光の一筋
キラリと何処かが光った気がした。
クリーム色のドレスの裾を弄り遊んでいる、銀髪の、慈愛溢れる緑色の瞳をした女の子に私は聞く。
「ねえ、今光ったのは何?」
『光った?』
「光ったよ!ほら、あれ!」
『あら…、本当だわ。』
女の子はその様子に驚いた様に少しだけ目を見開き答えた後で私の動きを見守る。
「え…、本当に寄り添うだけなのね…。」
『そうね。言ったでしょう。』
女の子は答えて、またも私の行動を、ただただ見守っている。
私が何をしようとも、何かをしろとも、口出ししたりしないのだ。
それなら、私は私を信じるしか無い…。
私は、また一瞬光って見える様になった光の筋に、意識丸ごと飛び込んだ。
それを美しい緑色の瞳が見届ける。
慈愛溢れる眼差しで持って。
友喜はその朝、なんだかぼーっとしていた。
これまでも有津世との事で、いじけたりはしていたのだが、それとは趣が異なる様子だ。
「おはよ、友喜?」
「あ、お兄ちゃん、おはよう!」
友喜の顔を覗いて、顔色は良さそうだ、と判断し、朝食の席に隣に座る有津世。
「お兄ちゃん、今朝は起きれたんだ!」
「たまにはな!フッフッフッ。」
「なあにがフッフッフッよ!毎朝ちゃんと起きなさいよ~!小学生の時は早く起きれたのに、段々遅くなっちゃって、どうしてかしら?」
母は一喝し、有津世の生活リズムの変化に首を傾げる。
母と兄のやり取りを見て、友喜はふふ、と嬉しそうに笑った。
「何が可笑しいんだ~、ウリウリしちゃうぞ~!」
友喜が明るく笑ったものだから、有津世は嬉しくて友喜にちょっかいを出す。
「やだ、お兄ちゃん、やめてよっ、もうっ!」
食卓に笑顔の花が咲いた。
僅かな時間で朝食を済ませ、じゃあ、お母さん、友喜、行ってきまーす、と有津世はその場を後にする。
まだ席に座って居られる時間の余裕のあった友喜は、有津世を尻目に、にこにこ笑っていた。
その後、有津世よりもだいぶ後になってから家を出発した友喜は、林の木々を眺めながら、まるで散策でもするかの様に、ゆっくりと景色を味わいながら学校へと向かった。
朝、会社に着いた則陽は、入り口近くの観葉植物のノーリを見て、目を擦った。
なんだか一瞬、幹や枝葉の全体が、淡い虹色に輝いていた気がするのだ。
と、後ろからど突かれる。
「うーっす。」
「!…おはようございます。」
「どうした?朝から幽霊でも見たかあ?」
ぼうっとした反応の則陽をからかう様に、吉葉が言ってきた。
え、ああ、いや、と答えに詰まった則陽を眺めながら、吉葉は一瞬口をつぐんだ。
無言で飛ばしてくる吉葉の視線に動揺した則陽が質問で返してきた。
「え、何ですか?何ですか?」
「何でもねえって!」
吉葉は則陽を煙たそうに手で追い払う仕草をした。
「二人共、おはよー。」
梅が爽やかな笑顔で二人に告げる。
吉葉はいつも通りに、則陽は梅を見て、微かな良心の痛みと共に挨拶を交わす。
「うーっす。」
「梅ちゃん先輩、おはようございます。」
梅はにこりと笑い、
「ほーら~、二人共、中に入った、入った!」
と促す。
梅の変わらぬ爽やかさは、才能なのだろう。自身に則陽との一件があったのにも関わらず、それを負担に思わせない様に相手に接する事の出来る強さは、誰にでも真似の出来るものでは無い。
則陽はそんな梅に感謝しつつ、梅と吉葉と共に仕事場へと入って行った。
ここは木々の立ち込める山の一角。
木に埋もれて場所の確認が難しいが、古い神社の建物がある。
忍者と称する二人の男の人達に連れられ、私のミッションで助け出した男の子がこの地を去った後、私は勉強を始めた。
文字の勉強だ。
それは今の文字とは別の、遥か古代に使われていた文字だと言うけれど、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんのそのまたおじいちゃんの、そのまた、ずっとずっと前の人が、石か何かに記されたものを書き写して、代々秘密裏に伝え伝わって来た代物らしい。
私はその写本のそのまた写本を作るために文字を書き写していて、ボロボロになりつつあるお手本の書物を注意深く扱いながら行っていた。
始めは意味が分からなくても、関わっている内に分かってくるものだから、そういうものだからと、おじいちゃんは言い、私はおじいちゃんの言葉をそのままに受け止め、とにかく写本に精を出した。
とても古い神社だけれど、おじいちゃんと私二人が住む分には、なかなかの広さがある。
寝る場所はきちんといくつか部屋があって、そのそれぞれを使えたし、古いと言っても素材が良いのか、建築に使われた木々の柱は、今なお威風堂々としていた。
おじいちゃんは一番広い空間の神事を執り行う事もある場所で、しょっちゅう何かをしていたし、私は私で、その広い空間の片隅に小さな勉強用の座卓を置いて、おじいちゃんを時々眺めながらも写本を進めていた。
小さな頃からそんな調子でおじいちゃんと私は居たが、ふとある時、おじいちゃんの姿を眺めて質問した事がある。
「ねえ、おじいちゃんは、どうしてそうやって目を瞑るの?」
ノリコがまだ預けられ始めた頃の話だ。
彼女は祖父が、丁度それを終わらせたタイミングを見計らって聞いた。
「ああ、これはね、瞑想って言って、自分の感情を無の境地まで静めて、別の次元へと意識を飛ばすんですよ。」
「飛ばすとどうなの?」
「そうするとね、別の世界が広がっているんですよ。」
「別の世界?」
「そうだね、別の世界です。別の世界に行くとね、この今見ている世界とは別の方法での物事の解決の仕方が見えてきたり、物事そのものが別の見え方がしたりして、気付きをもたらすんです。」
「気付き?気付きで解決するの?」
「解決したり、しなかったりです。…気付きが一番重要だからね…。」
「気付きが一番重要…。」
「そうだね、こんな事、ノリコに教えているつもりでも、私が教わっているかも知れませんが…。」
ノリコの顔を慈しむ様に眺め、彼は続ける。
「それで、おじいちゃんは、気付いたの?」
「ああ、気付きましたよ。」
「何に気付いたの?」
「それはね…、」
話していなかったですね、と言い、神社の今の状況を祖父は説明し始めてくれた。
おじいちゃんの仕事の事。神社の木の事。そして神社の木の役目が、最近誰かに邪魔をされている様な事。
「邪魔をされているの?」
「どうやらそうみたいでね…。今回はその解決方法を探りたくて、瞑想をしたのですよ。」
「気付き、あった?」
「そうですね…ひとつ、面白い事がありましたよ…。」
おじいちゃんが言うには、今回瞑想をした中で小さな女の子二人と出会い、会話をしたらしい。
「ノリコよりは年上だったけどね…。」
ノリコは面白がって、話をふんふん聞いた。
女の子達の抱えている問題は祖父の抱える問題と少し似ている様だ。
思ったよりも祖父の話の内容が面白かったので、後日、祖父が瞑想をする度に、今日は会った?今日は会った?とノリコは祖父に聞いた。
祖父の話によると、その子達に会ったのは、話をしてくれた当時の一回だけで今の所、再び会ったりとかは無いらしい。
瞑想する祖父を斜め後ろから眺めながら、ノリコは昔の記憶に想いを馳せた。
写本している文字は、今の所まだ意味は分からないが、きっと意味はある事だと、真摯になって作業を再開する。
朝の強い日差しを座卓の角に受けながら、ノリコは写本に没頭していった。
林の奥の、二棟の家。
ログハウスの隣の、夜は漆黒に近い、深緑色の屋根の家。
夜、友喜は家族共用のラップトップコンピュータを父から借り、梨乃のブログのページを開いてみた。すると、最近更新された内容が、何とも言えないくらいに暗いのを目にする。元々暗い内容のページが、その更新したページは群を抜いて暗かった。
「梨乃さん…。」
大丈夫かな…、と友喜は案じ、すかさず梨乃にダイレクトメッセージを送る。友喜は梨乃を気遣う気持ちでいっぱいになった。
梨乃へのメッセージを書き終えてひと段落すると、友喜は画面の端に新着メールのお知らせランプが表示されているのを見つけてメール画面を開いてみる。
そこには則陽からのメールが表示されていた。
「柚木友喜様
こんにちは。メールをありがとう。
友喜ちゃんは元気ですか。
あれから日が経つけれど、こちらでもクリスタルの中へは入れなくなっています。(クリスタルはまだ画面にクルクル回って表示はされています)。
それでも友喜ちゃんとあの日クリスタルの中で話が出来た事は、自分にとっての宝物になりました。お陰様で良いアイデアも生まれました。同じメールアドレスに送信しているから、有津世くんからも聞いたかな。
とにかく、クリスタルの件については、あの日から今まで、他の誰からも問い合わせはありませんし、そういった情報を拾ったりもありません。不思議ですね。
ああ、長くなりました。またいつか、クリスタルの中でお話出来ると良いですね!
奈巣野 則陽より」
友喜はあの日クリスタルの中で出会った、始めはおどおどしていた則陽の姿を思うと、ふと笑いが漏れた。
そしてクリスタルの中に入れなくなっているのは自分達だけでは無い事を則陽からのメールで知り得て、考えを巡らせる。
ラップトップコンピュータを2階の父の部屋に返してから自分の部屋に戻る途中に、ふと兄の有津世の部屋のドアに目をやる。
ぽわぽわは今夜も有津世の部屋に訪問しているのだろうか。
ドアをノックしたくなる衝動を抑えて友喜は自分の部屋へ戻って行った。
繁華街の外れの小ぶりなマンション。
こざっぱりした内装の自室に帰り着いた梨乃は、極々少量の惣菜のパックをビニール袋から出し、昨夜残した惣菜を取りに冷蔵庫へと向かう。ご飯は、昨夜の炊飯器で炊いたものがまだ残っていて、それをよそって、もそもそと食べ始める。
「あ…、いただきます。」
自分でご飯を炊くようになってから、言うようになった言葉。
昨夜はあの後散々泣いて、ブログにも当たり散らしたからか、梨乃は自分が思うよりも今は元気だった。
ご飯を食みながらも、思い出した様にデスクトップコンピュータの電源を付ける。今付けておかないと、食べ終わった後、スムーズに作業が進まないのだ。
梨乃はきちんと炊飯器の残りのご飯と惣菜を食べ終えて、
「なんだ、私、食欲あるじゃん…。」
可笑しそうに言った。
ごちそうさまでした、と言った後、片付けを済ませ、デスクトップコンピュータの画面の前に行く。
ブログのページを開くとダイレクトメッセージが来ている。
友喜からだ。
友喜は昨夜のブログを読んだのだろう、メッセージの文面からは、梨乃の様子を伺い気遣う温かな文章が綴られていた。
「心配させちゃったな…。」
梨乃は友喜への返信で、大丈夫、今は落ち着いたから、と入力して、心配かけてごめんね、と続けて付け加えた。
それから、今までに友喜から貰ったメッセージの一つ一つを読み返しながら、友喜と先日会った時の事も思い返した。
今までずっと、自分の弱みをリアルな他人に話した事なんて到底無かった。
何でかは分からないけれど、結局きっと、そういう性分なのだろう、その結果がこのブログだった。匿名で出来るから何処の誰とも知られる事もそうそう無い。
梨乃は、ブログの中では強気で居る事は出来なかった。
よく聞く話だけど、匿名を良い事に誰かを不用意に攻撃したりする、まるで車を運転する時にだけ荒ぶる性格になる様な人がインターネット上にも居るらしいけれど、梨乃はまるでその逆だ。
梨乃はインターネットの中だと、リアルな生活で隠してきた弱気や痛みをここぞとばかりにさらけ出してしまう。ある意味で、本当の自分、見せたくない部分の自分が露呈しているのがこのブログで。
梨乃のさらけ出されたそんな弱さが、ある種、友喜の琴線に触れたんだろう。
友喜は梨乃の、目も当てられない様な内容の文面に助けられ、梨乃は友喜からの覇気の無い暗く湿った感情を綴るメッセージに助けられた。
友喜との遍歴を思うと、なんだか可笑しくなってきて、梨乃は込み上げてきた感情を抑え切れずにくすくすと一人笑った。
日がサラサラと注ぐ気持ちの良い昼下がり。
梨乃は昼食の弁当を買いに、オフィスから出て街を歩いていた。
外食で済ます事もあるが、今日は弁当の気分だ。
梨乃は、前々から気になっていた、最近社内で話題の総菜屋『ノリムー』へ初めて行ってみる事にした。店内に着いてみればなるほど、手作り感溢れた弁当や惣菜の数々は、体にも優しそうだし、価格設定は財布の中身にも優しい。
嬉々として陳列された弁当を眺め、今日のお目当ての一品を決めた。
弁当を手に取りレジに向かい、会計待ちで数名の人が並ぶ列へと自分も倣う。
ようやく自分の番が回ってくる。
梨乃は自分の鞄から財布を取り出し、小銭の細かいのが無いかの確認をした。
則陽は昼食の弁当の買い出しをしに、街に繰り出していた。
いつもと変わらぬ総菜屋を前にして、いつもと変わらぬレジの風景に、既視感のある人物が映り込んだ。
その背丈と変わらぬ髪型は、則陽の視線を釘付けにする。
ふと角度が変わり、斜め後ろの則陽の位置からも顔が伺えた。
視線を外せないでいると、該当の人物が則陽からの視線を察知して顔を上げた。
「………則ちゃん…。」
則陽の視線に気付き、顔を上げて固まったのは、梨乃だった。
則陽は、先日の梅との一件で、梅に教えて貰った事があった。
自分がひたむきだと、他に気付いていない状況が多々あるだろうという事、梅はそんな自分を今まで好きだったと言ってくれた。
伝える事で、伝わった。
だから、伝えるのは大切だという事…。
「梨乃…。ちょっと待ってて、ちょっと、俺も弁当、買って来るから。」
梨乃を足止めし、自分も適当な種類の弁当を掴んで選び足早にレジへと並んで会計を済ませた後、梨乃が待ってくれていた事にほっと肩を撫で下ろした則陽は梨乃を近くの公園へと誘い足を運んだ。
公園のベンチで、それぞれが弁当を開き、何と無しに食べ始める。
梨乃は俯きがちで、則陽はちらちらと梨乃を眺めながら。
「梨乃さ…、元気だった?」
「…そうね、元気、元気!」
「そっか…。」
梨乃の空回りな返しを見て、則陽は力無く微笑む。弁当を食べながら、ふと起こる沈黙を、二人は懐かしんだ。
「俺さ、梨乃が考えて配置したの、まだそのままにしてるよ…。」
梨乃は顔を上げて則陽の方を向き、彼の言葉の真意を探る。
「ごめんね、俺、今まで…。」
則陽の言葉を受けて、梨乃の目から涙がぽろぽろとこぼれ落ちてきた。
途端に泣き崩れてしまい、止まらなくなってしまって。
泣きじゃくりながら、私も、ごめんね…、と何とか言葉を発する。
こんな調子だから、弁当は食べれなくなるし、梨乃が泣きやむまで則陽は待ってくれていたのだけれど、どうにも体裁が悪いので職場には昼休憩途中で体調が悪くなったと梨乃は電話報告をして、このまま早退する事にした。
則陽は謝る他にも何か言いたげだったが、梨乃が早くも泣くに泣きまみれてノックアウトとなったため、梨乃を見守るだけに徹した。
濡れちゃうからと、梨乃の弁当を丁寧に受け取り、蓋を閉じて渡してくれた則陽の、その優しさは何ら変わっていなかった。
「梨乃!」
公園から出て、二人別々の方向へと歩き始めた時、則陽が梨乃を呼び止めた。
「…また、ね。」
梨乃の表情を確かめつつ則陽は言うと、梨乃は目をはらしたままの顔で微笑み、『また』っていつよ、と独り言の様に呟き、その後、則陽から背を向けて、見られない様、また泣いた。
梨乃の姿を、則陽はいつまでも、見送っていた。
ここは、天井も高く、なかなかに広い空間だ。大きな窓がある様に見える箇所は、窓に見立てた明るい照明だった。
ただっ広い部屋の中央には、様々な電子部品がそこここに散らばっている。
まるで積み木で遊んでいるかの様に、男の子はそれを組み立てていく。
男の子がここに来てからと言うもの毎日続けている作業だ。
それは誰かに言われたというよりも、男の子の中に息づいて居る何かが、そうさせていたのかも知れない。
何故なら、この部品を要求したのは全て男の子自身であるし、それをすると初めに言い出したのも実は男の子自身からであった。
男の子からの要求は時にとても高度だったので、その道のエンジニアにも理解しづらい内容の事も多々あり、男の子は何とか意味が通じる様にと紙面に仕組みの詳細を書き示した。するとそれは別の機関へ伝えられ、何処からか要求通りの部品が男の子の手元に渡る様になる。
そんな作業を何度も繰り返し、年月を経ていった。
男の子には、疑問があった。ある日、その疑問を二人の男に投げかけた。
「ノリコとおじいさんには、また会えるの?」
二人の男は、ええ、時が来たならば、と答えた。
返事を聞いた男の子は頬の血色をほんのり良くして、また作業を続けた。
厚い雲が立ち込めている空の様な灰色の、上下がどちらかもおぼつかない空間。
キラキラとした光の筋の残存はそこだけ場違いの様に眩く、その輝きは天の川の様にも見える。
隣に誰も居なくなった空間で、ふわりとしたクリーム色のドレスをまとった銀髪の慈愛溢れる緑色の瞳の女の子は呟く。
『美しいものを見たわ。』
光の名残を大切そうに眺めながら、ドレスの裾から覗く、浅黒いのか色白なのか分からないその両足を、ブラブラと揺らしながら微かに微笑んでいた。




