6話 食事は良い気分で食べたい。
昼食時になるまでセシルと共に時間を過ごした。
中庭に咲く花々の名前を教えてもらい城の中を案内してもらった事で、なるべく城内の様子を垣間見る事が出来た。まだちゃんと把握したわけではないが、ある程度の場所なら迷わずに向かえるだろう。
とは言っても、五将の誰かと一緒に移動しなければならない事実は変わらないけれど。それでも、意味はある行動だと自分に言い聞かせておく。
「そろそろ聖室へと向かいましょうか」
「そうだね。あ、でも」
「どうかされましたか?」
「セシルは着替えなくても良いの?」
私がそう言えば、自分の今の服装を思い出したかのようにセシルは戸惑いだした。そして、城内を歩いていた時にすれ違った人々が変な表情をして自分を見ていた事にも気付いたようだ。
最高位騎士が泥だらけの割烹着を着用して歩いていたら、そりゃあ他の人も戸惑うだろうさ。私も戸惑ったくらいなのだから。
「ひっ、姫様! 此処で暫しお待ち下さい! あぁ、でも姫様をお一人にさせてしまうのは心苦しいのですが、私の部屋でお待ち頂くのも申し訳ないと思っておりまして、ど、どどどどどうしましょう?」
「聞かれても困るけれど……」
「あああああ、セシル・イディアス一生の不覚です!」
一人で勝手に自問自答を繰り広げ、頭を抱えて床を転がりまわる姿を彼を尊敬している誰かが見たらどう思うのだろうか。本当に、アイクと違ってよく喋る。
一通り考え抜いたらしいセシルが起き上がり、不安そうな瞳で私を見てきた。
「……大変申し訳ないのですが、私の自室まで来て頂いても構いませんか?」
「大丈夫だよ」
「ありがとうございます! 今回は私の不手際で本当に申し訳ございません!」
ジャパニーズ土下座のスタイルで頭を何度も床にぶつけて謝ってくるのはどうにか止めてもらって、セシルの部屋へと歩き出そうとするか。
「姫様、お手を」
「歩かないの?」
「姫様と城内を歩けるのは、私としてはとても嬉しいのです。ですが、昼食の時間も迫っておりますし、午後からは各所の……その……」
彼の言いたい事が分かった。午後からの会議に出席する為にやって来る、城外の人間にこの姿を見られたくないのだろう。それは当たり前か。
わかった、と言って差し出されたセシルの手を握った。
「ありがとうございます、姫様」
「気にしてないよ。それにその格好は威厳に欠けるしね」
グレシットにでも見られたらとてもいじられるだろう。見てみたい気もするが、それはセシルが可哀想だ。自分の好奇心よりも彼の意思を尊重しよう。
セシルの手を握れば、青白い光が足元に現れた。その光は私達を優しく包み込んでくれる。
「――転移」
呪文のようなものを彼が唱えれば、周りが光に包まれていく。
眩しくて、その光に耐え切れずに瞼を閉じてしまった。移動する瞬間を見たかったのだが残念だ。
「姫様、目をお開け下さい」
セシルに言われて目を開ければ、先程とは何ら変わりのない廊下だった。セシルの部屋に転移するものだと思っていたので、少なからず拍子抜けしてしまう。
「すみません」申し訳なさそうに彼は続ける。「姫様を私の自室に招き入れるのはとてもお恥ずかしいと申しますか……すぐに着替えてきますので、此処でお待ち下さい」
「うん、わかった。動かないよ」
感謝の旨を述べた彼は、すぐ近くにあった扉を開けて中へと入っていった。絶対覗かないように、という童話で聞いたセリフを言い残して。
彼が着替えている間に外でも眺めていようと思ったが、この廊下には窓という窓が無い事に気付く。この場所が城のどの辺りなのか確認したかったが仕方がない。大人しく彼が着替え終わるのを待つ事にしよう。
恋人と買い物に出かけた男性の気分はこういうものなのかと実感する。全国の男性は長い女性の買い物に付き合わされているわけだから、私も女性の代表としてこの時間を我慢するしかない。
しかし、だ。ただ待つというのも暇なので、手に持っていたアイデから渡された本でも読もうか。見た目よりも軽いその本は、年季が入っているようで、横から見れば紙が少し汚れているのが見て取れた。
そういえば、どうしてアイデはいきなり立ち去ったのだろう。
中庭で急用を思い出したと言っていたが、あれは私の指に棘が刺さった時だったか。考える素振りをしていたようなので、何か調べる事が出来た、と考えていいと思われる。そしてそれは、私の事だろう。
リアリゼッタ姫に魔力は無い。そう言っていた彼女であったが、私の人差し指には棘の刺さった痕も残っておらず綺麗そのものだ。――そこに引っ掛かったのか?
思考を巡らせてみよう。
傷が治ったのがおかしいというのは私でも理解は出来る。リアリゼッタ姫の魔力は無いので愛される加護とやらが失われ、どんな魔法術でも効く体質になっているはずだ。だからこそ、私は鼻を二回打ち、尻餅をついた。これは魔法術と関係無いかもしれないが、怪我をしなかった事を考えれば必ずしも関係無いと言い切れない。痛みは軽いものだったのでもう無いのだが、ここ指のように怪我が治った、という感覚は無い。
確かめるようにお尻を触れば、少しジンジンと痛みが広がったので治ってはいないという確信に至った。
であれば、この人差し指の怪我はなぜ治ったのか。
アイデはこの事実を調べる為に自室へ戻ったという可能性がある。そこから先については憶測に過ぎないので、彼女からの話を待つ事にしよう。
そして次に疑問になるのが、あのランペローズの棘だ。あれ以降セシルは私に花を触らせようとしなかった為、他の花に棘の抜き忘れがあったのか確かめる事は出来なかった。
彼が触らせないようにと気を付けていたのは、また怪我をしてしまうという不安感からだろうが……心配性にも程があると思う。常人からすれば怪我をする事は日常茶飯事なので、私の感覚が鈍っているだけなのだろうか。
後で中庭へ行ってみよう。棘の事は他の花を確認しなければ何も進まない。――私が考えれるのはここまで、か。
丸投げになってしまうけれど、アイデはどんな結論を出したのかを訊いてみるしかない。結局アイデ頼りになってしまうのが何とももどかしいけれど。
早くこの世界の事を知らなければ、と本を開くのと扉を開けてセシルが出て来るのはほぼ同時だった。
「お待たせ致しました」
「大丈夫だよ。そんなに待ってないから」
本を閉じてセシルに向き直れば、昨日と同じ白を基準とした騎士服へと着替え終わっていた。装飾も多そうだし一人で着替えるのは時間がかかりそうだと思ったが、そこは慣れなのだろう、彼が出てくるまで然程時間がかかってないのは事実だ。
私の回答に安心したセシルはホッとしたようで肩をなで下ろす。
「では姫様、聖室へと向かいましょう。ご案内致します」
「今度は転移しないの?」
「あ、そうですね。その方が早いですよね」
ここまで転移で移動したから、聖室へと向かうのもそうだと思っていたのだが、彼はそこまで気を向けていないようだった。
もしかして私と歩きたかったのだろうか。そうであったなら申し訳ないと思ったのだが、彼は気にしていない様子で先程と同じように私に手を差し伸べてきた。
その手に自分の手を重ねる。……気が付いた。私は異性と触れ合う事は数年ぶりだ。意識してはいけないと思考を切り替えるが、その影響か否か、青白い光ではなく稲妻のような光が飛び散り、転移は出来なかった。
「姫様! お怪我はありませんか!?」
ひどい静電気が流れてきたように全身がビリビリと痺れているだけで、怪我などはしていない。大丈夫だとセシルへ伝えれば、彼は心底安心した表情をした。
私の所為で転移術が発動しなかったのなら、悪いのは私自身だ。素直に謝罪しようと頭を下げれば、それを静止される。
「違うのです! 何と言いますか、私、魔法術の類は苦手分野でございまして……誰かと転移をする事に慣れていないのです」
「でもさっきは出来たじゃない」
「はい……そうなのですが、次成功するか不安でしたので、歩いて聖室へ向かおうかと」
「だったら尚更私の所為だから。謝罪させて欲しいの」
「いえ! そんなとんでもない! これは私の不徳と致す所です! 今までの姫様はご自分で魔法術を使用しておりましたし、このように共に転移するなど考えてもいなかった私が悪いのです!」
「でも、」
「でもではございません! 本当にお怪我はございませんか? 具合は悪くなっていませんか?」
少し腕を振ってみるが、違和感など無いので再度大丈夫だと伝えた。
セシルにも苦手な事があったのか。グレシットは私の目の前で転移術を使用していたし、魔法術師以外でも魔法術が使用出来ると勘違いしていた私が悪い。
五将にもそれぞれ苦手分野がある、よし、学んだぞ。
「ごめんなさい、セシル。じゃあ、歩こう」
「はいっ」
買っている犬に、散歩に行こうか、と伝えるような軽いノリになってしまった感は否めない。笑顔で私の隣を歩く彼に突如犬耳と尻尾が生えたとしても、私は何も思わないだろう。むしろ、それが本来の姿だと思ってしまうかもしれない。……いやいや、止めよう。彼は一応人間なのだから。
「此処は城のどの辺りなの?」
「右塔になります。こちらは兵舎にも近く、鍛錬場にも近い。ですので、アイクの部屋やフェンドルの部屋もこの右塔にありますよ」
「そうなんだ」
「逆に左塔は上級の魔法術師や官僚の方々の部屋が多いですね」
なるほど。だから左塔にアイデの部屋があったのか。納得した。あれ? でもグレシットの部屋はどこにあるのだろう。
私の疑問を察したように、セシルは言いづらそうにしながら言葉を選びつつ教えてくれる。
「グレシットの部屋はあるのですが……彼は自室で寝泊りする事は少ないですね。外泊が多いので、部屋を訪ねても不在な事が多いです」
「視察とかが主な仕事だって聞いたけど?」
「それも関係してますが……彼は、その、浮いた話が多い方ですので」
つまりは、関係を持った女性の家かどこかで寝泊まりしているという事か。如何にも彼らしいと受け止めれるのは、今朝の朝食の場でそう言った話をされたからだ。
グレシットの部屋の事は何も聞かなかった事にしておこう。その方が双方にとって都合がいいだろうし、首を突っ込みたくないのが本音である。
渡り廊下を歩き、吹き抜けとなった回廊を歩けば、城の中央部分へと行き着いた。リアリゼッタ姫の部屋もこの中央部分の上の階へと位置している。それは今朝方アイクと歩いたから理解は出来ていた。
「アイクとセシルは仲良いの?」会話が無かったので咄嗟に出た質問だったのだが、セシルが素っ頓狂な声を上げる。「悪いの?」
「いえ、悪いというか良いというか……。私も彼も、兵舎で一般兵として国の為にと努めていましたので、仲の良し悪しとは関係無く、付き合いは長い方かと」
「そうなんだ」
「姫様を御護りするという五将として仲良くしなくてはと解ってはいるのですが……有り体に言えば、ライバルですね」
「ライバル?」
「はい。昔からお互いの武を競い合い、技量を高め合ってきたライバルです」
そう言って微笑む彼の気持ちに嘘は無いと思う。お互いを高め合える関係というのはとても居心地が良いんだろうなぁ。
私は作家として活動を始めて、他の作家の方と知り合う機会は無かったので羨ましく思う。挨拶は軽く済ませていたし、対人関係の築き方が苦手という私の性格上の問題がほとんど影響をしていたけれど。
もっとアイクの事を聞いてみようか、それとも、セシル自身の事を聞いてみようか悩ましいところだが、折角二人きりだから彼自身の事を訊いてみよう。
「セシルは普段何しているの?」
「何と言われましても……先程のようにオーグの――あ、庭師の事なのですが、オーグと一緒に中庭の手入れを手伝っている事が多いです。それから、鍛錬場で兵士達の教育ですかね。後は仕事があれば臨機応変にといったとこでしょうか」
「仕事って、護衛の任務とか?」
「国王の視察護衛はアイクやグレシットが担当する事の方が多いですよ。私は執務室に篭る事が多いです」
体を扱う仕事はアイクが多く、セシルは事務仕事が多いのか。アイクよりもセシルの方が頭が良いから、という考えは早計過ぎるか。さっきみたいなおっちょこちょいな部分があるので、その頭を使う仕事もアイクに怒られてそうだと想像していれば、アイクから指摘される事も多いですけどね、と彼ははにかみながら続ける。
想像通り過ぎて笑ってしまったではないか。
「で、でも! ちゃんと出来る仕事はありますからね!」
「庭仕事?」
「姫様までそういう事を言いますか……」
普段から言われているのだろう。アイクとセシルの仲は良好なのだと理解した。
「アイクは出来が良過ぎるのです。いつも私は比べられて……そう、最高位騎士に就任した時もアイクは、」
「俺が、なんだ?」
背後から不吉なオーラを感じたのか、セシルは体を震わせながら振り向いた。
明らかに怒りを感じさせる表情で、話の内容の中心だったアイクはセシルの肩を掴む。指先が服にめり込んでおり、見ているだけで自分の肩を掴まれているかのように痛みを帯びる感覚がした。
「お前は、今まで、何をしていた? 庭仕事か? 泥まみれになっていたお前を見たと聞いたんだが?」
「ヒィッ。痛い、痛いですよアイク! 姫様の御前ですよ!? 抑えて、抑えて!」
「お前は、国王から、城門にて、要人達を、迎え入れる役割が、あったはずだが?」
「あ……」
「何をやっていたんだ?」
「ち、違っ、違うんです! 私は姫様の護衛をしておりまして……!!」
「お前の所為で俺が要人達を迎え入れる役割を与えられたんだ。久方振りの半休を無くした俺の気持ちが分かるか? わからんだろうな?」
「姫様ぁ……」
セシルに声を掛けられるまで唖然としてしまっていた。
感情を顔に出さず、基本無口で口下手だと思っていた人物がいきなり饒舌になり、感情を露わに同僚へ怒りをぶつけているのを見たら、突然の事過ぎて言葉を失っても間違いではないと思う。
セシルは明らかに怒っている同僚に対して言い訳虚しく半べそだ。城の案内をしてくれた手前、無碍には出来ないので仕方なく助け舟を出すとするか。
「アイク、セシルは悪くないの。私が何も思い出せないから、城内を案内してくれていただけだから、そこまで責めないで欲しい」
「……姫がそう言うのなら」
「ありがとうございますぅ、姫様ぁ」
分かったからその半べそを何とかしてくれ。折角のイケメンが台無しだ。
アイクは溜息を吐き、仕方無さを隠しきれないもののセシルの肩から手を離す。相当痛かったのか、セシルは自らの肩を抑えて悶絶していた。
「姫、これから何方へ?」
「聖室に行こうかと。そろそろ昼食だし」
「なら俺も同行しよう」
「えー。アイクも来るのですかー? せーっかく姫様と二人きりだったのにー」
「うるさいぞ。俺も聖室へ行くのだから構わないだろう」
私には犬同士が言い合いをしているようにしか見えないけれど、対照的な二人の騎士に挟まれながら聖室へと向かう事は避けられないようで、立ち止まりながら言い合いをする二人を置いて数歩前に出る。
「早くしないと、私一人で行っちゃうんだけど」
「お待ち下さい!」
話を強制的に切り上げたセシルが私の左側を歩き、後から追いついて来たアイクが右側を歩く。
黒と白に挟まれた私は、正面から歩いてきた人にどう思われるのだろうと考えたが、誰かとすれ違う事も無く、その状態のまま聖室へと到着した。
「そういえば、」扉を開けようとしたセシルが、何を思い出したのか私の顔を見た。「今更ですが、姫様はその話し方の方が似合っておりますよ」
アイクと同じような事を言われる。多分、今日話した他の五将の面々もそう思っているのだろう。壁が無くなった、とも言われそうだ。
この世界に慣れたかと問われれば、昨日の今日で慣れなんて感じるわけがない。しかし、少しだけ、本当に少しだけ居心地が良いなんて感じてしまっている。
まだまだ知らない事だらけのこの世界だが、私が慣れようとしている証拠なのだろうな。
「おう! 今度は揃ったな!」
聖室へと足を踏み入れれば、先に座っていたフェンドルの姿があった。もう料理を注文したのか、既にナイフとフォークを持って準備は万端のようだ。
「早いな」
「腹が減っては何とやらだ! 午後からは会議があるからな! 英気を養わねば!」
がはははは、とお決まりの笑い声を響かせながら発言するが、私にはわかる。こいつ、絶対寝る。
私が席に着けば、斜め前の左右の席にセシルとアイクが腰掛けた。やはり朝食時に空いていた席はセシルの席だったようだ。
あとはアイデとグレシットが来れば席が全部埋まる。それがちょっと楽しみだった。
「ゼオーグ、お昼は軽い物が食べたいな」
特に何を食べたいという欲求が無いのと普段は昼食時に寝てる事が多いので、とりあえず軽い物と大雑把な注文をしてみた。言い終わればベルの高い音が聞こえてくる。これは了解したという合図と受け取ろう。
各々が料理の注文を済ませると、聖室の扉が開き、まるで先程までの最高位騎士達のように言い合いをする、国家魔導師と遊び人が姿を現した。
言い合いの内容は言わずもがな、グレシットの女遊びについて。
「意味がわからないわ。理由さえも見当たらない。根無し草はもうお止しなさいと言ったでしょうに」
「いやいや、オレは根無し草ちゃうよ? ちゃーんと城に帰ってきてるやん」
「貴方のその軽率な行動が何を招き入れたのか理解しているのかしら」
「そんなん昔の事やん。根に持ち過ぎやって。またシワ増えるで?」
「なんて言ったの、このガキが」
「おぉ、怖」
いつもの事だという風に誰も止めないが、席に座りながらも言い合いを続ける二人に対してフェンドルが何が面白いのか笑い声を上げた。
この状況で笑えるなんてなんて肝が据わっているんだ、と思ったが、面白いから笑っているのではなく、これが彼の通常運転で何も考えていないからなのだろう。素晴らしい才能だと賞賛を贈りたい。
「二人共落ち着いて下さい。姫様がいらっしゃるのですから」
「おっ、セシルやん。朝は何やっとったん? まさかお前もコレか? 隅に置けん奴やなぁ」
「何を言っているのか分かりませんが、私は中庭に居てオーグの代わりに庭仕事を……あっ」
「おいセシル。お前は姫の案内をしていたのではなかったか?」
「いや、案内をしていたのは本当ですって……!」
思わぬ飛び火だ。今回の失言は庇える訳もなく、私はセシルの助けて欲しいという視線を見て見ぬ振りした。
フェンドルの笑い声と各々の言い合う声が室内を飛び交う光景に、リアリゼッタ姫はこういった光景を見たくなかったから聖室で食事する事を遠ざけていたのかもしれない。一日二日なら我慢する事も可能だが、これが毎日と考えれば美味しい食事も美味しく戴けないだろう。
現に、出来た料理を持ってきて良いのかと不安そうにこちらを扉から覗くゼオーグと目が合った。つぶらな瞳が揺れている。……私が止めるしかないのか。
意を決して、勢い良く立ち上がる。
「いい加減にしろ!」
声に反応して、飛び交っていた声がピタリと止み、全員が私を注視した。
もう喋り出さない事を確認し、一度椅子へ座る。一回深呼吸。そして、全員を見た。
「今から昼食が来るのになんなの? ここには動物しかいないの? 記憶は無いけれど、以前の私がここに来て食事しない理由が良くわかった。どうしても言い合いをしたいのなら全員外に出てしなさい。食事を作ってくれるゼオーグに迷惑でしょ!?」
正論をぶつける。言い合いをしていた四人は気まずそうな表情をして押し黙る。フェンドルに至ってはなぜ自分も怒鳴られているか理解出来ていない表情のままだが、まぁ笑い声が無くなっただけでもいい事だろう。
最初に謝罪をしたのはセシルだった。それに続いてアイデ、アイク、グレシット、そしてとりあえず謝ろうというフェンドルの四人四色の謝罪が続く。
分かったのなら良し、と言って、まだこちらの様子を伺っているゼオーグに微笑みかけた。
「もういいよ。ごめんね」
ゼオーグは飛びそうな程首を左右に振って、申し訳無さそうにクロッシュの乗せられた皿を何枚も腕に乗せて持って来る。アイデとグレシットはいつ頼んだのだろうか、二人の前にも皿が置かれた。
気まずい空気のまま食事をするのも嫌なので、もう一回深呼吸をする。私の様子を伺うような視線が刺さって痛い。
「さぁ、食事にしよう」
私の一声で、全員が食事を始める。これが鶴の一声というやつか、と実感するなんて思ってもみなかった。
クロッシュを開ければ、野菜のふんだんに使われたサンドイッチが見栄え良く並べられている。これを見るだけでも食欲がそそられるというものだ。
朝食でも思ったが、ゼオーグが本当に料理上手なのだろう。関係無いが、庭師の名前がオーグで料理人がゼオーグというのは何か繋がりがあるのだろうか。あとで誰かに訊ねてみるか。
「……なぁ、なぁアイク」
「なんだ」
「今朝から姫さんおかしくないか? 昨日のしおらしい姫さんはどこ行ったんよ」
「知らん。しかし姫らしいと俺は思っている」
「確かにそうやけど……」
「グレシットさーん? 聞こえてますよー?」
「あはは、……すんません」
アイクの姫らしいという言葉に安心した。言い過ぎかと思ってしまったのだが、リアリゼッタ姫は結構なじゃじゃ馬だった事が分かり、人知れず安堵の溜め息が出る。
こういった発言一つでリアリゼッタ姫ではないと疑われては元も子もない。しかし、アイクも言ったようにこれが姫らしいらしい。このまま気を使わなくても良いのであれば、これからはとことん私を出していこう。ある程度は記憶喪失云々で誤魔化せるだろうし、そこは利用していかなくては。
「昨日の姫さんのが良かったわぁ」
「そういう事を言うなら、首元のキスマークを何とかしてから言ってね」
バレてたんか、と自らの失言の所為で気まずさに気まずさを乗算してしまったグレシットは、空笑いしながら頼んだハンバーグを口に含むのだった。
そりゃあそんな目立つところに付けられていたら、アイデではなくても叱責するというものだ。ワイシャツの前を少しはだけさせているから、きちんと着込んでネクタイを締めれば見えないかもしれない。彼の事だから、会議前にはちゃんと服を着込むとは思うけれど少し心配だ。
心配といえば、フェンドルはちゃんと服を着るのだろうか。昨日の事もあるので、着込まないかもしれない。会議というのだから礼装というものは各自準備されていると思うのだが、それでさえも彼は着崩して自らの筋肉を惜しみなく露出させるのだろうなぁ。
私も着替えるのだろうか。だとしたら、昼食を軽いものにして正解かも。あのコルセットの苦しみは食後だと倍増しそうだ。覚悟を決めておこう。
「――あら? 珍しいお客様ね」
何かを感じ取ったらしいアイデが食事の手を止めた。扉の方へと全員の視線が集まる。
「どうかしたのか」
「聖室に入れない人が来たのよ」
彼女の人差し指が紫色の光を帯びた。と思えば、扉がゆっくりと開かれる。
立っていたのは姫付きメイドのシェリーだった。お辞儀をした体制のまま動かない。
私の予想ではあるが、シェリーは聖室への入室を許された人間ではない為、畏まったまま動かないのだろう。
その証拠にアイデの表情が険しくなっている。
「何か御用?」
「はい。恐れながら、午後の御支度が御座いますので、姫様をお迎えに参りました」
もうそんな時間なのか。最後の一切れとなったサンドイッチを口に入れ、手早く咀嚼をして飲み込んだ。
ごちそうさまでした、と両手を合わせて席を立つ。突然の来訪者により姿を消したゼオーグに心の中で感謝し、シェリーの元へと駆け足で向かった。
「姫様、私もお供を、」
「いや、俺が行こう」
スープを飲んでいたセシルの言葉を遮り、食事を終えたアイクが立ち上がった。
シェリーとアイクの仲はあんまり宜しくない為、だったらセシルにお願いしたいと思うのだが。というか、聖室と私の部屋の距離は然程無いから護衛なんていらないのではないかと思われる。
護衛は要らないとの事を話せば、セシルがサラダを食べながら反論した来た。なんと言っているか解読は不可能である。
「ほんならオレが行こか」
こういう事を一番やりたがらないと思っていた人物から声が上がり、戸惑いの声が出てしまう。
よく考えろ。彼が自ら率先するという事は別の目的があるはずだ。それは多分、彼の性格上――、
「シェリロットちゃんと話せるなら、俺が断る理由も無いやろ?」
やっぱりか。彼の目的は私の護衛ではなくシェリーと共に居る為。気難しいタイプかと思っていたのだが、案外単純な思考の持ち主だったようだ。
グレシットも軽食で済ませていたようで、既に食事は終わっている。シェリーと五将の関係性は良くわからないが、表情を伺えないのでどう思っているのか表情からはわからない。だが、まぁ、アイクよりかはマシだろう。
彼からの提案を受け入れることにして、聖室を後にした。去り際に見えた寂しい感情を前面に出していたセシルの事は見なかった事にしよう。
「シェリロットちゃんは相変わらずかわええなぁ」
「そのようなお言葉、私には勿体無く思います」
「そんな事ないで。その黒い瞳の中に吸い込まれそうやわ」
「ふふっ、ありがとうございます、アルガ様」
「いけずやね、グレシットって呼んでくれてええんやで?」
「そんな、恐れ多い」
かまへんかまへん、と手を振りながら話すグレシットを見ていると、バラエティ番組を見ているような錯覚に陥る。
私の前方を談笑しながら歩く二人は、傍から見れば仲睦まじく見えるのだろう。だが、グレシットの役割は私の護衛だ。護るべき対象の前方を歩くなんて、本当に護衛をする気があるのかと疑ってしまう。
いや、彼には無いだろう。無いからこそ私を放置して話し込んでいるのだ。分かってはいたが、蚊帳の外とというのは存外寂しいものだな。これなら素直に、セシルが食べ終わるのを待ってから自室へ向かった方が良かったのかもしれない。
「ほんまに綺麗な瞳やね。黒曜石よりも濃いなぁ、その深淵に落ちてもうても助けてくれる?」
「アルガ様でしたらご自身で脱出出来るのでは?」
「手厳しいなぁ。一本取られてしもうた」
「お言葉が巧みでいらっしゃいますね」
本気のナンパを上司の前で繰り返すグレシットには、あとでアイデからの叱責を受けてもらおう。もう決めた、撤回は無い。例えここで私の事を褒めたとしても、この外見はリアリゼッタ姫のものだから私としては全く嬉しくもなんともないし。
私の企みを気付く由もなく、グレシットは護衛という任も忘れて歩き続ける。
時間とは酷なもので、つまらない、退屈だと思えば、時の流れをゆっくりと感じてしまうのだ。部屋へ到着するのにかなりの時間を要した気がする。
今朝アイクに案内してもらった時よりも、セシルと共に歩いた時よりも、苦痛な時間だった。
目の前の光景を苦々しく見ながら、やっとの事で自室へ到着する。
彼は外で待っておくというので、シェリーと二人で部屋に入った瞬間に襲って来る倦怠感。これは呑気にメイドをナンパしていた男が関係している。
自室へ入るなり項垂れた私を不思議がって、シェリーが首を傾げた。
「お疲れのようですね、姫様」
「うん、まぁね。シェリーとグレシットは仲が良いの?」
「とんでもない!」何を言っているのだ、という表情をされた。「五将の方々と睦まじく接するなんて、姫様を差し置いてそんな事出来ません!」
そんなにあからさまの拒否をしなくても、と外でシェリーと話す事を心待ちにしているグレシットに同情してしまった。
メイドと騎士の出会いなんて王道だと思っていたのだが、実際はそんな事無いらしい。そこは創作だけの世界という事なのか。
「さて、姫様。お召換えを致しましょう」
自室へと戻ってきた意味を思い出す。笑顔でこちらに向き返るシェリーの手には、昨日と同じタイプのコルセットがある。
昼食を軽く済ましていた先程までの自分に賞賛を贈り、今から苦痛に耐えるとしようか。