音色
~第六章 音色
青い光が何処からともなく飛んで来て、石碑の傍の草原で遊んでいる幼いキャルユの胸に吸い込まれていく。
「?」
たった一瞬の出来事に、キャルユはぽかんとする。
そして胸の辺りを小さな手のひらでそっと覆うと、とても嬉しそうな表情になった。
近くに腰を下ろしている小学生の友喜は、さっきからキャルユの呼び掛けに反応しない。
遠くを見たまま、意識はそこに居ないかの様だ。
今もその状況なのをキャルユは友喜を見て確認すると、一人遊びを始める。
草原では風が穏やかにそよいでいて。
キャルユは一人草原を転がり、楽しそうに遊んでいた。
吉葉家のリビングの座卓で、ハンバーガーを食べ終わった友喜がぼうっと考え込んでいた。
また覚えて無かった。
なるべく覚えていたいと思う、その気持ちとは裏腹に。
キャルユがツァームを好きだからかな。
自分が求めている相手とは違う相手と接しているのを良しとしなくて起こっている事かな。
それでもその想いには引きずられる事は無くなっていたので、腑に落ちなくて微かに小首を傾げた。
功は副業のオフィスに出かけると言い、座卓の上に広がっていたハンバーガーの空き袋を片付けると準備をし始めた。
友喜は知らず知らずの内に功の姿を目で追っていた。
濃淡様々な緑色に囲まれた星。
ツァームは岩のひとつに腰掛け、岩のテーブルの上で自身の笛の調整をしていた。
石碑を回ってみたが花冠は既に全ての石碑に捧げられた状態になっており、アミュラが石碑の場所に今日はもう来ない事を知ると、ツァームは諦めてこの場所に戻って来たのだった。
石碑の主から受け継いだ術を、自分は忠実に執り行っている。
それどころか、守らなくてはならないこの世界の仕組みを、自分は理解している。
それを理解する事は重みを受け止めると同義である事から、ツァームは決してそれをアミュラに伝えようとはしない。
これからも明るく朗らかに共に過ごしたい。そう思っていたから。
でもその自分の選択が間違っていたとしたら。
そういった気持ちの機微に関しては、”主”に聞こうとも答えが貰える訳では無かったので、ツァームはそれについて一人で考えるしか無かった。
青い光が、俯き考えながら笛を調整するツァームの下へと突然躍り出る。
「あっ。」
驚き、声が出て、ツァームは顔を上げ光の動向に目を見張る。
青い光は一瞬だけ見知ったぽわぽわの形に自身の姿を変え、直後目の前で立ち消えた。
林の奥の二棟の家。
林の上空は、厚い雲が覆っている。もうじき雨が降り始めるだろうか。
朝、登校するのに有津世がいつもより早く玄関の外に出て、雨見が出てくるのを待っていた。
ログハウスの玄関ドアが開き、雨見が有津世の姿を確認する。
「おはよ。」
「おはよう。有津世、今朝は早いね。」
「うん…。」
雨見をじっと見つめる有津世の姿を、微笑みながら雨見が小首を傾げて見つめ返す。
「行こう。」
「うん。」
有津世が雨見の手を繋ぐと、二人は林の道を歩き始めた。
二人はお互いの手の温もりを感じながら歩調を合わせて歩く。
何だか…、
「何だか元気が無いみたい。」
雨見が有津世の横顔を見て言うと、有津世がため息をついて軽く頷いた。
「流石にこの状況には参るよ。」
ツァームとアミュラの険悪さに打ちひしがれた様子の有津世が言う。
「そうだね…。」
雨見もアミュラの行動を雨見の意思でコントロール出来る訳では無いから、二人この話をしてもツァームとアミュラの今後を見守るしか無いのだけれど。
それでも想いは募る。
別人格でも自分だから、想いは知っている。
それがこちらの世界でのみ今の所は表現出来る状況が拍車をかけて、繋いでいる手にその想いが熱として伝わった。
「梨乃、梨乃待ってよ!」
「もう、いい!則ちゃんが、則ちゃんが気付いてくれないから…!」
則陽が手を伸ばし、梨乃を引き留めようとも、梨乃は振り返ろうともせずに則陽の手をすり抜け目の前から去ってしまう。
「っ…。」
都内アパート。
目を覚ますとまだ真夜中で、隣で梨乃が静かな寝息を立てて寝ていた。
照明を消した作業部屋の一角、そのベッドの上で則陽は上体を起こす。
「夢か…。」
何年も前に実際に経験した悪夢。
それを則陽は久し振りに夢で見た。
則陽は隣で寝息を立てて寝ている梨乃を愛しそうに眺め、そっと髪を撫でる。
梨乃はいつ返事をくれるだろうか。
今の夢は梨乃から返事を貰っていないという自分の不安の表れだろうか。
則陽はすやすやと眠る梨乃の事をしばらくの間眺め続けた。
朝。
則陽がコーヒーメーカーで淹れたコーヒーを梨乃のマグカップに注ぎながら、
「梨乃。今度一緒に旅行しないか。」
ダイニングテーブルの席に着こうとする梨乃に持ち掛ける。
「旅行?」
「うん。」
則陽の頷きに、嬉しそうな表情をして、梨乃が、楽しそうだね、と答える。
「どういう場所?」
「ただただくつろげる場所。」
「ああ、温泉とか?」
「そうだね。」
じゃあ何処に行こうか後で一緒に決めよう、と梨乃が言う。
そうしよう、決まりね、と則陽がそれに答えて、梨乃に微笑んだ。
雨がしとしとと降って、肌寒い空気は季節が逆行したのかと錯覚させる。
功は差していた傘を閉じてコンビニエンスストアの入り口にある傘立てに差し込み、店内へと入って行く。
程無く用事が済んで店の外へと出ると、自分の傘を選んで持って行こうとする人影を見つけた。
「あ、それ俺のなんだけど。」
淡々とした声で呼び止めた。
「あらやだ、ごめんなさい。」
功の傘を間違えて持って行こうとした女性は傘立てを見直し、似た印象の別の傘を見つけ、手に取り直すと同時に功の傘を誤りながら功に手渡した。
功は、どうも、と一言告げて、その場を後にした。
6階建ての小ぶりなビルの4階部分。
街路樹は雨に濡れて、その緑をより鮮やかに魅せている。
功は傘を閉じて、建物の中に入って行く。
エレベーターで4階まで上がると、入り口の観葉植物ノーリの前にパイプ椅子を出して呆けている則陽の姿があった。
「よっ。」
功が何と無しに隣にパイプ椅子を広げて座ると、功があまり見た事の無い憂いた則陽の表情に気付いた。
「なあ、あれだな。お前がそんな顔をしてるの、珍しいな。」
則陽の様子を伺いながら話し掛けた。
「何かあったのか?」
「…いや、特段何も…。」
そう言いながらも、則陽は表情を変えずに、ぼそっと胸の内の想いを吐き出した。
「下らない話かも知れませんけど、…俺って独占欲強いな…って。」
功は真顔になって聞き返す。
「則陽、お前の恋人の事か?」
「…はい。」
功はコンビニエンスストアで仕入れたコーヒーを袋から取り出しストローを差して飲み始めると、則陽が続けて喋るのを待った。
「功の事、独占欲強いな、って思ってたんですが、案外自分も、いや、自分の方がよっぽど…。」
功から見れば、羨ましい立場の則陽だが、そんな彼でもこうして思い悩む事があるのか、と、功は思う。
「何だ、彼女の動向が気になるのか?」
彼女が他に気が向いたりしているのか、と功は聞く。
「いいえ、彼女は俺にべた惚れですが…。」
その言葉に功は拍子抜けした。
「え?じゃあ何が不満なんだよ?独占欲満たされまくってる事をさり気無く自慢話したくて言ったのか?」
意味が分かんねえ、と功が驚き憤慨しかけるも、
「戻って来てくれた事が奇跡なんで…もう…逃したくないんです。」
一度ダメになった時の痛みを思い返して発した則陽の言葉に我に返った。
「…結局…お前もその彼女にべた惚れなんだな。」
則陽の言葉からするに二人の間には他が立ち入る隙も無さそうに思える。
「お互いそれなら大丈夫そうだけどな。」
何が心配なんだよ、とコーヒーのストローを咥えながら功が則陽を眺める。
則陽はその後話すのを止め、功は飲んでいるコーヒーの中身が無くなるまで隣に座るのを付き合った。
則陽達の会社から少し離れた所に位置する、梨乃が勤めている会社のオフィス。
梨乃は進めている仕事がひと区切りついて、給湯室に自分のお茶を注ぎに来ていた。
則陽が今朝言ってくれた、旅行する案を思い出し、一人口角を上げて、お茶を注ぐ。
自由に口にする事の出来るお菓子のコーナーからチョコレートを一粒選び、その包み紙を開いて口に入れた。
そうしてるんるん気分でお茶を自分のデスクに持ち帰る。
奥の席の穂乃香が梨乃のその様子を見て微笑んだ。
席から立ち上がって梨乃に近寄り話し掛ける。
「野崎さん、何か良い事あった?」
「ええ、ちょっと。」
嬉しそうに梨乃が穂乃香に答える。
「また今度聞かせて。」
穂乃香が興味津々で梨乃に言い、梨乃が、是非!と穂乃香に返した。
雨が上がった次の日、梨乃は昼休みに穂乃香を誘ってノリムーの弁当を買い込み、近くの公園でランチをする事にした。
「へえ、良いなあ。旅行かあ。」
「行先は、これから決めるんですけれど、楽しみで。」
梨乃が嬉しそうに言う。
「日常から抜け出すのって良いよね。普段とは違う発見があったり。あ、あの人…。」
穂乃香が公園の入り口に面した道路を歩く人影を見て思わず声に出す。
「?」
梨乃が穂乃香につられて見ると、二人の男が歩いているのが目に入ってきた。
「あ、則ちゃん…。」
梨乃が驚いて小さく声を上げた時、則陽がふと梨乃の方を振り向いて、
「梨乃!」
一緒に歩いている男に目配せをしてから、公園内に入って来た。
「梨乃、今日はここでお昼なの?」
ベンチに座る梨乃の目の前まで則陽が近寄って来て、梨乃に話し掛けた。
梨乃は本当に嬉しそうな顔になりながら、
「うん、そうなの。」
則陽に答える。
則陽が呼ぶその名前に合点がいったという感じで、一緒に行動していた功は則陽と梨乃の二人を眺めた。
そして梨乃の隣からの視線を感じてそちらへ向くと、
「あ、こちらは穂乃香さん。会社の同僚なの。」
梨乃が則陽と功に紹介する。
「あ…昨日傘…」
その見覚えのある顔に少しだけ驚いて功が言うと、
「やっぱり昨日の…!ごめんなさい、あなたが気付いてくれて良かった。」
穂乃香が功に再度謝る。
梨乃が穂乃香と功とのやり取りに首を傾げると、
「あ、昨日コンビニの所で、私が傘を間違えて持って行こうとしちゃったの。」
穂乃香が梨乃に説明した。
いや、俺が気付いたから問題ねえよ、と功があっさり答えると、
「あ、じゃあ邪魔をしちゃうと悪いから。」
則陽がタイミングを見て、梨乃達に退散を告げる。
「ベンチ、広いと良かったんだけど。」
梨乃が名残惜しそうに言う。
「また後でね。」
則陽が梨乃に優しく言い、梨乃は微笑んで答えた。
功は則陽と梨乃の様子を見ながら共に公園を後にして、
「あれがお前の彼女か…。友喜ちゃんとも友達だっていう…。」
功は心の中で、すげえな、美男美女が相思相愛かよ、と呆れる。
「そう。あれが梨乃だよ。」
則陽は答えた。
「すごい、あれが野崎さんの彼氏さんなんだ!いいもの見ちゃった!」
穂乃香が興奮気味に言う。
「しかもラッキー!もう一度あの人に会いたいな、って思っていたの。野崎さんの彼氏さんと一緒に居た人!」
二人共、超イケメンじゃない?と穂乃香は嬉しそうだ。
「うん、確かに。恰好良かったね。」
梨乃は嘘は付けない質だったから、本当にそう思って穂乃香に答えた。
「穂乃香さん、ああいう人、好みなんだ。」
梨乃が聞く。
その後、穂乃香の興奮が冷めやらぬまま、二人は恋愛話で盛り上がった。
いつものカフェのいつものテラス席。
昨日は作戦会議に出て、兄、有津世の意気消沈した姿に、自分の知らないあちらの世界が本当に世知辛い状況にあるのを何と無く肌身に感じた次第だ。
その有津世を気遣う様に、雨見は有津世に優しくて、特にスキンシップとかは無かったのだけど、何だかベタベタ度が凄かった。
その状態にジェラシーとも何ともつかぬ感情を覚えて、友喜は今日はカフェに来る事にした。
「何、友喜。そんなのいつもの事じゃないの。」
なつがミサンガの着いた右手でいちごシェイクのストローをクルクルと回しながら言う。
「え~?でも~。雨見ちゃんがお兄ちゃんに甘過ぎるんだもん。お兄ちゃんたら、デレデレしちゃって…!」
友喜は頬を膨らまし、なつに異議を唱える。
「なっちんだったらどうするのよ、なっちんだったら。」
友喜の言葉に、なつはこの子マジか?と友喜を見る。
「え?そんなの、とっくにクリアしてますけど?それとも何?友喜の目も節穴なの?」
なつが驚く。
散々、兄、功が友喜に見惚れているのをこの目にしてきたし、友喜が功に対して目が離せなくなっている現場も幾度と無く経験済みだ。
「節穴ってどういう意味?」
「…。そこから説明しなくちゃダメですか…。」
なつが勝手に友喜に降参する。
「友喜、あんたさ、ある意味最強だわ。」
友喜を見て額に手を当ててダメだこりゃ、と首をやんわり振った後、なつは友喜の肩に手を添えて言った。
「まあ良いよ。友喜、あんたなら許せるわ。ある意味、すっごい純粋だもんね。」
「ある意味って何?」
友喜が頬を膨らませて、なつに迫る。
なつはこれ以上この話題を振るのは諦めて、いちごシェイクのグラスを手元に寄せ直してストローを咥えた。
6階建てのビルの4階部分。
もうすぐ定時で、順調に作業を進めたので問題無く上がれる時間だ。
朝から出勤組の則陽と功と梅は片付けを始め、則陽はデスク上に置いていた持参のステンレスマグをしまい込もうとする時に、ふとその手が止まる。
そして僅かに口角を上げると、後ろの席の功を見た。
「お、行けそうか?」
「はい。出ましょうか。」
則陽は止まっていたステンレスマグの手を動かし自身のリュックサックへ納めると、それを片方の肩で背負い、挨拶をしてから仕事場を出る。入り口の観葉植物ノーリにも挨拶をして、淡く光っていたのが一瞬ひときわ煌びやかな姿を見せた。
梅は二人より一足先に、お疲れ様でーす、と声を掛け、会社を後にしていた。
その梅の行ってしまった後のエレベーターを待ち、戻って来たエレベーターに二人は乗り込む。
功は今日も会えるかも知れない友喜の事を考えていたし、則陽は今日は梨乃の仕事上がりをまた建物の外で待ってみようか、と考えていた。
そうして何と無しに一緒に駅の方向へと歩いていると、梨乃の会社の建物近くまで来た。
「じゃあ、ここで。俺は今日は梨乃を待ちますので。お疲れ様です。」
「ああ、この辺なのか。お疲れ様。じゃな。」
お前らお似合いだよ、心の中で功はそう言って、自分は駅の方向へとそのまま進みゆく。
則陽は梨乃の会社の建物前まで辿り着くと、植樹の周りにいくつかあるベンチのひとつを選び、腰掛ける。
ぱらぱらと、梨乃と同じ職場か違う職場かは知らないが、たまに人影がその建物から出てきてそれぞれの方向へと散る。
少し経って、梨乃が誰かと談笑しながら建物から出てきた。
昼間、梨乃と一緒にベンチで昼食を摂っていた女性だ。
「梨乃。」
則陽がベンチから立ち上がり、声を掛ける。
「則ちゃん!」
梨乃は隣の穂乃香に手を振って挨拶をして、則陽の近くへと寄って来た。
梨乃はにこにこ顔で、則陽が迎えに来てくれた事が本当に嬉しいのが伝わってくる。
則陽は梨乃のその表情を見て、微かに安堵の息を付いた。
梨乃と二人、駅のホームで電車を待つ。
「え?」
則陽が聞き返す。
「名前。ほら、昼間公園で会った時の。則ちゃんと一緒に居た人。何て名前なの?」
梨乃が興味を持って聞いてきた。
「え、あ…」
梨乃が人の事について興味を持って聞いて来るなんて有津世達以外の事では滅多に無いから、則陽は驚いて返事をし損ねる。
すると梨乃が丁寧に、
「私はほら、さっきの女の人、穂乃香さんだって、則ちゃん達に説明したでしょう?則ちゃん達側からは、無かったから。名前知りたくて。」
理由を話す。
「ああ、そうか…。彼は、功だよ。吉葉功。」
「吉葉さんね。分かった。教えてくれてありがとう。」
梨乃が笑顔で礼を言ったのを則陽がじっと見た。
「?」
梨乃が則陽の仕草に小首を傾げながらも微笑む。
則陽は気を取り直して梨乃に微笑み返した所で丁度ホームに電車が来て二人は電車に乗り込んだ。
則陽達とは違う路線の駅のホームに立っていた功は立ち往生していた。珍しく運転見合わせのアナウンスが場内に流れている。
少し経てば動き始めるか、と最初は待ってみたが、途中から思い直して窓口のある改札口から一度出させてもらい、駅の外にあるタクシー乗り場を見てみる。皆考える事は同じ様で、長蛇の列が出来上がっていた。
こんな時に限って、スマートフォンが充電切れを起こす。何もする事の無い功は、その場で軽く息を吐いた。
都内アパート。
ダイニングテーブルの席で、則陽の用意した簡単なおかずで夕飯の時を過ごしていた。
時折楽しそうに話題を振る梨乃を、則陽は柔らかい笑顔で答えながらも、たまに真顔でその様子を見た。
「ご飯美味しい…。どうしよう。お替り、しちゃおうっかな。」
梨乃が上機嫌で炊飯器のご飯をご飯茶碗に盛る。
則陽がその光景を眺めているのに気が付くと、
「則ちゃんのおかず、美味しいから。」
嬉しそうに梨乃が言って、則陽は微笑んで返す。
「…良かった。」
梨乃は則陽に、うん、と頷いて、席について、また食べ始めた。
駅のホームは混み合っていて、時間を追う毎にその密度が更に高くなる。
依然何もやる事が無くてぼうっと突っ立っている所に、誰かが顔を覗き込んできた。
「あ、やっぱり。」
ショートボブの髪型でこざっぱりとした容姿の彼女は、功を覗き込んでそう言った。
「ああ…どうも。」
功が答える。
昼間、則陽の彼女と公園に一緒に居た、確か、
「えーっと、」
「穂乃香です。立木穂乃香。」
「ああ、立木さんも、この路線?」
ホームに居るからそうなのだろうが、その話題が差し支えないだろうと、功は聞いた。
「はい。上り方面で。」
「そっか。俺は下り。」
功は穂乃香が傘を持っているのを見ると、その視線を穂乃香が辿って、
「ああ、昨日持って帰るのを忘れちゃって。」
雨が帰り止んでたからと、傘を持ち上げて穂乃香が言った。
功が軽く頷くと、その傘を尚も見る。
「地味でしょ。まるで男物みたいに。明るい色味の傘は苦手で。」
よく見ると功のとは違うが、なるほど一見ではその印象の見分けが付きにくいのを功は理解する。同じ紺色で、彼女が言う様に男物みたいにも見える。
「電車が運転見合わせでどうしようかと思ったけれど、案外ラッキー。」
穂乃香は功を見て呟く。
「俺は早く、帰りたいけどな。」
功は、なつや友喜の事を思い、独り言の様に呟く。
「そうなんだ。あ、名前。名前お聞きして良いですか?」
穂乃香が功に爽やかな笑顔で尋ねた。
「ああ、言って無かったか。功。吉葉功だよ。」
則陽の彼女の知り合いでもあるし、それを念頭に置いて、功が答えた。
「あ、電車、動き始めましたね。そっちは…まだか。吉葉くん…功くん、また是非お会い出来たら嬉しいな。あ、じゃあまた!」
風の様に颯爽と言い切る穂乃香に功は若干呆気に取られ、その姿を見送る。
「…ああ、お疲れ様。」
功が手を上げ答えた。
見ると上り電車は早くに復旧したが、功の乗る下り電車は今しばらくかかりそうだ。
功は再度雑踏の音のみになった周りの景色を眺め、その場で時間をやり過ごした。
夕暮れがとっくに過ぎ、抹茶ラテのマグカップの中身も空になる。
なつは友喜を置いて行ったのが今日じゃなくて本当に良かった、と心から思った。
カフェのテラス席でいちごシェイクのグラスを手に、残り少ない中身をストローでかき回しながら、
「友喜はもう帰った方が良いよ。」
なつが言う。
「うん…。」
約束も何も無いけれど、時間が刻一刻と遅くなっていく中、友喜は何度か粘った。それでも功はまだこの場所に辿り着きはしなかったから、なつが時間を見て友喜に掛けた言葉だった。
「…残業かな。」
たまに功は残業をして帰る事もあったから、それを思い呟く。
「じゃあ帰るね。」
友喜が自分の勉強道具をしまってなつに言うと、
「うん。ごめんね。」
「え、ううん、別に…大丈夫。」
何故か謝るなつに友喜が焦って答えた。
なつに手を振りその場を後にする。
テラス席から通りに通じる階段を下りながら、友喜は静かに息を吐いた。
都内アパート。
夕飯の片付けを終えた則陽が、ベッドの脇でくつろぎ座っている梨乃の隣に座り、重ねて持った数冊の旅行のパンフレットを広げて梨乃に見せる。
「今はインターネットのページでいくらでも見れるけど、最初の印象知るには良い資料になるかと思って。持ち帰ってきてみたんだ。」
梨乃がそれを見て則陽の顔を見ると、
「則ちゃんはもう見たの?」
則陽に尋ねた。
「ううん。これから。」
二人はそれぞれパンフレットの冊子をひとつずつ選ぶと、ページを見開きその内容を見始める。
「え、ここ良さそう。」
「もうあった?」
則陽が覗き込み、梨乃がそれに笑顔で答えていた。




