虹色の通り道
アミが鈴奈を自分の前に来る様に位置させて、そのままバスルームまで誘導する。
「ここです。」
入り口の照明スイッチをアミが入れて、鈴奈は明るくなった浴室内を見渡した。
後ろのアミに振り返って思った事をぽろりと口にする。
「ここは…未来?」
「未来じゃ無くて、今、ですよ。」
「うちのお風呂とだいぶ違う…。あ、うちのお風呂もとても素敵なんだけどね?」
…それにしてもだいぶ違う。
配色、設備、奥側には何かの操作ボタンが沢山付いていて…。
「これ本当にお風呂?」
「お風呂ですし、今日からここが、うちですよ。」
「あ…ああ、うん。」
呆けてぼうっと答える鈴奈に、アミが質問を切り出した。
「使い方が分からないのであれば、一緒に入ります?」
「えっ?」
呆けていた鈴奈が自分の耳を疑うかの如く驚いてアミを凝視した。
「こんなにボタンが沢山あるのでは迷ってしまうでしょう。しばらくは一緒に入りましょう。」
鈴奈が去って行って一夜経った山奥の神社は静まり返っていたが、朝日がきらきらと神社の建物近くの木の葉にまだ届いている午前中に早速の訪問者が車のエンジンの音と共にやって来た。
奥の四畳間で杉と共に話す声が聞こえてくる。
「それにしても、杉様が鈴奈様とアミとの結婚を承諾なさるとは思ってもみませんでした。」
今回来たのは杉と仲の良い、この神社に訪問する彼等の中でも一番年上の男だ。
「私など老婆心が過ぎて、一度はアミを止めようかとした事もありましたけれど…、杉様のご意向をアミから聞きましてその後は方向転換を致しました。」
男の言葉に杉は穏やかな表情で頷く。
「鈴奈もアミくんも赤子みたいなものです。」
「…そう思われているのでしたら、より自分の手元に長く引き留めておきたいのではないですか?そのお考えで、どうして杉様は承諾なさったのでしょうか?」
「なあに、単純な事です。鈴奈もアミくんも、お互いを好き合っていた。これ程までに、承諾する理由など他に有りはしません。」
「…?でも今、杉様は彼等を赤子同然に若いと…。」
「若い、年老いている…人の年齢は実に様々だと思います。ただ、確実なのは、彼等にとっての今がある事だけです。明日があるかどうかはどんな年齢の者にとっても分かりません。そしたら、彼等の今の願いを叶えて上げるべきではないでしょうか。」
「はあ…。流石は杉様…。私なんぞより、ずっと達観してらっしゃる。」
「何があるか分からないからこその今を大切に生きる事を、彼等にして貰いたいんです。」
「…。」
重ねて言う杉の言葉に、男は一瞬押し黙る。
「杉様…何かビジョンが…?」
「いいえ。常日頃からの私の願いです。一緒に居て、より幸せを感じられるのならば、彼等にはそうして居て欲しい。あなたの老婆心となんら変わりませんよ。」
「杉様が老婆心なんて言葉を使うなぞ早過ぎます。」
「あなた様もですよ。」
「あははは。いやあ、そうでしたな。」
男二人の爽やかな笑い声が響く。
「そちらは子供が一人増えて、手間をお掛けしますね。」
「既に一人居ますから、もう一人くらい増えても変わらないですよ。」
「ははは。また一人、直ぐに増えそうですけれどね。」
「そうですね…。」
お孫さんは何人くらい欲しいですか、と男が続ける。
神社の午前の時間は、穏やかな談笑と共にゆるりと過ぎて行った。
「赤ん坊じゃ無いし、お風呂って一人で入るものでしょう?」
鈴奈が首を傾げながら言う。
鈴奈とアミの新居で、アミの放った言葉に鈴奈が真顔になってしばらく考え込んでから言った。
「使い方が分からない場合は二人で一緒に入っても良いんですよ。」
「あ。それは教えて貰えれば…これは、何のボタン?」
浴室に入り込んで大きなバスタブ近くに並ぶボタンの一番左端を指して鈴奈が聞く。
「それが…湯沸かしボタンです。押してみてくれませんか。」
鈴奈がボタンを押してみるとピッと音がして、内側から通じているパイプ部分からバスタブにバシャバシャと湯が入り始めた。
火は何処で炊いているんだろうと思いながら、鈴奈は不思議そうにその光景を見守る。
「鈴奈様。あなたは僕にプロポーズをしてきた時に、杉様にお孫さんをと仰っていましたよね?」
「うん…。」
「どうやったらそれが出来るとお思いですか?」
「…?こうして、結婚すれば自然と…。」
自分の手指を組み動かしながら首を傾げて、漠然とした表現で鈴奈が言う。
「もしかして本当にご存じ無いんですか?」
知っている振りをしていたけれど、実は何も知らないでここまで来た鈴奈は、アミの目前でぽかんとする。
「何かをしなきゃいけないの?」
「いけないというか、必然的に、それは行うというか…。これはもう、最初からレクチャーが必要ですね。」
ただただぽかんとしている鈴奈に対して、アミがじっと見据えて言う。
「ちょっとずつ、お教えします。」
「あ…。」
鈴奈の顎にアミの手が触れて、そのまま唇が触れ合う。
夢心地になりながら、鈴奈はアミの手に導かれて行った。
愛する人と一緒になって本当に良かったと思う事と、今までの事が脳裏に渦巻いて、それでも今私はこうして流れに身を任せている。
結果として、自分達の笑顔を見せる事が出来れば、父は喜んでくれるのではないだろうか。
それなら目一杯にアミとの時間を満喫して、愛し愛されている事を体に胸に刻んでからの方が会いに行くには良いと思った。
だってアミとも会える時間が時にはとても一瞬に感じられて、一緒に住んでいるのにも関わらず彼と一緒に居れる時間はとても貴重で。忙しい事が多い人だったから。
私は時に屋上に赴いて、あちこちへと勝手に咲く草花に癒されていた。
少し肌寒く感じて、着ていたカーディガンの両端に寄っていた前身頃を体の前に寄せて体を包む。
部屋に戻ろうかな…。
振り返って階段の方に歩いて、部屋へと続く階段を下りている時に、私の意識は遠のいた。
「ただいま。…鈴奈。…何処だろう、2階かまた屋上かな。」
この頃忙しくしていたので夜もなかなか帰れずにいたアミが、休憩の合間を見計らって昼間に一旦部屋に帰って来て、鈴奈の姿を探してきょろきょろする。
「鈴奈~。何処~?」
声を出しながら階段を上ると、2階の居室へ続く床を隔てた先に存在する、屋上部分への階段途中で鈴奈が倒れ込んでいるのを発見した。
「鈴奈?鈴奈?」
すぐさまシャツの胸ポケット付近をまさぐり、カチッと言う音と共に鋭い声を上げる。
「鈴奈様が倒れて意識を失っている。至急応援を頼みます!」
先程とは打って変わって再び平穏を取り戻した部屋のベッド脇では会話が聞こえた。
「ありがとうございました。」
アミが誰かを見送ってドアの近くまで一緒に歩く。
見送った後のドアをぱたんと閉めると、アミはベッド脇へと戻って、目を閉じたままの鈴奈の顔を眺めた。
布団の上に出ている鈴奈の片方の手を握り締めて、自分の頬に摺り寄せた。
「アミ…。」
ベッド上から声がする。
アミがはっと顔を上げると、鈴奈が目を覚ましていた。
「鈴奈。目が覚めたんだね。…良かった。」
「私…?」
「倒れてたんだよ。階段の途中で。…見つけた時は心臓が止まるかと思った。」
「心配かけてごめんなさい。」
しんみりと言う鈴奈に、頬を撫でてから優しく頭を撫でると同時に髪を優しく梳く仕草をしながらアミが答える。
「こちらこそ最近は忙し過ぎてごめん。鈴奈の体調の変化に気付きもしないで…。」
「きっと寝不足…。」
「寝不足なの?」
「アミが帰ってくるかもって思って…。」
結構な時間を寝ずに待った日が続いたらしい。
「本当にごめんね。先に寝てて良いから。それにそうやって待ってくれるんだったら、次の日の昼間にでも少しは休まなきゃ。」
「うん…。」
「でも、原因はそれだけじゃないらしい。」
真剣な表情になってアミがぽつりと言う。
「鈴奈が目を覚ます前に、念の為に診て貰ったんだ。怖かったからね。…鈴奈。…僕達の赤ちゃんが出来たらしい。」
「…!」
「僕達二人の、だよ!」
「…赤ちゃん…。」
驚いて、何て言葉を返したら良いか分からなくて呆けている鈴奈にアミが抱き着く。
「鈴奈のおなかに僕達の赤ちゃんが居るんだ。より一層、大事にしなくちゃ。だからちゃんと睡眠時間は摂るんだよ。」
おなかにアミとの赤ちゃんが居る事が判明してからは、私は赤ちゃんの名前を決めるのにゆったりと時間を使った。
気になってピックアップした名前をメモで連ねて、アミが帰ってくるとずらずらと名前の書かれたメモを見せる。
食事を済ませて、今は二人ソファに隣り合って座って居た。
「こっちが男の子だった場合で、こっちが女の子だった場合。」
「随分と沢山考えたんだね。こんなにいっぱいの中から選ぶの?」
「アミは?何か希望はある?」
「…そうだね。男の子だった場合、女の子に間違われない名前にしたい、って事だけかな。」
アミの言葉に鈴奈がくすくすと笑う。
「アミ、自分の名前、そんなに気にしているの?」
「そりゃあね。この見た目だから、小さい頃はまんま女の子だと間違われる事が多くて…。」
黒目部分が大きく光が反射しがちな綺麗な目で文句混じりに自分の過去を話すと、鈴奈がまた楽しそうに笑った。
「…でも、鈴奈が付けたいのならそういう名前でも。生まれてくる子は僕とは違う考えの持ち主かも知れないしね。」
「うん。そうかも知れない。」
にこにこ顔で、二人は話す。
「私はね、アミって名前、好きだな。」
「そう?好き?」
「うん。お洒落な感じがして。」
「お洒落かなあ…名前負けしているよ。」
「そんな事無い。アミ、恰好良いよ。」
鈴奈の返しに、アミが真顔に戻る。
「大事にしなくちゃならないのに、こっちの歯止めが効かなくなるよ…。」
鈴奈をぎゅっと抱きしめて、唇を寄せ合う。
「そっとだったら平気。」
「平気?」
「うん。」
そのままソファになだれ込んで、互いへの寵愛を表現し合う濃厚な時を二人は過ごした。
誰かに言わせれば辺鄙と表現されそうな場所に私達は住んでいたけれど、それでもアミの運転してくれる車でたまに街には行けたし、赤ちゃんが出来た事で必要になってくる衣料やその他の品をアミと二人で買いにも行けた。
要望を出せばそれさえも代行してくれる話は説明として聞いたけれど、外にたまに出ると久し振りのデートみたいでとても楽しいから代行を頼んだ事は無かった。
でもたまに聞こえてくる声がある。
「くれぐれもお気を付けなさって…。」
何がそんなに心配なのだろう。
私はアミからアミの仕事の事を聞いてはいたけれど、それが直接身の危険を及ぼすものには到底思えなかったし、アミだって普通の人だった。
少なくとも私と接している時は。
だからこそ聞こえる注意を促す声は場違いの様にも感じたし、気にし過ぎじゃないのかな、なんて一人思ったりもしていた。
そりゃあ特殊な環境に身を置いて暮らしてはいたけれど、私達はとても幸せで、その点においては、他の結婚している人達となんら変わらないと思う。
つまりはそれ以外の事を私はそんなに気にはしていなくて。
とても、とても幸せだった。
車を街の一角に停めて、街の通りを歩いていた私達はいつもの様にお喋りしていた。
「こうして街に出る度に思うけど…。」
「?」
「こんなにいっぺんに買わなきゃいけないかな。もっと分散させて買っても…。」
両腕と手に大荷物を抱えたアミが鈴奈に言う。
「うん。来れる時に買いたいし、アミと相談したいし、忙しくなっちゃうと次にいつ時間に余裕が出来るのか分からないから、必要だと分かった時点で買っておきたいの。」
「ま、そりゃそうか。」
アミが納得して横目で鈴奈を見て微笑み頷く。
「それになるべく、自分で選びたいじゃない?」
「そうだね。」
一旦車に荷物を運んでトランクの中に入れ込むとトランクを閉じて鈴奈に振り返る。
「さあ、後はどうする?」
だいぶ目立つ様になった鈴奈のお腹は、華やかなワンピースドレスの生地の多さと元々の細身な彼女の体と相まってぱっと見には妊婦さんに見えにくい。
アミが買った荷物を車に運び入れている最中に途中の道端で彼女を待たせていたら鈴奈が道行く人にナンパされかけてアミが焦った事があった。
その出来事があってからは、荷物を一旦置きに車に向かう時にも必ず彼女を自分の隣に位置させてぴったり引っ付いている様にしていた。
「帰る。」
「帰る?」
「うん。家でアミと一緒にゆっくりしたい。」
「…分かった。」
助手席のドアを開けて、アミが中へと鈴奈を促す。
運転席側に回ったアミが車内に乗り込んで、隣の鈴奈を見て頬を緩めた。
元々がちょっと変わった神社が自分の住環境だったから、閉鎖的な今の環境も特に深くは考えずにそのまま受け入れた。
縛りに寄る不便さよりも便利さが勝っていたし、何よりここにはアミが居た。
深堀してしまえば不思議だらけの身の回りで、それでも楽しさが勝って快適に過ごせたのはアミとこれだけ気持ちが通じ合っていたからだと思う。
互いが互いの手足の様で、私が巣立つ直前に父が使った一心同体という言葉、正にそれだった。
私は父に会いにはなかなか行かれなかったけれど、代わりに誰かが今度父の元へ訪問すると聞いては手紙を言付けて貰った。
だから音信不通では無かったし、父も手紙は喜んでくれたと思う。
何回か託した手紙の後で、たった一通、父からの手紙を逆に言付かって受け取った事があった。
手紙には私達が幸せそうで何よりだと言う事とこれからの幸せも願う父の気持ちが綴ってあった。
私は涙して、父へ手紙の返事を書いた。
それからもちょくちょく私は父へ手紙を出すのだけれど、父から貰った手紙は後にも先にもその一通のみだった。
いよいよ陣痛が始まった時も、私はアミとの二人の部屋にいるままだった。
部屋にはアミが付けている様な発信機がひとつ備え付けられていて、必要な時にはそこから連絡を取り合う事が出来る。
一方的にずっとこちらの情報が筒抜けになる事は無くて、その辺についての細かい説明はアミと結婚してから教えて貰った。
部屋の脇に置いてある金色の印が刻まれているプラスチックの破片みたいな物体を握り締めて、印部分に指先を当てた。印が光ったのを確かめてから私は声を出す。
「あの…産まれそう…です。」
「承知致しました。鈴奈様、お気を穏やかに。直ぐそちらに伺わせます。」
直後に年老いた助産師さんと、アミがばたばたとやってきて、その時は夜だったけれど気が付いた時には明け方近くになっていた。
「アミ…。」
ベッドに隣接する部屋で待っていたアミが、鈴奈の声を聞きつけて急ぎ足で側へ行く。
「っおめでとう!………鈴奈、良く頑張ってくれたね。」
産まれ出た赤ちゃんが、体を優しく拭われて柔らかい布地に包まれ鈴奈の隣にそっとあてがわれる所を丁度アミは目撃した。
アミの目は既にうるうるとしていて感極まっているのが傍からもありありと伺えた。
「女の子ですよ。おめでとうございます。」
助産師さんの声に、アミが堪え切れずにぽろぽろと涙をこぼした。
アミの姿を見て、鈴奈が頬を綻ばせた。
産まれ出て来たのは間違い無く幸せ者の赤ちゃんだな…。生まれた直後からこんなに喜ばれて、愛されて…。
「鈴奈、本当にありがとう。僕達の赤ちゃんだ。」
涙を拭いながらアミが言う。
「アミ…。名前…。」
「そうだ、名前、どうする?…あ、直ぐで無くても良いよ。鈴奈、夜通しで疲れたでしょう?」
「大丈夫。もう少し話がしたいから。それでね、思いついたの。」
アミをじっと見つめて、聞いて欲しいと鈴奈が言う。
「うん。あの中のどれにするの?」
何度か話をしていた名前の数々を思い出しながら聞く。
「書いた中には無かったと思うの。でも、この子の顔を見ていたら、ふっと思いついて…。」
神聖な音みたいなの。だからそれが良い、と言って、アミは、うん、良いよ、その名前にしよう、と頷いた。
前に直属の上司から杉の不可思議な能力について耳に入れた事がある。
娘の鈴奈も、もしかしたらそういった能力を秘めているのかも知れない。
鈴奈の言葉を聞いた時に、初めてアミはそれを自覚した。
勿論、欠かさず父には手紙を書いた。
自分達の子供、父にとっては孫が生まれた事と、その喜びを伝えるために。
産まれた赤ちゃんと共に過ごして居ると、一日一日があっと言う間で、何かと尽くされている環境に居ても暇と言う言葉は生まれなかった。
それくらいに、鈴奈もアミも自分達の赤ちゃんに夢中で。
今度出掛ける時には赤ちゃんの為のこういう物を買おうとか、自分達の赤ちゃんに関する話題が中心となった生活になっていた。
「ただいま。鈴奈。ノリコは?」
「今ちょうど眠っている所。もう少ししたら起きるんじゃないかな。あ、ねえ、聞いて。今日ノリコがね…。」
すくすくと育ち、次第に活発になってきた動きや表情豊かな仕草を逐一報告する。
「へえ。起きたら僕にもやってくれるかな。」
「どうだろう。また別の仕草を見せてくれるかもよ。」
ベビーベッドで親指を咥えてすやすやと寝ているノリコを二人で覗き見ながら話した。
「疲れた?」
「ううん。大丈夫。ここだと色々としてくれるし、きっとお母さんの中では至れり尽くせりして貰っている方の立場なんだと思うし…だから、」
鈴奈が目を丸くする。
アミが急にくちづけしてきたからだ。
次第に目を閉じて、自分達の赤ちゃんが目を覚ますまでの間のひと時を二人は満喫した。
気になったので前に聞いてみた。
自分達の赤ちゃんについて。
特殊な環境なだけに、学校は?と聞いたら、近隣の学校(あるのか知らないが)に通わせる事は出来るし、ここでも教育を受けさせる事は可能との事だった。
要するに柔軟に対応可能との事で、鈴奈はほっと胸を撫で下ろした。
どういった形であれ、健やかに育って欲しい。
そう願っていたから。
歩く様になって、拙い言葉を操る様になって、髪も短いながらも生えそろったノリコを見て、鈴奈は思った。
そろそろお父さんに会わせたいな…。
この所また忙しくてなかなか帰って来なかったアミが昼間の時間に部屋へと戻って来る。
「ただいま。」
「お帰りなさい。また直ぐに行っちゃうの?」
「うん。ごめんね。」
「それは良いの。だけど体に気を付けてね。…それとね、」
自分の父親の所に、アミとノリコと自分の三人で会いに行きたいと思っている旨をアミに伝えた。
「僕もそれ思っているよ。僕が忙し過ぎるせいでたまの休みは必要な買い物を済ませるのに時間を費やしてこれまで来ちゃったからさ。流石に顔を見せたいよね。…こんなに可愛い鈴奈と、ノリコが居るんだから。」
「じゃあ…、」
「上司に話してみるよ。それでオッケーだったら次の休みに即行こう。それまでは、もうちょっとの辛抱だから。良い?それで。」
「うん、分かった。ありがとう。」
仕事場でも食べれる昼食を、ちょっとの時間でもという事で一緒の居室空間で摂り、程無く仕事場へと戻って行く。
「鈴奈、」
「何?アミ。」
「愛しているよ。」
「…ありがとう。私も。私も愛してる。」
笑顔を取り交わして、くちづけの後に、ノリコの事も愛してる、と双方が言う。
互いに笑って、行ってらっしゃい、と鈴奈はアミを送り出した。
ドアを閉めた鈴奈が、穏やかな表情で空を眺め、それから腕の中でにこにこと笑っているノリコに笑い掛ける。
「お父さん、行っちゃったね。また帰ってくるまで、お母さんと遊ぼうね。」
「お帰りなさい。」
アミが再び帰って来た時は、既に夜中だった。
「こんな時間でも帰れるのって逆に珍しいね。」
任務が夜半を回るとそのまま泊まり込んでしまう事の多いアミが、わざわざ帰ってきた事について鈴奈が言及する。
「うん。実はさ…。」
鈴奈に伝えたいから無理をおして帰ってきたと言い、話したかった内容を伝える。
「えっ…、出掛けられない…?」
「…うん。状況が厳し目になっているみたいで、…独り身ならまだしも、家族連れだと注意が分散して危険だから、って…。」
「え…でも…、目が増えるから、私も注意すれば大丈夫じゃない?」
「そうも伝えたんだけど…。」
鈴奈がアミの言葉の続きを待つ。
「訓練された技術者じゃ無いから、無理だ、って。」
「そんな…!」
どうして?任務でお父さんの所に行く事もあるんでしょう?何で私達はダメなの?家族じゃない!と、鈴奈は反発する。
「それも言ったんだけど…。」
それで…?という顔をする鈴奈に、
「それでもだめだと…。」
理解不能の外出禁止令に、わなわなと怒りを奮い立たせる。
「自分の親にさえ会いに行けないなんて、孫の顔を見せる事も出来ないなんて、おかしいじゃない!どうして、誰が決めるの?」
アミに掴み掛って悔し涙を鈴奈が見せた。
「安全機密上の事らしいんだ。なるべくなら外出しない方が良いと。」
「…。」
「そう、なるべく、なんだ。」
「それでもどうしても、っていう場合は、目を瞑るけれどその時は全ての責任を自らに持て、と言ってきてね…。」
アミから発せられた言葉の中には、何が起きても…との意味が込められていると思った。
「…この状況、いつまで続くの…?」
「分からない。10年、20年続く可能性だってある。」
「だったら…!」
「ねえ、お父さん、どうしてアミとの結婚を許してくれたの?私の歳の事とか考えても、その、若過ぎるとか、思わなかったの?」
結婚を承諾されて、アミが帰った後の神社で気になったので父に聞いた。
「そうですね。幾分か二人は若過ぎます。」
「なら、何で?」
「承諾されないかと思いましたか?」
「…えっ、…うん。」
正直で良いですね、と杉は言い、俯く鈴奈に温和な表情を向ける。
「鈴奈、あなたは結婚が出来る年齢です。法律的にも…。少なくともそれは分かった上での今回の行動ですよね?」
「…そう。私が思いついて色々調べたの。」
アミと一緒になりたいと思い始めてから、アミからは特に頼まれてもいやしないのに自分の年齢の事や、料理の事とか、学校の図書館で調べられるだけ調べたつもりだ。
本に無い事については学校の先生とかにも聞いてみた。
「では、私の考えとしては単純にひとつです。若いからと言っても明日があるとは限らない。」
穏やかな表情ながらも杉の発した言葉には、ずしりと鈴奈の胸にのしかかるものがあった。
「私は常にそう考えています。ですから、今の自分にとって最良な動きを、最良な決定を自分に毎回するべきでは無いでしょうか。鈴奈、あなたはアミくんの事を大切だと、一緒に共に過ごしたいと思った。今のあなたにとっての最良の選択なのではないですか。」
そう言って杉は静かに微笑んだ。
「今の…私がしたい、一番の選択…。」
考え込んで、静まり返った部屋で再び鈴奈が口を開く。
「ねえ、アミ。私やっぱりお父さんに会いに行きたい。」
「…はい。そうおっしゃると思っていました。」
最近は出ていなかった敬語が、アミの口から鈴奈に発せられる。
「鈴奈様なら、そうお決めになるだろうな、と。僕もその意見に賛成です。」
どんな時も、自分の意思に恥じない、悔いの無い選択を、決定をしていく。
そのために。
「ねえ、敬語…。」
「僕なりの決意を表しただけだよ。よし。そうと決まったら直ぐに行動しよう。」
鈴奈もアミも行動の人だった。
決めたら直ぐに動く。
向きたい方向をきちんと向いて、だからこその二人の今があった。
「お仕事、急に休んじゃっても良いの?」
「もし決定が行く方に向いた場合の動きを、上司にはそれと無く匂わせてあります。」
また丁寧語で返してきたアミにはもう突っ込みは入れずに、慌ただしく出掛ける準備を始めた。
ノリコの衣服におもちゃに、何故かノリコの身の回りの物をほとんど車に詰め込んだ。
対する自分の持ち物は僅かな着替えと…それだけだ。
「出来た?」
「うん。」
「よし。行こう。」
建物の外の駐車場に停めてある外見がどれも同じ小さな車の数台ある内の一台の鍵を開けてノリコを抱っこした鈴奈が助手席に乗り込む。
ベビーシートが後ろにあるのに、この日は何故か抱きしめた手を鈴奈は放そうとしなかった。
またきっと鈴奈なりの理由があるのだろうと、アミはそれについては何も言わずに自分も運転席側のドアに回って運転席に乗り込んだ。
「お外。お出かけ?」
寝ていたノリコが目を覚まして周りの様子を見て二人に話し掛ける。
「そう。ノリコ。お出かけなの。これからお父さんの運転する車に乗って行くんだよ。」
「ひぇ~。」
ノリコの反応は嬉しそうだ。
「まだ、夜明け前だし、午前中の内に着けるんじゃないかな。」
「うん。楽しみ。」
言いながら、ノリコを抱っこしてあやしながら手には部屋にいつもなら置きっぱなしにする発信機をこの日鈴奈は密かに握り締めていた。
夜明け前の道路は車の通りは少なく、片側一車線の道路を気持ち良くドライブしていた。
それなりに加速していた。
安全運転のはずだった。
周りに車がいないから、流れる様に、風の様に、アミの運転する車はどんどんと景色を追い越していって…。
気が付くと、こちら方向に向けて勢い良く走って来る逆走の車がばっと眼前に飛び出した。
「!!」
慌てて急ブレーキを踏むもアミ達の車は乱暴に回転を繰り返し、その内に道路の縁へと後ろ側がぶつかって後席がひしゃげた。
鈴奈はノリコを自分の全身で覆い隠す様に守り、自分が壁になった。
一瞬の出来事に場がやっと静まり返った頃、鈴奈がようやく顔を上げて、ノリコの無事を確認する。
「よ…かった、…ノリコ。」
ノリコは驚いて目を丸くしている。
隣の運転席のアミを見ると、アミはもう動かなかった。
鈴奈は最後の力を振り絞り、最初から握り締めていた金色の印のあるプラスチックの様な欠片の物質をひびだらけになった車のフロントガラスから僅かに入って来る朝日の光で透かすように仰ぎ見て、そっと印に指先を当てて印が光り輝くのを確認してから、喉元から絞り出す様に何とか声を出した。
「お父さん、聞こえる?…会いたかったから来たの。ノリコを迎えに来て。お父さんの孫だよ。よろしく…ね。今まで…ありがとう…。」
そこまで言うと、当てていた指を離して、もう一度ノリコとアミを力無く見つめる。
「ノリコ、アミ、…愛してる。」
そうして鈴奈は目を閉じた。




