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空蝉は還らない

作者: しろくま

豪雨の中、鳴いている蝉がいた。


ばかだなぁ、何もこんな雨の日に必死に鳴かなくてもいいじゃないか。私は彼に手を引かれながらじりり、と鳴く蝉の存在を哀れんだ。




空蝉は還らない




私たちはとても困ってしまった。デートも終盤に差し掛かったところでものすごい雨に見舞われて、やっとの思いで最寄駅にたどり着いた。駅は人でごった返しており、状況を確認するとどうやら電車が止まっているらしい。


「ー駅で発生した人身事故により、ーー線は現在全線運転を見合せております。運転開始の目処は現在立っておらず……」


駅員のアナウンスにがっくりと項垂れるOL、なんだよーと不満を漏らすサラリーマンのなかで私たちは顔を見合わせて困ったなぁと囁き合った。ずぶ濡れのスカートがくったりと太ももに張り付いて気持ち悪い。彼のジーンズは元の色がわからなくなるほど濡れそぼっていた。


仕方がないので少し様子を見てみようと、駅にあったセブンティーンアイスを買って頬張った。スマートフォンで情報を収集すると、どうやら踏切内で電車と衝突した人が亡くなったようだった。もし雨が降っていなければ、視界が悪くなければ、運転手のブレーキが間に合っていたかもしれない、そんなSNSの投稿を斜め読みしながら、私は汗が止まらなくなっていた。



1時間ほど待ってみたが、ちっとも電車が動く気配がない。どうやら死体処理がようやく完了したらしい、と数人の大学生が話しているのが聞こえてきた。駅にいても仕方がないだろうということで、少し雨が落ち着いてきた時を見計らって私は彼と駅を出た。


「参ったね」

「うん、こんな時に人身事故なんて」


家まで歩けない距離ではないし、疲れたらタクシーを拾えばいいだろう、そんな算段で雨を浴びながら歩いた。なぜだか、二人とも一言も話さなかった。


分かれ道に差し掛かかり、なんとか帰宅が叶いそうだと安堵した。私は彼に今日の感謝を伝え、どうか気をつけて帰るようにと頭を撫でた。ところが、彼は私の手をいつまでたっても離さない。


「帰らないで」


彼の切実な言葉とその目が揺れた瞬間、強い力で腕を握られた。私はその衝撃で傘を手放し、水たまりに叩きつけられたそれは飛沫をあげながら、頼りなく転がった。雨に打たれ、行き場を失った私は彼の傘の中に連れ込まれる。


次の瞬間覚えたのは薄い唇の感触だった。そして瞬きしないうちに、あっという間に口を開かされる。彼の舌は温かくすこしざらついていて、不思議と味がしなかった。私よりもおそらく細い体を抱きながら、その細い体からは想像できないほどの力で抱きしめられながら、私たちは世界から隔絶された一つの傘の下で立ち尽くした。雨が掻き消すと思われた互いの匂いは毒のように混じり合って、呼吸するたびに頭が割れそうだった。



豪雨の中、鳴いている蝉は私たちだ。



わずかな時間鳴き続け、そしてあっけなく命を落とす蝉を私たちは時に憐れむ。されど、人の命だって、世界の尺度から見たらそのように他愛なく、あっという間に燃え尽きてしまうものなのだろう。もしかしたら生まれてしまった哀しみを背負う分だけ、私たちは悲惨で、悲惨で、救いようがないのかもしれない。


「うん、」


私たちはきっと他人の生を冒涜しながら生を獲得していく。人が死んだ夜に、最も生に近づく行為をするのだから。そして私たちはいつのまにか雨に打たれているのにも気づかなくなってしまう。いつ死ぬかもわからない、そんな少しも心を休めることができないこの世界で、ただそのことを忘れて嘆き続けるしかないのだ。


いつもは冷たい彼の体が熱く、それが妙に生っぽくて泣けてしまった。彼の速い速い鼓動を聞きながら、体を交わすことで救われることと、救われないことを知った。




雨は一晩中降り続けていた。







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