそうに寝ているから、良い香りを嗅いでもらおうかと思って。」
黄緑色のふんわりとウェーブがかった髪を揺らしながら、彼女はいたずらっぽく笑った。
「キャルユ、君か…確かに良い香りだったよ。くすぐったかったけどね。」
「ふふ…。こんな穏やかなお天気の日は、微睡むのも素敵ね。」
彼女はそう言いながらも、彼の顔を見れるのがたまらなく嬉しい、というのが隠し切れない様子だ。
穏やかな風に、新緑の様に明るい緑の大地。
大きな樹の幹近くにある大ぶりな岩と小ぶりな岩は、ちょうどテーブルと椅子のセットの様に設置されている。
談笑したり作業したりするのは、大抵この場所だった。
この日もツァームがひとり先にこの場所に赴いていたが、いつの間にか眠り込んでいたらしい。
鼻先をつついていた花はもちろん良い香りだったが、それよりも香しい花の香りを振りまく存在が居る。
キャルユだ。
彼女は自分では意識していなかったが、ジャスミンの香りの様な、それとも薔薇の香りの様であろうか、彼女が動く毎に微妙に混ざり合い変化する独特な香りはまるで彼女自身が大きな花の精の様にも感じられる。
実際ツァームもアミュラもキャルユの事を「花のお姫様」と呼ぶ事があった。
「この花の香りも素敵だけれど、花のお姫様には敵わないよ。」
「?そうかしら、このお花の香りの方がよっぽど…まあ、良いわ。」
キャルユは真顔に戻って言うと、手にしていた花を自分の髪に差し込んだ。
その瞬間に花が光り輝き、キャルユのオーラに融け込む様に消えた。
ツァームはいつも見ている光景なのだろう、特に驚く様子も無く微笑みながらそれを見守る。
彼の視線に気が付いてキャルユは微笑み返した。
「笛を作り直していたの?」
無骨な岩のテーブルの上に置かれている小さな笛。
それはツァームにとって大切な道具だった。
音で場の調整を行う他に、テレポーテーションの鍵としても音色を操っていた。
「ああ、もう少し高く澄んだ音にしようとしてね。」
手元の笛を手にしながらツァームは答えた。
「今のままでも充分澄んだ音だと思うけどな…お告げ?」
「うん、そうだね。これからより一層高い音が必要になるって。」
「そう…。」
少し納得いかなそうに、キャルユはツァームの話を聞いた。
お告げというのは、ツァーム達三人が暮らすこの土地を囲う様にして点在している、石碑の”主”から受け取るメッセージの事で、特にメッセージ性が高いものを受け取った場合にツァームが使う言葉だった。
”主”からのメッセージは、三人の中でツァームだけが受け取れる。
それはある日突然始まり、メッセージを受け取れないキャルユやアミュラも石碑には常に敬意を払い、お祈りや花冠を捧げていた。
一方、彼ら三人の額、ちょうど、おでこの部分に装飾された石は石碑の”主”からのメッセージとはまた別の機能を担っていた。
彼らは額の石に導かれ、この地で主な活動をしている。
ある時、彼等三人はこの地に降り立ったのだが、当時の三人はまだほんの小さな幼子だった。 その彼等を、額の石は、風をしのげる樹の洞まで導いたのだ。
第三の目、とも言えるかも知れないそれは、ツァーム達がこの地で活動するために欠かせない存在であった。もっとも、それは元より額と一体化をしていて、体の機能のひとつ、と言っても良かったかも知れない。
「あ、アミュラだわ!」
樹の茂みから、まるで天使の様にアミュラがツァームとキャルユの目の前に降り立った。
「エールの時間だよ~!」
アミュラがうきうきしながら二人に話しかける。
キャルユが花のお姫様なら、アミュラはまるで風のお姫様だった。
緑の気持ちの良い空気を運ぶ風の様に爽やかな香りを発していたし、いつも颯爽と現れて、風の様に朗らかに笑い、姿が見えなくなっていた時には大抵彼女は森を散策しに行っていた。
「エール」の事を一番初めに見つけたのもアミュラだ。
アミュラに続いてツァームとキャルユの三人は一緒に鬱蒼とした森の中を歩く。
「ほら、ここだよ。」
アミュラが場所を指し示す。
そこには、緑に輝く大きな樹がそびえ立っていた。
エールを送り始めた当初は皆それぞれ別の樹に送っていたが、三人同時に一つの樹に対してエールを送る事がとても大切な事だと気付いてからは、必ず一緒に行う様にしている。
一つの樹を囲んでそれぞれが幹に両手を添えると、ツァーム達の体が胸の内側から光り輝き始める。
ほのかな光から次第に強烈になっていく光は、やがて三人の体から樹へと注ぎ込まれ、直後、樹の全体が虹色に白にと色を様変わりさせながら輝いた。
樹上を見上げて樹の状態が確認出来ると幹に添えていた手をそっと離し、三人はその場を後にした。
「ん、ちょっとここ、調整が必要だな。」
森の中、三人で歩いていた途中でツァームが立ち止まり、笛を袖の中から取り出す。
彼の言葉を聞いてアミュラとキャルユの二人はツァームを振り返り、二人共立ち止まった。
ツァームが笛を吹き始めると、周りの草花の淡かった色味が鮮やかな色へと一気に変化を遂げた。
宙に浮かんでいる淡い色とりどりの光が、喜びを表すかの様にキラキラと辺りを飛び回る。
「綺麗ね…。」
「うん…。」
アミュラとキャルユはツァームが場の調整を完了させるまで静かに見守り、自らも笛の音に心身を浸した。
「ありがとう。調整終わったよ。」
ツァームの言葉にアミュラとキャルユの二人は顔を見合わせて、ふふ、と笑うと、三人は朗らかな表情で再び歩き始めた。
「糸ってね、とても不思議なものなんですって。」
キャルユが好きで、良く持ち出す話題だ。
もう何回も聞いているけれど、ツァームもアミュラも飽きずに耳を傾ける。
「私の額の石が言ったの。何か助けが必要な時には、糸を辿りなさいって。」
「糸は、希望の糸なんだって?」
「そう、糸は希望の糸。これを覚えておくと、いつか必ず助けになるから、って。」
「面白いな。私の額の石はね、生き物を見つけなさいって。」
「アミュラの石らしいわ。」
「そうだね。」
ツァームとキャルユが笑った。
「ツァームは?」
「僕のは…助けが欲しい時のアドバイスか。…今まで、額の石にそれを言われた事が無いな…。」
「そうなの?」
「うん…。キャルユは、糸を辿れ…。アミュラは、生き物を探せ…。僕は何だろう…。」
「石碑の”主”はどう?何か言ったりしないの?」
「そういった事は特には何も…。笛を作ったり、改良する事くらいかな…。」
ツァームの額の石が緊急の時に覚えておくと良い文言をひとつもツァームに対して発していない事に今更ながら気付いたツァームは、あれ?と困惑した表情を珍しく見せた。
キャルユとアミュラは彼の表情を見て、二人また、ふふ、と笑い、大丈夫よ、良いじゃないの、とそれぞれにツァームをフォローしながら、森の中を再び歩き出した。
ふと一瞬、夢を見ていた気がした。
変わらず有津世の机の上へと降り注ぐ柔らかな日差し。
手にはキラキラと日を受けて輝く石が載ったままだ。
「ぁ?」
有津世は思わず、言葉にならない間抜けな声を漏らした。
『何を泣いているの?何を悲しんでいるの?』
「ひっく、ひっく、うっ、ううっ、う~」
『どうしたの?何でそんなに泣いているの?』
「えっ、えふっ、えっ、え~んっ」
嗚咽が激しく、なかなか言葉が出ない。
そんな様子を見かねて、優しく頭を撫でてくれる。
『そんなに悲しいの…。』
「ひっ、ひっく、ひっく、う、うぅ~」
泣きやむまでしばらく隣に座って待ってくれていた。
誰かが話し掛けてきて、それを初めは見ようともしなかったけれど、泣くに泣いて、気分が落ち着いてきた時に隣を見たら、それは可愛い女の子だった。
『泣きやんだ?』
「あなたは…?」
『私はね、こうしてくる子達を、色んな状況の子がいるけど、こうして落ち着かせるだけ。』
「…」
『何にも出来ないから。私はこうして来る子達に、寄り添う事しか出来ないから…。』
「…」
その女の子は、中肉中背で、若いのか大人なのか、いまいち分かりにくかった。
僅かに発光しているその姿は、慈愛を込めた美しい緑色の瞳と、銀色の髪に、浅黒いのか色白なのか分からない肌の色をしていて、柔らかそうな素材のクリーム色のドレスを身に纏っている。
そんな子が、自分の隣に座り、寄り添ってくれていた。
彼女の姿を見ながら、私の瞳からはまた涙がポロポロとこぼれ出す。
『まだ落ち着いていないんだね。』
「…うぅ、」
『良いよ、落ち着くまで、待っているから。』
「ひっく、ひっく…」
私は泣いても泣いても、まだ泣き止む事が出来なかった。