龍樹の空の哲学について 現代宇宙論。素粒子論の先駆者としての、。
龍樹、、漢訳名
インド名は「ナーガルジュナ」はインドの仏教哲学者で
西暦100年ころの人物だ。
大乗仏教哲学の
般若思想系の大成者である。
般若思想とは
般若経で有名な
色即是空
空即是色
の、、あれである。
一切は「無自性」であるという
大乗仏教の根本教理である。
その思想的裏付けというか
大成者が龍樹なのである。
般若思想を哲学的にまとめたのが彼である。
その思想は彼の主著「中論」にまとめられている。
龍樹の主著である「中論」から、いくつか、ランダムに章句を抜粋してみます。
「物質が原因を離れたとき、物質には原因がなくなる」
「過去は過去であることはなく、現在は現在であるということはない」
「認識と認識されるものは同一である」
「結果が原因に起因するということはない」
「世界は消滅と発生を同時に含有する」
「
「あらゆる存在は空であるから世界は存在するというような見解は誤謬である」
「世界は滅することもなく、生じることもない、断絶もしないし継続もしない。」
「原因があるから結果があるのでもないし。原因がなくても結果があることもある」
「過去が過去であることもないし、現在は現在でもない」
「虚の世界では滅はない」
「私は存在しない、したがってわたしの世界も存在しない」
「世界は真実と非真実が同時に存在する」
「過去は過去ではないし、現在は現在ではないし。未来は未来ではない」
「空においては虚もないし有もない。あるいは虚もあるし有もある」
「一切は空であるから、生起もなく滅亡もない」
「一切は空であるから因果関係などというものは存在しない。」
龍樹の思想は
物自体の否定。
因果関係の否定
変化の否定
に貫かれている。
以上のような龍樹の思想のほんの一端に触れただけでも、。
まるで、最新の素粒子論を読んでるような錯覚?
あるいは最新の宇宙論を読んでるような錯覚?
最新の時間論、、空間論?のような錯覚?
そのような錯覚にとらわれるのは
わたしだけだろうか?
例えば、、素粒子論においては
因果関係の破たんがあるという事実、
結果が先で原因があとだったりするという奇妙な現象があるのだ。
そして最新の宇宙論では
宇宙は無から、ビッグバンで生まれたという。
無が、、有を生じたのだ。
光速を超えた世界があるとしたら?
それはタキオン世界であろう。
その世界とは「虚」の世界である。
そこでは因果律がくるってしまうのだ。
そこでは質量、長さ、時間が虚になってしまう世界である。
数学でいうところの「虚数」である。
その虚の世界では光速に変わるモノがあるはずだ。
それがタキオンである。
タキオンは絶対に制止しない。
光速より遅くなることもない。
逆にいくらでも無限に早くなれる。
タキオン世界では虚の世界であるから
そこでは因果律は狂う、
たとえばAさんがタキオンで信号を送ったとすると
Bさんが受け取ったと返信する時以前に
Aさんにはそれがもうすでに届いているのである。
我々の宇宙はこのタキオン宇宙からやってきた?のかもしれない。
なぜなら我々のこの宇宙がはじまる時は極小の一点からビッグバンで生まれたのであり、
そのまえは?「特異点」であり無の世界、、虚の世界であるからだ。
虚の世界がビッグバンで実世界になり
やがて収縮しきって、(ビッグクランチ)
また虚の世界に戻る。
この循環が宇宙の歴史なのではないだろうか?
このように今から2000年前の龍樹の「中論」には
最新の素粒子論や
宇宙論を彷彿とさせる記述に満ちているのである・
龍樹の天才性、
あるいは龍樹は2000年前にしてすでに現代の宇宙論や
素粒子論
量子力学を
予見していたのだろうか?
そういう現代宇宙論的なアプローチからの
もう一度龍樹思想の再読み込みが必要なのかもしれない。
「かって不可思議那由他劫の遠い昔、、
無から世界が生まれた、
だから世界は無から生じた、、と言われたのだ、
無から生まれた世界は、生まれるや否や空中に広がり
あらゆるものは無から生まれたと宣言したのだ。
そして世界はたちまち、三千世界へと広がったのだ。」
これって?
宇宙のビッグバンですよね?