一人目
朝。
林の奥にある二棟の家。その手前側、黒い外壁と深緑色の屋根の家から、友喜が玄関ドアを開けて出てくる。
今日は日差しが強く、林の木々は、さわさわとその光を揺らして地面へ伝える。
友喜の学校は、有津世と雨見の学校よりもずっと近かったので、有津世達よりもだいぶ後に出てきた今の時間でもまだ余裕があった。
とは言え、見慣れた林の風景であるし、すたすたと歩いて行けば良いものを、友喜はその林の木々を珍しそうに眺め、場合によっては立ち止まり、しゃがんで何かを観察したりしていた。
視線の先に、むくむくと落ち葉の下からきのこが出現する。
次の瞬間、きのこの軸に小さなドアが現れて、開いたドアからツピエルが顔を出した。
「あら、アナタ。久し振りじゃない。」
ツピエルが興味無さそうに言うと、友喜は首を傾げた。
「あら!散々アタシの事ぎゃーぎゃー言っておいて、忘れたとでも言うの?」
途端にツピエルが友喜の態度に憤怒する。
友喜はまた首を傾げた。
「…。まあ、良いわ。アタシ一人が怒っていてもバカみたいだし。お行きなさい、シッシッ!」
その言葉に従う様に、友喜は無言でツピエルを眺めつつも立ち上がって、再びゆっくりと林の道を歩き出す。
そんな友喜の姿を目で追いながら、ぶつぶつと文句を発しつつ、ツピエルはドアの中へと姿を消し、きのこは落ち葉の下へと沈んでいった。
草原の広がる情景の中に、いつの間にか友喜が出現していた。
それに気付いた幼いキャルユは、
「あ、おねえちゃん!」
喜んで近づいて行く。
「ねえ、おねえちゃん、今まで何処に行っていたの?」
「そうね…。」
小学生の友喜はキャルユの額の石を差し、にっこりと微笑んだ。
「?」
その仕草の意味が分からずに、キャルユは自分の額をまさぐる。
「ん、えっとお、これ?これ、大事な石!」
キャルユは質問されたと思い、それに答える様に、友喜に告げる。
「…そう。」
友喜が草原に座ったのを見て、キャルユも隣に座った。
「あ、おねえちゃん、見て!」
見るとキャルユが、丹念に糸を練り上げ増やしたものを友喜に見せている。
「上手ね。」
友喜はキャルユに言い、
「きゃははっ。」
キャルユは友喜の言葉に嬉しそうに笑った。
キャルユの姿を、友喜は穏やかな表情で見守っている。
「ねえ、キャルユ。」
友喜の声に、キャルユが振り向く。
二人の居る草原には心地良い風が吹いていた。
朝。
ゲーム会社のオフィスで、いつもと変わらぬ挨拶を朝の常連と交わした後、則陽は今日も意気揚々と作業をし始める。
今日は梨乃に、副業のオフィスにも寄って来る事を話したから、本業のこちらの仕事もテンポ良く進めていこうと思っている。
今までのゲームのアップデート用のデータに加えて、最近始まった新ゲームプロジェクト。その責任を負った則陽は、今日も細部のアイデアについて同僚と共に話し合う準備を整える。
同時に、則陽は副業である修正プログラムについても、その解析について頭の中で思い描いていた。
繁華街外れの小ぶりなマンション。
梨乃はこの日、一日休みを貰って自分の部屋の持ち物チェックをしに来た。
便利な賃貸マンションで、必要最低限の生活家電は元より付いていた。だから持って行くべきはそれ以外のもので、勿論エアコンなんかも始めから常備されていたのでそれも取り外す必要も無い。
服にもそこまで興味が無かったので、持ち合わせはそこまで無かったし、なるほど、則陽がそんなに物が増えたのかと聞いてきた言葉の意味を改めて理解した。
よくよく考えた後、梨乃は小さな炊飯器をひとつ抱えて、則陽のアパートまで移動した。
こんな事なら休みを取らずとも仕事帰りで用が済んだだろうが、昼間にこうした動きが取れる事に、梨乃はご満悦だった。
則陽の部屋の鍵を使ってアパートの部屋の玄関ドアを開けると、炊飯器をダイニングテーブルまで運び終えて、ひと息つく。ダイニングテーブルの席からテレビの部屋を眺めたと同時に、ゲームのクリスタル画面がテレビに表示された。
「あ。」
梨乃は導かれる様に、テレビの傍へと行き、ゲーム機のコントローラーを握った。
学校の白い校舎。
開け放った窓から、友喜の長い腕が伸びる。
「友喜。」
窓辺を向く友喜に、なつが後ろから声を掛ける。
「ああ、なっちん。」
なつの方を振り返り、
「昨日久し振りになっちんのお兄さんを見たな~。」
友喜が言う。
「ん。そうでしょ。前に会ったのは確か…小学生の時だったもんね。」
そうだ、そうだ、と友喜が思い出してなつに相槌を打つ。
「…。」
「…。」
二人共黙って、窓の外を見上げた。
「なつはさ…多分、恵まれてるんだよね。こうしてさ、友達である友喜もさ、兄妹お互いがお互いを想って大切にしててさ…。」
「え?何々?」
顔を赤らめながら、くすぐったそうに友喜が聞く。
「自分もさ、お兄ちゃんには、家族には大切にされてて…そういう世界しか、今の所知らないんだよね。」
友喜の顔が真顔に戻って、なつの話の続きを聞く。
「あたしさ、将来、カウンセラーになりたいと思っててさ。将来受ける話の中には、…きっと、あたしや友喜みたいでは無い状況下の人との対面も…あるんだろうな、って思うと…、多分今は、相当貴重な時間を過ごさせてもらっているなあって。」
そこまで聞くと、友喜はなつの顔を見て微笑んで、再び窓の外を向く。
「なっちん…偉いなあ。私は将来の事について、まだそこまで考えてないや。考えた方が良いよね…。」
「う~ん…友喜は友喜で、友喜の歩み方で良いんじゃない?」
「…そうかな。」
「そうだよ。」
言い切りスッキリした顔で、なつも窓の外の空を見上げる。
青い空に雲の白さが際立っていた。
草原で誰かが駆け寄って来るのが視界に入って来た。
「別のおねえちゃんだ!」
言葉を耳にして振り返った小学生の友喜は、この場に新たに現れた人物の近くに幼いキャルユが走り寄って行くのを目を細めて見守る。
「ねえ、おねえちゃん、何してるの?」
「え?」
その質問に、上手く答えが見つからずに、何て答えようか迷う。
「おねえちゃんも、一緒に座ろう!」
小さな手に自分の手が引かれて、もう一人の少女の居る方へと導かれる。
「あ、あの、…こんにちは。」
有津世の時の様に、質問攻めでイラつかせても良くないから、と前回の時を思い、慎重に挨拶から始める。
すると、手を引っ張った女の子は、キャルユ、キャルユ!と彼女自身の顔を差して自己紹介をしてくれて、座り込んだままの女の子は、じっと私の顔を見たまま沈黙していた。
「あ…私は、野崎梨乃。つい最近、初めてクリスタルの中に入れて、…有津世くんって男の子に会えたの。で、今回も行けるかな?って、ボタン、押してみたら入れて…。」
そこまで話して、尚もじっと見てくる少女の顔を見つめ返した。
何だか友喜ちゃんに似ている…?
梨乃は考えた。
友喜からは妹が居るという話は聞いた事が無かったけれど、この少女は友喜の妹なんだろうか。
そして一緒に居る、キャルユと言って自己紹介してくれた小さな少女は、ふわふわなドレスを着ていて、おでこに着けている装飾と言い、日本のものとはかけ離れている。髪は染めたのかも知れないが、明るい黄緑色のロングヘアだなんて、ますます日本の子には見えなかった。
次に辺りを見回して、ここは何処だろう、と改めて思う。
キャルユは近くで転げて一人ではしゃぎ、楽しそうな声が草原に響いている。
「…ここは、憩いの場ね。」
口にした訳では無いのに、梨乃の疑問を汲み取ったかの様に友喜に似た小学生くらいの少女は梨乃に向かって言った。
「憩いの場…。」
梨乃が友喜の言葉を復唱する。
「別の言い方をするならば…神殿、とも言えるかも知れないわね…。」
「神殿…?」
「誤解を呼ぶといけないから、憩いの場で良いわ。」
梨乃は首を傾げた。
「あの…あなたは…。」
「私は友喜よ。あなたの知る友喜とは少し様子が違うだろうけど。」
「え?」
梨乃は少女が発した言葉の意味をやはり理解出来ない。
しばし俯き考え込んでから、
「どうして、少し違うの?」
聞いてみた。
「どうして…?どうして…、…今まで、そんな風に考えた事は無かったわね。」
答えにならない答えが返ってきて、梨乃は不思議そうな顔を友喜に向ける。
「あなたは、一緒にカフェに行った友喜ちゃんとは違うの?」
似た様な質問を、再度友喜に投げ掛けた。
「あ…、思い出したわ。あなたに糸が見えたの。その時のあなたに接したのは、私だったわ。」
梨乃は始め何の事か分からなかったが、友喜とのお茶タイム終わりに、音としては聞こえてはいたけど意味が掴めなかった友喜の言葉を思い出した。
「……希望の糸…。」
「そう。それを言ったのは私。」
「え、ちょっと待って。あの時会っていたのは確かに友喜ちゃんだし…。それって…、ひょっとして中身が入れ替わっていたって事?」
「その通りよ。」
涼しい顔で友喜は梨乃に答えた。
「そしたら、その時の友喜ちゃんは?私の知ってる友喜ちゃんはその時どういう状態だったの?入れ替わったって言うのなら…。」
「…ああ、そうね。彼女は覚えていないかしら。」
「会った事も?カフェでお茶して話した事も全部?」
「いいえ。入れ替わったのはほんの数分の…あの場面でだけだわ。糸の話をしたあの場面でだけ。」
「別れ際の…。」
「ええ、そう。」
友喜から返事を受けた梨乃はまた考えた。
友喜の立場が複雑なのは前回の有津世との対峙で理解したが、それがもっと、思ってたよりも更にずっと複雑そうだ。
「友喜ちゃん…。」
梨乃は友喜を想い、沈んだ表情になった。
「あなたが思い悩む事は無いわ。」
「でも…、」
「私はこうする必要があるから、こうして居るだけ。」
「必要が…ある…。」
「そう、必要があるの。」
「…。」
考え込んでいた梨乃は質問を変える。
「どうして私は、ここ、憩いの場に来れたのかな。」
友喜は
「ああ、それは、…あなたが資格を持っているからだわ。」
「…資格?でも私、何にも…。」
何にも変わった事を持ち合わせていない、と言おうとすると、
「ふふ…。」
友喜が笑った気がした。
気がした、と言うのは、いつの間にか自分の体が白い光の粒子に包まれていて友喜の姿が良く見えなかったからだ。
キャルユの楽しそうな笑い声が耳に入ってきたのを最後に、梨乃の意識は則陽のアパートの部屋に戻った事に気が付いた。
6階建てのビルの4階。
昼、休憩スペースでノリムーの弁当を食べながら、梨乃はきちんと昼ご飯を食べているだろうか、と何と無しに思う。
ステンレスマグのコーヒーを飲みつつ、則陽は今朝の事を思い返した。
「則ちゃん、コーヒー、濃い!」
「え?梨乃、昨日はこのくらいで大丈夫だったよ。」
「ん~何か…今日は濃い!」
相変わらずの梨乃の反応は、その度に則陽を愉快にさせた。
則陽の表情を覗いて、
「おっ、楽しそうか、」
と先輩の吉葉が来る。
「お前、彼女とよりが戻って、最近楽しそうだな!」
「はい、お陰様で。」
「おっ、お前そこはもうちょっと否定する所だろ~!はっきり肯定し過ぎなんだよ!」
悔しそうな表情を作りながら、吉葉は則陽に言う。
「先輩も作れば良いじゃないですか、彼女。」
「ん、いや、…俺は良いんだよ。」
羨ましいアピールをしていたはずの吉葉が、急にトーンダウンする。
その様子を見て、
「先輩、踏み込む様で悪いですけれど…過去に何かあったんですか?」
おおよそ則陽らしくない突っ込みに目を丸くして、
「そんな、何もねえよ!悪いというなら突っ込んでくるなよ!でもな、俺は外見では落とせねえから!」
強気で言い放つ吉葉を見て、…外見の良い誰かと、過去に何かあったんですね…、と則陽は思いついたが、そこは声に出さなかった。
都内アパート。
則陽は副業の修正プログラムの解析もそこそこに、今日は早めに家に戻った。
家に帰り、デスクトップコンピュータを付けると、今回は始めからツピエルが出現して愚痴を言い始めた。それを聞きつけ、梨乃も則陽のデスクトップコンピュータの近くに寄って来る。
「あの小娘がさ、アタシの事、見るなりぎゃーぎゃーわめいてたあの小娘がさ、ちっとも反応しないんだから、アタシ怒ってやったわよ!」
画面の内側から、怒涛の如く文句を飛ばしてくるツピエルに対し、え、何の話?と則陽は聞く。
「だから、アナタの所に来る前にアタシが居た所の小娘よ。あの家で、ぎゃーぎゃーわめいてたのにさ、」
則陽が梨乃と顔を見合わせ、
「ああ、有津世くん達の所?」
則陽が聞く。
「そうよ!あの小娘ったら、アタシの事じーっと見ちゃって、全く失礼ったら無いわ!」
その言葉を受けて…梨乃はしばし考える。
「あ、ねえ、則ちゃん。」
「ん?」
「私、今日もクリスタルの中に入れたんだけど…、」
則陽が、えっ、と驚き、梨乃は頷いて続ける。
「ツピエルが言っているのがもう一人の女の子の事なら分からないけれど、もしそれが友喜ちゃんの事なら、もしかしたら…。」
再び思案する梨乃を見て、則陽はツピエルに聞いてみた。
「ツピエル、それは友喜ちゃんの事?」
「知ったこっちゃ無いわよっ!あっちがアタシの事、知らない振りするんだからっ!」
則陽はしばし考え、梨乃の方を向いた。
「どうだろう、でも、友喜ちゃんか友喜ちゃんじゃ無い子、どちらかだろうね。」
「うん…。」
けっ、と言う声が、画面の中から聞こえる。
気にせずに梨乃の言葉を則陽は待った。
「私、友喜ちゃんが…自分が思っていたよりもずっと大きな何かを…抱えているんじゃないか、って、今日の事で思ったの。」
と、ツピエルが梨乃の話に割り込んでくる。
「まあ、発散したから消えるわ。あ、ねえ、わんちゃんのデザインどうなってんのよ!?」
「ああ、それは…追々…。」
「修正してたんじゃなかったの?楽しみにしてるんだから、早くしてよねっ!」
何の話?と梨乃が聞き、ついこの間の、梨乃のブログページに辿り着くまでの経緯を則陽が説明した。
「あ、それで…。」
梨乃の頬が赤くなった。
則陽はツピエルが居るのにも関わらず、梨乃の反応を見て、彼女にくちづけをした。それを目にしたツピエルは動きが止まり、画面からフェードアウトしていく。
梨乃はツピエルを気にして、則ちゃん、と声をかけ、則陽のくちづけを止めさせると、ツピエルは丁度消えかかっていく所だった。
「あ…。」
「ツピエルはさ、お膳立てまでしてくれたんだし、邪魔しないって、俺は最近分かったよ。」
「ん、でも…。」
恥ずかしい、と梨乃は言うと、今はちょっと待って、と再び唇を重ねてきそうな則陽を止めた。
「先にね、友喜ちゃんにメールをしておきたいの。則ちゃんのメールアドレスからいつもの様に、有津世くんにでも良いかな、あ、同じメールアドレスだっけ?」
そうだと則陽が頷くと、則陽がメールボックスを開いた。
「んーとね…。」
梨乃の言葉を聞きながら、則陽は一字一句違わずに文字を打ち込んでいった。
林の道。
友喜が家までの道を一人歩いている。
期せずして聞く事になった、なつの将来の目標は、友喜を軽く刺激していて。
自分には、何が出来るのかなあ、そんな事を考えて、そよぐ風を受けながら歩いていた友喜の耳に、けっ!という鋭い声が飛び込んできた。
「ひっ!」
思わず小さく悲鳴を上げた友喜は逃げる様にその場を通り過ぎた。
家に辿り着いて閉じた玄関ドアにもたれてほっと息を付くと、2階の自分の部屋へ移動して鞄を置き私服に着替えて戻って来た。
兄の有津世はまだ帰って来ていなくて、今日も一足先にお茶を飲もうかとダイニングに一人立つ。
何だかお腹も空いてきて、三人で食べる今日のお菓子を一人で選ぶと、紅茶を淹れた自分のマグカップと三人分のお菓子を座卓に置いた。
ソファーに座り座卓に肘をついて、それらを眺める。
どうも最近は情報が目まぐるしいから一旦整理をしよう、そう思った。
キャルユが友喜のもう一つの人格で、友喜の周りに被さっている、なつには見える、もや、が、彼女である可能性。
被っているのが彼女で、それで友喜が、記憶には無いけれど有津世と雨見が目撃したという独り言みたいな会話を彼女としていたのではないかという事。
更にはつい先日に、小学生の時くらいの大きさの友喜がぽわぽわから出現してくるのを目撃してしまった事。
その上、梨乃さんと奈巣野さんとが実は恋仲で、その梨乃さんと兄の有津世はクリスタルの中で会えたと言う。
ふう。
友喜は一息ついて、紅茶のマグカップを手に取って一口、口に含む。
お菓子はやっぱり兄達が帰って来た時に一緒に食べよう、と座卓に用意したのを見て思った。
ゲーム機を何と無く眺めたら、クリスタルの画面がテレビにパッと表示された。
画面を眺めながらものを想う。
クリスタルの中にも、また入れる様になった。
奈巣野さんは、胸の欠片…って言っていたけれど。
自分は覚えていないけれど自分が幼い自分と対峙した事はそれと何か関係があるだろうか。
「ただいまー。」
「あ、お兄ちゃん、お帰りなさい!」
有津世の声に、友喜がソファから顔を上げた。
「おお、友喜、帰ってたか。」
リビングに来た有津世に友喜は頷くと有津世の姿を眺めてはたと止まった。
「どうした?」
「ううん、何でも無い。」
友喜のそんな反応にも優しく微笑み、着替えてくるね、と有津世は再び廊下を通って玄関前の階段から2階へ上がっていく。
欠片、かあ…。
もの思いに耽りながら、有津世と雨見の分の紅茶を友喜は淹れ始めた。
飲み屋街の一角。
狭くて古いコンクリートが剥き出しの階段を地下2階程まで下りた所のオフィス。
一歩足を踏み入れると辿り着くまでの印象とはかけ離れた雰囲気となるその空間にはいつも快適な空調がなされている。
則陽は先程まで行っていた本業の業務内容とは趣を異にした作業に今回も勤しむ。
ソウイチからエラーの作成元は探るな、と忠告を受け停滞していた解析作業だが最近また作業の手が進み始めた。
マニュアル本と自身のノートを開き、画面と本、ノートへと順繰りに視線と手を動かして、キーボードに打ち込むのとノートに書き込むのとを同時進行で行っていく。
則陽は作業に没頭していった。
林の奥の二棟の家。
有津世達の家に雨見が到着した。
「お邪魔しまーす…。」
「あ、雨見ちゃん!」
「雨見、入って。」
有津世と友喜の居るリビングにたどり着いた雨見は、はあ、とため息をついて、夢日記と豪奢な装飾のノートを入れた手提げ袋を座卓に下ろした。
「雨見ちゃん…元気無いみたい…。」
友喜が言うと、雨見は友喜の顔を見て、
「うん、実はね…。」
雨見は最近見ている夢の内容を友喜に説明した。
「お兄ちゃん、ううんツァームの方は、無事なの?」
友喜は雨見からの説明に大いに驚いて尋ねる。
「今の所、それも分からなくて…。夢が進まない事には、何とも言えないんだ。」
「…でも、友喜の状態と自分達の記憶の乖離については、どうしてって思っていたのが一つ分かった気がするよね。」
三人が一斉に物思いに浸ってリビングには沈黙が走った。
各々が紅茶のマグカップを手に取ってそれぞれ口にする。
「いずれにせよ、こっちで何かを探れるとしたら、クリスタルの中に入るしか方法が今の所無いもんね…。今日は入れた?」
「ううん、まだ試してない。」
友喜が答える。
そこで有津世がゲーム機のコントローラーを手に取り、慣れた手つきでカーソルをクリスタルに合わせてAボタンを押した。
都内アパート。
則陽のデスクトップコンピュータの前で、梨乃に言われるがまま打ったメールの文章内容は、則陽に新たなる驚きを与えた。
「そんな事が…。」
「そう…。あったの。」
梨乃は真剣な表情で答える。
「有津世くんと話した時にね、ああ、こういう世界も中にはあるのかな、って、単純な興味で思ったの。有津世くん達が奮闘しているだろう事も…。でね、今回ちょっと見えた気がするの。」
「?」
「何かその、背景みたいなものがね…。」
梨乃は、その小学生くらいの大きさの友喜と話をしていた時に、彼女が敢えて今高校生である友喜と同化していないというのを彼女の言葉から汲み取った。
「それはね、多分、何かそういう、お仕事なんだよ。」
「仕事?」
「そう、…則ちゃんが自ら興味を持って続けている、修正プログラミングのお仕事みたいな。」
「…。」
「使命を感じて、続けているお仕事、みたいな。」
則陽は自身の修正プログラミングの作業を思い返す。
始めは指示通りにだけ動いていたのが、自らその解析をしようと思い立ち動き始めたのは副業を始めてから日はそう経っていない地点でだった。誰に求められているでも無いのに今現在もそれを進めようとしているのは、梨乃の言う通りだからかも知れない。
「世界を助ける…。」
「え?」
「初めて友喜ちゃんにクリスタルの中で会った時、三人で世界を助けるため、って、確かそう言ってたんだ。」
則陽の発言に、梨乃は落ち着かなそうな様相を表す。
「え、梨乃が言ってたのって、そういう話じゃないの?」
「え、ああ、うん…。言葉にすると、そんな大それた意味なんだ…って思うと…。」
梨乃らしい返しに、則陽は肩の力が抜けて笑いがこぼれた。
「取り敢えず、夜ご飯にしようか。」
尚も落ち着かなそうな素振りを見せる梨乃を、ダイニングへと誘った。




