愛と狂気と
全てを終えて、貯蔵庫を出た時には既に日が暮れ始めていた。
どこか不気味なまでに赤い空。まるで空一面に血を流したよう。不穏な物を感じとりながらも、俺は黙って歩を進める。
「アカリさまぁ」
「なんだ?」
「ずっと悩んでるみたいですけどぉ、どうしたんですか?」
「なんでもないよ」
俺はぴょんぴょんと俺の横で跳ね回るルイカの艶めかしい体から目を背けながら、そっけない返事をする。
小さな影が見えた。見覚えのある姿、イベレットだ。
見れば、彼女の他にも辺りには多くの人々の姿が見て取れる。わざわざ出迎えに来てくれたのだろうか。それとも監視か。
ま、どちらでもいいか。さっさと一休みがしたい。
ルイカも同じ気持ちであったようで、一足先にイベレットの元へと勢いよく駆けていった。
「イベレットさ……」
そこまで言い終えた所で、ルイカは言葉を失い、突然立ち止まる。
不審に思った俺は、歩を進めた。
……そこで俺が見たのは、恐怖に凍りつく少女の顔。
そして、イベレット――いや、〝人間であった何か〟と、その背後に広がる村から立ち上る無数の煙と、空を舞う黒い影。
「あ……あ……」
今のイベレットの姿は、血に塗れた体。大きな穴の空いた胸、喰らわれた傷が生々しい首筋。……そして、焼けただれた顔と、だらりと目から零れ落ちた眼球。
彼女は、ゆっくりと俺達に向かって歩きはじめる。
だらりと開かれた口からは単語にすらならない唸り声が上がる。
それを発端としたように、周囲に存在してた無数の〝人間であったもの〟がこちらを向いた。
「!!!」
「そん……な……」
誰一人として、生きてはいなかった。
歩く屍と化した村人たちは、新たな獲物と見て取った俺達の所へと、ゆっくりと歩を進めてくる。
その目的は容易に分かる。食おうというのだろう。
俺も、ルイカも動けなかった。何が起きているのかも分からなかったのだ。どうしてこんな短時間で? 一体何が?
……金縛りは、歩く屍の背後に広がる村から悲鳴が響き渡った事で解かれた。
「逃げるぞ!」
俺は口元を抑えて呆然としてたルイカの手を取り、反対側へと駆け出す。
――逃げるって、どこへ?
どこでもいい。どこかだ。村へはもう戻れない。貯蔵庫だ、貯蔵庫に戻ろう。
「悲鳴が聞こえました。人が、残っているのでは無いですか? 今戻ったなら、人を助けられるのでは?」
「……救えると思うか? 手遅れだ。間に合わない」
背負われていたイリスはそれきり黙りこくる。
「もう間に合わない」
自分に言い聞かせるように、俺はもう一度呟く。
……違う。
恐怖を覚えたのだ。あの中に行けば、どうなる? あそこには何かがいる。無数の何かが、恐ろしいものが存在している。直感的に感じ取った。
……逃げたんだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
俺達は、貯蔵庫の最奥部で無言のままに小さな焚き火を囲んでいた。
誰一人として言葉を発しはしない。
何を言ったとしても、あの光景に触れざるを得ないからだ。村が燃え、歩く屍と化した村人たちが闊歩し、得体のしれない存在が飛び去っていったおぞましい光景を。
「……私、寝ます」
イリスは、杖を頼りにさらに奥に存在する仮眠スペースへと消えていく。
俺とルイカは、その姿を見送ることすらしなかった。
……もし、生き残りがいたら? 助けられたのでは?
いや、あの有様なら誰もいない。それに助けてやる理由もない。
そう何度も自分を納得させようとしても、何度も自分に言い聞かせてやろうとしても、心の奥底に留まったドロドロとした感情を拭い去る事は出来なかった。
それもそのはずだ。自分を許せなかったのだ。あそこで恐怖を覚えた事を。逃げようと思ったことを。
結局逃げた事は正しかったのか? 間違っていたのか? ……それに答えを与えてくれるのは、誰も居ない。
「アカリさま」
「……」
「アカリさま!」
突然叫んだルイカは俺を押し倒すと、そのまま上に馬乗りとなる。
そして、その勢いのままに自分の柔らかな二つの果実を抑えていた服を脱ぎ去っていく。
それを俺はなすがままに見ているだけしか出来ない。
あまりにも唐突すぎる光景だった。
そして、彼女が言い放った言葉は、より唐突な物だった。
「アカリさま。私は今から貴方を抱きます」
自分に言い聞かせるように、いつものどこか抜けた喋りが消えたルイカは滔々と喋る。
何も言葉を返すことなんて出来はしない。
それに、決意に満ちた彼女の顔を見れば、何を言っても無駄だというのがすぐに分かったからだ。
「私は、アカリさまの事を愛しています。だからこそ貴方を追ってこの世界に来ました。後悔したくなかったからです」
「後悔?」
「ずっと好きだった相手と共に歩くことが出来る。全てを捨てて、こんな場所に来ることになったとしても。私にはそれで十分だったんです。だって、アカリさまが好きだから」
胸をかきむしるようにして、体をよじるルイカ。いつの間にか下半身に身に着けていたパンツさえも脱ぎ捨て、今の彼女は生まれたままの姿となっている。
俺をじっと見据えるオッドアイの瞳には、狂気の色すら見える。
「だから、私はアカリさまを抱きます。それが例え自分のエゴを押し通すだけの事でも。私は後悔しながら死にたくない」
そう言いながら、白くて細く、そして冷たい指が俺の下着を脱がせに掛かる。
そして、全てを脱がされた後に、彼女の柔らかな唇と俺の口が触れる。
「俺は……」
「決めてたんです。私。アカリさまとキスする時は自分からするって」
ルイカのオッドアイが俺をじっと見据える。その中に映るのは、狂気と、愛情と、そして慈しみ。
俺は吸い込まれるようにその瞳を見つめる。
パチパチと、残された焚き火が爆ぜる音を切っ掛けにルイカを抱き寄せる。小さくて、華奢な体。
……震えていた。
もう一度口づけをする。今度は、俺の方から。
「ん、んんっ……」
「ごめんな」
「どうして、謝るんですか」
分からない。どうして謝ったのかも。
そして、どうして彼女が泣いているのかも。
そのまま、ルイカをもう一度強く抱きしめた。
強く、強く。ただ、強く。
俺自身の意思を貫き通すように。