落とし物
林の奥の二棟の家。
ログハウスの隣の、夜は漆黒に近い色味に見える家。
その天窓の一方から、時々揺れる光が覗いている。
友喜が手招きしている。
ぽわぽわがそれに反応するかの様に、友喜の手のひらに近づいてきて。
有津世はそれを見守るしかなかった。
狭いロフトの上で。立つには少し窮屈な空間で、二人座り姿勢で。その二人を照らす様にぽわぽわは浮かぶ。
一夜が明けて、朝。
友喜は今日は友達と会うと言って、朝から出掛けて行った。なっちんとは違う友達だそうだ。
母と父は友喜と一緒に既に朝食を済ませており、二人共リビングのソファーでお茶をしながら談笑している。
有津世はダイニングテーブルの自分の席で、自分だけ少し遅い朝食を摂っていた。
単なる寝坊だけれど、昨夜の友喜の、ぽわぽわを目にしてからの反応には驚いて。
半分くらいは覚悟していたけれど、やっぱり友喜は友喜で無くなって。昨夜はなかなか寝付けなかった。
そして、ぽわぽわが出現する直前の自分の行動も、有津世は思い返していた。
この状況に悲観はしていない。
むしろ、その逆で、有津世は何か決意を固めた様だった。
「行ってきます。」
「行ってらっしゃい、気を付けてね。」
両親に挨拶をし、二人に見送られながら有津世は一人で街へと向かって行く。
街に着いた有津世は、とある建物へと入っていき、2階のガラス戸を開けた。
「おはようございます。」
「おはようございます。」
「今日も早いですね。」
「はい、よろしくお願いします。」
有津世は慣れた動きで更衣室に入っていき、道着に着替える。
ここは小学生の頃から友喜と通っている合気道の教室だ。
友喜とは今は学校のスケジュールの都合で通う曜日は違っていたけれど、二人共、教室に通うのは続けていた。
着替え終わり、揚々と挨拶を交わす。
教室の始まりの合図だった。
一組のデスクと椅子。その上には見慣れないコンピュータが設置されている。
他に設置されている物の無いため、部屋の空間はより広く見えた。
一見窓に見える壁の大きな照明を背にして、ソウイチは静かに佇んでいた。
何か物憂げな表情の瞳の奥には悲哀を含んだ光がある様に伺えた。
「どうですか?」
ソウイチの元に、ソウイチよりもだいぶ年齢が上の男が一人、部屋に入って来た。
「今の所、まだ…。」
「そうですか…。」
問いかけたソウイチは男の返事を聞いて微かにため息を漏らした。
「そう焦らず…。」
「焦ってはいません。ただ…、」
「ただ…?」
「…いえ。前にも言った通りです。」
ソウイチは男に返した。
山奥の神社。緑の中にたまに見える建物らしき影。
ノリコは、今日も熱心に写本を進める。
おじいちゃんは、今日の瞑想は少し長くなるかもと言っていた。
実際同じ空間にいる訳だけど、瞑想をする時、祖父の意識は別の場所に飛んでいるから、祖父は今ここに居ないとも形容出来る。
それが今のこの時間だ。
瞑想を続ける祖父の姿を横目でちらりと見て、ノリコは再び写本に目を向けた。
「ん?」
本が喋った様な気がした。
ノリコは気のせい、にはしなかった。
ノリコは聞こうと思えば、色んな物の声が聞こえていたし、気のせい、という言葉こそ気のせい、で全部それは何某かの現象が実際には起きている事をノリコは知っていた。
ともかく、本をよくよく凝視して、そろそろ理解をし始められる時期なのかな、とも思った。
勉強を始めてからだいぶ経つし、つまりそれはミッションを完了させてからだいぶ年月が経っていた、という事でもあった。
ノリコは男の子の事を思う。
元気かな。元気だと良いな。元気だろう。
きっと元気だと確信して、ノリコはまた写本を進める。
林の奥の二棟の家。
風が涼しい。
玄関ドアを開けると有津世はもう玄関から出ていて、雨見を待っていた。
「おはよ。」
「おはよう。早いね、珍しく。」
そうかあ?と有津世がとぼけたのを受けて、珍しいでしょ、毎朝どれだけ待っていると思ってるの?と雨見の檄が飛んだ。
まあ、それはそれとしてさあ、と雨見は続け、
「何か心境の変化でもあった?」
と聞いてきた。
有津世の表情が、いつもと違って見えたからだ。
有津世は、うん、ちょっとね…、と答え、雨見ににこりとした。
その表情が、またいつもよりも凛々しく見えて。
雨見は頬を赤く染める。
「ん、どうした?」
雨見の反応を目にして嬉しそうに有津世が尋ねた。
「何でもない!」
こっちが話を聞き出そうとしたのに、途端に調子が狂う。
焦った雨見が思わず語気強めに有津世に返した。
雨見はここ何日かの急激な変化に自身が対応しきれずにいる。
有津世の顔を見ていられなくて少しでも前に出ようとする雨見の両腕を有津世は優しく掴んで、
「ちゃんと横並びで歩こうよ。」
優しい声音で踏みとどまらせた。
そんな動きにも、雨見は顔が上気してしまって。
友喜が一緒に居る場では友喜と雨見二人に牽制されて文句たらたらだった有津世が、今のこの場は作戦会議じゃ無いのだから自由にさせてよ、と言ってきた。
「自由って、どう自由?」
雨見が有津世に聞くと、
こういう自由、と言って、顔を雨見に近づけてくる。
「ひゃっ!」
雨見は思わずそれをすり抜けた。
「なんだよ、ひどいな~。」
「ひど、ひど、ひどいって…どっちが…!」
「雨見が、だろ~?聞いた時点で分かっていた癖に。」
「…!わ、わ、分かって無い!!」
猛烈に反論する。
何なの、この有津世の奔放さ。
まるで自分の気持ちを無視して、行動に移してくる…
……無視して?
雨見はふと考えた。
未だ自分の気持ちすら、よく分かっていない。だけれど有津世は今まで以上ににこにこして、そして、そんな有津世に、友喜ちゃんはおめでとうって言ったの…言ったの?
雨見は立ち止まり、それを見た有津世も立ち止まった。
「ねえ、」
雨見が言う。
「ん?」
「あのさ、この前の、その…さ…、有津世が…してきた…、忘れない?元通りにしようよ、元通りに!」
雨見は普通に喋りたかった。
なのに、この前あんな事があって、自分も直ぐこんな反応になっちゃって、何だかしどろもどろだ。
雨見は、また気軽に話し掛けたかった。接したかった。
雨見の言葉を終わりまで聞いていた有津世は、真剣な顔で雨見に近づいた。
「ダメだよ。」
雨見の腕を引き寄せて少し強引にくちづけをする。
その場所は林の道を抜ける前だったから、辛うじてそれを道行く人と遭遇して見られる事は無かったけれど、雨見はもう少しで泣き出してしまいそうだった。
自分は置いてきぼりで、どんどん周りが変化をする。
くちづけをされて、ふらつきそうになる雨見の肩を、有津世は優しく支えた。
「雨見?」
良いのかな、良いのかな…私は友喜ちゃんを差し置いて、本当に…。
その後有津世は雨見の歩調に合わせてゆっくり歩き、遅刻するのを覚悟で、学校近くの公園に寄った。
コンビニエンスストアで買ったお茶を、有津世は渡してくれて、植木を囲う様にデザインされているレンガブロックの腰掛けに座った。
「なんでさ、さっき、ああいう事言ったの?」
雨見の様子を見ながら、少しトーンを落として有津世が言う。
「それは…。」
あまり話したく無さそうに、雨見は横に視線を揺らす。
「俺はさ、」
有津世が一拍置いて続ける。
「あの日の朝、雨見から聞いた言葉さ、…実はすっごい嬉しかったんだ。…雨見もひょっとしたら…って思ったからさ、」
有津世の言ったその朝の事を雨見は思い返す。
やたらとむきになって有津世に飛ばした変な言葉。
むきになった理由…何であんなに私はむきになった…?
今までの自分の気持ちのステータスが崩れそうになる。
そういう話題に動じない自分。
そういう話題に自分を重ねない自分。
それが自分、それが雨見だと思っていたから。
蓋を開けると事実はだいぶ違っていて、その事に、雨見は戸惑いを隠せないでいる。
有津世の事?好きだよ。友喜ちゃんの事?好きだよ。
三人皆で居る事が好きだから、それ以外の選択肢が今まで生まれてこなかった。
有津世を見ると、有津世は公園の緑を眺めていて、その横顔は美しかった。雨見の視線に気付き、優しく微笑む。
「雨見さ、今まで随分俺に秘密を話してくれたよ。誰にも喋っていない様な秘密を、俺にいっぱい。友喜にも話したけど、最初に話してくれたのは、俺にでしょ?それは何で?」
有津世はその思い出を大切そうに話す。雨見は有津世の顔を見ながら、続きの言葉を聞く。
「俺はさ…俺は…、雨見が好きだったから、俺の秘密をあの時、雨見に教えたんだ。」
覚えてる?と聞かれ、うん、と雨見は答える。
この時、発した有津世の言葉は、まるで魔法の様だった。
今まで蓋をしてきて見えてこなかった自分の気持ちが、その覆いのひとつひとつが剥がれていく様に、雨見に、素直な気持ちを表現しても大丈夫だと、ゴーサインを送ってくれた様で。
ただ、雨見には気掛かりがあった。
「友喜ちゃん…。」
雨見がぼそりと呟く。
有津世が雨見の顔を見て、言いたい事は分かるよ、と言い、それから、
「俺はさ…俺は…、あちらの世界では、ツァームだから…。もし仮に、あちらの世界では既にキャルユが居ないんだとしたら、せめてこっちでは守る必要がある、そう思ってる。」
雨見が有津世の顔を見つめている。
「二人共大切だし、二人を守る必要がある。その想いに関しては、雨見も一緒でしょ?」
雨見はこくりと頷く。
「友喜は友喜で、色々思う所はあるんだろうけどさ…。それに関しては、友喜自身に任せるしか無いでしょ?」
「…。」
うん、と言いたかったけれど、それはあまりにおこがましいかな、と思って、言うのは控えた。
「今の所、自分がどう動けるかは未知数だけど…。だからせめて、備えはしておこう、と思ってね。それが俺の、心境の変化、かな。…さっきの雨見の質問への答え。」
有津世からの言葉の意味に、雨見は思い悩む。
「つまり…、何があっても良い様に、悔いの無い様に、自分の想いは伝える、ってね。」
そう言って、有津世の顔をじっと見続ける雨見の顔に近づき、優しく唇を重ねた。
雨見は目を閉じてそれを受け入れる。
雨見はもう、迷っていなかった。
都内アパート。
奥側の部屋。
デスクトップコンピュータの自身のプログラムを開きつつも、則陽は行き詰まりを感じていた。ソウイチはエラーの作成元を探るなと言うし、元の目標無しには、解析にどうも勢いが出てこない。
そんな則陽の元に届いた新着メールに、則陽は首を傾げた。
有津世からのメールだ。
何でも、有津世達三人が話し合って出した推測だそうだが、”エール”と言う聞き慣れない言葉が入っている。
行き詰っていた所に、その内容は新しい興味を則陽に与えた。
エールが少なくて入れない?エール…。なるほど、そういう考えもあるのか。
則陽は、まずは返信で有津世達にお礼を言い、自分も続けて調査します、とキーボードで文字を打った。
そして、こう続けた。
そのエールに関してもう少し詳しく教えて下さい。と。
「何なの、もう。まどろっこしいわねえ。」
則陽のメールを、モニター画面の内側から眺めていたツピエルが言う。
「だって、クリスタルの中に入れないんだったら、メールでやり取りをするしか無いから…。」
則陽はもうツピエルに驚かない。むしろ平常心で会話だ。
「あ、ツピエル、ゲームのプログラム、出来たよ。」
「ホントに?!」
前々から約束していた、ツピエルへのゲームを則陽は作成し終えていたので、ツピエルにこのフォルダだよ、とカーソルで教えると、いそいそとフォルダ毎持っていこうとする。
「あ、待って!」
「何よ、もう!」
それを見て慌てた則陽が、フォルダを丸ごとコピーして、自身のバックアップを済ませてから、改めて、どうぞ、と言った。
モニター画面にあるフォルダがツピエルに回収されて運ばれて行くのを見るのは、少し面白かった。
「ツピエル。」
「ん、まだ何か文句あるの?」
返さないわよ、とでも言う風に、ツピエルは抱えたフォルダを隠そうとする。
「いや…。楽しんで。」
ゲームフォルダを大事そうに抱えるツピエルに、言葉を添えた。
「…ありがとう、ね。」
ツピエルは言いたく無さそうな声音でのお礼を則陽に残して、画面から消えた。
「だーっ!」
秒の勢いで戻ってくる。
「えっ、何…」
則陽はびっくりしてツピエルに目が釘付けになる。
「ちょっと、何なの何なの何なのよ!このわんちゃん、ちっとも可愛く無いじゃない!!」
キャラクターデザインへの、ダメ出しだった…。
「そんな事言ってもさあ、会社だと別の人がデザインは考えてくれてるんだし、自分で考えるとなると、それが精一杯なんだよ。それで満足してくれないかなあ…!」
さすがの則陽も業を煮やす。
「それに、そんな事言うんだったら、どういうのが良いのか、参考持ってきてよ!」
則陽の返しに、分かったわ!と吐き捨てる様に言い、ツピエルは画面から消える。
なんだよ、本業のクレームよりひどいや。
ぶつぶつ言いながら、ツピエルの態度に些か面白くなくなる。
則陽がぶつぶつ文句を言うのは珍しい。ましてや自宅で、誰も居ない様な場所でのその姿は、天然記念物ものかも知れない。それほどまでに、則陽は今まで自宅では静かだった。一人だから、当然だが。
すると次の瞬間、またもやツピエルが戻ってくる。
「良いのがあったわあ!」
ツピエルは何かを押すと、出てきたのはブラウザ画面だった。
「…何このタイトル…。」
「そっちじゃないわよ、こっち、こっち!」
ツピエルが差したのは、タイトル画面では無く、中にあった画像だ。
可愛い犬の置物が載っている。
「この子みたいなねえ~、可愛い子なら、一緒に住みたいわ!!」
そして、則陽がデザインした犬がいつの間にかモニター画面に出てて、へらへらと舌を出し笑う姿を、ツピエルは、けっ!と言って吐き捨てた。
「ひでえ…。」
「修正してよ、修正!修正プログラミングよりも簡単でしょ!」
ツピエルの、自分がデザインした犬への態度に愕然としながら、これは仕事じゃなくて、ボランティアだよ、と思いながらも、ツピエルが持って来たブラウザ画面に再度目を向ける。
良くあるブログページだった。
ブログ本体の題名が『叶わぬ想い』とかだったので、何だこりゃ、と始めなった訳だが、ツピエルが指差した場所には、ツピエルの要望らしき犬の画像があるものだから、則陽はそのページをブックマーク登録する。
ふうん、こういうのが可愛い、って言うのかな、と則陽は思い、ブラウザ画面を脇に表示しつつ、自身のキャラクターデザインの修正に入る。
こんな修正をするなんて、自分は律儀なのかも知れない。則陽は自分の長所に気が付いた。そんな自分をアホだよなあ、と思いつつ、午前中を修正に費やす事にした。
お昼はその辺にあったカップ麺を食べて、朝の残りのコーヒーを食後に飲みながら、コンピュータのモニター画面の前に戻る。
ブラウザ画面では犬しか見ていなかったが、画面をスクロールして、ひとつ前の記事を見てみた。
随分と暗い内容だったが、その内容に、ふと既視感を覚える。まさかと思って、ページのオーナーの名前を確認する。
『Rino』とあった。
それからは、次々と画面をスクロールし、前のページへと飛び、その内容を確かめた。
どれも暗い内容だったが、端々に、覚えのある様な出来事が書き散りばめられていて。
匿名で顔写真や居所も記載されていないのだし、彼女本人である確証も無い。
それでも尚、これがもし彼女本人だとするならば、…。
則陽は一抹の希望を託し、『Rino』へダイレクトメッセージを送る事にした。
「Rinoさんへ。
間違いだったらごめんなさい、謝ります。その場合は削除して下さい。
もし、あなたが、俺の知ってる梨乃だったら、この前偶然、総菜屋で会った時も言ったけど…
俺が、またね、って言ったの、また会いたいから言ったから。それだけは分かって。
拒絶されるのを恐れて、今まで動かないでいて、ごめん。
則陽より。」
則陽はこんな想いは今まで女々しいと思っていた。
だけれどこれが本当の梨乃のページだとしたら、彼女はどうだ。
これが女々しいと言うんじゃ無いのか。
自分の言った事、やった事を散々悔やんで、それでも諦めきれなくて、毎日毎日悶々としている。
自分の想いは女々しいと言うよりも、明らかにページに如実に表れている女々しさ満載の彼女を救うものでは無いのか。
もし本当に彼女のページだとしたら、だとしたらだけど。
「はっ!何やってるの?!」
ツピエルが突如現れる。
則陽のダイレクトメッセージの文面を見ようとして、則陽は慌ててそれを隠そうとする。
「何だよ、これはプライベートだよ!見るなよ!」
珍しく焦り顔だ。
則陽はツピエルと接する様になってからというもの、以前よりも表情のバリエーションが増えていた。
「はっはーん、そういう事ね~!」
則陽が画面に手をかざしてもツピエルが居るのは画面の内側なので隠す意味を成さず、その内容をふむふむ読む。
「はっ、これだから人間は、下世話よね~!」
とまで言う。
「何だよ、ツピエル、お前、いちいち言う事ひどいぞ!」
「まっ、良いわよ。楽しんでちょうだい。アタシはこのダイレクトメッセージ、ちょっくら届けてくるわね。」
意気揚々とした声で、いつの間にかダイレクトメッセージの画面が消え去っていて。
「は?届けるって、ちょっと待っ…」
ツピエルも消えてしまった…。
文面を読み返して、もう少し考えてから送りたかったのに、ツピエルにそれを奪われてしまった。
はぁっ、と息を吐き、則陽は脱力した。
あの後有津世に、もう大丈夫そう?行ける?と聞かれた雨見は、うん、…ありがとう、と答えて、その後学校へと遅刻して行った。
クラスはお互い違ったから、そこまで目立っては無かったと思うけれど、中には廊下で歩く二人の様子をばっちり見ていて、やっぱり付き合っているんだよ~、と噂する声も無い事も無かった。
ホームルーム終わりに、有津世が廊下で雨見を捕まえた。
「雨見、帰ろう。」
「うん…。」
いつもの様に優しい表情で迎えてくれる有津世を見つつ、少し頬を赤らめながらも、雨見は笑顔だった。
「行こう、有津世。」
有津世はそれに応じて、雨見に笑顔を見せる。
有津世は雨見の手を、繋いでいた。
いつものカフェの、テラス席。
風が今日は涼しかった。
テーブルにはいつものいちごシェイクと抹茶ラテが載っている。
「ねえ、なっちん、私、気付かないで喋ってるんだって!」
「は?」
唐突な友喜の話の切り出しに、意味が分からずなつが聞き返す。
友喜が小学生の頃、花の香りに包まれた現象後に起こった変化について、散々有津世と雨見の二人から言われた自分にとって覚えの無い記憶に、つい最近も発言した直後にその記憶が無かったという話にと二本立てで、なつに伝えた。
「でさあ、私達三人、思ったの。なっちんが見たのって、そのキャルユなんじゃないかって。」
「…なるほどねえ…。」
友喜の話を聞き、なつは理解する。
なつの言う、その”もや”が、友喜が感じた花の香りの正体だとしたら、話が繋がる訳で。
「でさあ、なっちん、今はもや、見えないの?」
「んー、今?」
「うん、今っていうか、現在っていうか。昔だけじゃなくて。」
「ああ~、そういえば。友喜はいつももや掛かってるわ。」
友喜は一瞬はっとなって、
「え、それって、私だけ?」
と驚く。
「友喜だけかどうかは、分からないけどさ、友喜。なんかいつもね、黄緑色だわ。」
平然として言うなつに、友喜は続けて驚きを感じ得ない。
「思えばさー、小学生の頃も、見えていたの、黄緑色だ。あれ、三人じゃなくて友喜のが被って見えてただけかも…。今も見えている事、友喜に言われるまで意識して無かったわ。」
「…なっちんって、…何者…。」
友喜がなつを凝視する。
「はあ、友喜が良く言う!まあ、でもさあ、それがキャルユだったら、まあそういう事だよね。」
黄緑色…友喜は自分の肩の辺りを見るが、当然ながら見えない。
「そういう事って、どういう事…?」
友喜は念の為なつに聞く。
「重なってたら、まあ友喜との会話が成立するんじゃない?分かんないけど。」
「覚えてないからね…。」
「覚えてないのは…不便そうだけどね。」
いちごシェイクのストローを、ミサンガの付いた右手でくるくると回しながら、なつは友喜の反応を見る。
「ごめん、今日はずっとここに居て良い?」
「良いけど?何かあったの?」
なつが聞く。
ううん、別に、と首を振り、目の前の道路のまばらな人波を見ながら、友喜は答えた。
「そういえばさ、なっちんのお兄ちゃんは元気?」
と聞き、随分会ってないな~、と話題を変える。話の流れで、
「今度会わせようか?」
とまで言われたけれど、友喜は緩く首を振った。
そっか、となつは言い、まっ、何にしても、友喜達には課題が盛り沢山だもんね、落ち着いたら、気が向いたらその時にでも、ね、と言う言葉でその話題を締めくくった。
林の道。
道幅や公共交通機関への乗り降りの事もあり一旦放していた手を、また有津世が繋ぐ。
それを雨見が咎めようとすると、まだここは作戦会議の場じゃないでしょ、と有津世が言い、雨見が、んもう~、と、言いたげな顔を見せる。
ちょっとバツが悪そうにしている雨見は、明らかに友喜を意識していた。
有津世が言った通り、友喜の気持ちに関してはどうしようも無いけれど、それでもむやみやたらにこういう場を見せて、友喜を傷つける事だけはしたくなかった。
朝の登校時は出発時間が違うのでともかく、今の下校時間は、いつ友喜と遭遇するのか分からないのだ。有津世もそれを分かっているはずだ。
雨見のその思いを払拭する様に、有津世は穏やかに雨見に接する。
確かに繋がれている手を見ながら、胸がほのかに温かくなる雨見は今まで気付いていなかった自分の想いをまたひとつ知る。
家の前まで着くと、有津世は、後でね、と言い、雨見は、うん、とひと言答えた。
家の中に入り、友喜がまだ家に帰り着いていない事を確認すると、有津世はさっと着替えて、自分と雨見の分の紅茶の用意をし始めた。
「おじゃましまーす…。」
おずおずした声が聞こえる。
「雨見、入って。」
有津世は雨見を呼び、ソファへと座る雨見にいつもの様に淹れた紅茶をはい、と渡す。
「ありがとう。」
雨見はそれを受け取り、熱いのを冷ます様に、ふぅっと息を吐いた。
有津世を見ると落ち着いていて、この前と今朝からとで目まぐるしく錯綜した自分の現実が嘘の様にも思える。
事実、有津世は雨見に想いを伝えたのも至極普通であるかの様に振る舞うから。
きっと今まで気付いてこなかっただけで、これまでの有津世の言動の端々には、雨見への想いの欠片が詰まっていたのではと、改めて発見し始めて。
そしてそれが堪らなく幸せな事なんだと後に自覚する事になる。
だってずっと、そうしてきたから。
有津世からの雨見への態度は、普通であり、実はとても特別なものだった。
「雨見の夢は相変わらずなの?」
雨見の横に座り、座卓に置いたお菓子を二人で摘まみながら有津世が聞いてきた。
胸の内で有津世の想いやら自身の想いやらについて忙しく考え込んでいた雨見が我に返って有津世に頷いて、有津世はどうなのかを聞き返した。
「俺のは…。」
「有津世は、いつからそれを見る様になったっけ?」
有津世のいつもと変わらない素振りを見習って雨見もなるべく今まで通りで居ようと改めて思った。
有津世にもそれが伝わって、もう何度か二人の間でした話を、有津世は雨見にそれを初めて伝えるかの様に丁寧に説明する。
「雨見がさ、秘密を話してくれた後くらいから、だったかな。昼間にさ、机に向かっていたんだ。勉強してた訳じゃ無かったけれど…。勉強じゃなくて、石、眺めてたかな。そしたらさ…、白昼夢を見たんだ。」
直後にはほとんど思い出せないのが、時間を追うごとにどんどん湧き出してきた。
しかも毎回白昼夢なんだ。
毎回、机に向かっている時に。
石を…眺めている時に、それは多く起こるんだ。
「…そうだ、石だ…!」
何でだろう、今まで記憶が飛んでいた。
白昼夢を見る時は、いつも決まって石を手にしていた事を有津世は雨見への説明を経てその説明が今まで抜け落ちていた事に改めて気がついた。
もう何回も聞いたはずの話が、雨見にとっても石は初めての情報だ。
「石…石ってどれ?」
「2階にある。持ってくるね。」
一旦席を外して、2階の自分の部屋から有津世はその石を持ってくると雨見に手渡した。
雨見は珍しそうに石を眺める。
「綺麗な小石…。」
「ああ、何年か前に、河原で拾ったんだ。」
二人でそれを眺めながら、
「この石が、有津世の白昼夢を見るきっかけになっているのかな…。」
雨見が言う。
「…そうか、きっと…。そうなのかも知れない。」
有津世の言葉を聞きながら、雨見は石を明かりにかざして見た。
「何の石かなあ?」
「何の石だろう…。拾った時に調べてみたけど、多分、水晶、の種類の内の何かだとは思う。中に、ちょっと違うのが入り込んでいるみたい…。」
「水晶…。」
光にかざされた水晶は、雨見の手元できらりと光った。
ありがとう有津世、と言い、雨見は石を有津世の手元に戻す。
「ねえ、今、その白昼夢を見る事は可能なのかな…。」
ふと疑問に思い、雨見は有津世に話す。
「どうだろう…。」
「試してみて。」
雨見に促され、有津世はしばし石を見つめてみる。
有津世の真摯な姿勢に感心して雨見が見つめた。
「…。」
有津世がちらりと雨見を見る。
「ん?」
「うん、…ちょっと恥ずかしいかな…って。そんなに見つめられると…。」
「え、ちょっと待って、私は純粋に…、」
途端に雨見がわたわたする。
「でもさ…、」
近づいてくる有津世に、雨見が顔を真っ赤にしながら突き出した両手のひらで有津世の体を押し返して全力で止めに掛かる。
「今、私達、作戦会議中!」




