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もう一人の人格は男

小規模のグループホームに彼がいた。お年寄りをベッドから車いすに座らせる。力任せにやると腰を痛めるので、ボディメカニクスをうまく使って、バランスよく起き上がらせる。唯歌の筋トレが、霧透の仕事に生きている。ゆっくりと、わかりやすく耳元で声をかけ、名前を呼ぶ。身体をお年寄りの顔の位置にまで沈めて、安心感を与える。じっと目を見つめて、肩を触る。車いすのフットレストの上に足を乗せ、ブレーキを外して、食堂まで連れていく。


 多層系ゆえに、夜勤ができないのがネックだったりする。霧透は、もう少しこの仕事を重点的にしたいのだが、別人格の唯歌は、介護には興味がないらしい。勿体ないと彼は思う。女性なのだから、介護職に適していると感じているのだが、彼女には彼女の考えがあるのだから仕方がないかもしれない。


 彼は、共有のノートに、その日あったことを記入することで、心を通じ合わせようとしている。机の目立つ場所にある一冊の青いノート。彼と彼女を繋ぐ架け橋の役割を果たしている。


 その日は入浴介助や、夕食の支度、洗濯などを済ませて、時間があっという間に過ぎた。男である霧透が、介護の仕事で十分なケアを果たせるのは、唯歌の女性としての下地があるせいなのだろう。その点を彼は彼女に感謝していた。身体は唯歌のままで、自分を男性だと認識している霧透の頭が乗っている。


 仕事を終えると、自宅に戻って、アイセイントユースのDVDを視聴する。ライブアイドルに入れ込む趣味を唯歌はあまりよく思っていないことは、共有ノートのコメントからわかる。でも、自分はこれが好きなんだ。これ以外の趣味は考えられないぐらい、歌と踊りと衣装で男性を魅了するアイドルに心をゆだねていた。特に、武良ハルカがお気に入りだった。身長は低く小柄だが、軽快でいてきっちり押さえる所は決めに行くダンス。他のメンバーに紛れても、常にファンの方を意識している表情と、優雅な振り付けに魅了されてしまう。もし、唯歌と同席できるなら、アイセイントユースの、そしてハルカの魅力について語ってみたかった。同性としての唯歌の意見を聞きたいと考えていた。



 二日続けて、彼の出番だった。彼は、唯歌が許してくれるのなら、介護の仕事一本にしたいと所望している。その思いを何度か共有ノートで語ったが、彼女はそっけない返事しかしてくれなかった。


「感謝感謝って喜んでいるけどさ、感謝を受けられない仕事の方が多数派なんだよ」


 唯歌がクールでドライなのは知っていたけれど、なぜ彼女がハートが通い合うような価値観を認めたがらないのか、霧透には理解できなかった。彼女自身、何を目的として仕事をしているのか、訊きたくもあり、逆にパンドラの箱を開けてしまうような恐怖心もあり、逡巡していた。想像以上に彼女が現実主義だったら、自分とのギャップに気づかされたら、甘い認識の自分と唯歌の温度差に身もだえしてしまうだろう。


 グループホームでは、汚い仕事もあるし、給料もさほど高くはない。それでも彼はこの仕事にやりがいを感じていた。入所しているお年寄りたちに手伝いをしてもらいつつ、自分の仕事を済ませることに、心の触れ合いを感じ、相互に必要としあって生きる日々。男でありながら女性的な仕事に親和性を見出しているのは、多分に唯歌が女性であることも影響しているかもしれないが、彼は自分の女性傾向を気に病むこともなく、心底納得してふるまっている。


 今度の休日は、アイセイントユースの劇場に行き、ハルカにプレゼントを渡したいと記入した。入れ替わる人格は選べないので、希望通りいくかはわからない。あまりにも休日を独占しすぎると、唯歌が不満に思うだろう。だが、休日の人格が誰になるかは神様しか知りえない事だった。


 テレビの電源を切って、筋トレをする。プッシュアップと腹筋、背筋をそれぞれ三十回ずつ。腿上げも百回行う。彼は、唯歌のように、ジムに通うのはあまり好きではない。他者の視線のある場所よりも、自分を監視役にして黙々と励むのが向いているし好きだった。このボディは共有の物だし、肉体労働の比重が高いので、体力の維持に励むのは義務みたいなものだった。

 

 彼は時々思う。もし第三の人格が現れて、怠惰な人間だったらと。自分は許せるが、唯歌は、文句たらたらになるだろうなと。多層系の中には、複数の人格が現れて収拾がつかなくなる人間もいるという。そのために精神科があり、人格の調整を行うのだが、消される側になったとしたら、たまったものではないなと考えて苦笑した。


 彼の周りにも、多層系の人生を羨望の眼差しで見つめるものがいる。唯歌は、そういった半可通を邪険に扱っているらしいが、霧透の場合、自分の置かれている状況とメリットデメリットを丁寧に説明し、情報を浸透させる。説明は、ややこしくて面倒だが、多層系の理解につながればと思い、手を抜かずに詳細に伝えるのが常であった。

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