再会
山奥の神社。
きらきらと差し込む光は木の枝葉の隙間をくぐり抜け、神社の建物と周りの地面に到達して光と熱を届けていた。
祖父の用意するのをノリコは手伝い、簡素ながらも健康的な朝食がいつもの四畳間の座卓に並べられる。
二人がする動きをソウイチは見ながら、自分も何か出来る事は無いかとノリコに尋ねるが、そんなに用意するものは無いとノリコに断られ、ソウイチは一人佇む。
「…。」
「ソウイチくん。違った。じゃあこれを運んでもらって良いかな。」
ノリコは自分が運ぼうと思っていた漬物の皿をソウイチに運ぶ様に頼んで、その通りにする姿を見てふうっと息を吐きながら口角を上げた。
朝食時間の折にノリコの祖父がソウイチに今日の何時くらいまでこちらに居れるかを尋ねて、ソウイチは日暮れまでにはここを発つつもりだと答えた。
その答えにノリコはソウイチの横顔を見上げる。
ソウイチはノリコに振り返って僅かな笑みを返した。
「…。」
「そうですか。私は今日も二人のご存知の通り瞑想に多くの時間を費やすでしょうから、ひょっとしたらひょっとしてソウイチくんの見送りに気が付かないだなんて事態が起こり得る可能性も鑑みて、今のうちに言っておきます。」
「はい。」
ソウイチがノリコの祖父の言葉を受け止めて続きを聞く。
「今回は来てくれて、しかも泊まってくれてありがとう。私とノリコはいつでも、ソウイチくんの帰りを歓迎しますので、また来れる時にはどうぞいくらでも来て下さい。」
ノリコの祖父はソウイチにそう言って朗らかな笑顔を見せた。
「はい、ありがとうございます。次は…長期滞在しても?」
「一向に構いませんよ。私達は家族ですから。」
温かい眼差しでノリコの祖父は答えた。
二人のやり取りにノリコは手にしていた箸を口元に寄せたままにこりと笑った。
「じゃあ私は食べ終わったのでノリコとソウイチくんはゆっくりと過ごして下さい。一足先に作業へと入らせて頂きます。」
いつもはノリコが食べ終わるまで待っている祖父が、今まで食事の席において先に席を去る事なんて無かった祖父が、そう言って四畳間の部屋を後にした。
だから祖父の行動が不思議に思えて二人は一瞬ぽかんとした。
「…。」
「…。」
「ひょっとして、ばれているのですか?」
ソウイチがノリコにそっと尋ねる。
「…そうなのかな。」
ノリコは顔を赤くしてソウイチの目を見つめ返した。
小川の周りの所々に散らばっている綺麗な透明の石達を見ると、雨見は行きのバスの中で有津世に話した通り、今回はあまりそれには注目せずにそのまま通り過ぎた。そして先にある斜面を望むとおもむろに登り始めようとする。
「えっ、雨見、リュック背負ったままで行くの?」
「うん。だって何処まで上に行くか分からないし置いておいたら却って良くないかな、って。」
「確かに。」
雨見の言う事には一理ある。
…ってかそんなに時間を掛けるつもりなの?………そうか。
有津世は今回来た意味を改めて理解する。
アスレチック体験だ、正に。
「慣れて無いんだしさ、ゆっくりね、良い?」
雨見を前に、有津世は念を押す。
「そんなに心配?」
「いや、心配と言うか、…置いて行かれたら困るし。」
余りにも張り切る雨見に有津世は正直に答える。
「置いて行く訳無いよ~!」
雨見はそう言って笑った。
まあ、そんなに嬉しそうならいいけど。
有津世は深呼吸を2、3回繰り返すと、覚悟を決めて、雨見と共に斜面を登り始めた。
ソウイチの部屋に戻ってしばらくの間籠っていたノリコが、自分のポケットに入れていた石の変調に気付いてソウイチと目を合わせる。
「訪問者…ですか?」
「そうみたい。」
跳ねる様に立ち上がって部屋から出て行こうとするノリコを、
「待って下さい、私も一緒に行きます。」
ソウイチが呼び止める。
「…うん。一緒に行こう。」
ソウイチが立ち上がりノリコの傍に来るのを待って二人は小さな部屋を後にした。
結構な斜面を上がっていると、それだけで徐々に息がハアハアいってくる。
ぎりぎりだな。登れるぎりぎりの傾斜。有津世は思った。
二人の足元はスニーカーでまだまだ余剰体力はあるけれど、これが他の靴だったら少しも上がれそうに無い。落ち葉だらけの地面に沈み込みがちな足元と辺りを見回して有津世は思った。
雨見は先程から目をきらきらさせたまま上へ上へと登って行く。
その内に雨見が足を止めて、有津世もそれに合わせて歩みを止めた。
「…。」
「雨見、どうしたの?」
上から下へと望む雨見は何かに納得した様な素振りをしたので有津世は小首を傾げた。
「何?何を見たの?」
「ううん、途中確認。」
確認?
何の変哲も無い斜面で雨見の言う言葉に有津世はまた小首を傾げた。
「う~ん、行こう。有津世、まだ行ける?」
雨見から聞かれて、まあ行けるけどさあ、と答えた。
これの何がそんなに面白いのか正直分からずに、有津世は雨見の様子を観察しながら斜面を再び雨見と登り始めた。
住宅街の一角。夜も深まり辺りは静まり返っている。
階段を上がり2階の自分の部屋に入る前に、手前のなつの部屋のドアを見る。
「…。」
功は思い立って、ドアを控え目にノックしてみた。
「なつ、もう寝ちゃったか?」
小声で声をかけて、反応が無いのを見てドアの前から立ち去ろうとした所に部屋のドアがカチャという音と共に開いた。
「なあに?お兄ちゃん。」
なつがまだ寝てもいなかっただろうと分かるはっきりとした表情を功に見せて、奥の机の上には卓上用のライトが煌々と光っていた。
「あのさ、なつ、ハンカチ貸してくれねえか?」
「何で?」
間髪入れずになつが怪訝な表情になり語気を強めて功に返してきた。
「え、いや、友喜ちゃんが持つにはなつの持っている柄の方が差し支えないかと思って…。」
功は開き直るしか無い現状に素直になつに経緯を伝える。
「はあ、友喜も大変だね。それ、友喜が一生懸命出して唯一辿り着いた案なんだろうな。」
なつは友喜を一種憐れむ。
「良いじゃん。お兄ちゃん。協力して上げなよ。」
「うん、だからハンカチ…。」
「分かってないな。お兄ちゃん。友喜の求めているのはお兄ちゃんの匂いだっつうんだから、それにちゃんと答えて上げないと。」
「…。」
なつが功の反応を見て更に突っ込む。
「何今更、照れてるの?」
自分でわざわざこんな時間に部屋に声かけてきて、こっちが構えていなければぶっ飛ぶ様な内容の話を言ってきた癖に、この期に及んで何だろう、と自分の兄に対して呆れた思いをなつは感じる。
「ん、そうか。じゃあそうするわ。」
ごめんな、騒がせて、と功は言葉を添えて再びおやすみと挨拶を言い、なつの部屋の前を後にする。
功の背中を見届けてなつは口角を上げると、自分の部屋のドアを静かに閉めた。
自分の部屋に入った功は、クローゼットの観音開きの扉を開きその中に収納している棚の引き出しを開いて無言で眺める。
…ぱっと見で男物っぽい色味のしか無いんだよな、と功は当たり前の事を思う。
その中から適当に一枚選んで手に取ると、棚の引き出しを押し込んで、続いてクローゼットの扉を閉じた。
「…。」
功は一人で顔を赤くしながらも枕にハンカチを広げて敷く。
それを自分で凝視して何秒か思い悩む。
…良いのか…?
こんな事をしているのはきっと自分だけだと思い、一人で赤くなって自分の行動への疑念が止まらない。
まあ、でも、これが助けなんだ、と功は何度も自分に言い聞かせて、意を決した様にその上に横になって自分の頬をあてがった。
「…。」
自分のしている事にまだも気がいってしまい目が余計な冴え方をする。
あー…。
友喜に頼まれてやっているとは言え自分に対しての良いのか?感が拭えない。
悶々としながら目を閉じる。
明日はちょっと早く出なきゃだな…。
無駄にどきどきしながらも、功は自分の予定を思い、自分に対してまたひとつ開き直ると胸の内の変などきどきは薄まっていき、その後いつの間にか寝入っていた。
神社の建物前の、木々の生い茂る山の斜面との境目。
靴を履いてソウイチと外に出たノリコがお気に入りの道無き道の山の斜面に入り込もうとする。
ソウイチが肩に触れてノリコを振り向かせると、
「こちらに近づいて来ている気がしますけれど…。」
ソウイチに言われたノリコが斜面の先の見えない気配に感覚を研ぎ澄ます。
「ホントだ。」
ソウイチと目を見合わせる。
行くかどうか迷って、それでもノリコは斜面を下って行く事に決めた。
「分かりました。行ってみましょう。」
ソウイチがノリコに了解して、二人は一度足を止めかけた山の斜面の道無き道に入り込んだ。
ガサガサと落ち葉に足を時に埋めながら、ノリコとソウイチはなるべく早く進もうとした。
「ノリコ、止まって下さい。」
ソウイチに声を掛けられて、ノリコは足を止め辺りを見回すと、ソウイチの言った意味が分かった。
自分達の足場から少しずれた場所、およそ20メートル程離れた右側の斜面を上がって行こうとする二つの人影が見える。
ソウイチはノリコを見つつ前方を眺めた。
はあはあ息を切らしながら、雨見は尚も目をきらきらと輝かせて上へ上へと登って行く。
まだ行くの?これ、何処まで続く訳?
そう疑問に思いながらも有津世は雨見の後をひたすらついて行く。
不意に雨見が止まる。
そして斜面の遥か向こうをじっと眺めた。
視線を感じてノリコが驚く。
でも感じた視線の先は微妙にずれていて、目の合う事は無かった。
…。
ソウイチはノリコの後ろで、ノリコの陰に隠れる様に腰を下ろしていた。
「ノリコ、あれはこの前ノリコが見たという子達ですか。」
ソウイチが遠くの地面に視線を落としたままで聞く。
「うん。そうだと思う。一人足りないけれど。」
ノリコは黄緑色の光が周りを覆っていた子が居ないのを確認して言った。
あの子達が…。
ソウイチは依然そちらには目を合わせずに、それでも彼等の位置を感じた。
「…。」
ソウイチとノリコは斜面を更に上へ上へと上がって行く彼等の様子を見て、押し黙る。
「…。」
「しばらく戻らない方が良さそう。」
ノリコがぽそりと言う。
「戻っても良いとは思いますが。でもノリコがそう言うなら、付き合いますよ。もう少し、下りましょうか。」
ソウイチは穏やかに笑った。
「雨見…?」
雨見が時折見せる真剣な表情は、ひょっとしたら有津世には分からない何かをキャッチしているのでは無いかと徐々に有津世に思わせ始めていた。
でなければ、こんな場所だってここまで登ろうだなんて言い出し始める事も考えつかなかったのではと思う。
「何かあった?」
雨見はふるふると首を振り、途中確認、とまた有津世に言う。
どうもそれは何度も聞くと胡散臭くて、本当は何を見ているのだろうかと有津世は思った。
斜面は時に緩やかで、時にとんでもなく急勾配で、行きもそうだけれど帰りはもっと気を付けないと危ないのは明白だった。
「よいっ。」
膝くらいまである高さの急勾配の上側に片足を上げると、もう片方の足を続けて運んだ時点で、
「あれ、坂終わり。」
背を見せている雨見から有津世にそんな声が聞こえた。
雨見に続いてようやく隣に有津世が辿り着くと、ぽかんとしている雨見に続いて有津世もぽかんとなった。
「建物?家?…神社?」
一般の家にしては建物自体が桁外れに重厚なものに見えて、神社にしては地味な印象で、でも一番表現として近いのは神社だ。
見渡してみるとこの建物周辺の木々だけ斜面や小川付近に広がるものとは違って、異様と言えば異様なくらいに、木のひとつひとつが非常に大きく成長していた。
そう、それはたまに他の神社とかで御神木とか言われる程の巨木を思わせる大きさで、そんなサイズの木がこの一帯にはそびえ立っている。
小川の場所でも感じたが、この建物の場所はまるで異世界へと迷い込んだ感覚を肌に感じさせるもので、どう見ても目の前の建物は一般住宅なんかじゃ無かった。
木造だがやたらと黒々としていて、年代物を思わせる。
柱なんて一本の木から出来ている柱だろうが、円柱の一本一本が途轍もなく太い。
興味を持って建物にゆっくりと歩み寄ると目の前には風通しの良さそうな開け放ったというかもともと閉め切る扉の無い、縁側から直接中が見渡せる部屋と言うには広すぎる空間を見つける。
昼間なのに縁側のみから光が差し込む構造のせいか中はどんよりと暗くて、二人はその前で立ち止まる。
雨見と有津世が目を凝らして薄暗さに慣れようとしていると、ずり、と奥から物音がして二人は驚いた。
「おや…こんな所に珍しく、お客さんですか…。」
不意に自分達に近づいてくる音を聞きつけ有津世達は思わず身構える。
そんな中、薄暗がりの空間から現れたのは中肉中背の年配の男性で、簡素だけれど丁寧に着込んであるその服はカテゴリー分けをするとしたら和装寄りの装いで、表情からは柔和な印象を感じた。
「…。」
「よくぞこんな不便な所までお越し下さいました。良かったらこちらで少し休まれて行かれませんか。」
男性は尚も喋る。
「あなたは…、」
誰なのかと勝手に訪問しながら失礼な言葉を有津世が投げ掛けようとしたのに被せて、
「杉さん、ですよね?」
雨見が驚きを込めてその名を確認した。
「え?」
有津世が自分の声を遮られて呆気に取られた表情で雨見を見る。
それでも雨見の方がずっとびっくりした顔をしていた。
「杉さん!杉さんですよね?」
「はい、私は…杉ですが…。」
雨見は杉が自分の思うリアクションを取らなくて、一拍後に、あれ?と首を傾げる。
「えっと…すみません。私小学生の頃…5、6年くらい前に確か杉さんとお会いして…。あの、杉さんは言っていました。瞑想をした時に辿り着く小部屋だとか何とか…。そこでお会いしたと思うんです。」
雨見の言葉に杉はようやく、
「…ああ!あの時の…!」
「はい、あの時にお会いした雨見です。あ、こっちは有津世で以前一緒にお会いした友喜ちゃんのお兄さんで…。」
雨見の続ける挨拶と紹介で合点が行った様に雨見達を驚き見る。
「でも待って下さい。私が雨見さん達にお会いしたのは記憶違いで無ければもう少なくとも20年くらいは前だった気がしますが、はて…。」
雨見はその言葉に唖然とした。
「…あ、でもそれあるかもよ。」
有津世が二人の時系列での記憶違いに、クリスタルの中の世界においては過去や未来の人とやり取りをする可能性がある事を示唆した。
「…ああ、そうかも知れません。言われてみれば私も瞑想中にはこの地にはもうとどまっていない先人とも度々会う機会を体験していますし…、なるほど納得です。」
杉は感心して有津世と雨見の両方を見ながら頷いた。
「あ、こんな所で立ち話もなんですし、良かったら中で雨見さんも有津世さんもどうぞ休んで行かれて下さい。」
有津世はぺこりとお辞儀をして、雨見もそれに続くと二人は建物の縁側から靴を脱いで中に入らせてもらい、奥の小さな部屋に招かれた。
四畳間の部屋に雨見と有津世は腰を落ち着かせると、二人は背のリュックを一旦下ろした。
雨見は後ろの土間でお茶の用意をしている杉の姿を時々目で追いながら前にクリスタルの中でやり取りをした杉に今実際に対面出来ている事に不思議さと感動を覚えていた。
「狭い所ですが私は心地良いと思って暮らしております。…どうぞ。」
多少いびつな味わい深い形の湯飲みに淹れたお茶を二人の前の座卓に置くと杉は対面に座った。
「ここは、神社なんですか?」
部屋を興味深く眺めていた有津世が問いを発した。
「はい。神社です。とは言っても、一般的な知られている神社とは違い、ここは誰にも知られていない神社です。ですから、あなた方の様なお客様はとても珍しいのです。」
有津世が答えを受けて、湯飲みを手に取りながら杉の言葉に頷く。
確かに見た所、神社の雰囲気は多少感じるけれど、外からの訪問者に対しての設備とか、何も無いと思った。
手水とか、賽銭箱とか。
それに、空間ごと、ここは何かが違う。
ひょっとしたら、雨見はそれを察知して斜面を登りたいと言ったのか。それは後で雨見に確認するとして…。有津世はお茶を口にしながら色んな考えを巡らせた。
お茶をひと口喉に通してから雨見が口を開く。
「杉さん、私にとっては5、6年前ですけれど、杉さんにとっては20年くらい前…。あの空間でお会いした時、杉さんは木が宇宙エネルギーを受け取るのを遮られているって言っていましたよね。それって解決したんですか?」
「…いいえ、完全には解決はしておりません。ただ、最近はこの地と他の場所の波動が徐々に上がってきた事で、その流れを汲んで、機能が眠ってしまう事だけは何とか防げている様です。」
雨見が目をぱちぱちさせながら杉の言葉に自分の理解を追いつかせようとするべく、分からない部分を聞き返す。
「機能?遮られていても、完全には遮られてはいないって事ですか?」
「はい。降る宇宙エネルギーもその様に上手く調整をしてくれているのでしょう。そしてエネルギーの質もこの頃は変わってきました。」
そこまで喋ると、杉は自分の分のお茶を静かに口にした。
雨見は有津世と顔を見合わせる。
宇宙エネルギー…。エールの事だ。
確かに、あちらの世界の樹が一回枯れてから、持ち直してエールを送れる状態になって今に至る。
ツァームの説明で、その訳はアミュラももう知っていたし、その前に有津世から説明を聞いていた雨見は既にそれを知っていた。
「私達、前に会った子もですけれど、別の星の記憶があるんです。それは今の、杉さんの話とも、連動していて…。」
「はい。前にお会いした時も確か、その様に仰っていましたね。その世界を助けたいと。あなた方は、私の受け継ぐ伝承の方々であると、私はお見受けします。」
「…杉さんの、受け継ぐ伝承?」
雨見が身を乗り出して聞く。
「はい。」
杉が厳かに答え、有津世と雨見に頷いてみせた。
「世間には出回っていない、この地の昔を語る伝承があるのです。それは雨見さんがあの小部屋で私に教えて下さった話とも符合する、まさにこの地とも繋がり得る内容です。」
有津世と雨見は顔を見合わせた。
それはツァームが石碑の主から引き継いだ知識とほぼ同じで、興奮した有津世と雨見の胸の奥からは、かっかと熱が湧いてきた。
「雨見さんと友喜さんに瞑想の小部屋で会った当時、私はその事をまだはっきりとは理解していませんでした。伝承自体は知っていた。けれども当時聞いた話からは、自分の中ではまだ確信が持てなかったのです。ですが、あなた方に会った後から、流れが変わったのです。」
「流れが変わった?」
有津世が雨見と顔を見合わせて杉に向き直った。
「変わりました。雨見さんと友喜さんに出会うまでは、私の瞑想した時に行き着く小部屋で誰かと会うのさえなかなか機会が巡ってきませんでした。ですが雨見さんと友喜さんに出会った後の瞑想において、色んな方達との交流の機会が得られる様に変わりましたし、おかげ様で雨見さんや友喜さんの話してくれた内容が私の知る伝承と繋がり得る事に私はようやく気付けました。前に話して下さった話が、どんなに重要な事柄であるかを、私はようやく知れたのです。ですから雨見さんと友喜さんに出会えた事が、私にとって流れの転機となったのでお二人にはとても感謝しております。」
「私と友喜ちゃんのした話が役に立ったんだ…。」
雨見は嬉しそうに感慨を口にした。
「勿論、私は以前お会いした時のお二人の話がとても重要なものだと知ったと今言いましたが、変化を私に下さったのは、何も言葉だけではありません。」
雨見は杉の言葉を聞いて首を傾げた。
「言葉だけでは無い?他に何かをした覚えは全く無いんだけれど…。」
有津世は雨見を見てから雨見と共に杉に注目した。
「何かをする。それは行動、という事でしょうか。行動だけが作用するのではありません。例えば、ただ存在する。その事が物事を大きく動かす。そんな時もあるのです。」
「ただ、存在する…。」
「はい。言わば中庸の状態です。自分が自分の芯としてただそこに存在する事に、実はものすごく力のあるという事に多くの人が気付いていません。」
雨見や友喜が杉にとってその様に作用した…。
有津世は杉の話を聞きながら、ツァームと関わりのある石碑の主の事を思い出していた。
何故なら杉は、石碑の主と印象がとてもよく似ていると感じたから。
小川を前に、ノリコが膝を抱えて座りながらただひたすらに流れを見つめる。
さらさらと穏やかな流れを隣に座って一緒に見ているのはソウイチだ。
「あの…、」
ソウイチが静かな声で言葉を発した。
「石に願ってみては、くれないのですか?」
「…。」
石に想いを伝える。
前回ソウイチは危うい場面からノリコを回避させてくれた。
石に想いを伝えた結果だと言う。
そしてノリコもそれを使える様になりたいと望んだ。
願わくば、ノリコもそうした方法で自分に会える事を望んでくれているのを、ソウイチはこの目で見ておきたかった。
「…今、ここで?」
「あなたはそういう事を、気にしない質なのではと思っていたのですが…。」
何と無くやりにくいと言いたげなノリコに、一緒に過ごした最初の一か月の間にノリコが小川の石達と毎日平気で会話していた事を思いソウイチは言葉を返した。
そういう訳じゃ無いんだけれど…。
ノリコに言わせてみれば、昨日の夜から今朝の先程に至るまでの体験で自分の感覚が大どんでん返ししてしまった感があって心と体を取り巻く余韻でそれどころでは無かった。
だけれどソウイチの言う事ももっともで、今会えているこの貴重な時にそれを確認しておく事は有効な手立てだとも思ったから、ノリコはほんのりと頬を赤らめながらも自分の服のポケットから透明な小石を取り出した。
「想いを、伝えてみて下さい。」
ソウイチが静かに話す。
「想い…。」
「はい、そうです。」
ノリコは手のひらに載せた石を見つめると、ソウイチをちらりと見やり、また視線を石に戻す。
「…。」
ノリコがしばらく黙りこくって石を見つめた後、石が一瞬視界を白塗りにするかの如く発光した。
次の瞬間には何事も無かったかの様に光は静まり返る。
ソウイチはその現象を見て満足した様にノリコに微かな笑みを見せる。
ノリコもふうっと息をついてソウイチの笑顔に自身の頬を緩ませた。
神社の建物の奥の四畳間。
まだ話をしていたいのは山々だけれど、ここから下に下るのと、持って来た昼食を食べる時間も考慮するとそこまでゆっくりしてもいられない。
お暇する時間を見計らいつつも有津世は杉に尋ねた。
「杉さんはここに一人でお住まいなんですか?」
「いえ、孫娘と一緒に暮らしています。遊びに来てくれている家族と今は外出している様ですが…。」
外出…買い物とかかな。
雨見は思った。
「あ、お茶ご馳走様でした。」
有津世が礼を言いながら立ち上がる。
「もう行かれますか。」
「はい、そろそろ。バスの時間もあるので…。」
「バス…下に通っているあれですか?ここからは随分距離がありますが…。ここの建物に来る時はどう来られたのですか?」
山の斜面を登って、と有津世は答える。
「そうですか、さぞかし大変だったでしょう。どれ、では下りやすい道筋をお教えしましょう。」
リュックを背負い直す有津世達を見て、杉がひと足先に廊下を行く。
外に出た有津世達は自分達が上がって来た付近を杉に教えると、
「それは幾分かきつい場所から来られましたね。もう少し楽に行ける道筋があります。こちらに…。」
杉が指差す方向を有津世と雨見は眺める。
「孫娘が毎日の様に通る道筋です。途中途中の木に印がありますから、そこを見てジグザグに行きますと一番安全に行けると思います。登ってくる時にも同じルートを使えます。」
まあ、こんな不便な場所ですけれど今度もしこちらに訪問して下さる事があれば、と杉は言葉を付け加えた。
有津世と雨見は礼を言い、有津世は終ぞ言葉にしていなかった自分の中にあった疑問を杉に投げかけた。
「あの…杉さんは、石碑の主の流れを汲む方では?」
「…石碑…、ああ、確かノリコもそのような事を言っていました。」
「?」
「ノリコとは孫娘の名前です。あの子は私とは違う方法で伝承を今学んで取り込んでいる所です。そのノリコが言っていました。私達のグループの一部の者は、有津世さんが今言った石碑の有る地に移ったのだと。それは私の知る伝承とも符合しており、私はこの地に残った内の一人の流れを汲んでいます。伝承という枠組みでみるのならば、有津世さんが正に仰る通りだと思われます。」
有津世が納得して頷くのを見て、杉はふと思い出した様に雨見と有津世に尋ねた。
「…もしかしてあなた方は以前にもこの近辺に来られましたか?」
「あ、この斜面の下には2週間ほど前に。…なんでそれを?」
杉がああ、と言う顔をして朗らかな口調で続ける。
「ノリコが若い男の子一人と女の子二人を下の小川付近で見かけたと先日話していたものですから。この建物への来客はもっと珍しいですが、下の小川の場所自体への来客も珍しいので…。」
「…。」
雨見が思い出してふと杉に問いかける。
「あの私達、前回は友喜ちゃんとも来ていて三人で確かに下の小川に来ました。その場所に足を踏み入れた時に不思議な音を聞いたんです。振動も感じました。足を踏み入れた場所からしても空気は他と桁違いに気持ちが良いし、この場所も…。それと何か関係があるのでしょうか?」
杉はゆるりと雨見に頷いてみせる。
「下の小川からこの地は特別な結界が組まれていますので、まず他の人は立ち入れない仕組みになっています。感じる空気の違いはそれに因るものでしょう。音と振動に関して言うならば、あなた方は歓迎されている、この地からのメッセージでしょう。」
じゃあ自分達は…。他の人判定されなかった事を思い有津世は一瞬考え込む。
雨見は杉の言葉で胸の内のモヤモヤがひとつ払拭出来てほっと出来たみたいだ。
「あ、すみません。帰ると言ったのに立ち話を長々と…。」
雨見が慌てて謝る。
「いいえ、むしろ、私の方が話せば話すほどお伝えしたい事柄が増えていく様です。今回訪問して下さったあなた方に、こうして会える機会を下さった事に感謝いたします。どうかお体にご自愛下さいます様。出来る事ならば、またこの様に会って話をする機会が望めればと思いますが…。」
何しろ不便な立地なもので…と杉は言及した。
「一度、杉さんとはクリスタルの中で会えたから、クリスタルの中でもまた会えると良いんですけれど…。」
クリスタルの方では狙って会えるものでも無いし、今日みたいにまた実際に来てここまで登り切るのには覚悟が要るのも分かった。
何より雨見が気になるのは再度有津世がこれに付き合ってくれるかだ。
「クリスタル…ああ、前回会えた瞑想の小部屋ですか。それも巡り合わせで必要があらばそうなるでしょう。今、この時点で会えた。それは必要な事だから起こりました。」
杉は穏やかな顔で言う。
「お気を付けて。」
杉は柔和な微笑みで有津世と雨見に挨拶をして、有津世達は杉に礼を言って後ろ髪を引かれながら山の斜面に足を踏み入れ始めた。
・有津世と雨見が杉と会ってお茶する場面での杉の言う「伝承」についての記述を加筆修正しました。
・文の言い回しの修正を複数箇所で行いました。(2026年1月19日)




