宮殿の宦官の話
わたくしのような人の扱いを受けられない者をこのような場所に引き出して、どうなさるのですか? 服を剥いで見世物になさるのですか?
今まで王の我が儘に振り回されてきたのだから、故郷に帰っていいと仰言るのですか?
わたくしが故郷に帰った所で誰も待つ者はおりませんよ。親はわたくしを宦官とする為に、子どもの頃に売ったのですから、もう死んだと思っていますよ。宮廷で蓄えていた財は皆様に奪われて、着の身着のまま、わたくしは都で物乞いをしながら、どこかで暮らす術を考えます。
亡き王は立派な方でした。知らぬことは何一つなく、全てを見通す聡明さをお持ちでした。廟堂では厳しく決裁なさっていたのだと思います。表向きでは余程お心が張り詰めておられたのか、お仕事を終えて後宮でお休みになられる際は、まるで子どものようになられました。
ことにご寵愛の蔡美人様は亡き王のご気性をよくお心得でした。蔡美人様は、亡き王がお望みのことは口に出されなくてもお心を読み取って、自ら叶えようとなさいました。ですからお気に入りでいらしたのでしょうね。
亡き王は才知に溢れ、美しいものを愛で、詩文や書画の名人を大切になさいました。これは名君である証左である思うのですが、如何でしょうか。
え? それは当たり前であって特別ではないですって?
それはよろしうございました。ひねもす、筆をひねくりまわして詩を書き、絵を描く者は只飯食いの厄介者と仰言る方もおいでです。笛や太鼓、舞を舞うなら、少なくとも祖先の祀りの儀式に必要で、目の不自由な方や女人の業であるが、筆より重い物を持てぬ男を養うのはおかしいと、北方の方々は人を道具のように評価される方ばかりではないのですね、安心いたしました。
おや、わたくしの言い方がお気に障りましたか。それは大変申し訳ございません。
詩や書、画は士大夫の嗜み程度で充分、何も産み出さぬ者が、食客の扱いを受けるのは国費の無駄と軽んずる方がいらっしゃるものですから。
話が逸れました。亡き王は、美しいものや、季節の移ろいに敏感な方でございました。ですから、秋になり花や葉が散れば、錦で作った造花で庭園を飾り付け、はたまた、真夏の暑さをしのげればと、白い布を樹木に巻き付けるよう指図なさいました。蔡美人様を始め、後宮の者たちは喜ぶよりも驚かれました。自然に逆らい、操ろうとする思い上がりと言われれば、その通りでございます。その風変わりな遊びを一度試みてみたかったのだと亡き王はのたまわれました。お諫め申し上げる者はおりませんでした。誰もがその見事さに心を奪われ、亡き王の才を称えたのでございました。
国の蔵には方々(ほうぼう)から納められた帛がございました。亡き王やそのご家族の衣服に、高官やその家族の為に、或いは後宮の女官たちにと下賜されてもなお余っておりました。帛を染め、縫い上げた時に出た端切れや、古くなって色の悪くなった帛や布を庭木を飾る為に使用しました。庭木から取り換える際、まだ使えそうな帛は当然官人で欲しいと申し出る者にお与えになりました。
絹布を税として納めていただくのは毎年一定の量が決めてありますし、亡き王は余っていた古い帛をお使いになったのです。贅沢とそしられても仕方ございませんが、蔵の中で傷むままにさせているより、余程よろしかったのではございませんか。
余っているなら、税を下げるべきだったと仰せですか?
勿論、ここ十年の間に二度ほど絹布の年貢は下げるよう勅が出されています。
ご存知なかったのでございますか?
わたくしのような卑賎の者にも耳に入ります。国で定めた量よりも多く、税の名を騙って、民から穀物や絹布を取り上げ、懐に入れている地方官やご領主がいらっしゃるそうで。
おお、雷のようなお声を出さなくても聞こえておりますよ。北のご領主様は誤魔化しをするような方ではないのでございますね。ここまで多くの兵を揃えて、兵糧や衣服ばかりでなく武具までお与えになるとは、北の土地はさぞ豊かなのでございましょうなあ。羨ましうございます。
各地の名産が税として国に納められて、都に集まるのは当たり前でございます。亡き王の食卓に各地から取り寄せられた食材から料理が作られ、食卓に並べられます。それが歴代の王の習慣でございます。亡き王や王子たちは、特にどこの名産が好き、どの料理が好きと口にされませんでした。言ってはならぬのが君主でございます。一度言葉にされたら、その名産の地域がお気に入りなのだとか、その食材を献上して阿ろうとする者が出てまいります。皿に盛られた料理を全部平らげられませんので、一口、二口箸をお付けになり、なるべく多くの皿の料理を召し上がろうとなさいます。お残しになられたら、後は宮女やわたくしども宦官や使用人たちがお下がりをいただくのが宮廷の仕来りでございます。
一度亡き王が、食材を多く残すのを惜しんで、毎日全国の食材で料理を作るのではなく、地方ごとの料理を日替わりで出した方が良いのではとのたまわれました。
しかし、亡き王の叔父君が、古くからの慣習を変えるのは良くないとお諫めになられました。王は毎日国の全体を見渡すのが仕事であるから、食材を通して国全体を見て、統治を考えるのが義務と仰言いました。
亡き王は、それは国がまだ小さかった頃にできた習わしではないか、今の世に適しているのかと反論なさり、叔父君に宮廷から下がるように命じられました。しかし、今度は宮廷中の者たちが、王からお下がりをもらえなくなるのは困ると申し上げるようになりました。王が使用人たちの抗議で食事が摂れず、飢えかねない事態でございました。
亡き王は宮廷の者たちのこれまでの役得を廃せず、食卓を改められませんでした。王族たちだけが食べ物を独占して、贅沢していたのではございません。
結局は昔からの仕来りという名前のお下がり目当ての者たちの増長を押さえられなかったのでございます。
宮廷の者たち皆が国を傾けた罪人と指弾なさるのであれば、わたくしをお斬りください。わたくしが仕えてきた王も、またその後を襲うべき王子も最早この世におられません。生きていても甲斐の無い者でございます。