最初の聖女
彼らがアタシの依頼を果たす為に出かけていって、既に半刻程が経った。
そろそろ貯蔵庫に着く頃だろう。……もしくは、入り口を見つけ出す事が出来ずにまだ裏山を彷徨っているか。
そのどちらだろうと考える。
見つけて、入っている。アタシは賭けならそっちの方にベットする。
あの奇妙な男、そしてあの娘達ならやりきるだろう。アタシの人を見る目がまだ曇っていなければ、の話だが。
「あの」
考え事を邪魔するように、気弱な声がアタシに話しかけてくる。
「そのう、イベレット首長」
アタシに対して声を掛けて来たのは、見慣れたエルフの男――ランパートだった。
何を聞きに来たのかは分かっている。だからそれを相手にする気にもなれなかったのだが。
「あの子らなら、もう貯蔵庫に向かったよ」
そうとだけ告げると、アタシは手元に残しておいたとっておきの一本を飲み干した。
しかし、ランパートはまだ何か言いたげにしている。
「首長、違うんです。これが」
ランパートが差し出したのは、乾いた血が生々しくこびり付いた封を切っていない書簡。
「またかい。届けたやつは?」
「先程死にました。私達では手の尽くし様が……」
「しょうがないさ。この状況じゃね」
そりゃそうだ。この村にはまともな医療施設どころか治療者すらいないのだから。
嘆息しながらアタシは血に塗れた書簡の封を切り、中身を眺める。
『私達はアルスティナにおいて今も尚抵抗を続けている。私達は我人を始めとする非戦闘員を多く抱えており、今や死が渦巻くこの都市から逃れる事が出来ない。
救援を求む! 私達の物資は底を尽きつつある。そう長くは保たない。私達を見捨てるのであれば、それだけ敵の〝軍勢〟が増える事となるのは誰もが知っている筈だ。
誰でもいい、どの組織でもいい、それどころか何者でもいい。私達を助けてくれ。
アルスティナ衛兵隊 隊長 ゼイン・マーカス』
「そのう、どうされるつもりで」
「どうするもこうするも、無理だよ」
ランパートが何を言いたいのかは分かっている。この手紙の嘆願にある通り、まだ市内で戦っている者たちを助け出したいというのだろう。コイツだって鬼じゃない。
……というより、人間嫌いである筈のエルフ達ですらもその態度を変えるのが現状だ。
「ランパート、無理だよ。これまで何人送った? それで何人死んだ? 誰が好き好んで荒れ狂う濁流の中に飛び込むってんだい。自分の身を守るだけで手一杯だってのに」
「そりゃそうですがね、この手紙は正しいと思いますよ、俺は。日に日に北から現れる〝死の軍勢〟の数は増えてます。このまま増え続ければ、俺たちではもう抑えられなくなる」
「そこを何とかするのがアンタの役目だろうが。それに市内に入れなくとも郊外の奴らを助けようと部隊を送ってるだろうが。アタシより長く生きてるってのにそう悲観的な事ばっかり言うもんじゃないよ」
アタシは知っている。この手紙に書かれている事は正しいと。
じきに村を捨てなければならなくなるか? ……いや、それこそ死に一直線だろう。守りやすい場所に陣取り、蓄えがあるからこそなんとかやってこれているのだ。
「ランパート」
「なんですか?」
「アンタ、神を信じるかい?」
「なんですか、いきなり。俺は精霊信仰です、そう熱心じゃないですがね」
埃を被った古い祈祷書を持ち出しながら、アタシはランパートに問いかける。
アタシも同じだ。そう熱心じゃない。元々神様に顔向けできない家業をやってたのもあるが、何よりも実在するか確信の持てない物に対して祈るって事がどうしても納得できなかった。
「これを見て欲しいんだがね」
「……なんです? ああ、マリグノンのイリスじゃないですか」
そこに描かれていたのは、黒い髪と凛とした瞳を強調して描かれた少女の絵。
聖女〝マリグノンのイリス〟。アズダ神の恩寵を受けた〝最初の聖女〟。
死者の復活、疫病の治癒、魔龍の討伐という数々の伝承の最後は、七体の魔神の封印と引き換えにその身を差し出すという悲劇的結末で終わっている。
だが、彼女は復活を約束されている。『終末の鐘鳴り響く時、神の力の先導者として再びその御身に肉と魂が宿り、人々を導きたまわれるであろう』という一節とともに。
信心深い人間であれば、誰もが知っているであろうその言葉と姿。
アタシもその名前と姿だけは知っていた。
「これがどうしたんです? 帰依する気にでも?」
「さっきの子らの一人が、同じ名前を名乗っていたんさ」
「彼女に因んだ名前なんてそう珍しい事でも無いでしょう、気にしすぎでは?」
「そうさね、そう珍しい事でもないさ。……でもね、あの子は確かに自分の事を〝マリグノンのイリス〟と言いかけた。もうその地名は存在しないし、生者が立ち入る事すら出来ない腐敗の地だと言うのにね」
ランパートは顔を顰める。アタシの直感を明らかに疑っている顔だ。
無理もない。元々このイリス自体がエルフにとっては聖地を踏み荒らし、彼らの信仰を破壊した不倶戴天の敵だ。
「あの子が本物のマリグノンのイリスだとでも?」
「そうは言ってないさ。けれでもね、こんな時代だ。夢くらい見たって良いだろう?」
そうさ。希望が無ければ、人は生きていけない。
死の淵に立たされているのであれば、尚更だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「暗い、暗すぎるぞ!」
俺は怒りの声を上げる。
洞窟はじめじめとした湿気に包まれ、なおかつどこまでも暗い。松明の光はあっという間に闇の中へと消え去ってしまう。
こんな状況では敵が襲いかかってきたとしても対応しきれない。
「そう怒る物じゃないですよ、ご主人様。何事も平常心を保つ事が大事なのです」
「平常心を保つって言ってもな、限度がある。この暗さ、ガンマ値調整ミスった洋ゲーかっつーの」
わかりにくい例えにイリスとルイカの二人が顔をしかめた(暗くて見えないが、多分)のを横目で見ながら、歩を進める。
ワイルドボアって言ったらイノシシの強いやつみたいなもんだ。そいつらと暗闇で戦うなんてたまったもんじゃない。突進されたら大怪我だ。
「私、暗い所全然だめでぇ…… 待って下さい、アカリさまぁ! こんな所に置いていかれたら三十秒で死んじゃいます! そしたらアカリさまをお守りする事ができないですしそれに花嫁になってアカリさまの子……ひやっ!」
ずっと何かを喋っていたルイカがすってんと転ぶのを見たので、仕方なく立ち止まる。無理やり進むこともない。
しょうがないのでゆっくりと行くことにしよう。
と、その時だった。
ちょいちょいと俺の耳をつまむイリス。
「なんだよ」
「アレを見て下さい」
イリスが肩越しに指さしたのは、錆びた四角いランプだ。当然の事ながら灯りは点いてないし、そもそもあんまりにも古くて使えるのかどうかも定かで無い代物なのだが……
「ちょっとアレの近くに行ってくれませんか?」
「ああ、良いけど。何を……」
イリスが耳元で何かを呟くと同時に、ランプの中に淡い光が灯った。
それに連鎖するように、洞窟の壁沿いに小さな光が点々と見えるようになっていく。
「やった」
そう言ったのもつかの間。洞窟の奥からは悲鳴に近いボア達の鳴き声が響き渡る。
でもまあ、さっきの状況よりはずっとマシだ。後は斬って斬って斬り倒すだけ。
ザクザク倒して経験値稼ぎと行きますか。