神聖なる帝国
一通りやる事を終えた俺は、仲間たちを引き連れてイベレットの家へと向かう。
中に入ると、予想していたよりもずっと殺伐とした光景が広がっていた。
「うう……」
家の中には所狭しと怪我人が転がされ、その間と縫うように幾人もの女性や司祭が忙しそうに行き来している。
簡易病院と言った所だろうか。
「しかし、どうにもなあ」
「ひどい状況ですね……」
「私、血はダメですぅ」
イリスは何か思う所があるのだろう。この光景を見て目を細めている。
彼女が憤るのも分かる。怪我人は地べたに寝かせられてるし、まともな手当が行われてるようにも見えないし。
それに何より使用済みの包帯を再利用してるとかすごい状態だ。
「そこのあんた、何をしてるんだ?」
「見てわかんないのかい、包帯を巻いてるのさ」
「どう考えてもそんな小汚い物を使ってたらダメだろ」
俺は血痕が色濃く残る包帯が別の患者の患部へ巻かれる場面を見ながら呟く。
一応水洗い程度が行われてはいるのだろうが、どう考えても不潔にも程がある。
治るもんも治らないというか、別の病気になるんじゃないのかこれ……
「あのさ、その包帯は煮立った湯に数分漬けてから使うといい。それが消毒になる」
「……あんた、医者か何かかい?」
「疑わずにやってみろって。それと消毒に酒使うのは良いけどもう一回蒸溜して度数を上げてから使うほうが良い」
「度数? なんだい、そりゃ」
「酒の強さだよ。強い酒の方が消毒には良いんだ」
言うことは言った。それ以上は知らんので任せる。
女は半信半疑ではあったが、司祭と相談している。どうすればいいのか判断を仰いでいるのだろう。
しかし、すぐに台所に向かった所を見るに、一応やってみるつもりなのだろう。
「ご主人様、どうしてそんな事を知っているのです?」
「本で呼んだ」
「…………」
それを信じている様子のないイリス。彼女は俺の顔を黙って見ているだけだ。
そんなやり取りをしていると、俺の所にイベレットがやってきた。
「来たのか! 悪いね、ここ最近は随分と騒がしいんだ」
「いいよ、大丈夫だ」
「この村にはアタシら元の村人よりもずっと多いくらいの連中が流れ込んできた。今でも流れてくる。その大半がこの手の怪我人さ。どうやらアルスティナとその周りは随分と酷いことになってるって話さ」
イベレットは深い溜息を吐くと、懐から取り出した青々しい果実を齧る。
そして種を地面に吐き出した後に続ける。
「あんた、この辺りの人間じゃないね。いかにも流れ者って感じだ」
「そうだ。俺も、ルイカもイリスも全員同じだ」
特に否定して良いことは無いだろうから、大人しく肯定しておく。
「ならこの辺りの地理の説明だけしとこうかね。ここはエクレシア神聖帝国の南端。聖地アルスティナを有するラスタニア・プロヴィンスさ。帝国の中心からは遠く離れてるということもあって、ここ数年来続いてる内乱からは分かたれてた」
「内乱、ですか?」
一番驚いた様子を見せたのは、俺でもルイカでもなくイリスだった。
まさか、とでも言いたげな様子を見せている。
「そうさ。詳しいことは知らないんだけど、教会と王家の争いがどうの、ってのを聞いたね。ラスタニア・プロヴィンスはアルスティナを中心に纏まって自活出来てたから特に気にする必要もなかったし現にうまく回ってた。数ヶ月前まではね」
「何が起きたんです?」
「始めは雹が矢の様に降り注ぎ、その後には三日雨が降り続いた。雨が晴れた後に北――この州の州都であるアルスティナの方を見たときにはあたしゃたまげて腰が抜けそうになったさ」
そう言いながら、イベレットは食べ終わった果実をくすかごの中へと放り投げると、何やら布を煮込み始めた女たちに対して顔を顰めながら外へと歩き出す。
「付いてきな。実際に見るのが一番わかり易い」
ずかずかと家の外に出ても歩き続けるイベレットの後を追いかけて行きながら、三人で会話を行った。
「まさかそんな……」
「イリス、何か知ってるのか?」
「知っているも何も、私は帝都に居たのです。王家の者達も法王を始めとする教会の信徒達もよく知っています。それが争うなどとはとても思えません」
ぎゅっと身体を縮こませて、まるで怯えているかのような仕草を見せるイリス。
そして、俺に問いかける。
「ご主人様。私は――」
イリスがそう言いかけた所で、イベレットは足を止める。
そこは崖の上、ちょうど開けた場所だった。
「これが今のアルスティナさ」
そこで俺が見たのは、天にも届きそうな程に巨大な黒雲が都市の上に鎮座し続け、時折雷が降り注いでいる光景だった。
「〝アレ〟が今のあそこの現状さ。アンタらはあそこへ行こうってのかい? ……辞めときな。何人かそんな風に言って出てった奴らが居たけどね、誰一人として帰ってきやしない。全員立派な兵士だったよ。都市に仲間や家族を残してきた、だから助けに戻らなきゃならない、ってね」
「それでも……いや、余計に行かなきゃならねえな、そりゃ」
そう。問題があるとすれば、それを避けて通るという選択肢は今の俺には有りはしない。
むしろその渦中に率先して飛び込んでいく事が求められている。
……どうしてか? そこに待つ物があるからだ。力と金、そして名声と快楽が待っているからだ。それを手に入れる為に、俺は戦い続けてきたし、これからも続けていく。