続・気持ちに花を
「ねえ、友喜!聞いてる?」
ふと気付いて、慌てて友喜が答える。
「ん、ああ、聞いてるよ!」
「ねえ、本当に、最近なんだか変だよ。どうした?」
「なっちん、ちょっと今日寝不足なんだよ。最近寝不足なの。」
「そうなの~?もうっ、行くよ!」
いつもは断っていた放課後の買い物に付き合わされて、話の途中でぼーっと佇む友喜を、友人のなつが制する。
友喜はその日から、なつの誘いに毎日乗り、帰宅するのが遅くなり始めた。
時刻はもう19時を回っていた。
ようやく自宅へ帰り着くと、
「ただいま~。」
第一声を出す。
母親よりも先に、兄の有津世がばたばたと玄関へとやってきて、
「なんだ、遅かったじゃないか、どうしたんだ?何処かに寄り道してたの?」
友喜の背中をポンポンと優しく叩き、友喜の顔を覗き込む。
兄の挙動に対し、それだけでもやるせなくなって、有津世に顔を隠す様にその場を後にする。
「鞄、置いてくるから。」
階段を上がる手前で振り返り、一瞬笑顔を作り答えるので精一杯だった。
階段を上がって行く友喜の背中を有津世が見守っていると、ぱたぱたと母親が来た。
「まあ、遅いけれど、高校生だしね!友達との付き合いがあるんでしょう。母さんは安全に安心して過ごしてくれているんなら、それで良いし!ほら、お兄ちゃんもそんな所で突っ立ってないで、こっちに来たら?」
母が友喜をかばって、有津世をリビングに手招きする。
有津世は母親に、そうだね、と言ってリビングに戻った。
それでもやっぱり有津世は友喜の事が気になるみたいだ。
少し経つと2階へ上がり、友喜の部屋のドアをノックしてみた。
「友喜?今ちょっといい?」
有津世が声を発したその時、部屋のドアが、ぱっと開いた。
目に飛び込んできたのは、着替え途中の心許無い友喜の姿だ。
友喜は両方のか細い腕を伸ばしていきなり有津世に抱き着いてきた。
驚いて声も出ずに、それでも友喜の表情を確認しようと有津世は顔を覗き込もうとする。
その内に友喜は、はっとして我に返った。
あ、何でも無いの、ごめんなさい!と次の瞬間には有津世から飛び退き、自身のあられもない姿に今更気が付いた。
友喜は手に持っていた制服のブラウスで慌てて前身を隠し、部屋の中に逃げ込んでドアをばたんと閉めた。
有津世はこの僅かな時間での友喜の挙動に、しばし呆然とした。
とにかくこのままでは居れないと、有津世は大きく深呼吸をしてから再度友喜の部屋のドアへと近づいてノックと共にそっと声を掛ける。
「なあ友喜、学校で、何かあった?何かあったら、いや、何も無くたって、いつだって俺に相談して良いんだからさ。何でも言ってよ。お兄ちゃん、友喜の笑顔が大好きだからさ。」
ドア越しから聞こえる有津世の声に耐え切れずに、友喜は声を押し殺して泣いていた。
コントロール出来ない、溢れ出してきてしまう自分の感情のやり場が無くて。
「着替えが終わったらさ、リビングにおいでよ。待っているからね。」
それだけ言い残して、有津世は部屋から離れて階段を下りていく。
下手したら女の子とも見間違えられそうだった小学生時代から一転、有津世は成長して容姿には男らしさが増していた。
「でさあ、こう言うの~。」
次の日も、なつに付き合って放課後を街で過ごしたけれど、友喜の気持ちはやっぱり晴れなかった。
昨夜のダイレクトメッセージの返信で、思っている事をほんの少しRinoさんにぶつけた。
言葉は選んだけれど、今の気持ちが鬱屈し過ぎていて、少し乱暴な言葉遣いだったと思う。
だからぶつけた、という表現が近いと思う。
「ねえ~、ところでさあ~、友喜、何処の香水を使っているの?毎日、すごく良い香りだよねえ~。」
なつの言葉に目を丸くした。
この香りは、自分と有津世と雨見の三人にしか分からないものだと、勝手に思い込んでいたから。
「え、あ、何にも、何にも着けていないよ。」
そうなの~?と訝しむ友人なつに、…あのね、これはちょっとした、例え話というか…物語…作り話…なんだけどね?との前置きを入れてから、今の自分の状況を遠回しにぽつりぽつりと話し始めた。
そこは、街の一角にある、カフェにしては高校生にも立ち入りやすい雰囲気と価格設定の店で、開放度の高いテラス席に二人は座っていた。
テーブルには温かい抹茶ラテの入った大ぶりのマグカップと、綺麗なピンク色のいちごシェイクの入ったグラスが置いてあった。
基本、一年中温かい飲み物が好きな友喜の頼んだのが抹茶ラテだ。
なつはいちごシェイクのストローをミサンガの付いた右手でゆっくりと回し、友喜の話にじっくりと聞き入った。
下手な作り話だと思った。
もっとも、友喜が冗談で言うとは端から思って無かったし、ここ最近ずっと友喜の思い詰めた表情をなつはしっかり見届けていたから、これは例え話でも作り話でも無く、友喜自身が体験しているリアルな話なんだと思った。
今まで体験した事の要所要所をかいつまみながら、なつに伝えた友喜は、この想いをただ吐き出したいだけなんだと知っていた。吐き出した所で何が変わる訳でも無いと思っていたし、何ならなっちんにも笑われてもいい、とまで思っていた。
こんな話、誰が信じてくれるんだろう、そう思っていたし。
「そうか、今まで…辛かったね…。」
だからこそ、なつから自分に返ってきた言葉が余りに予想外過ぎて、友喜は一気に涙の溜まっていく目を見開いて、なつの方に顔を上げた。
「その話、本当なんでしょ。友喜さ、相当、悩んでたもん。あたし見てたよ。それにさ…、今話してくれた、そういう事って、…あるんじゃないか、って、あたし思うもん。」
なつの友喜へのフォローに、友喜は涙腺の制御が解除されてしまったか、ボロボロと大粒の涙を次から次へとこぼし始めた。ハンカチ、ハンカチ…と鞄の中を慌てて探している。
「はい、あたしの、貸して上げる。」
綺麗な藤色をしたハンカチを、なっちんは友喜にそっと渡してくれた。
言葉にならない嗚咽で散々泣く友喜と、友喜を見守るなつ。
二人の間に風が通り抜けて行った。
段々と気持ちが落ち着いてきて、ハンカチで目元を抑えながら友喜はなつの方を向いた。
「多分さ、友喜は今、その、もうひとつの世界での自分、キャルユだっけ?に気持ちが引きずられているだけじゃないかなあ。あたしはそう思うよ。友喜よりさ、その、花の香りの…キャルユの方が大きくなっているんじゃない?どういう訳かは分からないけどさ。」
泣き腫らして、真っ赤な目をしている友喜に、続けてなつが話した。
「あたしで良かったらさ、落ち着くまで、こうして毎日付き合うよ。でないと、友喜のお兄ちゃんもさ、友喜の事を心配しているみたいだし、きちんと元気に接する様になれた方が良いでしょう?」
「なっちん…。」
「ああ、もう、落ち着いたかと思ったら、まーた涙流して…。良いよ、いくらでも泣きな。あたしがお守、してやるよ!」
にかっと笑って、友喜をつられ笑いに誘う。
「…ありが…とうっ…。」
すんごい鼻声で、またボロボロと涙をこぼして、なつに笑顔とも泣き顔とも言えない表情で答えた。
「なんだ~?今日も遅いのか~?」
ただいまの一声を聞いて、またもや有津世が玄関に駆け寄って来た。
「なんだ、なんだ、遅いじゃないか、待ってたんだぞ~。どうした、大丈夫か?」
友喜の顔を覗き込んでくる兄の姿に、ふっと微笑んで、
「なっちんと遊んできたの。」
と、返した。
友喜の軽快な返しに意外な手応えを感じた有津世がひと呼吸置いてから嬉しそうに、そうか~、なっちんか~、と反応して続ける。
「でもな、遅くなり過ぎるんじゃないぞ!」
軽く優しい調子で言葉を付け加えた。
「ありがとう、お兄ちゃん。鞄、置いてくるね。」
「うん…。」
友喜とやり取り出来た有津世は満足した表情になり、一人リビングへと戻った。
林の木々の枝葉が風に揺れる毎に地面に届く日差しの形を変える。
林の道の中、有津世は雨見と一緒に歩いていた。
二人は共に制服姿で、下校して家へと帰る所だ。
「今日も友喜ちゃん遅いのかな…。」
有津世の方をちらりと見て、雨見が聞く。
「うん、最近、学校の友達と遊んでいるらしいんだ。」
「そう…。」
雨見は前方の地面を眺めながら、ぽろっと言葉をこぼした。
「友喜ちゃん、最近様子がおかしかったよね…。」
雨見の言葉に有津世が目を見張って聞き返す。
「…雨見もそう思う?」
「思うに決まってるじゃない!何年の付き合いだと思っているの!全く…これだから…。」
雨見が有津世に聞こえないくらいのトーンで語尾をごにょごにょと濁す。
「ん?どうした?」
「ん?どうした?じゃ無いでしょ!…あ、やだ、これじゃあ私、妖精と話す時のアミュラみたいじゃない。」
「妖精と話す時のアミュラって、そんなに荒々しいの?」
数拍置いて、二人は目を見合わせた。
「もしかして…。」
「…。」
雨見は独り言の様に呟き、有津世は思いあぐねる。
風を受けた林の木々が、さわさわと枝葉を揺らしていた。
マンションにしては小ぶりな建物の一室。
飾り気の無い自室に帰り着くと、梨乃はデスクトップコンピュータの電源を入れた。
恐ろしく長い、起動までの時間を、ビニール袋から取り出した缶ビールと弁当でゆっくりやり過ごす。
先日の、ダイレクトメッセージを送ってくれたYukiに向けて、「もし良かったら体験を聞かせてください。」と発した梨乃の返信にYukiは答えてくれて、以来、もう何度か彼女とやり取りを行っていた。
どっちにしても、双方居たたまれない恋愛話ではあったけれど、それでもそのやり取りが梨乃にとっては楽しく感じられた。
会社の同僚は居ても、プライベートな話はあまりしなかったし、変なプライドがあった。
彼氏は居るの?とか聞かれても、毎回何だかんだとはぐらかし、決してまともに答えはしなかった。
立ち回りが上手いのならもう少し愛想良く対応するだろうが、梨乃のやっている事は真逆だった。
Yukiは始めこそ、どう扱って良いのか分からない自身の感情を荒々しい言葉遣いで伝えてきた。細かい部分こそ分からないものの、決して叶わない相手への恋愛感情だと推測する事が出来た。
想いによって、見える世界は変わる。
Yukiの見ている世界は灰色だと思ったから、文面が多少荒れていても梨乃は許容出来た。
けして他人事では無いと、Yukiからのメッセージを読んでいると、そういった親近感が湧いてくるのだ。
梨乃も似た様な感情を持て余している、はずだった。
だけれどYukiとのやり取りを何度か行っている内に、いつの間にか薄まった。
何も見えない、何も味わえない、何も聞きたくない。
プライベートに戻ってしまうと何もかもに感じていたそれが、梨乃に色味の無い世界を見せていたけれど、今の梨乃の世界は既に変わり始めていた。
梨乃はコンピュータの画面を前に、キーボードで彼女へのメッセージを打ち込んだ。
「Yukiさん
いつもメッセージをありがとう。Yukiさんのメッセージのおかげで、なんだかちょっとだけ前を向き始められた気がする。Yukiさんの住んでいる所って何処なのかな。首都圏だと良いんだけど。
私は東京の端っこかな。ちょっとのんびりした街に住んでいるよ。
いつかYukiさんと実際に会って、昼間、お茶してみたいな。どうかなあ。無理だったら良いからね!いつもありがとう。
Rino」
梨乃は前よりも血色が良くなっていた。
肌に艶が出始めていたし、何より自然に湧き出る表情は口角が上がっている。
「炊飯器…買おうかな…。」
食べ終わった空の弁当容器とビールの空き缶を見て、彼女は呟いた。
「今日は良い天気だね~!」
カフェのテラス席にそよぐ風を感じながら、なつは友喜に話し掛ける。
教科書とノートを傍らに、なつはいちごシェイクを、友喜は抹茶ラテを席の脇に置いて、優雅に勉強している。
「それにしても、顔、すっきりしたね!」
「あれだけ泣いたもんなあ…。」
思い出す度に出てくる涙は、何日も何日もかけて、とうとう在庫切れにまでなったらしい…、って、言いたいところだけど、今も尚、うるうるしてきてしまう友喜の瞳の涙は在庫切れが無いらしいって事を二人に知らしめた。
その度になつは友喜によしよし、と言いながら頭を撫でてくれて、有難い事この上ない。
頭を撫で終わった所でなつが友喜に話し掛けた。
「なんかさ、友喜の話を聞いて、最初も思ったけれど…、」
「うん?」
「そういうの、良いなって思うよ。」
「?」
「大切なお兄ちゃんと大切な幼馴染のお姉ちゃんが居てさ、ひょんな事から、別の世界でもお互い大切にし合ってるのに気付いてさ、そして、さらにその相手に恋をしちゃうなんてさ。」
「…。」
「なんか、こう、ロマンチックじゃない?」
「そうかな…。」
「そうだよ!」
「しかもさ、三人共、超~美人!これだけロマンチックな事って無いわあ!」
言いながら、なつはにこにこした。
「あたしはさ、そんな友喜達の、お互いを思いやる心でその世界を大切にする三人共がさ、…素敵だなって思うよ。」
「…。」
友喜の瞳には、また涙が溜まってくる。
「友喜のお兄ちゃんと雨見ちゃんは、特に変わった様子は無いんでしょう?なんで友喜だけなのかな…。」
「うん…。」
友喜は呟く様に相槌を打つ。
「友喜にはその一端しか、記憶が戻らないんだよね…。」
「うん…。」
ふと思いついた様になつが目を見開いた。
「あ、ねえ、ここに居るんじゃない?キャルユ!」
キョトンとして、友喜がなつの顔を見た。
居る?キャルユが、ここに、居る?
「…なっちん、今、何て…?」
「その、花の香りはキャルユなんでしょ?じゃあ今ここにキャルユが居るんだよ!」
なつの言葉が突拍子も無いと思うのと同時に、けれども確かに自分の周りに漂っている濃い花の香りは、他でも無い確固たる証拠とも思えた。
「友喜が想いを引きずられているのはそこだよ!重なって存在しているからじゃない?違う?」
「…!」
キャルユが、ここに居る…ここに居るなら、あちらの世界には居ないの?それとも…。
「なっちん…それは…。」
「だってさ、考えてもみてよ!」
教科書とノートはそっちのけで、なつと友喜は話を続けた。
友喜の記憶、あちらの世界での記憶が戻らないのは、キャルユが既に、あちらの世界には居ないから。
そして、何故か、キャルユ自身は今、友喜と重なってここに居る。実体を友喜と共有したまま。
「あちらの世界に居ないなら、何故…、」
「ん?」
「雨見ちゃんは毎晩、キャルユと一緒に居る夢を見てるの。それは、何故なんだろう…。」
「ん~、…それは、ちょっと、分からないけれど…、とにかくさ、友喜の花の香りはすっごいよ!」
なつがバンっとテーブルを叩いて言った。
テラス席に、心地良い風が吹き抜ける。
「私が、今現に…キャルユと重なって、居る…。」
そういえば有津世が前に言っていた。
友喜が記憶を失くしたりした初めの出来事以来、友喜が変になる時には、いつでも、この花の香りがした、と。
それがいつの頃からか、花の香りが普段からする様に変化していった。日が経てば経つ程、香りは濃くなって…。
普段からこの香りがする様になったのは、いつからだったっけ…?
キラリとお星様が光ったの。
だからお願い事をしたの。
大切なものが守られますように。
大切なものが守れますように。って…。
とある山奥に、女の子は住んでいた。
物心ついた時から、私はこの場所に住んでいた。
優しいおじいちゃんが、学校にも行かない私を、大事にかくまってくれたの。
おじいちゃんは神社の守人をしていて、毎日色んなお仕事があるみたいで、時に忙しそうだった。おじいちゃんを傍目にしながら、私も私で忙しく、蝶々を見たり、アリの行列を見たり、それはもう、毎日活動的に過ごしていたんだ。
でね、結構大きくなってからも、私は学校に行かなかったの。私には、必要無いって、知っていたから。
私はね、大きくなったら、やる事があってね、それが成功したら、その後、自分に必要な勉強をし始めるの。そう決めていたから。
辛うじて、文字の練習はしていたから、絵本や、もう少し難しい本も読めたよ。
それでも、私がやった事はそれだけだった。
それだけだった。
「ノリコや、ご飯にしようか。」
「はーい、おじいちゃん。」
座卓の席には、ご飯と味噌汁、そしてちょっとしたお漬物が並んでいた。
二人座って、黙々と食べる。
おじいちゃんには何もかもお世話になっていて、いつかご恩返しが出来たら良いなって思ってる。
最終的には、私はおじいちゃんのお仕事を引き継ぐんだと思う。
だからそれが、ご恩返しになるのかな、って。
おじいちゃんが言うには、ここは最古の神社の一つで、どこの神社の組合にも入っていない、多くの人には知られていない神社なんだって。
確かに、私はあまり、他の人を見た事が無かった。
毎日顔を突き合わせるのは自分のおじいちゃんただ一人ばかりで、それが、日常の感覚だった。
でね、可笑しな事を言うの。
ううん、おじいちゃんがじゃない。
耳元でね、ううん、胸の奥からかな…、
聞こえてくるの。
時が来たら、私は誰かを助けるんだって。
時が来たら?
その意味は分かんない。けれど、その時が来たら分かるんだって。
ふふ、可笑しいでしょ?
可笑しいでしょ?
緑の星の、草原の端にある石碑前に、キャルユが両手指を組んで瞑目していた。
いつもの様に石碑への祈りを捧げている様だ。
キャルユはツァームみたいに石碑の主の声を受け取る事は叶わなかったけれど、この日は不思議な出来事が起きた。
石碑の主では無い、多分この星とは違う声を受け取ったのだ。
今までに経験の無かったこの現象に、キャルユは初め気が動転しそうになった。
だけれど相手は遊び掛けるかの様に話してくる。
変なものでは無さそうだったし、話す内に相手の純真さを感じて、キャルユの方からも安心して言葉を返す事が出来始めた。
キャルユの受け取った声は、小さな少女の声だった。
嬉しそうにキャルユに話し掛けてくれて、キャルユも段々と様子が分かってくる。
彼女はそう、きっと…。
緑一面の草原に、風が吹く。
薄黄色の衣服は黄緑色のウェーブがかった長い髪と共に強くはためき、キャルユは尚も祈りの体勢で少女と話していた。
~大丈夫…きっと、やり遂げられる…そして立派に、救い出せるわ…。
不意に、こんなメッセージが自分の胸の内から湧き出た。
「キャルユ、来てたの。」
声がした方を振り返ると、アミュラが花冠を手に携えて目の前に来ていた。
「ええ、ちょうど今終わった所だわ。」
「うん、分かってる。終わったから声を掛けたんだ。」
ふふ、と二人で笑い、アミュラが花冠を石碑に飾るのを、今度はキャルユが一歩下がって場所を譲り見守った。
アミュラの務めもひと段落したと言うので、二人は石碑の近くに腰を下ろした。
草原には今も心地良い風が吹いている。
「あのね、キャルユ。ツァームの、事なんだけど…。」
アミュラの発したひと言で、キャルユはたちまち頬が熱くなるのを感じて両手のひらで覆い隠そうとした。
「隠さなくても良いんだよ。だって、もう、バレバレなんだから。」
アミュラの言葉に、頬を真っ赤に染めたキャルユはアミュラに向き直った。
キャルユの眉尻は下がり、今にも泣いてしまいそうな表情だ。
「安心して、キャルユ。大丈夫だから。」
「…私、自分がおかしいんだと思うわ…。」
「おかしくなんか無いよ。」
アミュラはキャルユの目をしっかりと見つめ返した。
「キャルユがツァームを想う事は、決しておかしな事なんかじゃないよ。えっと多分、…素敵って事なんだから!ね?」
アミュラはキャルユの両肩に優しく手を添えて元気づけた。
「たとえ向こうの星からのお土産で身に付いたものであったとしても、偽りのものだなんて誰が決められる?良いじゃない、キャルユの想い、とても素晴らしいものじゃない。」
「?…アミュラ…。」
「こうなるってきっと始めから決まってたんだよ。キャルユの持ち得た感情はきっと…天からの…祝福なんだから…。」
キャルユは胸が熱くなって、アミュラに抱き着いた。
アミュラはびっくりしたが、次第に頬を緩ませ、キャルユを優しく抱きしめ返した。
「…ありがとう、アミュラ。」
「どういたしまして。」
キャルユを温かく包み込んで許容してくれたアミュラのおかげで、柔らかい笑顔がキャルユから再び溢れ出した。
「さあ、まだ全部は終わっていないんでしょう?一緒に行こうよ。」
アミュラに手を引かれて、その後の石碑への祈りは、アミュラが花冠を捧げるのと共に行った。
アミュラの言葉を受け取って、私は自分の気持ちが軽くなった。
そして自分を律しようと思った。
何故なら私は、ここでの期限を知ってしまったから。
ここでの期限。
この地に居られる期限。
樹の異変を知ったあの時に危惧を感じ、手を繋ぎ合った私達は、ツァームの術を共に浴びた。
あれは、彼の居なくなった場合にのみ、実効果が発動するものだ。
だから結局の所、発動せず仕舞いになるだろう。
消えるのはツァームでは無く、私だからだ。
その後アミュラと回った残りの石碑で祈る毎に、少女との会話が進んで行く。
始めは幼かった彼女が、次の石碑へ行くと話し方が変わり確実に成長を遂げていた。
少女の居る世界とこちらとでは、どうやら時間の巡り方が違うらしい事をキャルユはこの時感じた。
最後の石碑にアミュラが花冠を捧げ終わるのを見届けてから、キャルユはほんの少し困った様な表情になると顔を背け、一拍後に振り返った彼女はそんな素振りは何処へやら、決意をした様に口を開いた。
「ごめんなさい、アミュラ。最後の石碑は、その場に一人になってからお祈りする様に言われたの…。」
アミュラはきょとんとして一瞬首を傾げてから、深く考えずにキャルユに頷いた。
「分かった。じゃあ先に行ってるね。」
踵を返してアミュラが颯爽と立ち去ろうとする姿に、思わずキャルユは声を掛ける。
「アミュラ!」
「?」
足を止めて振り返ったアミュラに、キャルユは我に返ってその場を取り繕う様に言葉を繋いだ。
「ううん、何でも無いわ。…そうだ、ツァームにも、後から行くからと、伝えておいて。」
「うん、分かった。…なるべく早く来てね!」
笑顔で答えたアミュラに、キャルユは微笑み返した。
アミュラは踵を返して、その場から立ち去って行く。
アミュラの後ろ姿を目で追うキャルユは、とても名残惜しそうだ。
想いを振り切るかの様に石碑に向き直り近づいて行くと、石碑の石畳の所で膝を着いた。
両手指を絡めて組んで、改めて瞑目に入る。
「今までのご厚意と愛情、全てに感謝します。どんな中にあっても、私はアミュラとツァームへの真の愛の繋がりに、如何なる次元の隔たりをも超えた忠誠を誓います。何故なら、その想いこそが私の故郷だから…。」
ひと息置いて、キャルユは続ける。
「どうあっても、私は彼女を助けます。私は愛故に、全ての負の現象を代わりに受け止めます。だからこれは必ず成功します…。」
キャルユの額の石が、内側から眩く光り始めた。
時は来た…。
~行きましょうか…
胸の奥から届く声が私に言った。
私は珍しくいつもとは違う服装だった。今日は動きやすい軽装で、私はそうする必要があると知っていたから。
なんで知っていたと思う?
何故なら、私はこの日のために今までこうして生きてきたの。
だから命が無くなろうとどうなろうとも、ミッションは必ず成功してみせる。
朝に目を覚ました時点で私ももう知っていたけれど、胸から届く声が言ったんだ。
時は来た…って。
何故だろうね、偶然にもミッションの場所は、うちの神社からそう遠くない所にある、入った事の無い不気味な洞窟だった。
見るからに禍々しい気が充満していて、覗くだけでも嫌な感じがしたから、普段から入り口には近づかなかったんだ。
今日、初めて入り口の前まで来たの。
そして中に入ったんだ。
始めは小さかった洞窟の通路は、とある曲がり角に差し掛かってから徐々に通路幅も広がり、進んで行く毎に格段に天井も高くなっていった。まるで誰かが整備しているかの様な、基地みたいにも思えた。
こんなに人の来ない場所も珍しいから今まで見つからなかっただけで、古くは人が利用していた洞窟だったりするのかな。
私は、とにかく、どんどん地下へと潜り込んでいったんだ。
ノリコは十代後半辺りくらいには成長していた。
不幸にも、彼女の両親は彼女と一緒にドライブをしている時に事故で亡くなった。
しかし、後に祖父に預けられた彼女は、『そうなる事』を分かっていたと祖父に言う。
ミッションだって、当初から彼女が口にしていた事だ。
接すれば接する程、不思議な少女だった。
少なくとも、彼女の祖父は、そう思っていた。
自分には無い、何か特別なもの…それが彼女には備わっていると感じた。
奥へと進む毎に、人の手が加えられている場所であるのを肌で感じ、彼女は戦慄し始めていた。
そして、決定的な光景を目にしたのだ。
ノリコは息を吞む。
…おじいちゃん、ごめんなさい。私は今まで幸せ者でした。こんな不幸があるとも知らずに、今まで生きてきた。毎日、毎日、自然の中を走り回って、色んな命と向き合ってきた。
それが、こんなに惨く、憐れな光景があるなんて…。
無数の物言わぬ命が転がっている中で、一人の男の子がノリコの目の前まで歩いてきた。
とても汚い。それどころか、臭い。猛烈に。
ノリコは、行こう!と、語気も強めに男の子に言った。
優しく手を取り、最初は歩いていたのが、段々と小走りになる。
いつしか男の子の手を引っ張っていて、ノリコは自分が焦ってきているのに気が付いた。
今来た道を、そうして急いで引き返している最中にノリコはふと洞窟の横の広がりが気になった。
見ると並行して別の洞窟が繋がっており、そっちはトンネルとして整備されている事に気付いた。
丁度開かれた空間で、一部がノリコ達の居る洞窟と繋がっている。
トンネルの床を覗いて見ると頑丈そうな金属が随分と先まで敷かれている様だ。
ノリコは、これはいつか絵本で見た、線路みたいだと思った。
不意に、強い風がノリコ達を巻き込みながら吹き荒れる。
ノリコは風に飛ばされない様にと男の子を庇いつつ、自分も姿勢を低く保った。
直後、体が強張って表情が引きつる。
「乗って!」
手を繋いで連れていた男の子を背におんぶして、ノリコは走り出した。
風と共にやってきたのは、誰かが乗っていると思われる、列車だったからだ。
その誰が乗っているかも分からない列車から、自分達をやり過ごす為に、ノリコはひたすら、走った、走った、走った。
「あ、」
途中で足がもつれて、危うく男の子が背中から振り落とされそうになる。
間一髪でバランスを取り体勢を立て直すと、誰かが後ろから追ってくるのを感じた。
…危ない…!
銃口が向けられるのを野生の勘で感じ、頭を低くして、一目散に逃げる。
一発目、地面に当たり、二発目、辛うじて防ぐ。三発目………
どういう訳なのか、そこから記憶が無い。
気が付くと、私はミッションを終えていた。
助かったのだ。男の子も、私も。
そして、おじいちゃんが、忍者と称している人達に、その男の子は連れて行かれた。




