一滴(ひとしずく)
一滴、落ちてくる。
私は手のひらに受け止めて気持ちを聞いた。
羽ばたく準備は出来ている。
さあ私に許可を下さい。
あなたの一滴をきっと届けるから…。
カフェのテラス席に、たった一人で居たなつが勉強の手をふと止め、目の前の通りを眺める。
この時間になると人が再びまばらになってきて、カフェ店内の席には落ち着いた夜の雰囲気が漂っているのが外からも伺えた。
カフェ沿いの道を歩きながら、なつが一人テラス席に居るのが見えて功は足を速める。
「ごめん、なつ。遅くなったわ。」
テラス席への階段を歩幅を大きくして何段か飛ばして上がりきると、席の前まで辿り着き功が言った。
「良いよ。」
なつはそう答えると勉強道具をしまい始めた。
「残業?」
「…いや、電車の遅延で…。」
まあどっちにしろ、しょうがないよね、と、なつは返しながら、片付けを終わらせると功の顔を見る。功はなつに、出来たか、と確認すると、
「家帰ってから作るんじゃ遅いから今日はあそこの店、寄ってくぞ。」
「やった、ラッキー!」
功の言葉になつが途端に表情を明るくした。
じゃあ行こう、と功が言って、二人はカフェを後にした。
「…。」
ラッキー…か。
功は駅でもその言葉を小耳に入れたなと思いつつ、なつと商店街を歩いて行った。
都内アパート。
ベッド脇に座りながら則陽と梨乃がそれぞれに案を出し話し合っている。
「お料理、美味しそうな所が良いよね。ここなんかどう?」
「うん。良さげだね。あ、梨乃、こういう所は?」
梨乃は夕食がビュッフェスタイルの宿を選んで則陽に言い、則陽は二人きりでゆっくり夕食の取れる宿を梨乃に提案する。
「そういうのは泊る所じゃなくても行けるでしょ?」
「則ちゃんだって。」
「俺のはほら、ここでしか取れない海産物が出るって…、」
「こっちのビュッフェもだよ。」
なかなか意見が合わない。
「あ、じゃあ分かった。」
「何?」
「二泊して、一泊目はそっちで、二泊目は、こっち。それでどう?」
梨乃が則陽の意見を考えてみる。
「…うん。それ、良いかも!」
「金曜日の夜から行ってさ…、」
則陽が梨乃に計画を持ち掛ける。
「うん、うん。それ良いね!」
二人は笑顔になって、計画を組み立てていく。
山奥の神社。
夜空はきらきらと輝いていて、ノリコはそれを眺められる境内の縁側で写本を続ける。
するといつの間にか自分が何処かの空間に居て、二色で出来ている棒のキャンディの様にくるくる捻じれている糸を掴みながら下に下りようとしていた。
そこは何だか薄暗くて、それでいて真っ暗では無い何処かの空間。
掴んでいる糸は時折キラキラと光っていて、ノリコが掴んでいる以外にも、その周辺にいくつか垂れ下がっている。
ぼんやりと僅かに光っている床に辿り着くとノリコは糸から手を離す。
上を見上げると、いくつかの垂れ下がっている糸はたまに光を反射し、まるで変わった形の美しいシャンデリアみたいだった。
糸の光は床に降り立ったノリコの所までは届かず、床だけがぼんやりと淡く光る中を壁に手を付き伝いながら慎重に進んで行く。
所々、何かが床に置かれており、それの置いてある場所は床の光が塞がれ余計に暗かった。
石造りに見えたその空間は空気がひんやりとして感じられ、長く居ると体が冷えそうだ。
捻じれた糸の垂れ下がっている空間では天井が見えない程だったが、進んで行く内にいつの間にか頭の直ぐ真上に天井が迫り、かなり圧迫感のある狭い通路になった。
通路では所々の床の光が抜け落ちていて、ただでさえ薄暗いのに暗さが増している。
ノリコはしばらく進み行くとその先に小さな明かりが漏れているのを見つける。
…何だろう。
ノリコがそのまま近づいて行くと、通路行き止まりにある部屋からの明かりだと分かった。
ドアの上半分くらいがくり抜かれ、そこから漏れる光はオレンジの色味が強く、明かりといえども明るい感じはしなかった。
中から声が聞こえる。
何人かが居る様に伺えた。その誰もがフードを頭から被っていて、はっきりとした外見は見えてこない。
ノリコは中に何があるのか覗こうとした。
すると瞬間、部屋に居る誰かがノリコの気配を感じたのか、振り向こうと動作した。
「!」
ノリコはその瞬間、何故か見つかってはまずいと思い、その反応が相手の振り向こうとするのとほぼ同時だったから、しまった、動きが遅れた、と一瞬身を固くした。
「あ…れ…。」
気が付くとそこは星の夜空が広がる草原で、風がそよそよと吹いている。
先程まで居た寒々しい空間とは大違いで、ほのかに温かい気が通っていた。
ノリコの体は誰かに抱き抱えられ膝を落として地べたに座っていて、同じく座っていて優しく体を放してノリコの顔を見てきたのは、ソウイチだった。
「ソウイチ…くん?」
ノリコはソウイチと周辺の景色を交互に眺めた。
今までも意識が色んな情景へと飛ぶ事はあったが、危なそうな目にあったのはこれが初めてだった。
そして何故か目の前にソウイチが居て…。
ソウイチはノリコに微笑んで、
「ノリコ…間に合って良かった。」
ソウイチが口を開いた。
「私の石に…ノリコが教えて授けてくれたあの石に依頼してたんです。もしもこの様な事があったら是非とも私をその場へ連れて行ってくれと。そしたら、それを察知して教えてくれたんです。」
「そんな事…出来るの?」
ソウイチは頷いて見せる。
ノリコはびっくりし過ぎてソウイチの顔を唖然と眺めていた。
「危なくなった時だけじゃなくて、普段もこの方法を使いたいですが、…今の所、身に危険が及びそうな時にしかこの方法が使えないみたいで。」
それでもこうして会う事が出来て良かったとソウイチはノリコの目を見ながら話す。
「どれくらいここに居れるか分かりませんが、私は出来る限り、ここに居てノリコと話がしたい。」
ソウイチは静かだが強い意思を持って告げているのをノリコは感じた。
「…ありがとう。ソウイチくん。」
ノリコは笑顔になって、ソウイチもノリコに微笑みかけた。
緑の濃淡が織りなす地。
ひびの入った石碑の前でツァームが主から授かった術を遂行する。
途中何かを察知するとより光を強めて必要な場所へと送る。
そうして術を終わらせ、目を開くと、彼は少し息が上がっていた。
静かに肩を上下させ、次第に呼吸を落ち着かせると周りの景色を確かめる。
胡坐をかいていた姿勢から立ち上がり、ツァームはその場から去って行った。
周りの林に柔らかな光を添える二棟の家。
手前の家の丸い2つの天窓からは今夜も淡い光が漏れている。
自分の机の席に座っていた有津世は、ふと自分の意識が戻っていた事を知る。
手元には飴色の石が握られていた。
夜空に煌めく星々を見ながら、草原で隣り合って座るソウイチとノリコは時折言葉を交わす。
限られた時間かも知れないけれど、だからこそ、この時を愛おしむ様に、丁寧に言葉を選んで。
ノリコは写本で今まで見えてきた事に関してソウイチに話したし、ソウイチはそれを静かに聞いた。驚く様な内容かも知れないのに、ソウイチはまるでその内容を知っているかの様な反応だった。
「何処かで聞いた事あるの…?」
ノリコがソウイチに訝しがって聞いた。
「いいえ、話で聞くのはこれが…初めてです。」
ソウイチは静かに答える。
「ただ私はそれを…感覚として知っています。それをノリコと共有出来るのが、嬉しいです。」
ソウイチの続けて話す静かな声に、ノリコは聞き入った。
「そして、これからも共有していきたい。そう心から、願っています。」
その言葉を聞きながら視線を漂わせたノリコは、夜空の星の煌めきに自分の胸の奥が呼応してひときわ煌めき輝いたのを感じた。
林の奥の二棟の家。
学校が終わって今日も有津世の家には作戦会議をしに雨見が来ていた。
二人はソファに座り、雨見は有津世の淹れてくれた紅茶を一口飲む。
「有津世、あれからぽわぽわは有津世の所に来るの?」
「それが不思議でさ、やっぱり来るんだよ。」
青い光を内側から発した様にも見えて直後飛んで行ってしまった夜の後も、ぽわぽわは毎晩の様に有津世の下を訪問しに来ていた。今の所友喜からはその後ぽわぽわと意識が被ったとは聞いていない。
有津世は雨見の顔を見て、
「雨見の夢はどう?」
今朝見たであろう夢の話を聞いてみる。
相変わらずの状況を雨見から聞いて有津世はソファ前の座卓へとその視線を落とす。
雨見は紅茶のマグカップを手に取り口に近づけつつも有津世の仕草に注目した。
「…あの、ごめんね、有津世…。」
申し訳無さそうに雨見が言った。
「あの、本当、こっちでは、反省しているの。少し、…冷た過ぎだよね、って。」
アミュラの挙動について、雨見にも思う所がある様だ。
「え?ああ、違うんだ。大丈夫。雨見に十分優しく接してもらってそれは随分と回復した。大丈夫だよ。」
雨見が穏やかな表情の有津世を不思議そうに見る。
「あ、そうなの?私てっきり、まだ引きずっているのかと…」
「全く無いとは言えないけど、でも大丈夫。別の事を考えていたんだ。」
「別の事?」
「うん、別の可能性、かな。」
有津世は雨見に話を始め、雨見は真剣に聞き入った。
ふと気が付くと、写本するための筆記具を握ったままで、綺麗な星が夜空を瞬いている様子が小さな座卓を置いた縁側から伺えた。
夜は上空からその様子を確認する事の全く出来ない山奥の神社で、ノリコは今自分が体験した出来事を思い返す。危なかったであろう所をソウイチに助けられて、瞬時に別の空間へと飛んでいた。
「また…会えるかな…。」
ノリコは夜空を見上げて呟いた。
明るい色味の古い木の板材が床や壁に敷き詰められた内装に、所々に観葉植物が飾られている明るい印象のカフェレストラン。一度来た事のあるその場所へ、梨乃と穂乃香は昼休みのランチに来ていた。
「昨日あれから野崎さん達はスムーズに帰れた?」
ランチセットのパスタをフォークでクルクルと巻きながら穂乃香が聞く。
「うん。直ぐにあの後帰ったよ。何で?」
「私の路線は運転見合わせになっちゃってて。帰りがちょっと遅くなっちゃったの。」
「あ、だから…」
梨乃がランチセットのパンを千切りながらふと考え、駅のホームが心なしか人の量が多かったのを思い出す。場内アナウンスは聞き取れなかったけれどそれだったんだ、と梨乃は理解する。
「でね、聞いて!そこでね、彼、見つけちゃったの!」
穂乃香が嬉しそうに話す。
「え、彼って、もしかして公園で会った時に則ちゃんと一緒に居た?」
「勿論!」
「へえ、すごい偶然。だってそれで…3回目?」
穂乃香が明るい顔で頷く。
「あ…そうだ、名前、聞いてきたよ。確か、えっと、」
「功くん!吉葉功くんって言うんだって!自分で聞けちゃった!」
そうそう、と梨乃は同意し、自分で聞けたんだ、と穂乃香の行動力に感服する。
「でね、私とは方向逆の電車だったんだけど、これからの帰りももしかしたら会えるかもって思ったら嬉しくなっちゃって。」
梨乃は穂乃香の清々しいくらいにあっけらかんと話す様子を楽しそうに見た。
「会えて良かったね。」
「ありがとう。ほんと、そう思う!」
電車の遅延がラッキーだった、と穂乃香は嬉しそうに話した。
白い壁の校舎の一角、廊下の窓辺で友喜がぼうっと佇む。
「元気無いね。」
なつが後ろから話し掛ける。
友喜は振り返ってなつを見ると、
「そんな事無いよ。」
そう言ってまた窓の外を見る。
昨日、うちの兄と会えなかったのが響いているのかな、と、なつは勘繰り、
「何かね、電車の遅延だったんだって。昨日、うちのお兄ちゃん。」
功が来るのが遅かった訳を友喜に話した。
友喜はなつに振り返り、話の続きを聞いた。
「あ、でもさ、たまに抜けられない残業とか発生する事もあるから、それは念頭に置いておいてちょうだいね。こういうのって、結構必要な心構えだと思うんだよね。」
なつが冷静に分析して友喜に話す。
「必要な心構え?」
「そう。持つべき人が持つ、必要な心構え。」
こんな回りくどい言い方をしなくても友喜なら大丈夫かもと思ったが、なつは一応言葉を包んだ。
「?」
友喜が不思議そうな顔をしている。
なつは友喜に微笑んだ。
「とにかく、今日はきっと…大丈夫かな、と思うんだよね。念の為お兄ちゃんに聞いておいたよ。残業の可能性も含めてね。」
友喜は視線を泳がせながらなつの言葉を耳にする。
会える可能性を思うと、友喜の胸の奥がぽうっと温かくなった。
天井の高い、一見大きな窓と見紛う窓枠型の大きな照明が背面に取り付けられた部屋。
透明な石を手のひらに載せ、デスクの脇に佇んでいるソウイチが居る。
不意に顔を上げ、周囲をきょろきょろと見回した。
そして手のひらの石に視線を落とした。
昼休み、功は手早く昼食を済ませ、近くの本屋に来ていた。
棚のラインナップに目を通しつつ通り過ぎると、目当てのジャンルの棚を見つけて立ち止まった。
目に留まった本を手に取り開いてみる。棚に戻して別の本を手に取りぱらぱらとめくり、内容を確かめる。
それを何回か繰り返した後、一番最初に手にした本ともう一冊を選んでレジへと持って行った。
功は本の入った袋を手に本屋を後にする。
街路樹の脇の6階建てのビル。
4階に着いた功はエレベーターから降り、観葉植物ノーリに気を向けると淡い光から一瞬煌びやかな光を放ち、功はそれを浴びる。ノーリに優しい視線を向けた後で、奥のオフィスへと入って行った。
「どう、野崎さん。定時で上がれそう?」
穂乃香が聞く。
梨乃達が勤める会社のオフィスで、穂乃香が梨乃のデスクの近くに来て、終業予定を聞いてきた。
「はい。大丈夫そう。」
穂乃香を見上げると、にこにこ明るい笑顔をしている。
梨乃は穂乃香の考えている事が予想付いたし、気持ちの良いくらいに素直に表現する穂乃香を見て、ほんのり口角を上げた。
夕暮れが過ぎて、抹茶ラテのマグカップを手にして残りの量を確かめると、友喜が静かに息をつく。
いつものカフェのテラス席で、友喜の隣のなつはいちごシェイクのグラスを手元に寄せミサンガの着いた右手でストローをクルクル回す。
目の前の通りは行き交いする人の量が増え始めた所で、友喜はそれをぼうっと見つめている。
なつは友喜の様子を見て、自分も通りの人波に目を向けた。
定時を過ぎて、則陽と功がオフィスを出る。
エレベーターで1階まで下りると、建物の外に出た。
「功、今日は功の路線と一緒ですから。」
則陽が言う。
「あ、あっちのオフィスに寄って行くのか。」
功の返しに頷いて、ま、乗るのは反対方向ですけどね、と則陽が答え、功が相槌を打つ。
「お前の彼女さ、帰り遅くなるの文句言ったりしないのか?」
「予め、伝えてますし…。」
則陽は真顔になって返した。
「彼女の方が帰りが遅い事も多いですし…。例の小人が梨乃の事を気に入ってよく来るんですよ。梨乃はその時間も楽しいみたいで。」
則陽が再び穏やかな表情になって言った。
「そういう話出来るってよ、やっぱり良いよな。なんか嘘が無いみたいに感じるよ。」
公園で見かけたあの僅かな時間でさえも、則陽と梨乃の関係の良さを二人の雰囲気から感じた功は、お前何も心配する事ねえだろ、と思いながら言った。
「まあちょっとは、…良いなって…思うよ。」
功は素直に感想を述べたつもりだったが、則陽はそれを聞いて再び真顔になった。
横目で功を見て、
「それどういう意味ですか?」
口調を荒げて聞いてきた。
「え、どうって…いや、単純に羨ましいかな…って。おい、何言わせるんだよ!」
功が自身の発言で赤面になり冗談のつもりで文句を言った。
「…梨乃は上げませんからね。」
則陽は尚も表情がきつくなっている。
「そういう意味じゃねえよ!あほか!お前おかしいぞ、何、余裕無くなってるんだよ!」
何だ、こいつ、こんなに狭量な考えの奴じゃねえはずなのに。大体お前、知ってるだろうが、俺が…。
功は則陽を見ながら小首を傾げる。
「どうした?やっぱり何かあったのか?」
いつもは冷静沈着な雰囲気なのに、そうは見えない今の則陽に功は問いかけた。
「…いや、別に。功には関係無いです。」
「じゃあ、あほな会話の振り方するなよ!」
功は横目で則陽の事を軽く睨みながらも、二人足早になりながら駅へと向かって行った。
駅の前に着くと二人は改札口を通って、じゃな、お疲れ様です、と、互いに挨拶を交わして上下線別々のホームへと分かれる。
今日は順調に電車のダイヤは流れているみたいで、功はほっとしながら電車が来るのを待った。
梨乃にお先、と声を掛け、リズミカルに駅への道を歩く。
聞けば自分達の会社よりも少し早目に上がるのが梨乃の彼の会社では通常らしいので、穂乃香は後を追いかける気持ちで少し急ぎ足になっていた。
駅の改札が少し先に見える場所まで辿り着くと、それらしき後ろ姿が改札口を通って中に入って行くのが伺えた。穂乃香はすかさず自分も改札口を颯爽と通り、下り方面のホームまで行った。
ホームを見渡して背の高い人影を見つけると穂乃香は急ぎ足で追って行く。
そして近くまで着くと、
「功くん!」
明るく声を掛けた。
振り返ると穂乃香が息をほんの少し切らしていて、それでも笑顔でお疲れ様、と言ってくる様子に功は呆気に取られた。
「ああ、お疲れ様。あれ、立木さん逆方向じゃあ…?」
昨日会った時には確か上り電車だって言ってたから、功は疑問に思って穂乃香に聞く。
名前、覚えてくれたんですね!と穂乃香が笑顔で言い、
「ちょっと今日、寄りたい所があってこっちなんです。」
さばさばした笑顔でそれを言う。
「だから途中までご一緒して良いですか?」
「えっ、まあ、良いけど。」
別に電車の中だけだろうし。
特に深くは考えず、功は了承した。
それにしても随分と気兼ね無くやり取りをする人だな。
則陽の彼女もそうなのか?もしそうなら、則陽が言ったさっきの台詞もまあ分からなくも無い。
勝手に近づくな、そう彼はけん制したかったのかも知れない。
…あいつ自分で言ってた通り独占欲強いかもな。
俺の事言えねえわ。
功は、ふっと頬を緩める。
ホームに入って来た電車に二人は乗り込むと、車内の座席はほぼ埋まっていた。功は座席前のつり革を掴み、穂乃香は座席の仕切りから上へと伸びている金属製のポールを掴む。
「真っ直ぐ帰るんですか?」
「ああ、まあな。」
「私も真っ直ぐ帰る日も多いけど、今日は寄り道。」
穂乃香は空いてる片手を顎に当てて、う~ん、と考え、ちらりと視線を向けると、つり革を掴み目の前の窓の移り変わる景色を眺めている功の横顔に、頬が緩んでしまう。
「立木さんは、随分とフレンドリーなんだな。則陽の彼女…あ、公園で一緒に居た彼女もそうなのか?」
功は窓を見ながら穂乃香にふと聞いてみた。
「あ、野崎さんね。野崎さんは違いますよ。何かこう…限られた人にしか心を向けない感じ。そこが彼女の魅力だと思いますけどね!」
穂乃香は、はきはきと喋る。
ふう~ん、そうなのか、と功は相槌を打つ。
いくつか駅を通り過ぎ、次の駅への車内アナウンスが流れた。
「じゃあ俺、次の駅で降りるから。」
「あ、私も、その駅に用があるんです。」
「は。」
買い物があるんで、と穂乃香は言う。あ、そうなのか、と功が答えた。
駅に着いて功と穂乃香は電車から降りる。
同じ改札口の方向へ二人歩くと、功がお疲れ、と挨拶をして穂乃香と別れた。
「お疲れ様です!」
穂乃香はにこにこしながら功に手を振った。
功は駅構内から街へ急ぐ。
行き交う人が増えるのに自分も乗じ、通りを歩いて行く。
なつ達の居るいつものカフェのテラス席が見えてきて、なつと友喜が一緒に居るのが確認出来た。
カフェの目の前まで辿り着き、息を整え直してからテラス席への階段を上る。
「よっ。」
功がなつと友喜に声を掛けた。
「良かった。今日は早いね。」
なつが言う。
「ああ。昨日はごめんな。」
同じ席の空いている椅子を引っ張り出して座りながら、二人の顔を見る。
「お手洗いに行って来る。」
「おう。」
席を立つなつの姿を何と無く目で追って、功と友喜はなつの入っていくガラス張りの店内へと視線を巡らせてから、お互いを見た。友喜は頬を赤らめるもその表情は真剣だ。
功は友喜に僅かに微笑むと、
「あのさ…、この本、買ってみたんだ。」
自分が手にしていた袋から一冊の本を取り出して、友喜に表紙を見せた。
それは妖精に関しての本で、表紙には愛らしい妖精のイラストが描かれている。
背表紙には本の案内文が載っていて、妖精との接し方や感じ方、その方法についてが書かれている本らしかった。
「興味ある?」
功が聞くと、友喜が無言で何度か頷く。
「上げるよ、それ。」
友喜に手渡して功が言う。その言葉に友喜が驚く。
そして一瞬喜びそうになって一転、寂しそうな表情になり、
「えっと…これ、受け取っちゃったら授業無くなっちゃうの?」
友喜が聞く。
功は友喜の言葉に、
「えっ?ああ、そういう意味じゃなくて…、」
功が友喜を見つめる。
「どちらかと言うと、逆。始終俺の事思い出して欲しいから。その…本見る度にさ。」
友喜の頬がますます紅潮する。
「俺、自分用にも買ったんだ。ちょっと違うのだけど。」
功がもう一冊の本を袋から出して友喜に見せる。見るとそれも妖精に関しての本みたいだ。
「全く一緒の本では無いけどさ、テーマはお揃い。」
そう言って、功は微笑む。
…お揃い。
友喜は自分が受け取った本と功の本とを交互に見た。
「功お兄ちゃん…ありがとうございます。」
友喜は目をきらきらさせた。
「ん?何?本?」
なつが席に戻って来て功と友喜に聞く。
「ああ。買ってきたんだ。」
功が口角を上げて言う。
「へえ。」
「友喜、良かったじゃない。」
「…うん。」
友喜は感動冷めやらぬまま本を両手で持ち眺めている。
なつはその様子を見て微笑んだ。
林の奥の二棟の家。
夜は漆黒に近い色味を放つ手前の家では、今夜も屋根の天窓から淡い光が漏れている。
夕飯とお風呂を済ませた友喜は自分の部屋で机の席に座り、功から貰った本の表紙を見つめそのページをめくって見ていた。
愛らしい妖精のイラストが所々に挿絵で入っていて、中には文章を持って行こうとする妖精の姿も描かれ、遊び心も満載だった。
友喜は頬を緩めて、最初の数ページだけ読んでみた。
一気に読み進めてしまったら、何だか勿体無い気がして。
そして本のページを見ながらも、功が言った言葉を思い出し、頬をほんのり赤らめた。




