2話 名前が同じなだけの因果関係。
さて、ここでひとつの問題が生じる。今まで余程の事がない限りは男性と接触するなんて事が無かった女が、いきなり、自分の許容を超えるイケメンから抱きつかれたらどうなるか。
答えは至極簡単だ。全く身動きがとれなくなる。
そう、私は現在進行形で固まってしまっている。そりゃあ、現代日本に関しては外国人の観光客とか移住する人とか多いわけだから、少なからず話し掛けられる事はあるとしても、こんな過度なスキンシップはまずありえない。
私を抱きしめているそのイケメンは、特に何も考えてはいないのだろう。もしくは、自分の上司の意識が目覚めたらこのような行動に移るのかもしれないが、如何せん私自身そういった経験が無いのでわからない。
ただ、一つの結論を言うとすれば、胸の高鳴りは無かった。
「姫様がもう永遠に目覚めないのかと……」
「ア、ハイ、ゴシンパイ、アリガトウゴザイマス」
「御気分は如何でしょうか? 何かあればこのセシル・イディアスに――」
「おい、セシル」
イケメンの背後から声が聞こえてくる。私の目の前はイケメンの胸板、もとい、服なので誰が話しているのか判別出来ないのだが、声を聞く限りではこれまた男性のようだ。
その声をきっかけに、少しだけ抱擁が解かれ、少し自由になった。
「アイク! 見てくれ! 姫様が……!」
「分かっている」
アイク――と呼ばれた男性はこれまた美男子は、私を一瞥するなり特に何も発さない。イケメン――確かセシル? とは真逆の反応だった。
真逆といえば、セシルの方は整えられた銀色の短髪に翡翠色の瞳だが、アイクは青みがかった長髪を一つに束ね、肩に流している。左目は前髪で確認出来ないが、きっと右目と同じような藍色をしているのだろう。
改めて見ると、二人は王国騎士という職に就いているのか、軍服とはまた違った、一見正装と呼ばれる衣服を身にまとい、これまた白と黒という真逆の色合いだった。
「姫が困惑している。離れてやれ」
「あぁ! 申し訳ございません!」
いえ、こちらこそ、ありがとうございました。とは言わず、座ったままの私は、立ち上がったセシルとアイク、二人に見下ろされる形となる。
何も理解が出来ていない状況なので無闇に言葉を紡ぐのは止めよう。私を姫だと認識しているのであれば、そのままの貫いたほうが良い。
「姫様? まだ御気分が優れませんか?」
「当たり前だろう。姫が眠りについてから数年が経過している」
「であれば、私達の事もお忘れになられたという事でしょうか!?」
忘れたというよりも、全く知りませんし此処が何処だかもわかりません。そう答えれたら楽なのだろうが、それでは困惑に困惑を重ねるだけだ。今は、二人の会話をよく聞き取る事を優先としよう。
理解が出来ないのであればそれが出来るまでは何も発さず、情報収集に努める事が大事だと直感しているのは、きっと、こういう転生系のライトノベルを読みあさっていたからかもしれない。私が書きたかった物語を経験してしまっているのは、なんとも解せぬ状態なのだけれど。
「失礼致します」凛とした声が室内に響く。
「姫様のお召換えをさせて頂きたく思います」
先程、部屋に入ってきたメイド含め四人のメイドが部屋へとカートを持ってやって来た。
「姫様、また後ほど、お会いしましょう」
跪いて私の手の甲へと唇を押し当ててきたセシルは、なんというか、犬っぽい。主人に忠実といわれるゴールデンレトリバーのようだ。そう考えるとアイクはハスキーだろうか。それともドーベルマンか。どっちでもいいか。
私とメイド達のみ残され、扉が音を立てて閉められた。
「自分で着替えますが……」
「滅相もございません」
「自分で着替えたいのですが……」
「姫様は意識がお戻りになられたばかりです」
「無理はいけません」
「私達にお任せ下さい」
有無を言わさないという言葉と笑顔の圧力に気圧されてしまう。自分たちの仕事を取るな、という気持ちが見え隠れしている気がした。
だがしかし、私も抵抗はさせて頂きたい。何しろ外見は若くても中身はただのおばさんなのです。他人に服を引っペがされて着替えさせられるなんて、恥ずかしくてなんだか切なくなってくるのだ。異性にも脱がされた事がないのに、同性なんてもってのほかである。
負けないつもりで抵抗しようと試みたが、あれよあれよという間に服を脱がされ、下着、コルセット、何から何までと着替えさせられてしまった。
着替えたドレスは下着同様フリルが多いが、髪色よりも濃い青で、デザイン的には悪くない。いや、悪い事はないだろうけれど、普段から着ているわけではないので良し悪しが判断出来ない。
髪は上で結われたが、それでもこのお姫様の髪の毛の長さでは腰を超えた長さになっている。装飾品は華美に、豪華に。頭にずっしりとくる重みは経験した事がない。むしろ、頭が後ろに引っ張られている感じがして気持ちが悪い。
しかし驚いたのは、下着がちゃんとあったという事だ。現代社会と変わらず、ブラジャーとパンツは少々フリルが多いものの下着店で販売している物と何ら変わりがない。そこはご都合主義なのか、それとも思っていたよりも中世寄りではないらしい。そう考えてしまうのは、私自身がまだ実感していないからだと思われる。
この世界については知らない事が多過ぎると改めて感じた。
「さぁ、姫様。国王がお待ちです」
心を決めなくてはならない。きっと、自分の娘の事なのだから、何か間違った事を話してしまえばすぐにでも偽物判定をされてしまうだろう。
対策も何も浮かばないまま、メイド達の後ろに付き添われ、白で塗り潰された汚れの無い廊下をひたすら歩く。部屋は装飾過多と言われても仕方がないような内装をしていたが、廊下はシンプルで、並んでいる窓も窓枠は凝ったものではなく廊下と同じように白かった。
窓から外の風景を眺めてみれば、綺麗に整えられた中庭のようなものが見えた。色とりどりに花を植えているのは見て取れるが、ここからどんな種類なのかは高さがあってよくわからなかった。
「姫様?」
「あ、ごめんなさい」
立ち止まっていたからか、先を進んでいたメイドに呼ばれ、少し小走りで追いついてまた歩き始める。
先の見えない廊下の終わりが見えてきた。
遠近法だろうと思ったが、先に見えた扉は近付けばとても大きく、これどうやって開けるの? と人間の力で軽々開けるのが無理だろうと疑問しか頭に浮かばなかったのだが――扉の両脇に立っている鎧で身を包んだ衛兵が扉を開けた動作も無く、ゆっくりと扉が内側へと開いていった。
どんな原理で開いているのか……扉を開けたであろう人影も無く、本当にどうやって開いたのかがわからない。ただ、扉の開いた先には、長々とレッドカーペットが敷かれていた。両脇に十数人もの男女が並んでおり、その中には先程のセシルとアイクの姿もあった。
メイドに続いて中へ入るが、彼女達は室内へ入っただけですぐに脇へと下がってしまった。ここからは一人で歩けという事が容易に理解出来る。
歩き出せば立っている人達の声が聞こえ、なんだかむず痒い。男女問わず整列しているが、年齢層で言えば若干高めだろうか。予想だが、何かの役職に就いている人物達なのだろう。とりあえず、髭率が高いと思った。
カーペットの先、一番奥に私を迎えるように立っている人物……それが、国王と呼ばれる私の父なのだろう。今の私とは違い髪色は白く、頭に乗せている冠の金がとても眩く見えた。
あと、髭。物凄く長い。腰辺りまであるそれは、ライトに照らされているからか光を反射していて少し眩しい。
「おお……リア……よくぞ、目覚めてくれた……」
「お、お久しゅうございます……?」
自分の中での全知識をフル活用して、それっぽい言葉を言ってみる。特に違和感は無かったようだ。
むしろ、私の声に感激したのか、目の前の御人は涙ぐんだようで目頭を指で抑えた。
「皆の者、聞いたか……? 我が娘が……敵国の呪術者の呪術を受けながらも……こうやって……こうやって……うぐ、っ、目覚めて、くれたぞ!」
周りからも鼻を啜る音が聞こえてきたのだが、そこまでしてこの私は皆に愛されていたのか。ふむ、現実の私とは全く違うこの状況をどうすれば良いのかわからない。何か声をかけるべきなのだろうか。
私の戸惑いの表情を読み取ったのか、あるいは心の中を読み取られたのか定かではないが、一人の女性が手を挙げた。
「王、一つよろしいでしょうか」
「ぐず……どうした、アイデよ。申してみよ」
「はい、それでは失礼ながら。姫様にかけられた呪術は完全に解けてはいないと思われます」
「なっ、なんだと! それは誠か!?」
「はい。それを確かめる為にも、――姫様」
「は、はいっ」
「ご自分のお名前はお分かりになりますか?」
これは、難しい質問だ。そんなの、分かるわけがない。今の時点で知り得た情報を整理すると、一応呪術? というモノを受けてしまって、私が成り代わってしまったお姫様は目を覚まさなくなった、と。そして、女性が言うところによると、その呪術の影響があるのでは、という事か。
……利用出来るかもしれない。
名前は、確かリアと呼ばれていたから、多分そうだと思うけれど……それさえも忘れてしまえば、現実世界で言うところの記憶喪失扱いにしてくれるんじゃなかろうか。
やってみるしかない、か。
「どうなのだ、姫よ」
「……お恥ずかしいながら、その女性が言うように、私には記憶がありません」
驚愕の声が漏れる中、私は言葉を続ける。
「自分自身の名前も、皆様の呼ぶリアという事しかわかりません」
リア。そう、私は桜井理亜という名前で執筆活動をしていた作家だ。名前が一緒という因果が関係しているのかどうなのか。それでも、このお姫様はリアと呼ばれていたから、そう呼称するしかない。
私は、今、記憶喪失のリア姫なのだ。
「我が娘よ……それは本当なのか」
「はい、王様。私は私が誰なのか、此処は何処なのか。それすらもわからないのです」
「アイデの言う通りなのでしたら、王よ、今すぐ呪術の影響を調べねばなりません!」
「しかし、この国には呪術に詳しいものはアイデ以外に居りませぬ!」
「国家魔導師であるアイデ殿でもそれは解けぬのか!?」
「国庫にある書物を見てみない限りは、なんとも」
「なんという事だ……」
一気に不安が広がる光景は、創作であっても現実であっても面白くはない。こちらの予想通りの運びとなってくれたのは嬉しいが、大人数を騙しているようで申し訳なくなる。
しかし、私自身が偽物だという疑いをかけられる事は無かったようで、そこは一安心だ。そこは素直に喜んでおこう。
「姫様……」
一際不安そうな声が聞こえたのでそちらを横目で見てみれば、セシルがそれはもう子犬のような表情だった。なんだろう、一時期放映されていたテレビCMでこんな子犬の表情を見た事がある気がする。そんな既視感。
「姫の容態の事もありますし、一度解散されたら如何でしょうか」
「そう、だな。そうしよう。では、リアと五将以外の者は解散。各々の仕事へ戻ってくれ。事の次第はまた通達しよう」
王様の一声で、この場に集まった大勢の人間は扉から出て行った。その際にも、誰も触っていない扉は開閉をし、その仕組みはやっぱりわからないままだ。
残された私は一体どうしたらいいのだろう。結局は記憶喪失設定を貫き通すしかないのだけれど、ああ、自分の良心が痛む。
「――さて、リア、本当に何もわからぬのだな?」
「はい。申し訳ないながら」
「そうか……。では、まず、お前の事から教えるとしよう」
そう言って王様は、ひと呼吸置いた後、ゆっくりと話し始めるのだった。