内緒話
眠ると意識が何処からも入らなくなる。
起きている時にはぽわぽわの意識が常に自分の意識とほぼごちゃ混ぜで入って来る状態を感じながら、それに疲れて眠り込む度に安堵の静けさをやっと味わった。
束の間の安堵は文字通り束の間で、ずっと友喜をそのままの状態にしておいてはくれない。
そろそろ何とか出来ないと辛いかも知れない。
皆で集まる日が迫りつつあり友喜は思う。
…そうだ、痛みの刺激。友喜は思いついて途中まで実行しようとするも、考えがまた別の危険な発想に及びそうなので止めた。
おんぶに抱っこで縋りたい訳じゃ無いけれど、発想に詰まると行き着くのは変わらず功で、友喜は功を想っていた。
自分の発想力乏しいんだもん。
兄の有津世が雨見と今日は朝から先日三人で行った河原に再び行くと言って出掛けたので友喜は留守番だ。有津世が家に居る時はある一定時間過ぎると貸してとせがんでくる家族共用のラップトップコンピュータを今日は友喜の部屋の机にずっと置いていた。
「あ、ねえ、ちょっと。」
頭を抱えて自分の席で俯いていると画面の中から声がする。
「へ?」
「何悩んでるのよ。アタシで良かったら聞きましょうか。」
ツピエルがツピエルらしからぬ丁寧な言葉で友喜に話しかけてきた。というかいつの間にか画面に出現していた。
「…。」
何をどうやったらこんなに大人しそうに(見た目は今でもウッとなるけれど)、(一見)礼儀正しく振舞えるように変化するのだろうか。
ツピエルを何とか自分の中で克服した後で有津世と雨見から聞く所によると、どうやら則陽と梨乃の影響が大きそうとの事だ。
「…。」
「…。」
「実はね、意識がね、こっちの世界とあっちの世界で重なって感じちゃうの。このままじゃ、日常、送れないよ。」
友喜の話し始めるのをツピエルは待っている様だったので、友喜はしょうが無く自分の今の悩みを話してみた。
「ふうん、シャットアウトすれば良いじゃない。」
「それが出来ないから悩んでいるの。」
話が通じていないのにイライラを募らせながら友喜は返した。
「あら、そう。」
「…。」
分かってはいたけれど、最初からお話にならない。
実は友喜自身がツピエルに近い感覚を持ち合わせているのが傍から見れば伺えたけれど、彼女自身はそんな事は露にも思わずにツピエルの反応に呆れていた。
「あ。」
「どうしたのよ。」
「…。」
友喜はツピエルには何も返さずに下の階へ行った。
テレビにゲーム機のクリスタル画面が映るのを2階に居ながら感じたのだ。
リビングのソファに座るとツピエルも移動を済ませてテレビのゲーム画面に映り込んでいて友喜は少々ビビった。
「…は、早いね。」
「そうでもないわよ。」
落ち着き払って答えるツピエルを一瞬ぽかんと見つめてから、ふうと息をつき、友喜は話し始めた。
「最近さ、クリスタル疎かにしてたんだよね。だってここからじゃ無くても何度かあっちの世界に行っちゃったんだもん。今はぽわぽわの行く所であればそれを知覚する事も出来るし。」
「あら、そう。あなたにとってはそうなのね。まあでもこれが必要な面々もいるんだから、決して役立たずな訳じゃ無いわよ、この画面は。」
「うん、そうかもね…。もしクリスタルの中に飛んだとして、その中でも意識はごっちゃなままなの?」
「飛んでみない事には、それは分からないわね。」
ツピエルの言葉に友喜はゲーム機のコントローラーを手に取り、クリスタルにカーソルを合わせてAボタンを押してみた。
明るい黄緑色の四角い空間に、ぽつんと友喜が立っていた。
意識はすっきりと澄んでいる事に友喜は気が付いた。
これは今ここに居る、…友喜自身だけの意識だ。
友喜は嬉しくなった。
思わず頬を緩めてその場でくるっと回ったら、友喜以外の人影に気が付いた。
「え…?」
もう一度振り返り見ると、その人影は功だった。
「あっ…。友喜ちゃん…。」
功が思わず大きな声で友喜の名を呼んだ。
友喜も負けずに功に呼びかけた。
「功お兄ちゃん!」
澄んだ意識に、功に会えた幸運も重なって一気に友喜は上機嫌になり、うきうきで話しかけた。
「功お兄ちゃんお仕事は今日はお休みなの?」
「いんや、仕事、行ってたよ。帰って来てご飯も風呂も済ませてもう夜中。」
「あ、そうか、なら私の方と時間が違うんだ。こっちは今昼間なの。」
確かめた所、日にちは同じで功の方の時間が半日以上進んでいる様だ。
ほんの僅かなやり取りだけでもう二人は頬の血色を良くして、異空間に今自分達が二人きりで居る事に意識を巡らせた。
二人はその場に楽な姿勢で座り込む。
「友喜ちゃん、どう?ちょっとは落ち着いた?」
功の問い掛けに対して、友喜はふるふると首を振る。
「今この空間でだけは、ぽわぽわの意識の影響を受けないみたいで、久し振りの感覚…。元の空間に戻ると、意識が両方入り込んできて騒がしいの…。」
「そうか。」
友喜は不満気な顔で功に伝えた。
「そう言えばさ、なつに石、渡しといたよ。」
功の言葉に友喜の顔色がぱっと明るくなった。
「ありがとう。なっちん、喜んでくれたかな。」
「うん。多分さ、友喜ちゃんの予想以上には。なつもさ、中の神獣が見えるって驚きながら喜んでいたよ。」
友喜は、ほえ~、という顔になって、やっぱりこの兄妹はすごいんだな、と改めて感心した。
「今ね、お兄ちゃんと雨見ちゃんは石を拾った河原にもう一度行っている所なの。」
「友喜ちゃんは行かなかったのか?」
「私はこの状況を打開したくて…今回はパス。」
友喜が再びぶすっとした表情になった。
「…。」
功が友喜の表情の移り変わりを見て一瞬口をつぐむ。
「功お兄ちゃん、どうかした?」
「ん?いや、この空間何だろなって…。」
「…ああ。うん。」
何だろう、私も分からない、と友喜は答え、でもね、と続ける。
「奈巣野さんとはいつもここで会うの。だから…功お兄ちゃんとも、こういう形で会える時はこれからもこの空間でなのかな。」
友喜は期待を込めて功に言ったけれど、功の反応は違った。
こんな密閉された空間で則陽と何度も会ったのかよ、と、納得いかない思いを功は胸に抱いて、更には、
「友喜ちゃん、ここって結構な…密室だよな。」
文句を飲み込んだつもりが、飲み込み切らなくてぽろりとこぼした。
「密室…。」
友喜は功の真意を知る由も無く、今この場で功と一緒にこの場所に居る事に限定してその言葉を受け取って頬を赤らめた。
友喜の反応に功が自身の言葉を顧みる。
「…あっ、いや、そういう訳で言ったんじゃ…」
無いって事も無いか…。
撤回しようとして功は途中で言い留まった。
ちらりと友喜を見ると友喜が声を出してくすくす笑っている。
とても楽しそうで、功もその表情につられて頬が緩んだ。
「何?そんな可笑しかった?」
功が聞くと、
「そうじゃ無いけど、会えて話を一緒に出来ている事が嬉しくって。」
友喜は尚も笑って功に答えた。
則陽に対する毒気が抜かれて、功は静かに息を吐くと友喜に微笑んだ。
二人だけの空間に温かさを感じて。
空気全部が友喜と功にとって心地良かった。
「あ、ねえ、功お兄ちゃんにひとつお願いがあるんだけど…。」
意を決した様に言葉を発した。
「私に貸しても良いって思う何か小さなもの…例えばハンカチとかを…、思いっきり功お兄ちゃんの手とかで握ってから、土曜日に私に貸して欲しいの!」
友喜は言い終わると、顔が真っ赤になった。
「…手で、握る?」
功は聞き返した。
「ああ、うん。そう。あ、それが嫌なら寝ている時に枕に敷いたのとかでも良いから…、はっ!」
言う事がさっきよりもフェチじみている事に友喜自身が気付き、恥ずかしさで真っ赤になるのと汗が止まらなくなった。
「え…つまりそれは…俺の匂いを付けろと?」
功も赤面になって変な汗が出始める。
ど直球の表現で確認を促され、友喜は目を瞑って、ぶんと首を縦に振った。
「ってか何で?え、友喜ちゃん、寝ぼけて無いよな?」
何を聞かされているのか分からない功は、動揺して友喜の状態を再度確認しようと顔を覗き込もうとしてきた。
「ちっ、違うの、違うの!功お兄ちゃんの香りを嗅げば、意識がこっちに集中出来ると思ってっ!」
「あっ…、なるほど、そういう事か…。」
林の道の途中で、木の幹に寄りかかり、功のくちづけを受けた瞬間、強力に友喜の方の意識に集中させられた事。
色々試した上で、有効な手立てがそれぐらいしか思いつかなくて、と、打ち明けるのに恥ずかしさで倒れそうになりながらも友喜は何とか主旨を功に伝える事が出来た。
「…でも俺、匂い、すんのか。自分で気付いて無かったけど…それって、臭いとかじゃねえのか。」
「えっ、ううん、そんな事無い!とっても、とっても良い香りなの!ホントに!私にとっては!」
勢い込んで功をフォローしたつもりだったけれど、友喜は言い終わってから自分がまたもやとんでもない事を言ってしまったのではと気付いた。
今まで功をどういう目で見てきたのかが見透かされる様で、友喜は今の発言を消去してしまいたいと思った。
「わああああっ!」
功の視線が刺さる様だ。実際には彼は困惑して顔を赤くして友喜を見ていただけだったけど。
両手のひらで頬を覆って功から、ふいっと顔を逸らす。
「べっ、別にっ…フェチって訳じゃあ…」
言いかけて、友喜はこれ以上傷を広げるべきでは無いとようやく気付き、口をぎゅむっと結んで手で抑え、功に背を向けて膝を抱え込んだ。
後ろ姿からちらと覗いた彼女の横顔は耳の先まで赤くなっていた。
「えっと…。」
コホンと咳払いをした功が言葉を紡いだ。
「俺のさ、持ち物が友喜ちゃんの意識を調整するのに役立つんなら喜んで。早い方が良いならさ、…いや、何でも無い。土曜日会った時に…な。」
友喜はちらっと功を盗み見るも、そっぽを向いたままだ。
「てか、せっかく会えているのに顔を向けないなんて勿体無さ過ぎないか。」
寂しげな声音で功が訴えるのを耳にした友喜は、ようやく功に振り返った。
「あ…。ごめんなさい。」
「別に謝らなくても良いけど。俺の勘違い指数が上がったって思っていてくれてれば、それで済むから。」
そう言って功が笑う。
友喜がその言葉におもむろに首を振った。
「勘違いなんかじゃ無くて、…ホントだもん。」
友喜はそこは譲れないらしい。
照れ隠しに頬を膨らませながら功に言う。
「ん…。分かった。ありがとう。」
穏やかな功の言葉と表情で落ち着きを取り戻した友喜は改めて功と顔を突き合わせた。
今もお互い赤面で、真顔で僅かに上目遣いな友喜に功はふっと笑った。
「ここに存在してるのは意識体だけなんだろうけど、不思議だな。こうして触れて、体があるって感覚もある。」
功はぺたぺたと黄緑色の床を手のひらで触れながら興味深く言った。
「うん。今まで意識した事無かったけれど、言われてみるとそうだね。」
友喜は周りを見回しながらもその点については若干どうでも良いみたいであっけらかんと答えた。
「…。」
やっぱりここ、密室空間だよな…。
功は則陽の事を思い出して一瞬眉根を寄せる。
「あ、そうだ、ここ、いつまで居られるか分からないんだよな。」
「そうだよ、いきなり消え始めるから。」
「じゃあ今のうちに…。」
ちょいちょい、と功が友喜に手招きして、それを見た友喜が気だるげに四つん這いで功に寄って来た。
「…。」
他でその動き見せて無いだろうな?
功の目の前に来るとちょこんと鎮座してじっと見てくる友喜に功は思い悩む。
友喜の頬に手を伸ばしさわさわと撫で始める功に向かって、
「こ、功お兄ちゃん、やっぱり…私…、」
友喜が思い詰めた表情で言いかけた。
「ん?どした?」
徐々に顔を友喜に寄せてくる功は聞き返す。
「…う…、何でも無い。」
喉の奥を詰まらせた様に言い首を振った。
功が顔を近づけてくると毎回感じられる香りが、友喜にはとても大切なもので。
本当はこの香りにいつまでも包まれていたい。
香りに触れる度に思っていて。
でも伝えようとしたら変になったし、蒸し返す訳にはいかないし。
でもでも自分の意識を友喜自身の側に寄せておくにはやっぱりこれしか無いと、友喜は胸の内で思った。
香り、嗅いだら取っておければ良いのに…。
至近距離に居る友喜が意識的に息を大きく吐いてから思いっきり吸い込んでいる姿に、功は更に近づけようとした顔を止めて眺める。
それがあからさまに何を意味しているのか分かってしまって、功は思わず自分の服の匂いを確かめた。
…別段変わった匂い、して無いはずだけどな…。
功は、ふっ、と笑いが漏れてしまう。
功の顔が近づいてくると思って目を閉じていた友喜は間延びしたタイミングに目をぱちくりと開けて目の前の功を眺めた。
すると功の顔は至近距離にあって、笑いかけてきた。
友喜の頬は更に、ぼっと上気する。
「…友喜ちゃん、明日の朝さ、起きたらポスト見てみて。」
「ポスト?」
「うん。友喜ちゃんは朝は何時くらいに起きてるか?」
「7時とか、8時とか…。」
たまに9時とかもあるけれど。友喜は心の中で思う。
「ん~じゃあ8時過ぎくらいか。起きたらポスト見て。」
「…。うん、分かった。」
お手紙、入れてくれるのかな。
友喜は功の顔をぼうっと見る。
その内に二人の体の周りには白い細かな光の粒子が現れ始めた。
「あ、消えちゃう…!」
「その前に…」
一瞬だけでも、と、功が友喜の唇に自分の唇を重ねて、短いけれど濃厚なくちづけを二人は交わす中、功がその息継ぎの合間に友喜に、おやすみ、と呟く。友喜もそれを受けて、おやすみなさい、と呟き返した。
気が付くと今はまだ昼間のリビングでソファにかけている自分が居て、ツピエルが興味深そうに友喜の顔を見つめている。
「入れたみたいじゃない。ちょっとは良かったんじゃないの。」
悩んでいる友喜に対してツピエルが割と気遣わし気な声かけをしてくれた。
「うん。ちょっとどころか…すごく良かった。」
友喜は頬を染めて何処か夢うつつでクリスタルの中での感想を端的に表現した。
夜の吉葉家のダイニングテーブルの席で2冊の本を広げていた視界が戻ってきた。
功は目の前の、図書館に返す事が叶わなかった大きな本を眺める。
…会えた。
だからこの本はやっぱり友喜ちゃんや則陽の言うゲームのクリスタルと同じ作用をしていて…。
感慨を胸に、功は2冊の本を閉じる。
テーブル脇の棚にそれをしまうと、功は早々に2階の自分の寝室へと上がって行った。
てっきり友喜も一緒に来ると思っていた雨見は、朝、家の玄関前で見たのが有津世の姿だけだった事に驚いた。
「あれ?友喜ちゃんは?」
「うん。今日は行かないって。歩きながら話すよ。」
有津世が雨見に答えた。
今日の雨見は長袖の麻素材の紺色のシャツに同じく麻素材で微妙にピンク色がかったベージュ色のロングパンツといった装いで、ストロー素材の帽子は前回と同様始めから被り、日差し対策は今回も万全だ。
雨見は母お手製の天然素材のみで作られた虫除けスプレーをリュックから取り出しシュッシュと自分にかけると、有津世は持ってきた?と聞く。
「ああ、あれ友喜が持ってるから。」
忘れた、と言うと雨見がスプレー容器を、はい、と有津世に渡してくれた。
「ありがとう。」
雨見のを付けさせて貰うと、有津世は雨見にスプレー容器を返した。
「友喜がさ、常にぽわぽわの意識も流れ込んでくるようになったみたいで、今ちょっと混乱中なんだ。」
「常にぽわぽわの意識が?…あ、それで。」
思い当たる様な節を匂わせる返しに、有津世は首を軽く傾げた。
「もしかして夢で何かあった?」
「うん。その時のアミュラは何も不思議に思わず聞いていたけど、目が覚めてから思い返してみると友喜ちゃんの返答だったな、って思った出来事があって。」
「そうか、アミュラはぽわぽわとも会話が出来るんだもんね。」
「うん。妖精達とのコミュニケーションともまた別の方法だけどね。」
林の道を歩きながら有津世は隣の雨見の横顔を伺う。
「それでどういう感じで友喜みたいだったの?」
興味を持って尋ねた。
「えっとね、アミュラがツァームの事をぽわぽわと話題にしていたの。その会話はまあ、いつもの会話でね…、」
雨見は内容を一部誤魔化した。
「そしたらね、ぽわぽわが、お兄ちゃん、ってツァームの事を呼んだの。アミュラはぽわぽわがその後言い方を呼び直していたのを素直に聞いていたけれど、ふふ。」
「…まあ、相当、混乱している、って事かな。あ、でも友喜なら、混乱して無くても、呼び間違いはしそうだけど。」
有津世の返しに雨見は、ふふ、と笑ってから今日来れなかった友喜の事を想った。
「友喜ちゃん、お出かけ無理な程なんだ。土曜日、大丈夫かな。」
「土曜日は吉葉さんが来るからね。友喜は頼りにしてるだろうし。」
「ああ。」
雨見はまだちらりとしかその姿を拝んだ事は無かったけれど、友喜と功が隣り合っている姿を想像するだけで、ぽおっと頬が赤くなった。
「あのさ、ちょっと前から思っていたけど、雨見って人の事でそうなるよね。何で?」
有津世が口出しした。
「え?だって友喜ちゃんだよ?友喜ちゃんが恋人の吉葉さんと一緒って、素敵過ぎて…。」
色々と想像しちゃう、とまでは雨見は言わなかったけれど。
まだ功と友喜が付き合っていない頃に、友喜から聞かされた話できっと散々、友喜の想いを受け止めたのだろう。
前には無かったと自身で思い込んでいた共感能力が実は雨見にも多分にあって、友喜に関しての雨見のそれは群を抜いて能力値が高い様だ。
友喜の事で赤くなっている雨見を見る度に、功に対してに見えてしまって有津世は面白くない。
有津世がぶつぶつ言いたげな顔で、やがて二人の歩く道は林を抜けて商店街入り口へと差し掛かる。
「あ、お菓子どうする?」
「また寄って行こうか。時間…うん、大丈夫。」
雨見が左腕に着けたブレスレット型の腕時計を見て有津世に答えた。
お菓子の補充を駅近くのコンビニエンスストアで済ませ、河原方面行きのバス停で二人はぽつんとバスの到着を待っていた。
雨見はゴソゴソと自分の服のポケットから前回行った時に拾った石を取り出して眺める。
「雨見も持って来たんだ。」
「有津世も今日も持って来てるの?」
うん、と答えながら有津世も自分の夏用の薄手のパーカーのポケットから石を取り出して雨見に見せる。
「最近はさ、何処かに出掛ける度に、必ず持ち歩いているんだ。」
「へえ~。」
雨見はそれを聞いて、自分もそうしようかな、と思う。
話している内にバス停にバスが入って来て、二人はバスに乗車した。
早朝の朝日が差し込む光を感じて、ノリコは薄っすらと目を開けた。
目の前に服の上からでは分からない立派な胸板があって、ソウイチはまだスヤスヤと眠っている。
自分の服がはだけているのをさっと直すと、布団から出ようとした。
「…ノリコ。まだ、行かないで下さい。」
寝ぼけまなこでソウイチが静かにノリコにせがむ。
腕を引き寄せられて、ノリコはソウイチの横になっている布団に潜り直した。
バスの二人掛けの後部座席に有津世と雨見は座り、バスが移動する中、雨見は有津世に話す。
「今日はね、石はもう拾わないんだ。小川のあの斜面がね、何か気になって。ちょっと上ってみたいかも。」
「え、雨見、本気?」
あんな斜面、上がれるかなあ、と有津世は言う。
「そのための装い。上ってみて無理だったらそれ以上はしないから。良い?」
「良い?って言うか、それ、俺もするしか無いじゃん。」
雨見にだけ危険な事はさせられないし…。有津世は思う。
「じゃあ今日の目的は河原と言うよりはアスレチックなの?」
頷く雨見に、すごく良い運動になりそうだね、と有津世が言う。
「うん。張り切っちゃう!」
雨見がはしゃぐ。
そんなに嬉しいものかなあ。有津世は、はあ、と息を吐いて、雨見の態度に頬を緩ませる。
雨見は前回行った時に自分では無い視点が何故だか見えた事を、説明がつかなくて説明しようが無くって有津世や友喜には言わなかった、というよりは言えなかった。
その視点からの景色を、その場まで行って見てみたいという想いが漠然とあって、何だかその体験が必要だと思った。
それがどういった意味合いを持つものなのかが、少しは分かるかもと思ったから。
バスは順調に運行して、雨見達を目的の河原近くのバス停まで運んだ。
バスのステップの手すりを掴みながら慎重に下りる雨見を先に下りた有津世が振り返り見守る。
最後に一飛びでぴょんと下り立つと、行こう、とどちらからともなく声をかけて歩き出した。
今回バスの乗客は始めから最後まで有津世と雨見の二人だけだったし、それ故のバスの本数の少なさなんだろうな、と有津世は思いつつ、去って行くバスを尻目に河原へと通じる小道を探し当てて雨見と一緒にその先を行った。
周りが見渡せる河原部分へと着くと、今回も他の人影は見当たらなかった。
この場所は忘れ去られたのだろうか、と思うくらいに閑散としている河原を眺めて有津世は不思議に思った。
何故なら小学生の時に友喜と一緒に父に連れられて来た時には、そんなに多くは無くても人が確かにぽつんぽつんとは居たからだ。
首を傾げつつも、張り切る雨見と共に上流側へと足を進めた。
河原と呼べる場所から一歩、鬱蒼とした木々の陰に包まれている地へ足を踏み出してみる。
と今回は前回と違って不思議な音が鳴り響く事も地響きも感じられなかった。
踏みしめるとたまにカサカサと音が出る落ち葉混じりの地面を進みながら、有津世は雨見が既に斜面を見上げているのを見た。
雨見は確実に斜面の先に心奪われている様で瞳をきらきらと輝かせている。
何が雨見をそうさせたんだろう、有津世はまた浮かぶ小さな疑問を胸に抱きながらも、遠慮無くどんどん奥へ突き進もうとする雨見に思わず声をかけた。
「ちょっ、雨見早いよ。行くのは良いけれど、一緒に行こうよ。」
はぐれるのを恐れての発言だ。
対して雨見はうずうずしている様だ。
「分かった。でもね、やっぱりここ、空気、良いよねえ。体が軽いの!」
嬉しそうに有津世に返す。
「うん、確かに。」
どれくらい軽いかと言ったら、ツァーム達の世界での空気の軽さを思い出さずには居られない程だ。
雨見がこの場の空気をそう表現して、有津世もそれに同意した。
有津世と雨見だから通じる会話だが、ぽわぽわの意識が常時通うようになった友喜にも今は通じるだろうなと思う。
「川幅そんなに無いけれど、一応気を付けて。」
先に小川を対岸にと跨ごうとする雨見に有津世は声をかけた。
「はーい。」
雨見は軽々と対岸に渡って、有津世もそれに続いた。
文の言い回しの修正を複数箇所で行いました。(2026年1月18日)




