1話 全身整形をしたらしい。
目覚めれば、それはもう、ケンランゴウカという言葉が似合う天井が見えた。
白くはないそれは、私が今病院ではない場所で寝ていたという事を理解させてくる。私は確か、歩きスマホをして――そうだ、車に轢かれたのだ。思い出した瞬間に全身が寒気に襲われた。
全身を打ち付けた痛み。脳が揺れて、意識が遠のいていく感覚。吐き気に襲われ、上半身を起こして口を手で覆う。視界が赤く染まっていく情景が最期の記憶だなんて二度と経験したくない。いや、一度経験してしまっているが、その一度さえも経験したくはない。
吐き気をなんとか抑え込み、荒くなった呼吸を整える為に浅い呼吸から深い呼吸へと変えていく。何度か咳き込んだが、落ち着いた。冷静になろう。
――私は車に轢かれた。その事実は変わらない。何よりも経験が物語っているので、これは確定事項だろう。だが、救急車で病院へ運ばれたとしても、こんなVIPルームに運ばれる地位ではないので違和感は拭いきれない。
室内を見回してみれば、骨董品であろう壺や見た事も無い多分有名な画家の作品であろう絵画が飾られ、配置されているテーブルや椅子はツヤがあって一見すると宝石のような、不思議な光を放つ石が数多く装飾に使われているようだった。
ベッドから眺める景色で、自分自身には場違いな場所へと運ばれてしまったのだと確信する。こんな病室だと一泊ウン万円、いや、ウン十万円……百以上かかるのかもしれない。明らかに病院側のミスだ。我が日本の総理大臣や大企業の社長が入る病室に、一般市民が入っているなんて。
「誰か呼ばなきゃ、」
病室には必ずと言っていい程完備されているナースコールを送るボタンを探すが見当たらず、とりあえずベッドから降りた。――そして、気が付いた。体が痛くない。というか、包帯のほの字も巻かれていない身体だった。着ていたらしい白いロングワンピースが揺れる。病院服ではないようだ。
「なに、これ」
ベッド脇にあった全身鏡が目に入った。視界に現れた私の姿は、黒髪でも黒眼でも無く、水色の髪色で緋い瞳をしている。わけがわからない。
「い、いやいや」
状況が理解出来ない。私は典型的な黒髪で黒い目で、そして胴長短足という日本人という言葉がそのまま現実化した姿だったはずだ。それが、どうして、こんな、典型的なアニメやゲームに出てくるようなザ・美少女の外見になるというのだ。もしかして全身の負傷が酷すぎて全身整形になってしまったのか。
待て待て。全身整形にも程がある。原型も何も残って無い。皮膚なんて移植したように綺麗になっている。黒子はどこいった等ツッコミ満載の外見だ。あと、おっぱい、程々に大きい。二、三回揉んでしまったじゃないか。
「どうしてこんな事に……」
独り言つ。更に困惑を増す現状から考えて、最高であり最悪の考えしか浮かばない。しかし、現実世界でそれが起こりうる訳がなく、そんなモノは創作の世界だけだ。ありえない、と何回もその考えが浮かぶ度に否定した。
私が有り得もしない押し問答を繰り広げていると、突如、扉を叩く音が聞こえてきた。思わず身構える。何が起こっているのか解らない今、何が起こっても私は何も抵抗する術が無いのだ。
無駄に大きい扉がゆっくりと開かれた。現れた人物の姿を見て、私は絶句すると同時に、ひたすら否定を繰り返した自らの考えに確信を得てしまったのだ。
室内に入ってきたのは女性だった。女性だが、服装はもう言わずもがなと言える。現代日本に住む一般市民には縁がない、日本列島各地に点在する某聖地と呼ばれる都市に存在する露出や性的な活用を連想させる服装ではなく、長い黒のロングスカートに真っ白なエプロン。所謂、正統派のメイド服を着込んでいるその女性は、立ち上がって自分の姿を鏡に映す私と目が合うなり口を開閉させて瞬きを何度も繰り返していた。
見る限り困惑を隠せていない彼女が発した言葉は短く、ウソ、だった。
「あの、」
状況に耐え切れず、声を掛けてみた。しかし、それで我に返った彼女は私の声に応えるわけでもなく、急ぎ足で部屋を飛び出して走り去ってしまう。
話す機会を無くしてしまい、呼び止めようとして反射的に出した手が虚無感に負けてゆっくりと戻ってくる。それと同時に、私の頭は先程とは違う混乱に襲われた。
「現実とは物語よりも奇なり」
どこぞの偉人の言葉だったか。もしかするとこんな言葉ではなかったかもしれない。けれど、正しくその言葉のまま事が進んでいる今、その偉人はこういう経験をしたのかと余計な考えを持ってしまう。
私は、自らの考えを困惑しながらも肯定せざる負えない。――何処ぞの異次元へと、潜り込んでしまった。
潜り込んで、というのは少し違うか。召喚された? いや、これも少し違う。部屋に入ってきたメイドの困惑状態から見て、私ではなく私であり外見は私ではない私は、長々と目を覚まさなかったものだと思われる。昏睡状態と例えるべきか。それならば、発した言葉が「嘘」なのも頷ける。
室内の調度品、メイドが居る環境。それらを考慮して導かれる答えは、私はどこかの国のどこかの貴族か王族の一人に成り代わってしまったのだろう。
「マジか」
目を覚ました当初の押し問答が舞い戻ってくる。少しでも否定したい感情と、創作でしか読んだ事も見た事もない状況を経験してしまっているという歓喜の感情がせめぎ合い、考えが上手くまとまらない。
もっと状況を整理する何かが必要だ。パズルのピースが足りない。私はどうしてここに居るんだ――?
『間違えちった』
そういえば、と、気を失う寸前に聞こえた声を思い出した。
変な声だった。甲高いような、どこかで聞いたようなそんな声。子供向けアニメで有り得そうな声だった。
まさか、あれが。という驚きよりも、間違えたという言葉に対しての怒りが湧き出てくる。間違えたという事は、私はあの痛みを経験せずに済んだという巻き込まれた意味での怒りと、別の誰かが対象であったのならその誰かがあの痛みを経験してしまったかもしれないという怒りだ。女子学生に経験させるつもりだったのならトラウマものだ。
「というか、三十路のおばさんと十代を間違えないでよ……」
頭を抱えてベッドに座り込む。誰が発言したのか分からないが、そんな初歩的な間違いをするのであればそんな仕事辞めてしまった方が良いと、向いていないと断言させてもらおう。上から目線になるが、自分に向いていない仕事をしていた私が言うのだから間違いない。松田さん共々仕事を辞めてしまえ。
誰かわからない相手に感情をぶつけ、少し落ち着いてきたのかもしれない。溜め息を一度吐いて、今、私がどうすべきか考えよう。
思案する為にもう一度立ち上がれば、それを遮るかのように室外が騒がしくなる。言葉が通じるのかまだ判明してはいないが、部屋の外に人が居るのならば情報集めも兼ねて話しかけてみよう。欲を言えば先程のメイドさんが良い。困惑顔がとても可愛かった。
扉へと近付けばドタドタと走り回る足音や、低かったり高かったり嗄れてたりの声が重なって何を騒がしくしている理由を聞き取る事は出来ないが、言葉が理解出来るという事は言語による意思疎通が可能という事になる。これなら安心だ。
様子を見る為に、顔を近付けてゆっくりとドアノブを回しつつ扉を引いた――ら、少しだけ開けるつもりが外からの圧がかかり、顔面をぶつけてしまった。学生の頃の私は、大人になった自分が開脚後転を勢い良く披露する事態に陥るとは思ってもいないだろう。
「いっ、つぅ……!」
即座に鼻が折れていないかを確かめる。折角可愛い外見になったのだから、なるべく傷をつけたくはない。俯いて顔面を抑えた。意外と大丈夫そうだ。但し痛いのは変わりないので、抑えた所でその痛みが無くなるわけではなく、熱を帯びているのが理解出来るだけだ。
人が居る事を確認せずに扉を開けて、私の可愛い顔に傷をつけたのは一体誰なんだ。
涙で潤んだ目を開け、部屋に入ってきた人物を確認しようとすれば、目の前には端整に整った顔があった。
そう、顔がある。翡翠色の瞳と、外からの光に照らされて光る白が視界に広がったのだ。
「姫様……!」
顔だけでは男女の判別がつかなかったが、声色を聴いて判断出来た。私の顔面に扉を思い切りぶつけたのはこの男性なのだろう。すぐに駆け寄って心配をするのなら、扉の側に人が立っていないか気にして欲しいものだ。
「お目覚めになられて、良かった……!」
抱き締められた、らしい。この男性にとって、この私はとても大事な存在のようだ。確か姫様と呼称された気がする。――そうか、私は姫なのか。つまり、アレだ、もう自らの考えを100%許容するしかないようだ。
三十路のおばさんが姫に成り代わるなんて、そんな非現実は嘘であり、経験者からすると真実だった。