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私が彼女の創作活動を見るのは2週間後のことだった。


6限終了後、足早に美術室へと向かうとそこにはあの日と似た光景が広がっていた。違うのは、彼女が既に机に向かい、筆を走らせていたことだった。


彼女の筆の動きに迷いはなかった。一枚の白と対峙した彼女の筆は結末の決まっている物語をたどるかのようにスラスラと進んでいく。様々な色が積み重なっていく。そこに現れる作品は美術的には不完全でありながら、生が吹き込まれていた。自然とは本来不完全なものである。彼女の作品は不完全そのものだったのだ。


そしてまた、彼女も不完全であった。筆を走らせる彼女自身の表情も彩りを持って変化していた。私には彼女に自然を感じていた。何もかも画一化され、規則に縛られた世の中とは異次元にいる存在に見えた。

そして私は夢中になった。18歳の高校生に。これが恋というのかわわからないけれど、私の世界は彼女に支配されつつあったのだ。それは昨晩感じた、闇が光を覆い尽くしていく感覚とは異なっていた。その先に現れるのは一体何色なのだろう。


私はしばらく彼女を見つめていた。美術室には二人以外の姿はなかった。その様子はまるで映画のワンシーンのようだった。一人の男が一人の女に惚れている一幕に他ならなかったのだ。


どれほどの時がたっただろうか、突然ドアが開いた。我に帰り、振り返ると太田の姿があった。表情は明るく、何かを言い出したげな様子だった。その一方で白川は音など耳に入っていないかのように一心不乱に絵と向き合っていた。その姿からは鬼気迫る何かを感じた。その時の彼女の色はあの時とはまたちがう力強い色彩だった。


「あ、白川さん。早いですね!テストどうでしたか?私は高校入ってから最低点数でした!」


太田の声から反省の色は見えなかった。むしろ自身の得点を気に入っているかのように響いた。この子の頭の中にはおそらくお花畑でも広がっているのだろう。そう思った。


私はこの時ぎこちなさを感じた。生徒の挙動が気になるなんてことは今まで一度もなかった。元凶は間違いなく白川だった。彼女が私の歯車を狂わせたのだった。その責任を彼女に取らせなければ。彼女の白を手に入れたい。その時に強く心に誓った。


続々と生徒が増えていくが美術室が賑わうことはない。時々会話が聞こえる程度で、それ以外の時間はかすれた筆の音が響くだけだ。ほぼ全員が揃ったところで立ち上がり声をかけた。


「お久しぶりだな。テストお疲れ様。点数がよかったやつも悪かったやつもしっかり復習するように」

一瞬ざわつく。それを遮って続けた。

「だが、テストが終わったのもつかの間だ。再来月の中旬の作品展にうちの部から二作品を選ばなければならない。そこで部内コンテストを行いたいと思う。来月の末までに作品を仕上げて提出するように。ジャンルは問わない。油絵や造形、彫刻など自分が得意なものを作ってくれ」

「先生。二作品はどうやって決めるのですか?」所々で声が上がる。

「そうだな。俺の独断と行きたいところだがそれでは不公平だろう。部内コンテストの上位入賞者二名にしようとおもう。作品の展示の際、作者名は伏せて展示を行い、投票によって順位を決めよう」

さらにざわつく。

「まあそういうことだから皆、鋭意造作に励むように。ただ、テストの復習はしっかり行えよ。あと来月の文化祭もちゃんと参加すること。以上」

私は椅子に腰を下ろした。生徒は互いにああでもないこうでもないと語り合っていた。辺りを見渡す。ただそこに白川の姿がないことに気づいた。


しばらくすると白川の姿が戻っていた。再びカンバスに向き合い筆を手にしている。


「おい白川」

沈黙を壊さないように小さな声で語りかけた。彼女は気づかなかった。

「白川、聞こえてるか」

彼女は動かない。

「なあ白川」

今度は少し声を張った。近くにいた数人の生徒が驚いた顔でこちらを見ていた。

やはり白川は気づかない。そこで違和感に気がついた。彼女の右手は強く握り締められてはいたが上下左右どの方向にも動かずに固まっていた。そして顔は正面を向いていなかった。その様子は明らかに普段とは違うものだった。あの時の感覚に似ていた。

「どうかしたのか」

先より優しく語りかけるように囁いた。彼女は何も言わない。聞こえていないのかもしれない。

「なんでもないです」

突然白川は呟いた。その声に普段のような明るさも透き通りもない。

「本当か。なんか変だぞ」

その言葉は白川によって遮られた。彼女は語気を荒げた。

「黙って!」

教室に響く彼女の声。そこには憤りが感じられた。

「ごめん」

教室の端々から視線を感じる。私はきまりが悪くなり、その場からすっと離れた。

再び教員席に戻ると右手で頬杖をつき、コーヒーを一口すすった。視界には俯いたままの彼女が映った。


さあまざまな思いが巡っていた。ただ一つ言えることは、一番強い感情が「喜び」であったことだ。彼女の黒を引き出してしまったことよりも、その黒に出会うことができた事実が私を満たしていた。透明な存在である彼女の生を私なら引き出すことができるのではないか。絵画を描くときに感じた彩りを私なら引き出すことができるのではないか。私に課された使命ではないのか。そうとまで思っていた。


彼女はしばらくすると荷物とともに美術室を後にした。私は彼女を追いかけた。


「白川待ってくれ」

白川は歩みを止めなかった。

「ごめんな。でも悩みがあったら誰かに相談するんだぞ」

彼女は何も言わなかった。その言葉は本意ではなかった。他の誰でもなく私に相談してほしいと願っていたのだった。


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