約束
見慣れない誰かはそこに居て、私に言った。
「泣き言を言ってもしょうがない、しょうがないよ…。」
有津世は廊下で、雨見のクラスの終了を待っていた。
雨見のクラスのホームルームは大概、有津世のクラスよりも長引いたので、終わりも大抵、有津世のクラスよりも遅かった。
今朝の雨見のあれは、爆弾発言だと思う。
あの後、一緒にバスやら電車やらにいつも通り乗ったけれど、雨見は学校に辿り着いて教室前で別れるまでご機嫌ななめで、何だかやるせなかった。
だからこそ明るく、帰りは行こうと思う。
「雨見!」
教室から出てきた雨見を見つけた有津世は即座に彼女に呼び掛けた。
雨見はいつもの様に、有津世、と、名前を呼び返してくれて、明るい笑顔と共に有津世の側に駆け寄って来た…、と、有津世の脳裏で、いつも通りのイメージがちらつく中、
実際の雨見は、
「…有津世。」
いつもよりもワントーン低い声音で返してきて、まだ怒っているのか顔も赤い。
雨見の反応で我に返った有津世は、直後雨見に尋ねた。
「なあ~、まだ怒ってるの?機嫌直してくれよ~。」
許しを請いながら後を行く有津世に膨れっ面の雨見、二人の姿は端から見たらまるで夫婦だった。
付かず離れずの変な距離のまま、有津世と雨見は林の道まで帰って来た。
「なあ、雨見、雨見ってば!」
公共交通機関では迷惑になるのを避け、敢えてそのやり取りをしようとは思わなかった有津世だけれど、自分の庭も同然の場所に着いた今、盛大に雨見に許しを請い始める。
「もう、有津世うるさい!」
「うるさい、って、雨見がこっちを向いてくれないから呼んでるんじゃないか!」
立ち止まった雨見は眉を潜めて有津世に顔を向けた。
「もう、何?」
「何、ってこっちが何?だよ。どうしたの?今朝の事でそんなに機嫌悪くしたの?もういい加減仲直りしようよ!」
「仲直り…って。別に喧嘩なんかしてないし。」
「え、じゃあ何なのさ、喧嘩じゃなかったら、一体!」
「…。」
聞かれた途端に雨見の顔が赤くなって。
有津世にそっぽを向いて歩き出す。
雨見を追って有津世も再び歩き出した。
雨見に追いつく為に早足になりながら有津世は思案する。
ぽん、と手のひらにもう片方の拳を打ち付けて、有津世は雨見に駆け寄って雨見の前を塞ぐ。
足止めを食らった雨見は渋々、有津世を見た。
有津世は雨見が立ち止まったのを確認してから雨見の顔をじっと覗き込んだ。
有津世の手が雨見の方に伸びてくる。
「雨見、もしかしたら…。」
有津世は彼女のおでこに優しく手をあてがって、雨見は途端に固まった。
「熱があるんじゃないか?」
有津世は雨見の体温を手のひらで計っている。
「ん…ちょっと熱いか…?」
あくまでも真剣な表情の有津世に対して、雨見は顔が赤いどころか真っ赤になって。
「有津世ちょっと待って、えっと、」
両腕をワタワタと上下に動かしておかしな挙動に出ている。
その反応に有津世がさらに気遣い、雨見に聞いた。
「どうする?今日の作戦会議は休む?」
顔の真っ赤な雨見は有津世の問いに、とんでもないという風に首を振って。
「勿論、行くっ!」
変にテンションの高い状態で真っ赤な顔の雨見は勢い込んで宣言した。
家に帰った有津世がリビングに隣接したダイニングで自分と雨見の分の紅茶を用意している。
「お邪魔しまーす…。」
玄関から声がして、雨見が有津世達の家のリビングに入ってきた。
「あれ、友喜ちゃん、帰ってないんだ。」
「うん、今日は友達と用事があるらしいよ。」
「そっか…。でももう、逆戻りは無いもんね…。」
友喜のこれまでの事を思い、雨見は呟く。
紅茶の入ったマグカップを持ってきて、雨見の分を手渡し、直ぐ横のソファーに有津世が座る。
いつもの挙動のはずなのに、雨見は思わずどきんとした。
今朝方の自分の発言で、いきなり魔法が掛かったみたいに、自分の反応が過剰だ。
有津世が雨見を注意深く見る。
「雨見、…本当に大丈夫?」
「え?うん、大丈夫、大丈夫だから!」
雨見は誤魔化す様に自身の髪を手で梳いた。
有津世から目を逸らしている。
今までの強気は一体何だったんだろう。
もう慣れに慣れ切ったこの空間で借りた猫みたいになってしまっている。
有津世はまだじっと雨見を見ていた。
真剣な表情で。
次の瞬間、
「雨見…好きだよ…。」
有津世の顔が近づいてきて、雨見に優しくくちづけをした。
え?
何が起こっているのか一瞬、雨見は分からなくて。
「…ちょっと待って、…え?…いつから?」
「いつから、って…。もうずっと前だよ。」
「もうずっと前?」
「そう、もうずっとずっと前から。」
そう言って、有津世は雨見にもう一度くちづけをする。
雨見はその瞬間またもや時が止まってしまったかの様に、されるがままで。
息のかかる距離で、有津世は言う。
「雨見は、俺の事、罪深いだとか言ったけど…、雨見は、自分はどうなの?」
「…え、私は…。」
有津世の言っている事の意味が分からず、しばし考え込んでしまう。
雨見の表情を覗いた有津世はジト目になった。
「ほら、雨見は、意外と自分の事を分かって無い!」
ビシッと人差し指を立てて有津世は言った。
その後、有津世には散々言われた。
私が、有津世よりも吞気だって事。
俺は視線を感じても、気が無いんで反応しないだけ。
雨見こそ気を付けた方が良い。
女の子なんだから、と。
雨見に向けて視線が誰彼から送られてるのすら、雨見は気付いて無いでしょ?とまで言われた。
視線送ってくる人なんていないもん、って、言い返したけど。
「ほら、それが危ないよ。」
雨見は雨見自身の事を全然気にしないもんなあ、と続けて、だから今まで俺が目を光らせて注意していたんだ、と有津世は言った。
「え…、でも待って、私まだ有津世を好きって言った訳じゃ…。」
有津世が雨見の返しに不満があるとでも言いたげに、今度は少々強引に雨見の唇を奪った。
訳が分からない。
朝からの顛末は、こんな形で収まって…収まっているのか?
雨見は自分が夢でも見て寝ぼけているんじゃないかと、まだこの状況を疑っていて。
…自分の辞書に無かったはずの文字。
それが急速に、ほら、あなたにもありますよ、と迫ってくる心地だ。
気を失ってしまいたいくらい。
朝の有津世とのやり取りから巻き戻してやり直したい。
それくらいに今の状況は雨見を混乱させるものだった。
「待って、ねえ、有津世、待って。」
雨見が有津世から唇を離したがり、雨見が懇願する。
「雨見、なあに?」
キスを止められた有津世の不満げなのがありありと伺えて、雨見はクスクス笑いが思わず漏れた。
自分の笑った事に遅れて気付いて、雨見はまた赤面する。
「何だろ、雨見。今日は表情がクルクルと忙しいね。」
「もう!誰のせい?」
「え~?俺なの?それって俺って流れだよねえ。」
「知らない!」
雨見に言われて笑う有津世の顔は、自分の想いがようやく伝えられたからか清々しく映っていたが、一方の雨見はこの状況を消化するのに、時間が掛かりそうだ。
「んもぅ~、作戦会議するよ!」
雨見が依然、真っ赤な顔で多少口をとがらせながら自身の夢日記を持参した手提げ袋から取り出す。
雨見の表情を有津世は楽しそうに見守っていた。
深い森の中。
色とりどりの淡い光が飛び交う。
樹々のエールをチェックしたけれど、エールを必要としている樹は今の所無さそうだ。
ツァームとアミュラの二人でチェックを済ませて、いよいよキャルユの待つ場所へと向かった。
目の前の枝葉が視界を明け渡していく毎に、遠目に見えるキャルユの姿がより全体的に見えてきた。
柔らかな下草が茂っている地面に立膝を着いて、両手指を絡ませての、いつもの祈りのスタイルだ。
ただ違っていたのは、今のキャルユの居る場所が石碑の前では無かった事と、彼女の周りには、やたらと光の粒子が飛び交い、それは妖精達の淡い光とはまた異なった彼女自身から湧き立つ光で随分と眩く光っていた事だ。
キラキラと光が飛ぶ。
いつものお祈りとは違うのがはっきりと分かる。
キャルユの足元からは光が産生され、渦を巻いてキャルユの体を巡った後、光が何処かへ飛んで行った。
「ねえ、あれ、本物のキャルユ?」
ついこんな言葉がアミュラの口から出てしまう。
元々三人以外は誰も居ないこの地だ、少なからず愚問に聞こえた事だろう。
ツァームがアミュラの顔を見て、首を傾げてから頷いた。
ツァームとアミュラが近づくとキャルユも二人に気が付いて、祈りの態勢から二人に向き直る。
辺りを覆っていた眩い光も落ち着いた。
「ツァーム、アミュラ、来たのね。」
「…。」
やっぱりいつものキャルユでは無いみたいだ。表情を見てアミュラは感じた。
今しがた終えた祈りの姿と自分達に向けてくる精悍な表情、どちらもキャルユという彼女の今までのイメージからはかけ離れて見えたからだ。
ツァームがキャルユに話を振った。
「で、どうすれば良いかな…。」
「ひび割れた石碑の場所から、おそらく出られると思うの。」
当然の様に話すキャルユを見て、アミュラはキャルユがどうやってその情報を得たのか不思議に思ったけれど。
「じゃあ、そこまでテレポートで行こうか。」
アミュラが問いを発する前に、二人に自分の体に触れる様にとツァームが促した。
肩に腕にとキャルユとアミュラがそれぞれツァームの体に触れたのを確認するとツァームは笛を吹き、次の瞬間、三人はひび割れた石碑の直ぐ近くへと現れた。
石碑を前に、三人は石碑の端へと寄っていく。
見える線が引いてあったりする訳では無かったけれど、三人にとっては今まで不可侵だった、石碑で取り囲む円周地帯から外側の世界へ繰り出そうとしている。
ツァームが先頭に立ち、初めの一歩を踏み出した。
それと同時に、低い笛の様な音が辺りに鳴り響いて地響きが起こった。
ツァーム達が警戒して辺りを見回すも、音も地響きもやがて収まり、辺りは再び静まり返った。
動きを止めて何か他に起こりそうかと待ってみたが、今の所何も起こらなそうだ。
三人は顔を見合わせる。
ツァームは既に外側の地に踏み出せているのを見たアミュラとキャルユが、続けて外側の地に一歩足を踏み出して、三人は石碑から外側の地に降り立った。
「出れた…。」
「うん…。」
「なんだ、大丈夫だったじゃない。」
アミュラがぽかんとして言った。
キャルユが微笑んで答える。
「今の音は何だったのかな。」
「分からないけれど、僕達が出た事で鳴ったみたいだね。」
「石碑の外側に出るって、たったあれだけの事だったのかな。」
「分からないけれど…。」
ツァームとアミュラの話し合っているたった少しの間も惜しむかの様にキャルユだけが我先にと足を進めて行ってしまい、それを見たツァームとアミュラは慌てて後に続いた。
アミュラが後ろから声を掛ける。
「あ、ねえ、キャルユ、何処に行くの?」
「キーをね、探すの。」
「キー?」
「ねえ、ちょっと待って、その情報、何処から仕入れたの、待って、キャルユ!」
話し掛けても尚、歩調を落とさずに先に行ってしまうキャルユを、アミュラが更に追いかけ隣に追いつきキャルユの顔を覗いた。
「私ね、石碑で、ここの世界とは違う誰かと繋がったの。」
ようやくキャルユが立ち止まり、アミュラの方に振り返った。
「繋がったのって誰?石碑の主?」
「ううん、主じゃない。主と繋がれるのは、ツァームだけでしょ?」
頷いたアミュラに、キャルユは続ける。
「そこはね、…そうね、私を必要としてくれているわ。」
「そこ…?場所と繋がったって事?こことは違う…。」
「そうね…、こことは違う場所。」
「キャルユを必要としているの?え、でもこことは違う世界なんでしょう?必要としているって?今キャルユ、言ったよね?」
「そうね。でも、私はそこに行く必要があるの。」
「そこに行く…?」
二人がキャルユの言葉に首を傾げる。
「キャルユ…どういう事?」
「ごめんなさい、私はそれをやり遂げるために、二人のエールが必要なの。」
キャルユが言うには、その地に赴く為に、石碑を出る必要が先ずあったと。
そしてキャルユの言うその地とは、いつかアミュラとツァームに教えてくれた、別の自分達の暮らす世界の事だった。
「前に…言ったでしょう…向こうの星は、体が重くて活動しにくいって。重くても、最大限に動ける様に、二人のエールが必要なの。勿論私のも、三人分要るのよ…。石碑の囲う地では、ある意味私達は守られている。私のやりたい事は、石碑の中では叶えられないの。出る必要があったの…。」
「じゃあ私達は…。」
「石碑の外には出れたから、後は、エールを、エールを練って欲しいの。それで完了、取り敢えずは…。終わったら、二人は戻って。」
「キャルユは…。」
「私は遂行する役割がある。きっと立ち枯れた樹の事とも関係あるんだわ。私は…大丈夫だから。」
ツァームが少しの間、目を閉じた。再び目を開くと、アミュラとキャルユの顔を交互に見ながら静かな声で話す。
「…樹が枯れた時に、その時から…僕達はこの覚悟をしてきたんだ。ひとつそれが答えになるんだったら、僕達はキャルユの役割を尊重すべきなんじゃないかな。」
ツァームの言葉に、アミュラがショックを受けた様に首を振った。
「あたしは嫌よっ!」
アミュラがぽろぽろと涙をこぼす。
「何で?何でキャルユなの?あたしは三人共一緒に居るつもりだったのに…っ、これからもずっとっ…。キャルユだって、キャルユだって、そうでしょ?…それを望んでいたはず…っ、なのに…っ。」
キャルユはアミュラの肩にそっと手を添えてアミュラを見つめた。
「アミュラ…こんな場面になって、立場が逆ね…。アミュラ…私、言ったでしょう?向こうの星でだって、私達は一緒なのよ。だから、私は寂しくなんか無いわ。だから、…大丈夫だから。アミュラ、泣き止んでちょうだい、お願い。こちらでのあなたの顔を、もう一度よく見たいわ。」
泣きじゃくるアミュラに、キャルユは穏やかに話し掛けた。
肩に添えたキャルユの手を取り、アミュラが握って離そうとしない。
この時のアミュラはまるで聞き分けの無い子供みたいで、キャルユはまるでアミュラの母の様だった。
それでもアミュラはキャルユの言葉に分かったと伝える風に、涙をこぼしながらも頷いてキャルユの手を強く握ってみせた。
「ありがとう、アミュラ。じゃあ、ツァーム、アミュラ、二人共、お願い…。」
アミュラ涙で濡れた顔のままキャルユの手を尚も強く握り、二人の重なった手の上にツァームが自身の手を重ねた。
アミュラとツァーム、二人の胸の奥から眩いばかりの光が輝き始める。
光は二人の胸の奥から腕へ、更には次第に手のひらへと移動して、キャルユの体へ伝わっていく。
キャルユ自身も胸の奥から光を産出させて、自らを光で満たしていった。
先程のキャルユ一人での祈りの時よりも格段に眩く輝いて、ものすごい光の量が顕現されている故にかやがてそれは光の風を生み出した。
光の渦で周辺が濛々(もうもう)と埋め尽くされていき…。
しまいには光の大爆発を引き起こした。
しばらくして爆発時の細かな光の粒子が煙の様に周辺を取り巻いていたのが収まって、見えてきた場景は…ツァームとアミュラ、二人の倒れた姿だった。
〜「見てみて、音で反応する子を見つけたの!」
アミュラが嬉しそうに二人の前で白い毛玉を放つ。
それを見た二人はアミュラに穏やかに笑い掛けた…。〜
都内アパート。
則陽は自宅の作業場のデスクトップコンピュータの設置してあるデスクの席で、クリスタルの中に再び入れる様になる為に自分が出来る事は無いかと模索していた。
今の時点での考察を友喜達に会って打ち明けられたらと思ったが、クリスタルの中には依然として入れないし、メールの文面でするのにも独り言の日記みたいになりそうだと思ったから止めておこうと一先ず決めた。
家のインターホンが鳴った。
何かを頼んだ覚えも無いし、家に誰かが訪ねて来る予定も無かったもので、誰だろう、と、訝しんだ。
玄関ドアの近くに寄り、則陽はドアのレンズを覗く。
レンズの向こうに見えたのは、見知らぬ男が手ぶらで立ち尽くしている姿だ。
妙な気がして、どなた様ですか、とドア越しに則陽が尋ねると。
男の口からは意外な返事が返ってきた。
「奈巣野さん、初めまして。私はあなたの副業を管理する者です。」
拍子抜けした則陽がドアを開ける。
そこには長身で肩より少しだけ長い髪を緩くひとつにまとめた男が佇んでいた。
歳は則陽とそう変わらなそうだ。
興味を持った則陽は男を見て、自分の部屋に招き入れる。
「…あの…、どうぞお入りください…。」
「では、遠慮無く。」
男は一礼をして、玄関で靴を脱ぐと則陽の部屋に入って来た。
玄関入って直ぐの小さなテレビとソファーが置いてある部屋へ男は足を踏み入れて、そして則陽に振り返って口を開いた。
「奈巣野さんは、今、私の組んだプログラムの解析をされていますよね。」
男の言葉に、則陽は言葉を失くした。
確かに解析をしている。
今だってしていた所だ。
でも待てよ、「私の組んだプログラム」って言った様に聞こえたけれど…、目の前に立っている彼が、副業のオフィスで稼働しているプログラムを作った張本人なのか?
胸の鼓動を感じながら則陽は考える。
男は則陽の様子を見て言葉を足した。
「ああ、責めている訳では無い事を、まずは知っておいて下さい。責めに来た訳では無いのです。」
彼の言葉に内心ほっとした則陽が気を取り直して男に声を掛ける。
「あ、今コーヒーを淹れますから。」
「お構いなく。直ぐに帰りますので…。」
部屋に立ったまま、長身の男は美しい切れ長の瞳を横に逸らして言った。
奥の部屋のデスクトップコンピュータのモニターが男の目に留まり、男は則陽に尋ねる。
「あれは…。」
「あ、」
「あれで、プログラムの解析をされているのですね。」
どうしてそれを…、と返そうとしたが、他に目の付くものの無いこの部屋ではそういう向きになって当然だろうと思い言い留まる。
男は則陽の思惑もお構い無しに続けた。
「私は、コンピュータを作ったものです、あなたが副業のオフィスで使っている…。あなたはお気付きの様ですが、あのコンピュータは一般で出回っているものとは性質そのものが違っています。」
「…ええ、その様ですね…。」
則陽はクリスタルの事を聞いてみようかと思いついた。
直後、則陽の部屋のゲーム機が勝手に起動して、近くの小さなテレビ画面に、クリスタルがクルクルと回るゲームのスタート画面がテレビに映し出される。
「ああ、この様に映し出されるのですね。実物は、私も初めて見ました。」
プログラムを作る大元である彼だからだろうか、驚きもしないで則陽に淡々と喋るその姿は則陽の中で特異に映った。
一方の驚きを隠せない則陽は、前のめりで彼に迫る。
「あ、あのっ、このクリスタルについてなんですけれど、」
「はい。」
「あの、クリスタルで、前に一回、中に入れたんですけど、今は入れなくなってて、修正する方法を探していたんです。ご存じであれば…。」
「それは私の関知する所ではありません。」
「…今、何て言いました?」
「…私の関知する事象では無いと言いました。」
「え、何で?クリスタルを作成したのはあなたでしょう?」
「はい、確かに…。奈巣野さんはそこまでもご存じなんですね。素晴らしい。」
「ちょっと待って下さい、話を逸らさないで。だってあなたは、クリスタルの中に入れるべく、このプログラムを指定したんじゃ…。」
長身の男は則陽に頷いて言葉を続ける。
「クリスタルの中に入れるかどうかは、問題ではありません。私はそれを作成する必要があり、作ったまでです。」
「入れるかどうかは、問題じゃあ無い?あなた今、頷いたのに…。」
矛盾している…、則陽は思った。
「プログラムを指定したのは確かに私だというのを頷いたまでです。私は現に今、奈巣野さんに教えていただくまでは、クリスタルの中に入る、という事象については、一切、知りませんでしたし、初耳です。」
則陽は、は?となった。修正プログラミングの作成元は、全てをお見通しだと思い込んでいたからだ。
「え?じゃあ聞きますけれど、…あの、」
「申し遅れました、私の事はソウイチとでも呼んで下さい。」
「ソウイチ…さんは、ツピエルの事もご存じ無いんですか?」
「ツピエル?ツピエルとは…何ですか?」
丁寧に聞き返してくる彼の顔は、嘘を言っている風にも見えなかった。
則陽がどう答えようかと思案している内に、またもやソウイチが先に口を開く。
「ひとつ、お答え出来るとしたら、」
「ええ。」
「私はコンピュータでプログラムを組む事以外は、ほぼ関知しておりません。多分、あなたが聞きたいと思っている大半の事に、私は答えられないでしょう。」
ソウイチの発言に、則陽は表情を曇らせる。
じゃあ何でここに来たんだ、と言いたげだ。
則陽の胸の内の問いに返すかの様に、ソウイチは続ける。
「私はあなたがあのオフィスでご活躍されている事を知っています。私が今日ここに来た訳ですが…少し助言を…。」
「助言?」
ソウイチの言葉に則陽は注目した。
「あなたは、私が見事と思うまでに、プログラムの解析をなさっています。それは、素晴らしいの一言ですが…、けして、エラー元までは、正そうとしないで下さい。」
「何でですか?」
則陽が掲げていたここ最近の目標だっただけに、則陽は掴み掛るかの様な勢いで言葉を返した。
「それは…、そこまでしてしまうと、あなたの身に危険が起こりかねないからです。私は奈巣野さん、あなたが大変優秀だと知っている。ですから、あなたの身はなるべく守りたい、安全であって欲しいと願っています。大変貴重な人財だと理解しているからです。」
則陽はソウイチの言葉に喜んでいいものなのかどうなのか分からない。更なる疑問だけは弾き出された。
「でもエラーは…、エラーは起こらないのなら、直す問題も起きないのでは?」
「…すみません、そこは世界の取り決めで…。今は発生するのを確認し、直す作業をするしか無いのです。」
「え、じゃあ、クリスタルだけは?クリスタルの中に入りたいんだ。」
「最初にそれは申し上げましたが…クリスタルの中に入れる、その事自体、私は今日初めて知りました。つまり、私や、あなたが、副業でしている作業ですが…、私が組み立てたプログラムはそこまで関知しません。」
「…別の仕掛けに因るもの…って事…か。」
則陽はようやくソウイチの言わんとしている事の主旨を掴み、自分の発した言葉を喉元で反芻した。
「ご理解頂けた様で何よりです。では私はそろそろお暇させて頂きますね。」
玄関ドアへと向かう足を途中で止めて、ソウイチは則陽に振り返る。
「奈巣野さん、今後もご活躍を期待しております。お元気で…。」
やたらと丁寧なお辞儀と挨拶をした後、ソウイチは則陽の部屋から去っていった。
風のそよぐカフェのいつものテラス席で、小学生時代の話に花を咲かせていたなつと友喜は、如何にも遠い過去を思い出すかの様に二人語っているが、その実そこまで遠い過去では無い。二人共、まだ高校一年生だ。
「なっちん、恋したい、って言ってたけどさ、小学校の時とか、お目当ての人とか居なかったの?」
「ええ~、小学校の時?そうだなあ、あ、ねえ聞いて、四年生の時の担任の先生がさ…。」
なつが言うには、年上のダンディな人が絶対良い!との事だ。
「え、でもさあ、それって騙されない?」
「ん?何で?」
「独身だって、偽ってさあ…、」
まだまだ友喜となつとの会話は続く様だ。
なつ達の居るカフェを尻目に、直ぐ先の道路には、梨乃がのんびりと歩いていた。
今日は風が気持ち良い。
可愛い雑貨屋さんがこの近くにあるのを知って、ちょうど友喜と会うのに来た事のある街だったから、仕事が休みの今日、思い切って来てみた。
日用品を見始めたのもごくごく最近で、そういえば雑貨も随分見てないな、と、ふと思い立って。
なんせマンションの自室を眺めたら、インテリアのイの字も無い程、飾り気が無い事に気付いたのだ。これじゃああまりにも淋しいかな、と、ようやく腰を上げた所だ。
お目当ての店に着くと、可愛い木枠の扉を引いて、中に入る。
ポップなものと、ナチュラルな素材を使ったものとが、良いバランス加減でアイテムは混じっていて見ていて目が楽しい。
今までの部屋の内装を見る通り、梨乃はそういった物に対する所有欲は元々無かったけれど、愛すべきアイテムが増えるのも、楽しいし良い事なんじゃないか、とここに来て思い改め、今に至る。
お店の中の、壁に装飾されている様々な種類の壁掛け時計や、歯ブラシ立てやコップ、陶器製の小さな動物の置物等、じっくりと見定めた。
最終的に選んだのは、陶器製の小さな動物で、可愛い顔の犬だ。
同じ種類の物でも、顔がちょっとずつ違ったので、梨乃は二つを見比べて、より愛着が湧く方を選んだ。
会計を済ませて店から出た梨乃は、次に何をしようかと少しの間だけ迷ってから近くのクレープ屋さんに寄った。
陶器製の小さな動物が包まれた可愛い紙袋を手に下げクレープ片手に歩く梨乃は、心地良い休日を満喫していた。




