恋する乙女
さわさわと草原に風が吹き渡り、自分の服や髪、肌を涼やかに通り抜けていく。
有津世は草原のただ中に居た。
ぐるりと辺りを見渡して、森の方を向く。
ポケットを探り、中から笛を取り出すと、風に吹かれながら特定の音色を吹いた。
住宅街の一角。
吉葉家のリビングでは、なつと功が座卓を囲みながら夕飯の時間を過ごしていた。
なつはご飯を食みながら兄、功をちらと見る。
何なら今日、もっと気遣うつもりでの心構えをなつはしていたから、あっけらかんと明るい功を見て、拍子抜けするやらほっとするやらで変なため息をついた。
「何だ、なつ。何かあったか?」
功がなつの様子を見て聞いてきた。
「え、ううん。もっとさ、お兄ちゃん、落ち込んで帰ってくるかと思ったから、慰める役割無くなっちゃったな~って思って。」
これまた直球で功に言ってくる。
「なつ…ありがとな。実はさ、俺も。だけどさ、実際はさ、結構…すっげえ懐かれたかも。」
いや、実際驚いているんだよ、と熱を込めて功は言った。
「何でだろうな…。」
そう言う功の瞳は、まるで恋する乙女だ。
何処か遠目で、全くもって締まりが無い。
「良かったねえ、お兄ちゃん。」
心配して損した。
…とまでは思わないが、なつでも敢えて表面上は気丈に振舞う事だってあるのだ。
今朝の午前中は本当は肝を冷やした。
友喜の功へのあまりの反応の悪さで。
今夜の夕飯時には功のこんな表情だって望めるとは思っていなかったから、なつは口元が緩み、目が潤むやら、笑いたくなるやらで感情が忙しかった。
互いの吐息が聞こえて、私達は誓い合った。
大丈夫。もし目の前から見えなくなったって私達の約束が消えて無くなる訳では無い。
想えばいつでも繋がって居られる。
この瞬間に戻って来られる。
だから、見えなくなっても、恐れないで。
いつでもここに居る。
いつでもここに在るから…。
林の奥の二棟の家。
林の道の終わりに建っている大きなログハウスの中は、しいんと静まり返っていた。
土曜日の午後、美鈴家では団らんの声が聞こえてきそうな時間なのに、リビングからも部屋からも聞こえる音は無い。
微かな気配を辿ると、1階のリビングのソファには、腰掛けた状態の雨見の両親が動きが止まってまるで静止画の様に固まっていて、2階の雨見の部屋では雨見が机の席に座った姿勢で動きが止まり、周りには白いもやが渦巻いていて雨見の姿が見えづらい状態になっていた。
奥のログハウスと同様に、手前側の有津世達の家の中も先程までの団らんが嘘の様に、今は静けさを帯びていた。
リビングとダイニングには有津世達の両親がそれぞれ静止画の様に固まって佇んでおり、2階の有津世の部屋では立ち姿勢の有津世の周りに青白くぼんやりと光った網目がドーム状に張り巡らされていて、有津世は半分透明に透き通って固まっていた。
友喜は唯一、家の中で固まらずに動いていた。
目の前で起きた有津世の変化に一旦は注目したものの、ドーム状の網目の光に覆い尽くされた有津世に伸ばし掛けた手を引っ込めるともう一度有津世をじっと見てから有津世の部屋から廊下に出て、そっとドアを閉めた。
繁華街に埋もれて存在しているワンルームマンションの建物。
辰成の部屋では穂乃香の作ったお粥と少量の煮物を小さなダイニングテーブルのパイプ椅子に辰成が座って食べていた。
穂乃香が自分も食べようと、辰成の目の前の席に座ると同時に両手で運んだどんぶりをどかっとテーブルに置く。
「相変わらずだな…。」
「いただきま~す!」
辰成の意見には意を介さずに元気な声を響かせて箸を手に取る。
「んあっ、美味しい!」
ひと口、麺をすすると穂乃香は満足そうに辰成に言った。
「お前さあ、病人の前でラーメンとか食うなよ。」
辰成の言葉に途端に穂乃香がキっと視線を鋭くする。
「何さ、さっきはもう病人じゃないって言って何してきましたっけ?」
「ナニだよ。」
「…!」
もう良くなったんだよ、と言いながら、先程辰成はベッドの脇に居る穂乃香に覆い被さって来た。
汗でぐしょぐしょで、それでいて辰成の香りがして、穂乃香はそのまま誘われるがまま…。そんな触れ合いの時間が、つい先程、二人の間にはあった。
ラーメンのどんぶりを突く箸の手が止まって、穂乃香が頬を染めた。
「ね、ねえ、辰成。この部屋、狭いよ。もうちょっとどうにかならないの?」
途端に照れて自分が持ち出した話を逸らす。
「良いじゃん。狭いからお前の逃げ場が無くて直ぐに捕まえられるもん。」
「…。」
穂乃香は更に顔を赤くして、ぶつぶつと文句を言いつつ箸を急速に動かしてラーメンを混ぜこぜする。
「まあ、さ、元気になったから良かったけど…無理しないでよね。」
「お前もたまにはまともな事言うんだな。」
「何よ、それじゃあ普段まともな事言ってないみたいじゃない!ひどいよ!辰成の方がよっぽど…!」
「冗談だって。あんまり本気で怒るなよ。」
言いながら辰成の見せた柔和な表情に穂乃香はどきっとした。
こんな顔、滅多にしないし…。基本、無表情が多い彼だ。
彼がこんな表情を見せている時に、まだ熱あるんじゃない?とでも言い様ものなら、ああ、まだあるかもな…お前への熱は一生冷めねえよ…とかなんとか言っちゃって少女漫画にありがちな流れになっちゃったりとか…。
ある訳無いか、と目の前の辰成を見ながら穂乃香は激しく妄想する。
大体そういう言葉が吐けるのだったら元より別れたりとかの事態にも陥っていないはずだし、辰成は元々そういうキャラでは無いし。
好きで良く読む少女漫画の物語に憧れつつも、そんな事ある訳無いと、実際の恋愛を通して事ある毎に物語とのギャップに凹んでた。
だからもう、現実は現実!と割り切り、期待しないって自分の中で決めたつもり…。
なのに今ここに居る辰成は、その一瞬の微笑みだけで何処ぞやのヒーローなんかよりもずっとずっと恰好良く見えてしまう。
漫画の展開なら、ここで顔が接近して…そしてそして…。
「ラーメン伸びるぞ、おい。」
「はっ!」
妄想の世界に浸っていた穂乃香を現実に呼び戻し、穂乃香は我に返る。
見ると目の前の辰成は無表情に戻ってるし、心なしか麺が先程よりも盛り上がっている様に見えた。
いけない、いけない。食べなきゃ。
「お前さ、またどうせアホな想像してただろ。言ってみろよ。」
ずるずると音を立ててラーメンを食べる穂乃香を眺めて無表情から微かに笑みが漏れる顔で辰成が言った。
「してないし。全然。そんな事。」
言いながらも、顔が赤くなって否定してるのが却って肯定している事になっている。
「相変わらず少女漫画読んでるんだろ?」
穂乃香が辰成に、かつて言っていた。
一度好きになったものはなかなか嫌いにならないと。
前に穂乃香から少女漫画を勧められた時に、穂乃香から半ば強制的に借りさせられた漫画をちょっと読んだ辰成は、俺は絶対にこういう事はしないからな、と突っぱねてその後続きを読みはしないで返した当時の思い出がある。
「…あれさ、もう一度読んでみるから。前に貸してくれたやつ。今度また貸せよ。」
横を向いた辰成がぽそりと言ったのを聞いて、穂乃香は自分の耳を疑う。
「えっ…。」
「だからさ、前に読み掛けて止めちゃったやつ、今度こそ読んでみるよ。だから貸せよ。」
「…うん。」
照れくさそうにいやいや穂乃香を見ながら半分吐き捨てる様に言い放つ辰成を、穂乃香はきらきらした瞳で凝視してしまった。いや、見惚れていたと言った方が正しいかも知れない。
とにかくその後の穂乃香はラーメンをすすりながらも辰成をチラチラと見て、胸のドキドキが止まらなかった。
住宅街の一角。
吉葉家では夕飯を食べ終わってそれぞれの時間をなつと功は過ごす。
先に風呂に入り終えたなつは、兄と入れ替わりに家のベランダに涼みに行っていた。
今夜は夜空の星が良く見えていて、なつは星を眺めながらほうっと息を吐き想いに耽る。
夕飯時に嬉しそうな顔をして友喜の話をしてくれた兄、功が話の終わりに垣間見せた寂しそうな表情をなつは見逃しはしなかった。
ベランダの柵の淵に両手を添えてもう一度夜空を仰ぐと、早々にベランダから自分の部屋へと戻った。
部屋のドアを閉めると、机の横に設置してある棚から、手のひら程の大きさの長方形の缶を手に取る。
ぱかっと蓋を開けると、なつは中を覗き込んだ。
どちらが上でどちらが下か分からない空間。
周りは厚い雲がかかった空みたいな暗めの灰色だ。
自分は空間の中を縦横無尽にゆっくりと回転する四角い箱の上に乗って座って居て、気が付くと隣に銀髪をさらりと流す少女をこの視界に捉えていた。
『あなた…泣いているの?』
緑色の慈愛たっぷりの瞳があたしを見つめて気遣わし気に言う。
「ううん、泣いてなんか…。」
あたしは少女を前に答えた。
『そう。あなたがそう主張するのなら、それでも良いわ。』
その後、少女はドレスの裾を弄って手遊びを始める。
気にはしないけれど、もし話をしたいのならいつでもどうぞと着かず離れずの距離感を保って穏やかに過ごしているのが見て取れた。
話しやすい雰囲気に、何を話しても良いんだという安心感を相手に感じさせる彼女の外連味の無い振る舞いは、すごく参考になると感じた。
いつか自分が目指したい道だ。
前回だって彼女は自分の話をじっくりと聞いてくれた。
ただ、聞いてくれただけだった。
それがどんなに秀逸な事か、出来れば誰かに聞かせたい所だ。
彼女は、ああすれば?とか、こうすれば?とかを一切言わなかったのだ。
今回も果たしてそうだろうか。
あたしはごくりと喉を鳴らして、ゆっくりと口を開いた。
天井の高い部屋。
奥側の壁には一見大きな窓に見える、窓枠型の照明が煌々と照っている部屋。
コンピュータが置いてある、部屋にたった一脚のデスクセットの席に座りソウイチがモニター画面を眺めていた。
画面にはカメラからのライブ中継が分割されて映っており、何と無しに見ていた風のソウイチの顔が微かな緊張を伴った表情に移り変わる。
ソウイチは画面を操作してひとつの画面を拡大に切り替えてその映像に注目した。
住宅街の一角。
吉葉家では功が風呂から出て1階のダイニングテーブルの席でいつもの様にリラックスしていた。
なつは先に風呂から出て早々に自分の部屋へと引っ込んだので、今はまだそこまで遅い時間では無かったが家は静けさで満ちていた。
功は今夜も図書館で見つけて自分が手にする事になった本と自分で買った本を並べて見開き、傍には友喜から貰った石を置いて眺めていた。
思えば友喜が入れ替わったと有津世から報告があった辺りを最後に、それからは異次元空間で彼女に会うどころかこの本を通じて異次元空間に入るという現象自体がここの所は起こっていなかった。
そして今日の午後の喫茶店にて起こった現象。
あれはひょっとして自分の”通り道”を介して意識が飛んだのだろうか。
だとすると、今後はこの本が手元に無くても別次元に飛ぶ可能性が自分にも出てくるって事か。
友喜がいつか言っていたみたいに。
今日起きた一回だけかも知れないけれど。
…君にさ、会えて嬉しいよ。
君とも喋ってみたかったから。
友喜の入れ替わりの事を振り返り、今の中身であるキャルユに対して想う。
実際、そんな言葉は彼女に伝える事なんてして無くて、一日の内に起こる変化に対応するのでただただ手一杯だったけれど。
たまに過ぎる、友喜自身への想いは誤魔化し様が無いけれど。
それでも今の彼女とのやり取りが出来た事には妙な満足感を得ていた。
偶然の産物で自分にも予期しない出来事が重なり彼女からの興味を獲得した事は幸運な事だ。
それで何をどうしようというものでも無いけれど、少なくとも目を泣き腫らしたりとかはしなくて済むんじゃないか。
煌々と内側から輝く石を手のひらに載せて、本から噴射される煌びやかな金色の光を眺めながら功はつらつらと今日の出来事を振り返っていた。
都心から少し外れた場所からは満天とまでは行かないまでも、まあまあ星が見えた。
林の奥の二棟の家。
いつもはこの時間なら双方の家からほんわかとした明かりが窓から漏れて見えるのに、今夜は奥側のログハウスは真っ暗だ。
手前の家は天窓のある部屋からのみ明かりが漏れていて、ログハウスよりも明るく見えた。
天窓のひとつからはいつもとは違う色味の淡く青白い光が見えて、もうひとつの天窓からはいつもの温かい色味の淡い光が見えている。
温かい色味の光が漏れている天窓の中を覗くと、友喜が一人、いそいそと部屋で動いていて、その表情は楽し気だった。
ゴソゴソと部屋の奥から色んな物を取り出して吟味している。
中でも彼女のお眼鏡に叶ったのは友喜が大切に取っておいてあるいくつかのおもちゃだ。
それはお菓子のおまけだったり、やっと買って貰った人形だったりと、いずれも捨てられずに今もたまに触って楽しんでいた物ばかりだ。
それを今の彼女は棚からどんどん出しては床に広げて眺めて遊ぶものだから、友喜の部屋は彼女のおかげで随分と散らかった。
出してみて気に入ったらしいのが小さな人形で、着せ替えの衣装の箱を見つけると、思い思いの恰好に着せ替えてみては、小首を傾げて人形を眺めている。
完了したのか人形を座り姿勢にして、同じ種類の他の人形を手に取り衣装の箱からどれにしようかと選定を真剣に済ませると、にっこりとして着せ替えを始めた。
隣の有津世の部屋では、ドーム状の青白い網目になっている光の中で有津世が半分透き通り固まったままだ。
机の上に置いてある石からはきらきらと光が産出されており、ドーム状の網目と繋がっている様に見えた。
草原から鬱蒼とした森の入り口に一瞬にして移動した有津世は、自分の希望する行き先が明確に分かっていた。
森の奥深くに位置している、空を突き抜ける様にそびえ立っている光の柱の場所へと飛ぶ。
自分の、ツァームの笛を使って。
有津世は光に包まれ、森の入り口から姿が消える。
次の瞬間、光の柱のある場所に現れた有津世は辺りを見回してみて、前回よりも光に溢れている事に驚いた。
自分が移動する指標にした光の柱に加えてそのミニチュア版みたいな光の柱がそこら中に出来ていたからだ。
そして…、今回も雨見がこの場に居た。一角獣の姿で。
「雨見。雨見だよね?」
一角獣の下に行きながら呼び掛けをする有津世に答えるかの様に、一角獣は軽く頭をもたげた。
「雨見。やっぱり君なんだね。」
これで2度目だ。
どうして雨見はこの地に来るんだろう。
この地が友喜の場所と言うのなら、友喜の何かを調整しているのだろうか。
「ねえ、雨見。これは雨見がやったの?」
光の柱をそこここに目にして、有津世が眩さに目を凝らしながら尋ねる。
すると雨見は軽く首を振った。
どうやら違う様だ。
雨見は帰ったらこの事を前回と同じく覚えていないのだろうか。
「雨見。どうやったら、雨見はこの事を人間に戻った後も思い出せるかな…。」
美しい一角獣の雨見の、下顎から首元にかけて優しく撫でつけながら有津世は悶々と考える。
そうしてしばらく考え込んだ後で一角獣を見上げたら、彼女の瞳が周辺の光を反射していてとても綺麗だった。
「雨見…。一角獣の雨見も綺麗だね。」
多分このままここに永遠に居ろ、と言われても、雨見と一緒でなら構わないと有津世なら言いそうだ。
それくらいに雨見を情熱的な視線で見ていて、それは疑いようの無い事実だった。
「雨見…。」
有津世は一角獣の雨見のもたげてくる頭と自分のおでこをそっと触れ合わせる。
「雨見。せっかくだからちょっと座ろうか。」
この時間が一瞬にして消え去ってしまう事を勿体無く思って、有津世は雨見とここで休憩する事を提案した。
話してみて思った。
一角獣の姿でも、有津世からの言葉は伝わっている。
雨見は有津世の提案に頭を軽くもたげて見せると、その場で座り姿勢になった。
雨見の行動を見て微笑んだ有津世は雨見の体にすっぽりと寄り掛かる様にして座った。
ここが友喜の場所だとして、友喜自身の意識もこの地の何処かに居るって事だったら…。
自分達が今この地に来ているのは、友喜を探す為でもあるのだろうか。
有津世は自分の考えを雨見に話して聞かせる。
「ねえ、雨見。どう思う?」
自分の話が伝わっているのは理解したが、雨見からの意見を請おうとする場面ではこちらからの理解が難しい。
それでも精一杯、雨見は有津世の言葉に返事をしようと有津世に鼻面を押し付けてきて、行ってみよう、と言っている仕草なのだと有津世は知れた。
「分かった。そしたら…森の中と…草原。行ける場所に行ってみる?」
有津世は立ち上がって雨見を促した。
すると雨見も立ち姿勢に直り、有津世に自分の背に乗る様に促した。
「乗れるかな。ツァーム達みたいに身軽にぴょんぴょん跳べれば容易いけど…。」
多少の躊躇と共に有津世が試しに跳躍してみる。
と、案外この地でも身軽に跳べて、雨見の背に飛び乗る事が出来た。
「雨見。じゃあお願いしても良いかな。」
雨見がぶるんと鼻を鳴らす。
「まずは森の中を探索してみよう。ぐるりと一周…。網羅…出来るかな?」
お安い御用だと言わんばかりに、雨見は高く嘶いた。
有津世を背に乗せた一角獣の姿の雨見は、巨大な樹が壁の様に立ちはだかり先が見えない道なき道をお構い無しに駆け抜けた。
雨見とこの地に居る時に、有津世は自分があちらの世界で一角獣で居る記憶をありありと思い出した。
この地に因るものだろうか。
一角獣で居る時の気分は素晴らしくすっきり澄んでいた事を思い出す。
雨見も…そうなのかな。
「ねえ、雨見。自分もそうだったんだけど、雨見も一角獣で居る時の気分って良い?」
背に乗りながら雨見の顔に上半身を近づけて有津世が質問をする。
すると雨見は首をねじって有津世の方を向くと、ぶるると軽く鼻を鳴らした。
「やっぱり雨見もなんだ。」
澄んだ瞳を見れば分かる。
気持ちが良い、心地良いって体現している。
じゃあ直ぐには帰らずに、この場に居る事は雨見の癒しにも繋がっているかも知れない。
そんな事を思いながら有津世は森の中を雨見と一緒に探索する。
軽やかな疾走と共に有津世が辺りを見回して、変わったものが無いかをチェックし続けた。
縦横無尽に駆け巡り、やがて一角獣は足を止めた。
「雨見。これで森は一周したかな。」
有津世の問いに、雨見は首をもたげて答える。
「そうか。じゃあ今度は草原に行ってみる?」
途端に嘶いた雨見が向きを大きく変えてから再び足を動かし始め、全速力へと変わる。
森から草原へは秒で出た。
途端に明るくなる視界に眩しさを感じて有津世は目を片腕で覆う。
何も遮られていない場所がどれだけ明るい事か。
それに草原は見渡す限りが草原で、ぱっと見て誰も居なそうだと有津世は思った。
「これってさ、見えていない端っことかあるのかな。」
雨見に聞いてみて、雨見は分からないとでも言いたげに首を軽く振った。
「試しにあっちの端っこ、行ってみる?」
有津世が提案すると、雨見は快諾したのを行動で早速示す。
森は巨大な樹があるので避けつつ、たまに速度を落としての移動だったが、草原では遮るものが無いので速度がより一層速くなり、移動の中、息が出来ている事が有津世には不思議だった。
と、思ったのも束の間、雨見は徐々に速度を落とす。
「ん?雨見、どうしたの?」
行く先を雨見に任せて乗っていた有津世が一角獣の雨見の様子を伺う。
雨見が片方の前足を空に掻いて見せていて、有津世は前方を改めて見た。
するとそこには、今まで草原が地続きにあったのが端っこまで来たのか急に途切れて、透明色で虹色の色味の変わる膜みたいなものが壁の様に立ちはだかっているのを目にした。
「端っこって、分かりやすい端っこだなあ。」
何て言えば良いか、びっくりした有津世は気の抜けた感想を口にする。
有津世は一旦雨見の背から下ろして貰って、自身の手でも触れて透明の壁を確認した。
ノックをすると、こんこんと音がするくらいに硬い。
上を見上げた有津世は言う。
「ここ、ドームみたいになってるのかな…。」
意識していなかった先程までは分からなかったが、壁から視線を伝って空を眺めると、壁は湾曲して空へと繋がり薄っすらと透明の虹色がゆらゆらとうごめいているのが見えた。
壁は天井へと繋がっている。
どうやら有津世の読みが当たっていそうだった。
単純な興味から、有津世はまた雨見の背に乗せて貰って壁を伝いながらこの地をぐるりと一周した。
壁を確認しながらだから歩き歩調だったけれど、たまにリズム良く闊歩する雨見の身軽さで、そこまで時間のかかる事無く一周を回る事が出来た。
そして分かったのが、この地はやっぱりドーム状に囲われているという事だ。
壁の向こうには行き様が無いから、内側のこの地についてはひと通り雨見と探索はし終わったし、友喜の姿を見つける事は出来なかった。
壁が差し迫っている直ぐ傍の草原で、有津世が雨見から下りて二人はまた座って休んでいる。
「友喜、居なかったね。ここ、友喜の場所じゃないのかな…。」
すると雨見は高らかに嘶いて、そんな事は無いとでも意見したかの様だった。
「友喜の場所だと言うの?」
有津世の問いに、今度はぶるると軽く鼻を鳴らす。
「そうか。ならここでも留守してるだけ、って事かな。それなら何処に…。」
友喜は居るのだろうか。
雨見の立派なたてがみを優しく撫でながら、有津世は雨見の首辺りにそっとくちづけた。
「そろそろ、帰ろうか。」
一角獣の姿の雨見は首を軽くもたげて、有津世の顔に自身の顔を近づけた。




