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仮男

一部内容を変更しました。

 久々の休日、幸運の女神は霧透の元に微笑みかけたかのように見えたが、当人は浮かぬ顔をしていた。彼の元の体は唯歌の物、つまり現世において霧透はFtMということになる。多層系といえども性別の壁は存在する。


 シャツのボタンをはずし、ブラジャーに視線を移し、後ろのホックを指でまさぐりながら外す時、男性として生きている彼は言いようもない気恥しさを喉元に溜め、頬を熟しきったプラムのように染め上げた。女性としては小ぶりの胸は、一応の安堵をもたらしてくれるが、乳首の形状は男性の物とは違う機能美をたずさえていて未来に現れる乳飲み子のための吸い口として存在していた。


「これが、恥ずかしいんだよな」

 霧透は、なるべく周囲に聞こえないような音量で呟いてみる。できる限り声を低くくぐもらせて、男性の声色に似せるように発生するが、低い音階は、声帯を十分に響かせることはできず、すこしかすれが混じったような不明瞭な響きをもたらした。


 苫米地しとねの、ひっつめ髪からうなじにかけての描線を思い浮かべる。女性らしさが肌色の輪郭をもって空間に溶け合っている。そこに自分の上半身を重ねても違和感は感じられない。


 心は男性のつもりでいても、外見の顔つきや頭髪の細やかさが男性性の邪魔をする。虚空をまさぐり月を掴もうとする手が、手繰り寄せるのは太陽光から反射された光ではなく、闇の空気と冷たい皮膚感覚だけなのに似ている。無い物ねだりというのは空しく、人をさらに孤独へと突き進ませる。


「この身体を男にしたいと言っても、唯歌は了承しないだろうなぁ」

 半ばあきらめたように、一人愚痴る。唯歌は女性として生きていくことは決して譲らないだろう。この一つの身体の主導権は全て唯歌にゆだねられている。


 霧透が、現世で自我を持った時、すでに傍らには唯歌がいた。彼女の手ほどきによって、この地で生きていく術を教えられた。卵から孵った雛が見たものを親だと思うように、霧透は唯歌によって育てられたのだ。多層系として歩んでいき、仕事を見つけて生活をする。男性としての自我を片手に暮らすには彼はあまりにも不完全で不安の多い人生だった。精神科にかよいつつ、自分の性の立地点をまさぐりながら、唯歌との交流によって、男としての装飾を少しずつ手ほどきをされた彼。やっと手に入れた自由を享受するには、

この身体は、あまりにもふさわしくない鎧のように精神を拘束し始めていった。


 ノートに不安を書こうとして、すぐに取りやめる。女性である唯歌に訊いたところで、自分の精神には自分が責任を持たなければいけない。誰も霧透の代わりをしてくれる人はいないのだ。唯歌に泣きつき、不安をぶちまけた所で、冷たく切って捨てられる。唯歌は自他ともに厳しい女性だからだ。


 しかし、初めての恋心は強い力で決意を揺さぶった。彼はダメもとで自分の心情をノートにひたすら綴った。答えなんかは求めていない。何かを吐き出さなくてはいられなくなったからだ。

「男としてまだまだだな」彼は苦笑した。いつもより筆圧の強いメッセージはノートに強い刻印を残した。唯歌の性格から考えて、一方通行に終わるだろうと予想はついた。


 彼は男なので自分の課題は自力で解決しなければならなかった。苫米地しとねは、心ひかれる存在だが、彼女が女性の身体を持つ特殊な男性である彼を受け入れてくれるかは、彼女に聞いてみるしかなかった。彼は、ベッドに大の字になると、頭の中でしとねの気持ちを探ろうとしたが、自分をベースにしたシミュレーションでは、満足のいく回答を得ることはできなかった。


 昼食時以外は、寝転びながら恋の行方について迷走する。相手のいない空想では進展も納得のいく回答も得られない。煮詰まったら筋トレをいつもの倍やって、心を空にした。プッシュアップ、腹筋、背筋を30回3セットずつ鍛える。腹ばいになりながら腿をゆっくりと引き上げて脚力を鍛える。


 せっかくの休日は没日に終わった。空いてる時間でデートプランを練りつつ、相手の気持ちを探るにはまだ早すぎると感じている。男性になりきっている自分を見せつけて、少しずつ外堀を埋めていくか、それとも、早めに結果を聞いて傷が浅いうちに進退を決めるか。彼はまだ考えあぐねていた。


 夕暮れは徐々に薄暗闇に転じ、群青色の空が照明をさぐる手を早めていた。天空の穴から漏れ出す灯火は、商業的な明かりよりも何倍も艶やかで、彼が不安の中で繰り出すあがきに対して慰めをもって、うつろな気分をそらせてくれた。


 果たして翌日は誰の持ち分になるのだろうか、唯歌は、霧透はどう動くのか、それは未来を束ねる神のみが知っている。

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