異彩を放つ謎の女性
唯歌が目を付けた女性は、異彩を放っていた。着こなしが難しい黒いカットソーに黒のパンツ。ほぼ闇に紛れて目立たないそれは、ライブアイドルの会場では、アイドルたちのきらびやかな衣装を背景に利用して、わが身を浮き上がらせることに成功していた。
「それにしても、ヲタク男子の多い界隈で、このファッションは自爆じゃないのか」
と唯歌は疑問に思えてきた。ヲタクのファッションは、黒っぽい物が多く、本人たちもそれを上手く着こなしているとは言い難かった。
よくよく彼女を見て見ると透き通った白い肌がコントラストとなって目立っている。背中まである黒く艶やかな髪の毛が、周囲の男性たちとの性差を浮き彫りにしていた。
彼女に話しかけようとするヲタクは少なくないが、数語かわすと轟沈したのか、去ってその場から離れていた。だらしのない男たちと唯歌は一瞥したが、心優しい霧透もその中にカウントされているかもしれないと思い。考えを改める。
数曲を歌い終えた後、アイドルの集団は、コースを定められた回遊魚のように舞台からはけていった。照明がつき、明るさに照らされる。汗をかいて黒髪が額やバンダナにへばりついたヲタクを尻目に、その女性はボリューム感あふれる光沢のある髪をとかしていた。
「ちょっといいかな」
なるべく、脅かさないようにそれでいて舐められないような大きさの声を出して様子をうかがう。件の女性はきょとんとした目つきで見ていたが、すぐに目を伏せて、静かに口を開けた。メントスの香りが、汗臭い空間に波紋を広げた。
「何か用かしら。女性がここに来てるのって珍しい?」
やや低音の湿り気を帯びた声で彼女は答える。大人びてはいるがはっきりとした口調で、その落ち着きはらった物言いに、唯歌は少したじろいだ。
「ええ、ちょっと異色かなと思って」
やや無理をして明るく振る舞う唯歌。相手を刺激してはいけないと思い。軽いトーンで心をほぐそうとしている。
「わたしね。ここに勉強に来てるの」
閉じ気味の目を少し開きめにして、唯歌にアイコンタクトをしてきた。退屈そうな表情からは、あなたとはかかわりたくないとの意思が見て取れた。
「ふーん。歌手目指してるの」
相手が拒否の体勢に完全に入る前に、少しでも話を進めようと核心を突いてみた。相手の女性は、先ほどよりも意図的に表情を変えて、さも関心があるようなそぶりを見せ始めた。
「演技の勉強よ。媚とか。参考になるよ」
彼女はそう言いながら、髪を触り始めた。女性にしては筋肉質の唯歌を脅威に感じているかもしれないと思った。もう少し早く畳みかけるかと唯歌は考えて自己開示した。
「私は室谷唯歌。知り合いに頼まれてここに来てる」
「苫米地しとねというの。芸名だけどいいかしら」
おそらく彼女は芸名以外を口にしないはずだと、唯歌は勘づいて、話を切り上げた。やがて、照明が消えてステージに光が集まって、第二幕が始まる。皆が立ち上がって声援を浴びせている中、苫米地しとねは、一人のアイドルに照準を合わせて、挙手を見つめている。そのアイドルは、霧透が惚れこんでいるハルカだった。唯歌は、運命的な何かを感じて、鳥肌が立った。この女は霧透を狙いに来るかも。嫌な予感を彼女の脳が気づき始めていた。
部隊がすべて終わり、客たちは家路を急いでいた。唯歌はしとねを追いかけて、ここにはよく来るのか訊いてみたいと思ったが、しとねは男たちを迷彩に使って姿をくらましていた。
自室に戻ると、連絡用の青いノートに、しとねのことを書こうかどうか迷ったが、下手に意識を向けさせてもまずいと思って、書くのを諦めた。
おそらく、しとねは霧透の背格好を見て、唯歌の別人格だと気づくだろう。その時、しとねがモーションをかけるか否かはまだわからない。もやもやする頭を抱えて寝床に入った。しとねは、純情な霧透をたぶらかしにくる魔女のような予感がするのだった。