暗闇の中で
濃淡の緑に包まれた地。
小学生の姿の友喜は幼いキャルユと共に草原にしばらく座っていたが、彼女はその腰を上げ、石碑の近くへと歩み寄った。
「おねえ、ちゃん、何してるの?」
石碑に向かって何かを唱えている様にも見える。
幼いキャルユの問いがまるで聞こえていないかの様に何かを唱え続け、いつの間にか、友喜の手には色とりどりの煌びやかな糸がゆるりと巻かれていた。
「はい、これ。」
友喜はその内の一本をするりと引き抜いて幼いキャルユへ手渡す。
「その内に、必要になるから。」
との言葉を添えながら。
あとは、…と言い、友喜が幼いキャルユから遠のいていく。
「おねえちゃん、何処かへ行っちゃうの?」
幼いキャルユは声を張り上げて友喜に尋ねた。
「うん。でもまた会えるし、何なら毎日の様に会ってる。だから大丈夫。」
それだけ告げて、幼いキャルユに向かって微笑んで去って行った。
「そう、つまり、このコンピュータは、地球の波動域に繋がっているんだ。だから、現実の現象に直接干渉する事が出来る…。」
この言葉を発しているのは、僅か10歳を過ぎたくらいの男の子だ。
周りの男二人は、男の子の発言を聞き、必要な事は細かく内容をメモに残したし、男の子からそれについての説明を男の子自身が書き記したものを受け取る事も多くあった。
「じゃあ、私達は、これで…。」
「そうですね、今回もありがとうございます、ソウイチ様。」
今回の伝達必要事項を全て受け取ると、男達は頷き合いながら挨拶を交わしてソウイチの前から退散する。
「あ、ソウイチ様、くれぐれも…、」
「日光浴の時間でしょ。分かってる。ちゃんとするよ。」
それだけ答えて、ソウイチは床に散らばっている部品の方に、再び顔を向けた。
男達が部屋から姿を消すと、ソウイチはふと思い出した様に自分の服のポケットの中から、ひとつの小石を取り出す。
うん、うん、そうだね、とまるで小石に返事をする様に接し、男達には見せない笑顔をその小石に向けて見せた。
いつから居たのかは分からない。
とにかくそこは暗闇だった。
ソウイチは、自分が自分と認識するよりも前の頃から、世界は暗闇で、自分の居る世界はそういうものだと思っていた。
だから別段、悲哀も感じなかったし、感情としては無に近かっただろうか。
嗅覚も正常なままでは居れなかったし、聴覚も壊れてしまえば良い、そんな風に感じる空間だった。ただ、暗闇だったので、視覚に関してはそこまで否定する事も無く、言うなれば、全ての五感に関して、その場所以外の感覚を体験した事が無かったため、停滞しつつも、それはそれとして、ソウイチはただ受け入れるしか無かった。
何をどうしようとも思わなかった。時の流れさえも、有るのか感じた事は無かった。
暗闇の中を、一筋の光が走った。
そんな明るいものは見た事が無い。
ソウイチは近づいてみた。
近づいてみたら、それは…
行こう、と言われた。行こうと思った。
彼女が走ると、自分も走ろうと思った。
途中から背に負ぶわれて、彼女の必死さが伝わった。
途中から、彼女が別の人になって、初めてその時、暗闇に居た時とは別の香りを嗅いだ。
彼女の放った手のひらの緑の光が、何かを粉々にして、それは消えた様に見えた。
初めて、外の光を目にする。
眩しい。
暗闇とは違う、他の、様々な色あいを見た。
尚も別の人になっている彼女に僕は負ぶわれたままで、様々な香りをも嗅ぐ。ただその時も一番濃かったのは、花の香りだ。
そしてある場所に着くと、他の人が居た。
別の人になっている彼女と、その人は何かを話している。
僕はその人に負ぶわれ直した。
その人はある部屋まで僕と彼女を一緒に連れて行くと、別の人になっている彼女は体を休めると言う。彼女は僕に最後にこう言った。
僕がキーであると。
僕は初めて、自分の体をおじいさんに言われて清潔に洗って貰った。
お風呂というものは、温かく、気持ちが良かった。
見た事の無い食事を、おじいさんは与えてくれて、僕は初めて、柔らかい布団で眠りに就いた。
おじいさんは眠っている彼女の、家族、だと言う。
それは互いに支え合う者達の集まりだと、おじいさんは教えてくれた。
おじいさんは、僕も家族だと言ってくれた。
僕の足は逃げる時の無理が祟り、少し痛んでいたけれど、お日様を浴びていればそれは次第に良くなるとおじいさんは言い、事実その通りで、彼女が目覚める頃にはすっかり良くなっていた。
いつもの様に、おじいさんと僕は、朝、彼女の寝ている部屋へと訪問して、様子を伺っていると、彼女はようやく目を覚ました。
彼女はおじいさんと僕に目をやり、無事で良かった、と僕に言葉をくれた。
彼女に成り代わっていた別の人は、そこにはもう居なかった。
何かの木の花が散って、落ち葉の上に重なる。
彼女と僕は、度々山の緩い斜面を散策して、彼女は、いつもこうしているんだ、と言い、彼女の秘密の場所とかを様々に教えてくれた。
特に面白かったのは、斜面の途中に流れている小川で、彼女は石の様子を聞きながらそれを小川に投げ入れ、その様子を二人で見守った事だ。
僕はふと足元の石を見ると、彼女はそれを拾い、僕にくれた。
「はい、一緒に居たいって。」
そうして僕は、初めて僕の宝物を手に入れた。
「…!」
僕は感動すると、彼女は喜んで、おじいさんに伝えた。
「おお…、それではまさに…。」
おじいさんは彼女の言葉を受け、続けて僕を見る。
それから少し経って、僕はこの山奥から去って行く事となった。
僕はいつまでもこの地に居たかったし、二人と別れたくも無かった。
けれど、僕にはこの地を去る、別の使命がある事にも気付き始めていたから。
僕は二人に別れを告げ、言葉を発した。
言葉を…僕は…初めて僕の声を聞いた。
林の奥の二棟の家。
夜も9時を回った頃に、柚木家のインターホンが鳴った。
「お邪魔します。」
と言ったのは雨見だ。
一旦家に帰って、夕飯とお風呂を済ませて再び来た所だ。
「あらあ、いらっしゃい。どうぞ~。」
「雨見ちゃん、良く来たね。ちょっと見ない間に、大きくなったね。」
有津世達の両親の歓迎ぶりに雨見は丁寧にお辞儀をして、すみません、お騒がせします、と言った。
「雨見、こっち。」
「雨見ちゃん。」
有津世と友喜が2階へ手招きすると、雨見が2階への階段を上り始める。
「雨見ちゃん、パジャマじゃないんだ。」
既にパジャマ姿の友喜が言うと、いくら直ぐそこでも、外をパジャマで歩くのはね、と言い、持ってきてるよ、と、雨見は手にしているトートバッグを持ち上げて示した。
雨見が荷物を友喜の部屋に置いたのを確認すると、有津世は自分の部屋に二人を招いた。
有津世の部屋に三人集まると、
「なんかさ、こういうのって良いね!」
にこにこ顔の友喜が言う。
雨見にパジャマに着替えたら、と友喜が続けて気軽に言ったが、有津世の手前からか、友喜ちゃんの部屋に戻ってから着替えるね、とそこは固く遠慮をした。
したがって、有津世と友喜はパジャマ姿で、雨見はいつもと変わらぬ私服姿だ。
「ぽわぽわ今夜も来る?お兄ちゃん、毎晩来るの?」
「ほぼ毎晩ね。先にこっちが寝ちゃって確認出来ない事もあるなあ…。」
有津世が言う。
「来たら、また何か起こるのかな…?」
「何も起こらなければ、…良いけどね…。」
有津世が前回の事を思い出して、若干引き気味に言う。
それを見て、雨見がふふ、と笑う。
「友喜はさ、記憶が無くなるから、知らなくて良いよなあ。」
と尚も言う有津世を雨見が止める。
「あんまり言うと、また喧嘩になるよ!」
はーい、ごめんなさーい、と有津世が言い、そんな有津世をぶすっとした顔で友喜は見る。
「でもさ、私、二人の部屋って入った事そんなに無いから、こういう部屋だったっけ?って、新鮮だな。」
「おー、そうかー。」
有津世と友喜が顔を見合わせ、確かにそうだね、と頷く。
「いつもリビングで完結してるもんね。ねえ、雨見ちゃんの部屋はどんな?」
雨見こそ、二人に自分の部屋へ入ってもらった事がこれまでに一度も無かった。
「う~んとねえ、じゃあ今度来て!」
「うん、じゃあ今度行く!」
「え、行って良いの?」
有津世は顔を赤くする。と、お兄ちゃん私もその時一緒だから!と秒で友喜に突っ込まれた。
「…。」
友喜と有津世のやり取りに雨見が薄っすらと頬を染めて、三人の間に少しの間沈黙が流れる。
有津世の机の上のラップトップコンピュータに友喜がふと視線をやった。
「あ、そう言えば、お兄ちゃん奈巣野さんにメール返信したの?」
「返信したよ。」
「そっか。」
私もメールを送ろうかな。
クリスタルの中で久し振りに会えたのだし、会えた事をメールという形でも確認したいなとも思ったから。
「…。」
「ん?友喜、どうした?」
有津世が友喜の沈黙に興味を抱く。
三人は有津世の部屋に母が持ってきてくれたふかふかなラグの上で、寝っ転がりながら肘をついて互いの顔をつき合わせている。
「友~喜。うりうり。」
有津世が友喜の肩に拳を当てて、ちょっかいを出した。
「ちょっと、止めて、お兄ちゃん!」
「なっ…!」
昼間に続いて、今まで止められた事の無かった自分の挙動が注意された事に有津世はまたもやたじろいだ。
というか、だいぶショックを受けているみたいだ。
雨見がそれを見て、あーあ、と言いながら、その場をなだめる様に口を挟む。
「まあ、ずっとそうして接してきたんだから、友喜ちゃん、有津世に優しくしてやって。」
いわば有津世へのフォローだ。
当の友喜はというと、ええええ、やだあっ!と重ねて声を上げた。
「いや、それはさすがに…友喜、お兄ちゃんに対して、言い過ぎじゃね?」
「そろそろ友喜ちゃんもお兄ちゃん離れかあ。」
「ええっ!」
雨見の言葉に固まる有津世を見て、何よ、自分が最初に、とか友喜はぶつぶつ文句を言っている。
「…まあ、健全って…事じゃないかな?」
なかなか収まりが付かない二人に雨見が苦し紛れにフォローを付け足す。
友喜は、ふんっ、と言ってそっぽを向くし、有津世はショックで固まったままだ。
雨見はクスッと笑い、その拍子に有津世と友喜が二人顔を見合わせて、雨見を眺めた。
雨見はラグに視線を落として想いを巡らせた。
二人共、優しいからなあ。
雨見は自分の手前、友喜がそういう態度なんだと思ったし、有津世の友喜に対する態度はこれが通常なのだと小さい頃から見ていて知っている。
三人の関係は、今はちょっぴり動いたけれど、気を遣わぬ様にと二人が接してくれているのが雨見には分かって。
「ん、何?」
雨見は視線を感じて顔を上げると二人が自分の顔を見ているのに気付いた。
しかも、有津世の顔が心なしかゆっくりと近づいてきていて…。
「雨見…。」
有津世の脇腹に、友喜がすかさず肘鉄をくらわせた。
有津世の表情と体勢がどちゃっと崩れ、有津世が脇を押さえて悶絶する。
「ふんっ!」
「友喜…もうちょい、お兄ちゃんに優しく…。」
有津世は本気で涙目だった。
梨乃は会社のオフィスに辿り着いていた。
プライベートを見せる素振りは全くしない彼女だったが、則陽との復縁は、いつもの自分の姿勢さえ裏切る程の変化だったのだろう。梨乃はポーカーフェイスを気取りながらも、漏れ出る笑顔に嘘はつけなかった。清々しい程の笑顔が、彼女に更なる華を添えていた。
街路樹脇の小ぶりな6階建てビルの4階では、則陽がいつもの様に作業を開始していた。
今日も持参した、朝食の残りのコーヒーが入ったステンレスマグをデスクに出すと、今朝の梨乃との会話が思い出されて、則陽は一人微笑む。
則陽の様子を目にした吉葉が後ろから声を掛けてきた。
「よっ、何か良い事あったか?」
「ええ、…まあ。」
その後の自主的な休憩時間の折に、則陽は吉葉に声を掛けられ、仕事場の入り口の観葉植物ノーリの前にパイプ椅子を二脚広げ、二人は座って話をした。
「そうか、それは良かった!」
観葉植物ノーリの近くに設置されている自動販売機で買った缶コーヒーを片手に、吉葉は則陽の報告を素直に祝った。
「ま、俺が腹痛めただけあるよな!」
「誰が腹痛めたんですか、誰が。」
「先輩、俺の事はともかく、自分の事はどうなんですか、そういや先輩は彼女、居るんですか?」
「ん?居ねえよ。」
「自分が言うのもなんですけれど、もうそろそろ、落ち着いた方が良い年齢なんじゃ…」
「まあ、彼女居なくても、俺、落ち着いてるし。自分が言うのもなんだって言うんなら言うなよ。第一、俺、お前と年変わらないし。」
則陽が耳を疑う。
「へ…?」
「あれ、話、しなかったっけか?俺、大学行ってねえからさ、実はお前と歳、一緒。」
「あ、でも俺も専門二年通っただけで、大学は行ってないです。」
「そうだったっけか。ま、歳は一緒。それは違わねえよ。」
「マジですか?」
「マジ。」
「…にしては…。」
「何だ?『にしては、』の後は!俺が歳より老けてるとでも言いたいのか!確かになあ、俺は、自分のポリシーで、こう、茶髪で、長髪で、それが似合ってねえ訳だけどなあ!まあ、良い、分かった!イメチェンしてやるよ、イメチェン!」
「…は…、」
則陽が何も言っていないのに、話は勝手に進む。
言いたい事を言うだけ言って、
「じゃな、俺は先に席戻るわ、ノーリ、ありがとう、またな。」
吉葉は奥の仕事場に戻った。
則陽の目には吉葉は特に怒っている風には見えなかったし、まあ、これも、則陽に対する吉葉のパフォーマンスの一つだろうと思い、笑い声の代わりのため息をついた。
「ノーリ、面白かったな。」
ポロっとノーリに話し掛けると、ノーリは、この前則陽が見た時と同じ様に、一瞬だけ虹色に光った。則陽は再び、目が釘付けになる。
ノーリ…
心の中で呟くだけで、ノーリは再び、虹色に光る。
三度目で気付いた事は、ノーリが光ると同時に、自分の胸の奥が共鳴しているらしい事だ。
光と同時に、胸の内部がぽっと熱くなる。
則陽はいつまでも観察を続けていたかったが、仕事の合間なのでこの場に座り続けている訳にもいかず、程無くノーリにありがとう、またな、と言って、パイプ椅子を畳み、その場を後にした。
挨拶に反応し光った事も、今回は見逃さなかった。
瞬間、胸の内部がまた、ぽっと熱くなった。
林の奥の二棟の家。
手前の、夜は漆黒に見える家の二つの丸い天窓、その一方から、三人の声がさわさわと聞こえてくる。
有津世と友喜の兄妹喧嘩というか言い合いと言うかじゃれ合いは一旦落ち着き、三人の会話は昼間する様な作戦会議の話へとその内容は移っていた。
「前にさ、クリスタルの中に入った時に会った、杉さんだっけ?、が話してくれたっていう、神社の木の役目が、邪魔されているって話…。」
「うん、」
「それでエールが阻害されている可能性もあるけれど…。」
「…」
「キャルユがさ、もし居ないんだったら、エール自体がもう、送れないって事じゃないの?」
有津世が可能性として考えられる事を二人に話す。
ツァーム達の世界では、始めはエールを三人ばらばらで樹に送っていたらしいが、その方法は効率が悪いとアミュラが気付き、三人同時に一箇所で行う事で、やっとエールが樹に満たされた経緯があった。
「じゃあキャルユが居ないんだったら、エールを送る役目、ツァームとアミュラだけでは出来ないの?」
「…う~ん…、一人欠けてて、その分が回数を増す事で出来るのかは、それを試した事が無いから分からないのだけれど…、エールの種類が三人同じかも分からないしね…。」
「三種三様のエールのエネルギーが混じって、初めてそれがツァーム達の地から他へ送り出される…なるほど、そういう可能性も否めない…とすると…、」
「それって、キャルユが居ないという仮定だと、絶望的じゃないの?」
「でも今回何故かいつの間にかクリスタルの中には入れた。どうやって入ったか覚えて無いけど。奈巣野さんとも会えたし。クリスタルの中に入れる事と、神社の木の問題は、原因がまた違うのかな…。」
友喜は昼間の事を思い出しながら続ける。
「奈巣野さんね、言ってた。奈巣野さんが今回クリスタルの中に入れたのは、自分の胸の中の欠片、それを取り戻せた感じがしたからじゃないかって。」
「胸の中の欠片?」
「そう言ってた。奈巣野さん、私にもね、何かそういう事があって入れたのかって、私に聞いてきて…。」
有津世と雨見が友喜に注目した。
「特に何も無いって、私は答えたんだけど…。エールって、胸の中の欠片の事なの?」
ふと疑問に思い、友喜が二人に問いかける。
「確かにエールを送る時は胸の奥側から光が出るんだ、アミュラ達三人の胸の奥からね。でもそれが奈巣野さんの言う欠片に該当するかは分からないけれど…。」
何か具体的な事は奈巣野さん言ってた?と、雨見が聞いて、友喜はふるふると首を振った。
「ん~、じゃあ尚更判断は難しいよね、意味合いが同じなのかどうかがね。」
「私は何も、覚えが無いもんなあ。」
「友喜ちゃんに覚えが無くてもさ、昼間言ってた有津世が見たっていう、友喜ちゃんとぽわぽわの現象で何かを友喜ちゃん側が受け取って変化した、とか。」
雨見の質問に、有津世は考え込む。
「その時の現象、もう一度、話してみてくれない?」
「うん…そうだな、友喜が手招きしてからぽわぽわが友喜に寄って行って、ぽわぽわが強く光ったんだ。すると、小学生の友喜が出てきて、半透明だった。ぽわぽわは、小学生の友喜の胸の辺りで浮かんでいたな…。」
雨見と友喜が、真剣な顔で聞く。
「二人で何かを話し合っている風なんだけど、こっちには一切、その音は聞こえてこなかった。それで…。」
「それで…?」
「それで終わりだったと思う。」
「そうなの?」
雨見の聞き返しに有津世は頷いて答えた。
「あ、でも、」
有津世がたった今思い出した様に言葉を足す。
「会話の終わり間際、だったかな。何かを手渡ししていた様な…。」
「何か?何かってそれが、胸の欠片?」
「さあ…?」
はっきりしない有津世の答えに三人の中で想像が渦巻く。
有津世の部屋のドアがコンコンと鳴った。
お茶をどうぞ~、と言ったのは母の声だ。
立ち上がった有津世が部屋のドアを開けると、有津世達の母が三人分のお茶を載せた盆を手ににっこりと笑っていた。
なんだかんだで気になるのかも知れない。
有津世が盆ごと有難く受け取って、座り直した雨見は、ありがとうございます、と笑顔で礼を言った。
母が持ってきてくれたお茶を三人すすりながら、今は寝っ転がるのをやめ、ラグの上で座り姿勢になっている。
「糸の話、覚えてる?」
雨見が二人に問いかける。
「キャルユが好きだった、糸の話。」
有津世が頷いて応じると、友喜が、そうなの?と聞く。
「うん。事ある毎に、キャルユは糸の話をするの。」
雨見は友喜に説明を始めた。
前にもした話ではあったけれど、説明した当時の友喜は、確か上の空だったから。
「キャルユは、私達アミュラとツァームに教えてくれたの。今までにもう何度も。よっぽど、糸の話が好きみたいでね。…彼女が言うには、額の石がね、言ったんだって。助けが必要になった時には、糸を辿りなさい、って。だから、樹が立ち枯れて、緊急事態に陥った時も、糸はきっとあるからって言っていたな…。」
「額の石…。」
友喜が雨見の話に惹き込まれて呟いた。
「そう。額の石がね、…う。」
「…?雨見ちゃん、どうしたの?」
「なんか、頭の中が、バリバリって…。」
「?」
ふと感じた空気の異変に、有津世と友喜が部屋を見回す。
「あっ、見て!」
友喜の声に、両手で頭を抱えていた雨見も有津世と一緒に友喜の示す方を見上げた。
ぽわぽわだ。
ぽわぽわがロフトにある天窓から現れていた。
三人は目を見張るが、次の瞬間、雨見が、すっと何事も無かったかの様に立ち上がったのに、友喜と有津世は驚いた。
雨見はぽわぽわの方を向き、ぽわぽわも雨見の方を目掛けて下りてきた様に見えた。
雨見がアミュラだからだろうか。
雨見の目の前に来ると、ぽわぽわは真下に光を投影して、光は半分透き通った小学生の頃の友喜の姿になった。
ぎょっとした有津世は思わず自分の隣の友喜を見たが、驚く事に今回の友喜は友喜としての意識を保ったままだ。
代わりに雨見が今回はおかしい。
こっちの方をチラとも見ないし、驚いたとしてもそれ相応の反応を見せるのが雨見だ。
なのに表情ひとつ変えずに何だかぼうっとしている様子だ。
「…え、お兄ちゃん…雨見ちゃんどうしたの…?何で…あれ…私?」
有津世の隣の友喜は目の前で起きている事象に目を見張っている。
有津世はそっと友喜の肩を後ろから支えた。
小学生の姿の友喜は立ち消え、ぽわぽわも姿を消して、部屋が一段階暗くなった様に感じられた。
雨見はいつの間にかラグの上にうずくまって寝ていて、有津世と友喜は互いに顔を見合わせた。
「お布団、敷いてくる。」
母が友喜の部屋に予め用意してくれていた雨見用の布団を友喜が敷いて有津世の部屋に戻った。
有津世は雨見の前に膝を着いて様子を見守っていて、友喜も隣に来て雨見の様子を見る。
起きる気配が無さそうで寝息も穏やかな雨見の姿をこうして見ていると先程の出来事がまるで嘘の様だ。
有津世は慎重に雨見を抱き上げる。
背と膝の下に腕を入れて、いわゆるお姫様抱っこってやつだ。
「大丈夫?お兄ちゃん。」
「何とか…。」
立ち上がり際によろけそうになるも、その後は安定して抱きかかえる事が出来た。
大事そうにその腕に雨見を抱く有津世の姿を見ていた友喜の目が途中からジト目に変わる。
有津世は友喜からの視線をいち早く察知した。
「仕方が無いだろ!このままじゃ、俺の部屋に寝かせる事になるし…。」
「もちろん私が運ぶのをお願いしたんだし、…でも変なトコ触っちゃダメだよ。」
「な、な、なんて事を、友喜!お前は俺より年下なんだぞ!しょうもない事ばっか言うんじゃない!お前何かの読み過ぎじゃあ…!」
赤面になった有津世が慌てて言い返す。
そんなやり取りをしながら、無事に雨見を友喜の部屋に敷いた布団の所まで送り届けた。
雨見の寝顔を見ながら自室のドアの前で友喜が有津世に尋ねる。
「私の時も、あんなだった?」
「うん…。」
「今回は…雨見ちゃん…。」
有津世は友喜の頭をぽんぽん撫でた。
「まあ、とにかく、あれだな…今回のを見て思ったけれど、多分、…悪いものでは無いよ。」
有津世は昼間とは打って変わって落ち着いて見えた。
友喜が瞳を潤ませていたからかも知れない。
大丈夫だから、と有津世に抱きしめてもらい、もう一度頭を撫でて貰う事で気持ちが落ち着いたかを有津世が友喜に確認を取ってから、その夜はお開きとなって二人も就寝した。
一夜が明けて、雨見が帰って行く。
お邪魔しました~、と雨見が挨拶をし、玄関ドアを閉めると、有津世と友喜は目を見合わせた。
「雨見ちゃん、覚えて無かったね…。」
「うん、全く…。」
友喜は有津世の顔を眺めた。
「ん、何?」
「お兄ちゃんも一人の時に、もしかしたらあれ、…お兄ちゃんもなってたりして…。」




