セクハラ男
「うわぁぁあぁぁあぁあああ!!!」
彼は時速四百キロに達するのではなかろうかという速度の中、情けなくも悲鳴を漏らしアシュレイの乗るバイクであろう乗り物の後ろに座り、恐れ多くもその腰にがっしり捕まっていた。
先ほどまでの彼女を忘れたわけではないがこの速度の中では仕方のないことであろう。
彼女は相変わらずの仏頂面でその悲鳴を聞き流す。
流石に転移者がこの速度で平気な筈もない。
彼女は多少の不愉快は我慢することができた。
それにそんなに怖がらずとも魔法を使って落ちないようにしてあげているのだが、彼にそんなことを気にするだけの余裕はないだろう。
そもそも魔法なんて存在を知らない可能性すらある。
暫くの辛抱である。
「うるさいです。」
銃口を眉間に向けるだけで、彼は借りてきた猫のように静まり返る。
しかし、その体は恐怖からくる震えを隠せていない。
その恐怖はこの非常識な速度に対するものか、それとも彼に向いている銃口に対するものか。
もしかしたら彼女の絶対零度の視線に対するものかもしれない。
「...はぃ」
消え入りそうなその声に彼女は少しだけ申し訳なさを感じたがそれも一瞬。
目の前に集中する。
今は彼女の仕事である転移者の保護真っ最中である。
帰るまでが遠足というように彼を送り届けるまでが仕事である。
とは言っても自動運転であるのだから集中も何もないのだが、彼はそんなことは知らない。
自分のせいで事故に遭ったとあらばこの速度である。
申し訳ないどころではないだろう。
なんとか恐怖を紛らわすため先ほどのことを思い出す。
自分の名前をただ叫ぶという彼の必殺技はうまく決まり、毒気を抜かれた彼女はバイクに跨り、自分の後ろに彼を乗せカリテール草原を出発することにした。
この男と会話するだけ無駄と思ったのだろう。
その時も彼女はタブレットの様な物を取り出し呪文を唱えていた。
それは何の魔法なのか、ようやく異世界を実感した彼は先ほどのやり取りを忘れたのか彼女に質問する。
忘れたわけではなく舞い上がっていただけなのだが。
恐怖よりも興味が上回ったらしい。
そんな彼に彼女は冷めた視線を向け、
「あなたもスマホくらい持っているでしょう。
通話しているだけです」
と彼にとってはなかなかに衝撃的な現実を突きつけたのだった。
つまり、あのタブレットの様な物は彼の知っているタブレットそのものなのだろう
ということは彼女がタブレットに向かって呟いていた呪文は呪文ではなくこの世界の言語なのだろうか。
ならば彼女の微妙に異なるアクセントを持った変に丁寧な日本語にも説明がつく。
不思議な異世界パワーで翻訳しているわけではなく彼女が日本語を話しているだけという簡単なトリックだったということだろう。
となると少なくともこの異世界には他にも日本人がいる、もしくはいた、ということになる。
是非生きているなら会って話をしたい。
「ということは俺以外にも日本人がいるんですか!?」
そんな彼の言葉は彼女の
「後で説明します。取り敢えず乗ってください。」
という言葉の前に消散した。
できれば今すぐにでも答えを知りたい彼は彼女の絶対零度の視線と自分の興味心を天秤にかけて大人しく彼女の後ろに腰掛けたのだった。
そんな彼の葛藤など露知らず彼女はようやく達成目前の仕事を前にどうやって上層部の人間に落とし前をつけて貰おうか、次の長期休暇の約束か、給料の大幅アップか、人員の補充か、たくさんの手札を頭の上に浮かべ悪い笑みを浮かべる。
「って、俺の知識チート路線しれっと潰されてるじゃねーかっ!!!」
彼の悲鳴とも怒号とも取れる雄叫びは、彼女の不機嫌ゲージの経験値として一役買った様で、彼の周りの補助魔法は消散し、彼の体は一瞬だけ仰け反り我に返った瞬間彼女の腰をしっかりと抱きしめ全身を震わせていた。
「ごめんなさいぃぃいぃぃいい!!」
彼の情けない悲鳴を聞き、少しだけ彼女はスッキリしたのかその顔には微笑が浮かんでいた。
しかし、一向に魔法を再構築しようとはしない。
彼女はサドっ気に溢れているのだろう。
心地よい他人の悲鳴をバックグラウンドに次の標的はどの様に料理してやろうかと考えを巡らせていく。
暫くの間ストレス解消を楽しんだ彼女は、腰に回された腕を鬱陶しく感じたため補助魔法を構築していく。
そこには危険だからとか保護対象であるからとかいう感情は微塵も存在しなかった。
ただただ腰に回された腕を不快に感じただけ。
腕が腰から離れた感覚を感じる。
どうやら何らかの力で風を遮断していることに気づいたらしい。
案外頭は回るのかもしれない。
まあ、ただ単にそんな妄想を日課にしていただけであったのだが。
「今の行為はセクハラとして上に報告させていただきます」
彼女の一言は彼の青い顔をより一層青くさせた様で
「あぁ、死にたい」
彼は異世界に来て何度目かわからない口癖を口にする。
その声は彼女には届かなかった様だ。