花の香り
「友喜ちゃん、どうしたの?」
雨見は友喜の表情を今一度確かめようとしたし、有津世は友喜に改めて問いかけた。
何しろ友喜の様子が普段と違い過ぎたからだ。
「どうした?なんか変な奴に後を付けられたりでもしたか?」
頭のてっぺんからつま先までをざっと見定め、友喜の無事を何度と無く確かめる。
対して友喜は、まだ夢うつつ、といった反応で、
「ん~ん、大丈夫。」
やたらゆっくりとした口調で二人に答えた。
二人が感じたもの、それは花の香りだった。
友喜から何故だかものすごく心地良い香りが漂ってくる。
雨見と有津世は困惑した表情でお互い顔を見合わせ、友喜の顔をもう一度じっと見てから有津世が口を開いた。
「とにかく…家に帰ろうか…。」
有津世が、雨見が、友喜の背中をそっと包む様にして、支えて共に歩き始めた。
程無く家の前に着いて、一旦解散した雨見と有津世達はそれぞれの家の中へ入った。
自分の部屋へ上がり、ランドセルを机脇にある棚に置いてから、雨見は自分のベッドに腰掛けた。
ベッド脇にある夢日記を手に取り表紙をめくる。
そこには雨見本人が描いた、夢の中での自分の容姿に似せて描いたイラストと、その世界での大切な仲間である人物のイラストが描かれていた。それぞれの絵の横には名前が記入してあった。
”ツァーム” ”アミュラ”
雨見は先ほどの事を思い返してみる。
友喜が有津世と雨見に抱き着いてきた時、か細いけれど通る声音で私達を呼んだ。ここに書き記したのと同じ名で。
聞き間違えで無いのであれば…。
小さな手提げ袋に閉じた日記をしまい込んで、それを片手に雨見は有津世達の家へと向かった。
「お邪魔しまーす。」
「雨見、遅いぞ~。」
「ごめん、ごめん。友喜ちゃんは?」
「ん~、なんか寝ちゃった。…単なる、寝不足なのかな…。」
有津世が友喜を支える様に家まで一緒に歩いたが、家のソファまでたどり着くと、くーくー音を立てて眠り始めてしまったそうだ。
有津世は、自分と雨見の分の紅茶をティーバッグで淹れて、ソファの端っこに座った雨見の前の座卓にマグカップのひとつを置いた。
「ありがとう。」
「うん。」
有津世はそのまま自分のマグカップに口を付け、寝ている友喜の姿を目に映した。
「あのね、有津世、」
雨見が手提げ袋からゴソゴソと取り出したものに有津世が注目する。
「これ、この前話した、私がずっと見ている夢の話の。日記、つけているの。」
「日記帳だね。」
「うん、そうなの。それでね、ここの部分、見てほしいんだけど…。」
先ほど自室で開いたページを、雨見は有津世に指し示す。
「…え…、これって…。」
驚いた有津世が、雨見の顔を見る。
先日、雨見から夢の話を聞いてから、有津世はその事について思いを巡らせていた。
そこまでに綿密な夢を見るという事が果たして実際にあるのだろうかと素直に驚いていて。
自分も、もしかしたら見た事はあるのかも知れないけれど覚えていないし、同じ土俵に立っていないと思ったけれど。
それが今この瞬間に、思わぬ形で土俵に持ち上げられたのを有津世は感じた。
「やっぱり有津世も…さっきの友喜ちゃんの言葉、聞こえていたんだ…。」
「確かこの名前を友喜がさっき呟いたのを耳にしたけど…友喜にもこの事話したの?」
「ううん、有津世に、この前話したのが初めてだよ。」
リビングの空間は一瞬しーんと静まり返り、再び雨見が話し始めて静けさが破られる。
「さっきからさ、友喜ちゃん、いつもとは違う良い香りがしてて…。有津世は気付いてた?」
「うん?この香り、やっぱり友喜からかな…。」
「友喜ちゃんからだよ。あのねっ、私、この香りも夢の中では毎日嗅いでてっ!」
雨見が感極まって、少し声が大きくなった。
「…。」
ポカンとして、有津世が雨見を見つめる。
「ああ、ごめん、ちょっと気が動転しちゃって…。」
雨見の瞳にキラリと光るものが見えた。
と、そこに、テレビ画面が独りでにオンになって。
誰も触れていないゲーム機が勝手に起動し始め…ウィィィィィン…起動音が突如として鳴り響く。
そしてパッと、昨日のバグった状態の映像が再現されて画面に表示された。
「…え?」
画面の家の絵からタイツおじさんがヨイショヨイショとドアを開けて出てくる。
「有津世…何あれ!?」
途端に雨見が叫ぶ。
「…!」
有津世も画面を凝視する。
昨日も出現したタイツおじさんは、一歩一歩、なんだか面倒くさそうに歩くと、こちらをちらりと見やる。
「あら、今日は一人増えているじゃない。」
そうしてまた、画面の中を歩いている。
「こっちの方、見えるの?なんで?」
雨見は有津世に言ったが、代わりに答えたのはタイツおじさんだ。
「なんでもかんでも無いわよ。なーんだってアタシがこんな所に居座んなきゃならないのかしら。こんな所狭くって居心地悪いし、…。」
答えになっていないが…。ブツブツと文句を言っている。
「え、じゃあなんで居るの?居心地悪いんなら出ていけば良いのに…!」
雨見が異常な状況に気圧されずに威勢よく尋ねる。有津世が雨見を見て、少し呆気に取られながらも、うん、うん、と雨見に賛同した。
「そういう訳に行かないのよ。だってもう、うるさいから。あーもう、分かったわよ、やるわよ!」
両腕を空にシッシッと何かを払うように鬱陶しがる。
と、次の瞬間、
タイツおじさんの大きさと同じくらいの背丈の立派なクリスタルの結晶を、何処かから取り出し手にして、ウンショ、ウンショとうめき声を出し、引きずりながら運び出した。
ちなみにテレビ画面でのタイツおじさんの背丈は、10センチ程度だ。
適当な場所に運べたのか、タイツおじさんは続けてクリスタルを地面にドーンと差して、クリスタルはその場で縦に立った形で地面からは僅かに浮いて固定された様だ。
クリスタルはゆっくりと回転しキラキラと輝いている。
「ふうっ。これで良いでしょが、全く。うるさいったら!」
またもや空を仰ぐ様に、片腕を大きく振る。
「…誰に向かって喋ってんの?」
有津世が思わず聞いた。
「あーもう、誰でしょうかね!けっ!じゃあ、アンタ達、用事がある時は、このクリスタルに頼ってちょうだい。ここに立てとくから。Aボタンで起動出来るわよ。はい、はい、はい、はーい、アタシの仕事は終わり!立派な家を貰ったかと思ったら、七面倒くさい仕事まで請け負わされたわ。もう、今回はしてやられたわ!全く偉そうに、何様のつもりなのよ!」
「あなたの名前は…?」
「アタシ?ツピエルよっ!悪かったわね!ツピエルで!」
誰も文句を言っていないのに、一人ぶつくさと言う。
おもむろに脇からペンを取り出し、いつの間にか手に持っていたひも付きの木札に、『ツピエル』となぐり書きをし、家のドアの外側中央に設置した。乱暴に取り付けた反動で、ブランブランと木札が揺れている。
ドアを開けて家の中に入り込もうとしたツピエルと名乗るタイツおじさんは、こちらをチラ見すると、「フン!」と言って、ドアをバーンと閉めた。
窓からこちらを覗き込んで、さらに、「ツーン!」と言い残し、こちらから見えない所に消えてしまった。
呆気に取られて変な間がリビングを占拠する。
画面のクリスタルは、依然としてゆっくり回転しながら煌めいていた。
「ん~、何~?騒がしいな~。」
一人掛けのソファに丸まって眠り込んでいた友喜が背を反らし両腕をぐーんと伸ばして大きく伸びをしてから目を擦った。
「友喜ちゃん!」
「友喜!」
「ん~、二人とも、どうしたの~?」
二人の真剣な表情を見て、友喜は目をぱちくりと開き、きょとんとしている。
「あ~っ!またバグってる…!!」
テレビ画面にふと目を向けた友喜が、ゲーム機から映し出される映像の異常に気付いて有津世と雨見に何事かと迫った。
「ああ、うん、またあの変なタイツおじさんが出てきたんだよ。よっく分からねえ~。」
有津世の返しに、
「ぬえええええ!」
見た時のおぞましさを思い出して友喜は奇妙な叫び声を上げる。
友喜の様子をまじまじと見て、有津世は安心してほっと息をついた。
「大丈夫そうだな。よし、元気だ。」
友喜の頭をポンポンと撫でた。
友喜はそれを見上げ、「はて?」と首を傾げる。
兄妹のやり取りを眺めながら、雨見も胸を撫で下した。
その後は、三人でバグったゲームの画面をほったらかしにして遊んだ。
絵も描いたし、ジグソーパズルの続きもした。
雨見が白い毛玉の絵をまた描くものだから、友喜は思い出して自分の見た夢のと一緒だと喜んだ。
絵を描きながら雨見がふと友喜に問いかける。
「友喜ちゃん、さっき、下校時にさ…。」
「ん?」
「私達に抱き着いてきたでしょう?」
「え~?そんな事したっけ?私…。」
「…!」
「下校時…下校時…。え、私、下校時に二人に会ったっけ?」
「家の直ぐ近くで会ったよ…覚えてない?」
友喜は首を傾げている。本気で思い出せないらしい。
ジグソーパズルのピースを摘まみながら、有津世は二人の様子を見守っていた。
雨見は一瞬、とても寂しそうな表情を覗かせたが、
「あ、ううん、大丈夫、大丈夫!あ、ねえ、これさあ…、」
友喜の描く絵に話題を切り替え、友喜が気にしない様にと気を配った。
雨見の問いかけに答えつつも不思議に思った友喜は、手提げ袋の上に置いてある雨見の私物になんとなく目が行った。
それは分厚い本で、読む為に雨見は持ってきたのだろうか。
雨見を見ると、雨見は再び絵を描くのに集中している様だ。
友喜も自分の絵を描こうと手元のポータブルゲーム機に視線を戻した。
すると一瞬、友喜の動きが止まった。
同時に、黄緑色の霧の様な光が、友喜の中から出現した。
誰も気づいては無いけれど。
光は雨見の分厚い本の所に移動してそっと撫でた様に見えたかと思うと、今度は本全体に浸透して本全体がぼんやりと黄緑色に光り輝いた。
程無く、霧の光は収束して行儀良く友喜の下へ戻って吸い込まれて消えた。
この間、僅か1分程度だっただろうか。
再び動きを取り戻した友喜は胸に手をやった。
「どうしたの、友喜ちゃん。」
「うん、なんか胸の奥がぽかぽか~って。」
「温かいっていう意味?」
「そう。」
友喜の受け答えに雨見が微笑んだ。
雨見と友喜の会話を聞いていた有津世が先程からちらちらとテレビ画面を眺めていて、手にはコントローラーを握っている。
「クリスタルに合わせてAボタンか…。」
呟きながらコントローラーを操作してみた。
どうせコントローラーは利かないだろうと高を括った予想に反してコントローラーは動き、何とクリスタルにカーソルを合わせる事が出来た。
「おっ、動いたぞ…!」
目を見開き驚いて発した有津世の声に、友喜と雨見の二人は有津世とテレビに映るゲーム画面に注目した。
「Aボタン、押す?」
「押してみるか…。」
有津世がAボタンを押してみた。
カチッ。
すると…
途端に画面が砂嵐になった。
ザー・ザザー・ザー…
「ひっ!」
慌ててテレビとゲームの電源を消した。
「…あー、びっくりした…。」
有津世は手汗が出ているのを感じたし、友喜は雨見に飛びついて固まっている。
「…やっぱり、バグなのかな?」
雨見が友喜と有津世に意見を尋ねるも、
「う~ん…。」
答えようの無い状況に、唸り声だけが部屋に響いた。