第十三章『ジャーヴィス・ベイ』
いうまでもなく大英帝国はこの時点、十九世紀中葉において
世界最強の国家である、
十六世紀終盤にスペインの無敵艦隊を破って海洋の覇権を確立、
その後もオランダやフランスといったライバルをしりぞけてきた。
いちはやくおこなわれた産業革命によって手にした、世界に冠たる
工業力をもって軍事、経済の両面での優越に揺るぎはない。
1837年に即位したビクトリア女王のもと、未曾有の繁栄と
実質的な世界支配…パックス・ブリタニカを実現しようとしていた。
そのイギリスにとり大きな傷になっているのが『植民地』アメリカの独立と
その後の伸張ぶりである。黙っていれば、近い将来に必ずや強力なライバルと
なるだろうことが予想された。
十九世紀初頭の『ナポレオン戦争』では、フランスに同情的なアメリカの
海上交通を封鎖したり、陸軍を侵攻させることもした。
史実ではこれがアメリカ本土が攻撃を受ける最後の例になるのだが…
ジャクソン将軍(後に大統領)によって撃退されてしまった(米英戦争)。
それでもしぶといのがイギリスである。この巨大になっていく『鬼っ子』に
対する『監視』は途切れることなく続けられていた。
とはいっても、このときロスアンゼルスに停泊していたイギリス船
『ジャーヴィス・ベイ』がイギリス政府の密命を受けていたわけではない。
単にメキシコ領カリフォルニアとの交易のためであるのだが…
船長のフェーゲンは、メキシコの官憲が紹介してからおいていった
インディアンたちの顔をしげしげと見つめた。
『少なくとも白人ではない。しかし、これまで俺が見たインディアンとも違った
感じを受ける…どちらかといえば中国人に似ているかな…そもそもこいつらの
服装…制服か? は質素ではあるが、そうとう高度な縫製技術で作られてるように見える』
さらに驚いたことに、全員ではないが英語を話す。大西山と
名のった無骨な顔つきの男はフェーゲンよりしっかりした…堅苦しいともいえるが…
英語を話した。
「われわれヤマトはメキシコ政府と協力してアメリカの侵略と戦います。
ぜひイギリスに支援をしていただきたいのです」
「…私は一商船の船長であり、イギリス政府を代表する立場ではないが…
イギリスはアメリカとメキシコの戦争に直接介入する意志はないと
考えるよ」
「軍事介入はわれわれも望むところではありません。ですが、物資の
支援…それもメキシコではなく、ヤマトに対するものであれば
中立という立場にもさしさわりがないのではありませんか」
「なにを望むのかね? 武器や弾薬ということになるのかな」
「武器…ともいえるかもしれませんが、船とその造修施設。
それと鉄道建設のための技術と物資です…いずれは製鉄も」
『なにを言い出すかと思えば…造船と鉄道だと!? この野蛮人どもは
本気でヨーロッパの最新文明を取り入れようというつもりなのか』
「もちろん無償でということではありません。できるだけ安くしてはいただきたいが
対価は支払います」
「対価!?…毛皮とかかね」
ここでヤマトたちはいくつかの袋をフェーゲンの前にさし出した。
「これは……黄金!!」
「五十キログラムあります。これは使者の役を引き受けてもらえれば
あなたに謝礼として差し上げます。ここにあるヤマトからイギリス政府への
外交文書を届けていただければ…です」
この金は桑畑が提供した『戦略物資』の一部である…もちろん限りはあるが、
補充の当てもある。なんにせよ、時と所にかかわらず『現なま』は強い!
現代の価格で一億五千万円強の黄金がカリフォルニアからイギリスへの
連絡代として法外に高いものかは微妙だが、このインディアンとは
商売になるかもしれないとフェーゲンは思った。
それに、船長クラスの人間なら自国とアメリカとの関係はわかっている。
世界帝国イギリスにとって北米大陸西岸にくさびを打ち込んでおくことの
意味についても…
「いいだろう。使者の役は引き受けよう…あなたたちの期待に沿う結果が
出るとは保証できないがな。それと、返事はどうするかな…政府が使節を
出さない場合は私がまた来ることになるのだろうか?」
「そのときは、また手数料をお支払いしましょう」
ジャービス・ベイは翌日に出港していった。もともと数日内には
その予定だったのだが、思わぬ臨時収入のあったフェーゲンにとり
停泊を続ける理由はなかった。
「信用できますかね?』
大西山中佐の質問に桑畑は苦笑しながら応えた。
「答えが出るまでには半年はかかるでしょう。まだマルコーニの無線はありませんし、
電信もアメリカのモールスがその機器と符丁の特許を取ったのがまだ二年ほど前です。
フェーゲン船長が帆船を使って結果を持ち帰るにはそれくらいは必要でしょうね』
「…百年前の文明にとって世界はとてつもなく広いということですな」
「そういうことです。さて、イギリスという国は『今も昔も』変わらず
実際的な国家です。事態を私たちに有利にするためには、彼らにとって
ヤマトが役に立つ存在であることを見せなくてはなりません。優秀な
愛すべき『猟犬』であることをです」
「……アメリカという巨獣にかみつくイヌですか…かつて大日本帝国をロシアに
かみつかせたようにですな」
「国民国家としてはある意味当然でしょう。税金をどう使うかが政治であるとすれば
国家間の無償の善意などというものはありえません」
史実における第二次世界大戦後の、いわゆる北方領土や北朝鮮(拉致問題)に対する
日本の『宗主国』アメリカの対応を見ればよくわかることである。
政治家の多くはそれをわかっているか、わかっていないふりをしてるだけだ。
多くのマスコミも同様である。
いつだったか『日本はアメリカの州ではない』などという、とんでもなく
『思い上がった』言葉を吐いた政治家がいた。当人はアメリカ追従反対の意味で
言ったのだろうが、『州』には『大統領を選ぶ権利』がある。日本はアメリカにとって
自活でき…それほどめんどうをみる必要がなく…利益も得られる『便利な属国』で
あるにすぎない。
『たかだか』数十、あるいは数百程度の属国の国民の運命より自国の利益を優先するのは
当然すぎることなのだ。
閑話休題…
フェーゲンのジャーヴィス・ベイはアメリカ大陸に沿って南下、大西洋に出ると
アルゼンチン沖にある英領フォークランド諸島に寄港する。折から停泊していた
イギリス艦隊の司令官はフェーゲンの情報を重要だと判断、フリゲート艦を同行
させ本国への帰還をいそぐようフェーゲンに命じた…が。
この時期、どのヨーロッパ諸国もさまざまな政治的、経済的難問を抱えていたが
それは繁栄を極めるイギリスでも例外ではなかった。
支配下にあるアイルランドを中心に数年前から(イギリスに土地を奪われた)現地住民の
主食となっていたジャガイモに大規模な伝染病が発生し、飢饉による社会の動揺は
政府にとって最重要の問題になっている。
遠い太平洋の『インディアン』からの『外交文書』に対して、時の首相
ジョン・ラッセル以下の政府、あるいはビクトリア女王陛下がどのような
反応を示すかは、まだまったくの未知数なのであった。
つづく
この時期、イギリス船がロスアンゼルスにいたかどーかは知りません。いてもおかしくはないかな…という程度です。ジャーヴィス・ベイという船名および船長名は第二次大戦中、ドイツのポケット戦艦『アドミラル・シェア』に沈められたイギリスの仮装巡洋艦のものです。てきとー戦記です…ご容赦!!