苗字恨み男
俺がこの世界に来てどれだけ時間が経ったのだろうか。
スマホを見る限り四日ほどは経っているはずである。
もはや何日にこの世界に来たのかも記憶があやふやだ。
食べ物が尽きて丸三日ほどが経っているのだ。
もう限界などとっくに過ぎている。
俺は現代っ子だぞ。
至急ふかふかのベッドが必要だ。
あと温かい風呂とご飯も。
ふと地球での生活を思い出す。
思い出すとは言ってもまだ数日前のことなのだが。
自然と足が止まってしまう。
何故こんなことになっているのか。
地球に帰りたい。
家に帰りたい。
ピロンッ
スマホがメールを受信した様だ。
スマホには数十件の着信とメールが溜まっている。
内容は家族から俺の身を心配するものばかりである。
例によって返信は出来ないため非常に心苦しいのだが。
足を止めていても時間が経つばかりだろう。
俺は歩くことで自分を保つ。
歩くことに集中することで現実から逃避するのだ。
いくら歩き続けても相変わらず見渡す限り草原以外なにも見当たらない。
このまま死ぬのだろうか。
喉が渇いた。
腹が減った。
足が痛い。
視界も定まらない。
このまま死ぬのだろうか。
もう諦めてしまおうか。
もう....歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く歩く。
気がついたら地面に倒れ込み眠っていたようだ。
体のあちこちが痛む。
何故かケツも痛い。
目を覚ますと目の前には腕を組み仁王立ちしている女神が居た。
出てくるの遅すぎるだろ。
流石に。
こういうのって異世界転移する前に現れてチートな能力を授けてくれるっていうのが相場だろう。
死にかけてやっと登場とかドSな女神なのだろうか。
確かに目つきは鋭く視線だけで怪我をしそうではある。
いや、よくよく考えてみればお迎えにきた可能性だってあるな。
もはやそっちの方があり得るか。
そうか遂に死んじゃったのか俺は。
まあ、こんなに美しいSっ気のある女神様に迎えに来てもらえたのなら本望である。
別に俺がどうとかいうわけではない。
女神様に迎えに来てもらえたってことはここは天国なのだろうか。
いや、もしかしたら女神様ではなく天使かもしれない。
こんな奴のためにわざわざ女神様にお手を煩わせるわけがないだろう。
しかし、少し期待してまう。
「ここは天国でしょうか?あなたは女神様であられますでしょうか?」
すごく可哀想なものを見る様な目で見下ろされた気がする。
「私の名前はAshley•Muirheadです。あなたの名前を教えてくれますか?」
すこしアクセントが外れているその声は、外国人が日本語を話している様だった。
いや、見た目は完全に外国人なのだが。
銀髪に蒼い目、真っ白な肌に日本人離れしたスタイル。
名前もアシュリーマヘッドらしいし。
流石にそんな名前の日本人はいないだろう。
そしてアシュリーって名前に親近感を抱く。
丁寧な言葉とは裏腹に彼女の足が俺のケツを蹴るのは同時だった。
「あっ、足集利智樹です。はい。」
身の危険を感じ素直に名前を答える。
彼の小動物的本能は自分の質問よりも、目の前の人物の質問に答えることを優先したらしい。
そんな彼の行動は何か間違っていたのか、彼女の表情は怒りを表現していた。
選択を誤っただろうか。
冷や汗が背中を伝う。
すると彼女はバイクの様な物に向き直り、タブレットの様な物を取り出し操作を始める。
あれはなんだろうか。
天国もハイテクなんだな、などと的外れなことを考えながら様子を伺う。
聞きなれない呪文?をタブレットの様な物に唱えている。
魔法でも使うのだろうか。
その呪文を聞きながら周りを見渡す。
相変わらず草原だった。
あれ?俺まだ生きてんの?てことはこのアシュリーって女性は異世界人?てか日本語通じたじゃん。
やったぜ。
頭が混乱していくと共にテンションも上がっていく。
ふと視線を戻すとタブレットの様な物からも呪文が流れ出す。
何の魔法だろうか。
彼女...アシュリーはタブレットを閉じるとこちらに向き直る。
「2度目はありません。あなたの名前を教えてくれますか?」
俺は質問の意図が掴めず黙り込んでしまう。
彼女は言葉の丁寧さと行動が全くと言っていいほど合っていなかった。
それはもう体は子ども頭脳は大人どころの話ではない。
目には怒気とも殺気とも取れる色が浮かび、見られるだけで心臓が凍る錯覚に陥る。
その白く綺麗で触れると壊れてしまいそうな手には全く不釣り合いな重苦しい黒い銃が握られ、その銃口は俺の眉間を捉えている。
口元は引き攣っており笑顔を作ろうと必死に頑張っているのだろうか、もう狂人のそれにしか思えない。
取り敢えず両手を挙げてみるべきか。
いや、動くと撃たれるかもしれない。
ここは冷静にいこう。
「も、申し訳ありませんっ、でしたっ、あっ、アシュリーさんが何に対して怒っておられるのか、お、しえてくれますでしょうかっ!」
無理だった。
うまく言葉が出てこない。
テンパりすぎて喉がカラカラである。
あ、元々喉はカラカラか。
どぱん。
耳の真横を白くて太いレーザーが通過する。
「アシュリーではありません。Ashleyです。
アシュリーはあなたのふざけた偽名でしょう。
次は外しません。
あなたの名前を教えてくれますか?」
なるほど理解した。
俺は今まで自分の苗字が普通だったらと思ったことはあったが、今ほど自分の苗字を恨んだことはあっただろうか。
これはまずい。
どうすればいいのだろう。
いっそ逆に偽名を名乗るしかないのではないか。
田中智樹とか言ってみるか。
いやどっちにしろ後ろの地面にできたクレーターのように存在を消し去られるだけだろう。
変な汗が全身から吹き出す。
さっきまで餓死しかけていた体とは思えないほどの頭の回転速度を発揮する。
考えろ!考えろ!
「あ・しゅ・り!と・も・き!です!」
俺の頭は糞の役にも立たなかった。